’60年代の音楽、ファッション、文化にこだわりを持ち続けて数十年!!

昭和レトロなるものが、ブームになっている昨今。
少し違った観点から、マイ昭和レトロともいうべきスタイルを、
〜遠い〜記憶をたどりながら綴りたいと思う・・・・・・。

2006年6月15日

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AMERICAN DREAM X [2007年08月31日(金)]

G・Mの古き良き時代 X

1950年〜1960年代まで、G・Mのスタイリング部門の長として、コルベットなどの多くのアメリカらしい名車を生んだのが、ハリー・J・アールである。


シボレーは、1911年に誕生したG・Mの、いわば大衆車。といっても、もちろんハリー・アールの華麗なデザイン、G・Mらしさは充分に盛り込まれている。50年代の広告イラストでは、キャディラック、ポンティアックの豪華な背景と対照的に、人々の生活のちょっとした一瞬をとらえ、たとえば産院へ急ぐシボレーを、笑顔の白バイが先導していたり、といった情景がおもしろい。

その頃の日本は、あまりにも現在と異なった世の中であった。自動車を興味の対象として、話が出来る相手を、東京で見つけ出すのが大変であったのだ。日本人は米軍用車の全てをジープと呼んでいたし、有名新聞の記事でも営業用でない乗用車は、ひとからげに”高級車”という言葉で表現されていた。

東京ではやっと、自動車幹線の第二京浜国道が全通したのだが、ラジオのインタビューに対して、ある国家公安委員は「自動車ばかり考えずに、もっと舗道を広くしろ」と言って、大いに知的ぶってみせていたし、タクシーには三輪車も走っていた。一部の金持ち子弟の中には、スポーツカーを乗り回す進歩派も現れてはいたが、日本人の大部分は、頭の中で、自動車とはタクシーかステイタス・シンボルのなにものでもなかったのであり、国産メーカーはタクシー用と三輪トラックと、あとは戦時型を改良したトラックとバスのシャシーを細々と作っていたのみで、自動車産業なんて言葉は現れず、ましてや自動車株なんて区別もされず、自動車会社とは、四苦八苦でやっている三流企業といったところだったのである。
(文:五十嵐 平達 参考資料より)


1956年型シボレー・ツーテン

産院へ急ぐシボレーを、笑顔の白バイが先導している。

AMERICAN DREAM W [2007年08月29日(水)]

G・Mの古き良き時代 W


現存するアメリカ車の中で、最も古いというのがこのオールズモビル。1897年にランサム・E・オールズによって、第1号のガソリンエンジン車が完成している。50年代にはこれも勿論、テイル・フィンとクロームで着飾っていた。(参考文献より)


1956年型オールズモビル・98ホリデイ


1959年型オールズモビル・88ホリデイ


1959年型オールズモビル・98ホリデイ

AMERICAN DREAM V [2007年08月28日(火)]

G・Mの古き良き時代 V


G・Mの中でも斬新なデザインで、スポーティーなイメージなのがポンティアックだ。やはり50年代の広告には本格的なイラストを使ったものが多く、ニューヨークの劇場の前や、フロリダあたりの海岸、競馬場など、当時の豊かなアメリカを象徴するような背景でポンティアックらしさを表している。(参考文献より)


1959年型ポンティアック・ボンネビル

イラストの色使いと、画風がロートレック調ですね。芸術の秋に向けて私も久しぶりに、ガッシュやリキテックスを使ったアクリル画を描きたくなりました!
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AMERICAN DREAM U [2007年08月27日(月)]

G・Mの古き良き時代 U


「高品質で格調高い車だけをつくる」というのがビュイックのスローガンだという。50年代半ばのビュイックの広告は、夜というシチュエーションで黒いボディを描いたり、雪の積もった東都の街に赤いボディを置いてみたりといった、凝ったイラストが多い。題材も落ち着いたものが主で、いかにも高級車といったイメージを打ち出している。(参考文献より)


1954年型ビュイック・スカイラーク

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AMERICAN DREAM [2007年08月26日(日)]

G・Mの古き良き時代


キャディラックの名称は、1701年にデトロイト市を創立した、フランス人探検家の名に由来する。アメリカ車のスタンダードとしての、自信と伝統から生まれるそのデザインは、つねに高級車の先駆となってきた。(参考文献より)

1950年代、アメリカが最も豊かだった古き良き時代、光り輝くクロームと、ピンと尖ったテイル・フィンで着飾っていたG・Mの車。
キャディラックを持つ事が、上流階級の入り口に手がとどくかどうかを決定するような、階級社会のステイタス・シンボルでもあったと言える車ですね。


