’60年代の音楽、ファッション、文化にこだわりを持ち続けて数十年!!

昭和レトロなるものが、ブームになっている昨今。
少し違った観点から、マイ昭和レトロともいうべきスタイルを、
〜遠い〜記憶をたどりながら綴りたいと思う・・・・・・。

2006年6月15日

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”花火大会” [2007年07月30日(月)]



昔から”花火(火事)と喧嘩は江戸の華 ”と云われるように、(花火は云われていない?)、私は花火大会が大好き人間です。先週の土曜日は隅田川の花火大会が行われて、今週の土曜日は江戸川の花火大会ですね。

昨年の「江戸川花火大会」には、黒のジバンシー・ファッションがお似合いで、オードリー・ヘップバーンのようなプロポーションの(褒めすぎ?)、神戸のOさんも来て、”ティファニーで定食を”の作者であり(笑い)、硬式テニスを中心としたスポーツマンのナイスガイ、目黒のMさんと、渋谷のFさん、町田のSさん達と盛り上がりました。彼らは'60年代のファッションや音楽の話題も合う、愉快な仲間達です。

一昨年、昨年と、楽しみにしていながらも、来られなかった文京区のNさん。江戸川のWさんからの要望もあって、今年は大勢で集ろうと予定をしていましたが、今回は花火王子の私が蝦夷地にいて、なかなか帰れないもので、皆さんにお会い出来なくて大変寂しいです。来年は是非、盛大にやりたいと思います。

私の本籍地、渋谷の”神宮外苑花火大会”は8月16日ですね。今年は、「おやじバンドフェスティバル」の「全国決勝大会」が神宮球場の軟式球場会場で、ザ・ワイルド・ワンズをゲストに迎えて行われます。司会は東京ヴェンチャーズのエド・山口さんです。(神宮外苑花火大会は、有料観覧なのでチケットが必要です。)


6月に札幌の北海道ライヴ・ハウスで行われた「北海道決勝大会」は、出場バンド関係者以外は入場出来なかったので、神宮球場での全国決勝大会を楽しみにしていましたが、帰れそうもありません。昨年暮れから東京でのイベントをすべてキャンセルしているので、完璧にホームシック状態です!!

”バラ色の雲” [2007年07月27日(金)]

理容店というと、昔は”MEN'S CLUB”にも紹介された、高円寺のアイビー・カット専門店「ブルー・バード」を利用していましたが、アイビー・ルックをやらなくなってからは、通算20年来の付き合いのある床屋へ行っています。

出張や転勤先の地方で一番困るのが、センスの良い床屋探しですね。北海道では昨年12月から、床屋を数軒変えています。最初は説明通りにやってくれるのですが、次に行くと、「前と同じでいいですか?」と言うので任せると、とんでもない事になります。

前回行った店ではカットも前と違い、おまけに「眉毛の下は剃りますか?」と聞くので、「ハイ」と言って寝ていたら(床屋では必ずと言っていいほど、寝ます)、起きてびっくり!!あっと驚く為五郎〜!!(ギャグが古すぎ?)眉全体を細めにカットされているではないですか

散髪屋だけに”怒髪天を突く”怒りを覚えて、雷を落としてやろうかと思いました。理髪だけに、利発な仕事をしてほしいものですね!!今回行った店は下調べをしておいたので、カットも接客マナーも、まあまあの出来でしたが・・・・・・。


そんな事で、今週日曜日の19時頃に床屋を出て、見上げた夕暮れの空がこんな感じでした。実際には、ターコイズ・ブルーの空が部分的に残り、白い雲がピンク色に染まっていて、とても綺麗でした。こんなバラ色の夏空を見るのは久しぶりです。カメラを携帯していなかったので、実写できなくて残念。


「バラ色の雲」
バラ色の雲と 思い出をだいて
僕は行きたい 君の故郷へ

野菊をかざった 小舟のかげで
くちづけ交わした 海辺の町へ

※初めて見つけた 恋のよろこび
君はやさしく 涙をふいていた

バラ色の雲と 思い出をだいて
逢いに行きたい 海辺の町へ
逢いに行きたい 海辺の町へ


ヴィレッジ・シンガーズはアイビー・ルックでしたが、後列左の笹井一臣(ベースギター)、右の小松久(リードギター)と、前列左の林ゆたか(ドラム)はVANです。'60年代はシェットランド・ウールのクルーネック、Vネックセーターやカーディガンと、ラム・ウールのVネックセーターなどがポピュラーでした。

前列中央の清水道夫(ギター、ボーカル)と右の小池哲夫(キーボード)の、ベン・ケーシー風のタートルネックと、ジップ・クルーのリブ編みのセーターは、'67〜'68年頃にJUNやEDWARDSがやっていたと思われる、このような新しいデザインが、当時はとてもかっこ良かったのです。