1956年型キャディラック・シックスティ・ツー

BACK TO CAMPUS [2007年08月24日(金)]

北海道の学生達は、東京より2週間ほど早く夏休みが終り、今週月曜から2学期が始まったようです。

アメリカ東部、アイビー・リーグの新学期は9月ですね。因みに、私がティーン・エージャーの頃から数年間、友人達とやっていたバンドが、American Englishから名付けた、”THE FALL'S”でした。”秋”が好きだった、私のパートはドラムスです。

基本的には、エイト・ビート中心でしたが、'71年に初来日した、当時のハード・ロックグループ、グランド・ファンク・レイルロードのコンサート(後楽園球場)で、前座を務めた、マッシュ・マッカーンの「霧の中の二人」や、グランド・ファンク・レイルロードの「ハート・ブレイカー」、ディープ・パープルの「ブラック・ナイト」等‥も、レパートリーに取り入れていました。しかし、30年以上のブランクがあるので、今はもう叩けないでしょうけれど、再結成をしてみたいものです。

「アイビー・ボーイのキャンパス絵日記」

解説●くろすとしゆき   イラストレーション●穂積和夫

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THANK YOU VAN! [2007年08月22日(水)]


MEN'S CLUB '75年7月号より

「We Love Sportsキャンペーン!VANの新しいポスター。あの『アメリカン・グラフィティ』を描いたデイブ・ウイラードソンの最新作イラストレーション。今、メイル・オーダーでこのポスターが買える」

このB1(縦728mm×横1、030 mm)のポスターが、1000円(送料込み)で全国のアイビーリーガースに頒布されました。


'75年10月号より

懐かしいですね、VANの『カーペンターズ・キット』。一時はプレミア価格が100万のときもあったそうです。

「『MY WOODY COUNTRY』のキャンペーン!1975年10月1日〜全国のVANショップでいっせいにスタート。抽選で3000名の方にプレゼント。12月10日締め切り。応募方法は、全国のVANショップに備えつけの応募用紙、又は官製はがきをご使用ください」とあります。
私は応募をしませんでしたが、幸運に輝いた方が、今となっては羨ましい。

'60年代〜'75年頃までに、VANが手掛けた各種キャンペーン、ノベルティー・グッズなどの、S・P(セールス・プロモーション)は、Early Americanを強く意識したプランニングが、とても斬新でした。今でも充分通用するほど新鮮なのです。
純ジャパン・ブランドで、このようなS・P展開を計るアパレル企業が現れる事は、もうないでしょう。


”残暑お見舞い” [2007年08月20日(月)]

「残暑御見舞い申し上げます。」

先週はこちらも猛暑が続きました。札幌市内では、一般家屋の火災報知機が誤作動して、消防車の出動が数百件あったようです。昔の札幌ではなかった事で、屋根の積雪対策を考えた建築法が仇になったようです。

既に立秋も過ぎて、暦の上ではもう秋ですが、今年は全国的な酷暑の夏になり、残暑厳しき日が続いている事と思います。私は北海道にいて、避暑の意味では快適な夏を過ごしました。北国の空はもう高く感じ、秋の気配がします。

お盆休みのピークも過ぎて、空港が空く時期に、今週末から愛知、岐阜へ行く予定でいましたが、先週の水曜日から胃腸障害を起こしていて、体調があまり良くないので中止にしました。目的があったので大変残念なのですが、一年程前の癌検診で、胃と大腸に癌の陽性反応が出て、精密検査を受けていたもので少し心配です。悪性のものではなく、特に問題はなかったのですが用心しようと思います。

先日、昭和50年夏のメンズクラブを見ていたら、懐かしい広告がありました。


University Shop



SAMと VANGLERの靴も結構良かったです。REGALの白のコインローファーは、デザインがスマートではなかったのです。

”MEN'S CLUBの歴史” [2007年08月18日(土)]


創刊200号記念特大号('77年12月号)


('63年12月号)

メンズクラブは、私が生まれた年である、昭和29年6月に創刊。昭和38年12月に、従来の季刊から隔月刊となり、第34号を発行。この号から現在のA4サイズに変わりました。


若き日の、くろすとしゆき氏が手にしている、昭和38年9月に発行された、第33号『アイビー特集号』が、A4に変わる前の、最後の週刊誌大サイズです。


初期のメンクラの表紙と、グラビアを飾ったモデル、若き日の井手正勝氏。(アダムス社長)