小池哲夫さんは「亜麻色の髪の乙女」の作曲をした、すぎやま こういち氏と共に、私の業界と関連する、CM音楽制作会社を設立し、CMプロデューサーとして活躍。現在は、J・A・M「日本広告音楽制作者連盟」の副理事長もされています。

懐かしいラジオ放送 [2007年07月24日(火)]

昨年8月の”懐かしいラジオ放送”に書いた、NHKアナウンサーの梅津正樹さんと、私のブログに時々登場頂いている、元HBC(北海道放送)アナウンサーの鮫島宗哉さん。

今回初めて書くもうひと方は、2002年4月から2006年3月まで、NHK「ニュース10」のメインキャスターを番組終了まで務めていた、今井 環さんです。彼は報道局政治部記者で、主に、ワシントン支局、上海、北京などで海外特派員を長い事されていた方です。
政治記者の割には、温和な人柄で、純情居士を思わせる今井さんは、私が最も好きな人物です。

鮫島さんは'47年生まれ、梅津さんは'48年生まれの団塊世代の東京出身で、私より6、7歳上ですが、今井さんは'53年生まれの同世代で、四国、松山の出身です。品性と知性あふれるルックスですが、小さい頃は野山を駆け回る、野生児のような少年だったそうです。(笑い)
私は放送業界の方と知り合いになるきっかけが多いのですが、共通項はあらゆるジャンルに博学多識で、とても好感を持てる人達です。

最近の私はと言うと、逆の意味でのカルチャー・ショックから、少し我侭になっており、北海道の生活に辟易して、気分が沈みがちでした。そのような時に、先日鮫島さんからメールを頂き、私のブログを楽しみに見てくださっているという事と、先日書いたファッションセンスの良い、町村信孝氏の記事を、ほほえましく読んで頂いたそうで、町村信孝氏は鮫島さんの中学の先輩であるというエピソードも知って、とても嬉しくなりました。いろいろと気にかけて頂き、ありがとうございます。

鮫島さんは繊細な気配りをされる方で、HBC時代の後輩キャスターが独立した際には、軌道に乗るまでの間、福岡〜札幌間を毎週のように往復して、多方面でのサポート業務を行う等、たいへん面倒見のよい人なのです。私が心から尊敬できる人物の一人です。
10月からは再び、昭和女子大学での講座をレギュラーで行われるそうなので、秋からは、東京で鮫島さんにお会いできるのも嬉しい事です。
コーチング、ファシリテーション講座の、”言葉の鮫島マジック”にファンが多い、コーチ鮫島宗哉さんは”団塊世代のハリー・ポッター”ではないか?などと思っております。(笑い)
私も昭和女子大学の講座を楽しみにしています。

※講座の詳細は後日掲載しますので、関心のある方は是非参加してみてください。

”往年の名画” [2007年07月20日(金)]

「おやじギャグ編」


『ティファニーで定食を』


美しすぎます!
『ローマの灸日』


続く第3弾は
『避暑地のもめ事』です。

むかしむかし、昭和62年の8月某日、私と友人達は秘書役に仕事をさせて、軽井沢へと避暑に行きました。軽井沢へ入ると、どんぶらこ どんぶらこと、平年に比べ凄い渋滞で、パトカーと警官の数が尋常ではないのです。

友人達との会話「俺達が来たからかなァ〜…?」「でも、お忍びなんだから判るわけないじゃない…?」などと、アホなジョークを飛ばして楽しんでいたところ、私は自然の摂理をもよおしたので車から降りて、近くの喫茶店へ行きました。用を済ませ、冷たい飲み物で喉を潤して(自分だけ)から戻ったところ、車が全く進んでいないのです!!

日頃は、温厚?誠実?穏やか?控えめ?紳士的? な私ですが、このときばかりはむかっ腹が立った為、傍にいた警官に「何かあったの?」と高飛車な態度で聞いたところ、「中曽根総理が、軽井沢プリンスへ、ゴルフでお見えになっていて、現在プレイ中なもので、あーでもないこうでもない・・・」という説明に対して、関係の無い警察官の方々なのに、マシンガン・トークで毒舌を吐いていたという、わたくしども三十路の、信濃路での「避暑地のもめ事」なのでございました。(大河ドラマのナレーション風?のつもり

因みに、当時私は33歳でした。ある日、中野の日本料理屋で、金串に刺した魚や海老を立てて焼く、炭火の豪華な炎を眺めながら、一人で1階のカウンターで飲んでいたところ、隣席に座った20代前半のO・L二人から「雰囲気と横顔が、中曽根首相に似ていますねェ〜!」と云われ(どういう意味じゃい!)と思いつつも、「僕は、バーコード頭ではないよ!」と云ったところ、「そういう意味じゃあなくってぇ〜、威厳があるというかぁ〜」「それに中曽根さんって、渋い感じでハンサムじゃないですかァ〜」「渋い感じの人って好きなんですよぉ〜」(年代がまったく違うじゃないか!)云々と爺扱いと、美辞麗句?を並べ立てられて、喜ぶべきものか、悲しむべきか・・・と、迷いながらも、結局は盛り上がり、清楚なファッションの美しい女性達を連れて、当時流行っていた「カフェバー」(懐かしい響き)へと繰り出したのでした。今思うと、あれは逆ナンパだったのかしらねェ〜???(プチ自慢)

昨日の夕飯に何を食べたのか、思い出せない事があるのに、大昔の事は良く覚えているのです。

当時”風見鶏”と称されていた中曽根康弘氏に、今は性格がよく似ている?ような気がします。選挙区が私の父方のルーツである、群馬ですし・・・・・・。

THE・BEATLES [2007年07月16日(月)]

「THE・BEATLES」

ザ・ビートルズのLPレコードは数枚持っているのですが、私のブログでビートルズの話題を取り上げるのは、初めてです。ではなく二度目でした。健忘症でしょうか?

ビートルズの曲を初めて聴いたのは、小学5年生の頃で、やはり姉の影響からでした。あまり鮮烈な印象が残らなかったのですが、「今日の誓い」という曲が好きでした。高校生になって、友人の家で聴いた「ペーパーバック・ライター」が今としては好きな曲ですね。
私はどちらかと言うと、ザ・ローリング・ストーンズのインパクトが強かったので、中学生の頃からストーンズをよく聴いていました。


'63年3月(英)


'63年11月(英)


'64年12月(英)

Philadelphia・Sound's [2007年07月14日(土)]


バブル絶頂期の落とし子、芝浦にあった会員制ディスコ”ジュリアナ ”旋風の後、数年前にはオールディーズのディスコ復活ブームがあり、青山や、神楽坂には伝説的な、六本木”キサナドゥー ”などがオープンしました。客層は40代から50代で、家族連れもいました。

私が二十歳前後に通っていた頃のディスコ、赤坂”MUGEN ”、新宿”BIG・TOGETHER ”etc には、アメリカのモータウン・レーベルなどの、ソウル・ミュージシャンが多数、来日出演していました。当時は生バンドにD・Jというスタイルの店が中心でしたね。

当時の学生は、赤坂、青山、六本木は、青学、慶応、上智。新宿は早稲田、明治など、遊ぶ街が大きく分かれていて、当時の渋谷は若者が集まる街ではありませんでした。私は美術系の大学ですが、高校からの友人達は医科歯科大が多かったので、横浜、横須賀など、何処へでも行っていましたが・・・。(笑い)


'73年〜'75年頃、好きだった曲は、■ダイアナ・ロス&スプリームス「ベイビ−・ラヴ」「キープ・ミー・ハンギング・オン」■ザ・スリー・ディグリーズ「荒野のならず者」■ザ・テンプテーションズ「マイ・ガール」「ゲット・レディ」■グラディス・ナイツ&ザ・ピップス「イマジネイション」■ラベル「レディー・マーマレード」■キャロル・ダグラス「恋の診断書」■カール・ダグラス「吼えろ!ドラゴン」■クール&ザ・ギャング「ファンキー・スタッフ」■シルヴァー・コンヴェンション「フライ・ロビン・フライ」■ジョージ・マックレイ「ロック・ユア・ベイビー」等‥。

その後は、K.C&サンシャイン・バンド「ザッツ・ザ・ウエイ」、北欧系グループの、ボニーエム「ダディー・クール」、などがディスコ・シーンを飾りました。その頃私はディスコを卒業して、スナックやコンパへ行くようになりましたが、'78年に「ハロー・ミスター・モンキー」が大ヒットしていたアラベスクの曲が好きでした。

今、記事を書きながら思い出したのですが、学生時代に名古屋のディスコへ行っていたという、愛知芸大出身の、当時私の後輩デザイナーだった女性と、ジュークボックスで「ハロー・ミスター・モンキー」を、数人で踊ったことがありました。29年前の出来事ですが、このステップは今でも覚えていました。懐かしいです!!