当時のメンクラに執筆していた、伊藤典夫氏(翻訳家)

“信濃の国” [2007年08月13日(月)]

”人づきあいのヒント?”「県民性のおもしろさ」今回は長野県です。

私が好きな、島崎藤村詩集より

『小諸なる古城のほとり』

小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす 繁は萌えず
若草も 籍くによしなし
しろがねの 衾の岡辺
日に溶けて 淡雪流る

あたゝかき 光はあれど
野に満つる 香も知らず
浅くのみ 春は霞て
春の色 わづかに青し
旅人の 群はいくつか
畠中の 道を急ぎぬ

暮れ行けば 浅間も見えず
歌哀かなし 佐久の草笛
千曲川 いざよふ波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰む

最近、年のせいか音信不通になっていた、古い友人の事を思う事が多いのです。15年ほど前に大変お世話になったT・Hさんは、信州の上田出身でした。私と知り合った頃はウィスキー党で、私と同じくらいの酒豪でしたが、若い頃は酒を嗜むことが全くなかったそうです。

高度経済成長期の時代、宴会の席で上層部から「Hは酒も飲めない堅物で・・・・・。」という陰口を襖越しに聞き、これではいけないと思ったHさんは、日々、酒を飲む訓練をしたのだそうです。酒の付き合いも、大事な仕事のひとつで、大切なコミュニケーション・ツールですよね。
他にも、当時人気があったラジオ番組、「百万人の英会話」を聞きながら英語を猛勉強したそうで、Hさんの英語力はかなりのレベルでした。国家公務員だったHさんは、結果的に異例の出世を成し遂げた努力の人です。”信州人はよく勉強する”と云われる通りですね。

バブル景気が終わる頃に、アメリカが大好きなHさんと、サンフランシスコへ毎年のようにご一緒していました。ディナー用に持参していた、紺のニューポート・ジャケットがよくお似合いのジェントルマンです。


当時の私です。中間管理職の心労から、体重が7キロ激減していた38歳の頃です。

アイビー・ルックに凝る事はなかったHさんですが、'62年頃の銀座のテイジン・メンズショップで、冬のボーナスを注ぎ込んでVANのダッフル・コートを買ったり、オーダー・メイドでコードレーンのスーツを着るなど、若い頃からとてもお洒落な方です。

大切に保存されていた、当時のVANのダッフル・コートと、JUNのドンキーコートを「君に上げる」と云ってくださったのですが、当時の私はVANやJUNに中学時代のような執着は失せていたので、「サイズが合わない物を戴いても・・・」とお断りしましたが、今思うと戴いておくと良かったですね。'60年代初期のVANとJUN!今となっては希少価値なのです。

私のショッピングの付き合いで、当時、原宿の明治通り近くにあったVANSHOPへ行くと、VANの商品を懐かしそうに見ていました。
さすがにもう、VANのものを買うことはありませんでしたが、HさんのカジュアルはdunhillやBROOKS・BROTHERSのポロに、スウィング・トップ、コッパンなどで、スーツやコートはdunhill、Burberryを愛用していました。靴のほんどは、REGALやHush Puppies というこだわりようです。東京でのショッピングは洋服に限らず、私と同様に、日本橋・高島屋を利用する方で、全てにおいて私と波長が合う人だったのです。

私が東京を離れていた頃も赴任先へ電話を頂いたり、旅先のサンフランシスコからは、絵葉書での便りを頂いていました。私がけがをしてまだ療養中だった5年前の春に、行きつけの鮨屋でクライアントのキーマンと、打ち合わせを兼ねて飲んでいたところ、共通の友人である、IBMのMさんと一緒のHさんと偶然会い、食事を済ませたHさんは連れのMさんを見送り、私を待っていてくれた事がありました。

その後Hさんが退官されてからは連絡が途絶えていました。何故か家庭を持つことがなかったHさんで、以前から「僕の老後は有料老人ホームへ入るつもり・・・」と云っていましたが、東京の住まいを売却して、郷里の上田へ帰られたと聞いていますが、大変ご無沙汰をしておりましたので、帰京した際には上田へ行ってみようと考えています。お元気でいらっしゃる事と、再会出来る事を祈っています。

私は若い頃から、仕事関係やプライベートでも、諸先輩の方々から目をかけて頂き、多くの薫陶を受けてきました。その人間関係は何物にも変えがたい、心の財産になっています。偶然のきっかけで知り合い、自然体で親しんでゆけるのは、「オーラの泉」的に考えると、やはり前世からの宿縁なのでしょうか?(おいらの泉でした)
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