”北都物語” [2007年07月10日(火)]

縁あって、北海道で仕事をする機会が多く、今回は昨年11月からの長い滞在でしたが、もう少しで東京へ帰れそうです。

しかし、26年前に2年程住んでいた頃の札幌には活気がありました。当時の北海道財界を代表していた北海道地崎と、北の英知が集合したような企業イメージがあった、北海道拓殖銀行が経営破綻したのちの、大恐慌に陥った北海道は、昨年財政破綻した夕張町だけではなく、全体的に見て、破綻に近い市町がたくさんあります。

2000年の有珠山噴火により、多大な被害に遭った、洞爺湖温泉がある洞爺湖町で、7月7日に安倍首相も首相官邸からライブ中継で参加して、「美しい星への願い―サミット一年前、七夕イベント」が行われていました。来年の七夕に北海道 洞爺湖サミットが行われると、少しは町と北海道経済の活性化に繋がるのでしょうけれど、それも一時的なものと思います。

道民の皆様は気持がとてもおおらかで、人情味があふれる良い人が多いのですが、行政に対して住民パワーをもっと強く持つべきだと思います。昨年の11月から通算7ヶ月余り住んでみて、改めて感じるものがありました・・・。

今では風化されつつある、かつての北海道ブランド、”雪印”の大不祥事に続き、今回は苫小牧で起こった、ひき肉加工会社の不祥事にしても、早くから道庁に内部告発があったにもかかわらず、早急な処置がなされていなかった、怠慢とも云える道側の対処からも端を発していますね・・・。

今春の知事選でも与党の自民、公明からの支持を受けて、二期目に再選された、通産省出身の高橋北海道知事は、主婦としての立場からも、しっかりと北の大地に足の着いた政策で、北海道経済の建て直しを中心に、今後もあらゆる面に真剣な取り組みをして、道民の生活の安全を守り、道政を改革して頂きたいと思います。

私は、1959年〜1971年まで、北海道知事をされていた町村金五氏の御子息である、前外務大臣の町村信孝氏のファンでもありますので、通産省出身の町村信孝氏の後輩にあたる、高橋はるみ北海道知事へもエールを送らせていただきます。

因みに、安倍晋三首相と、高橋知事は私と同年齢です。企業や団体から、団塊世代が引退をしてゆき、次代を担う世代交代は、私たちの世代の時代に入っているようです。
精神年齢が幼い?私も、何かの形で貢献してゆかなければなりませんね。

町村信孝氏は、ベスト・ドレッサー賞を差し上げたいほど、国会議員唯一の、スマートなジェントルマンです。

”虹と雪のバラード” [2007年07月07日(土)]


「札幌冬季五輪のリリカルな公式記録映画」
篠田正浩 監督・岸田今日子(ナレーション)

4月に東京の廃盤レコード店で購入した、トワ・エ・モア(あなたとわたし)の「虹と雪のバラード」は、1972年2月に開催された”札幌冬季オリンピック”の歌でした。
この歌の作詞者・河邨文一郎(かわむら・ぶんいちろう)さんは、札幌医大の教授で、北大在学中から金子光晴に師事した詩人でもありました。

1965年に、マスコミなどから”プリンス・アイビー”と云われていた、皇室唯一のアイビーリーガーだった、三笠宮智仁 親王殿下も札幌オリンピックに御公務で列席されました。
私は個人的に、オープンな家風の三笠宮家一族のファンでもあります。

私のブログに曲と共に、ときどき歌詞も書いていますが、歌詞検索からの訪問者もいらっしゃいますので、今回も載せますね。


「虹と雪のバラード」
<The Ballad of Rainbow & Snow>
河邨文一郎:作詞
村井 邦彦:作曲 
小谷  充:編曲

虹の地平をあゆみでて
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗、 叫び、 そして唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちのあいだに眠っている
北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎にゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の真下に
生まれかわるサッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
生まれかわるサッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

”定年後の人生を考える”<完> [2007年07月04日(水)]

私より10歳ほど上の、東京の知人の中に、心身ともに健康体でありながら、定年後の人生を趣味以外は何もしないで過ごしている方々がいます。(60歳を過ぎて、受け入れ先が云々という、社会体制の問題を超えての考えです)能力も可能性もたくさん持っている、優秀な方々なので残念に思います。
余計なお世話だ!と思われる方には、人生に対する価値観の相違と、論点が変わってきますので、議論の余地はありませんが・・・。

私は少なくとも、可能な限り、現役で社会に関わっていたいと考えています。
私が独自で行ったマーケッティング・リサーチでは、今のところアパレル他社ではやっていない、私の記憶にあるものと、今まで培ったセンスから、60's IVYのエッセンスをデザイン化したブランドを、サイドビジネスで立ち上げようとしています。、社会には定年がありませんので、健康で動く事が出来るうちは、還暦以降も社会に関わりながら、社会に貢献するという、ポジティブな自分であり続けようと考えるからです。起業するからには、利益の追求は当然ですが、儲け主義に走ると良い結果は得られません。社会と顧客との関わりを大切にしてゆくブランドにします。

北海道で購読していた新聞の日曜版コラムに、シリーズで12回連載されたものから、5回選んで掲載しましたが、今回の6回目で終わります。末尾の文章表現が、団塊世代に対して、私としては途惑う部分がありますが、割愛するのも変ですし、今回で最後なのでそのまま掲載します。

”生きる”「団塊世代の心と暮らし」<完>
明治学院大学 心理学部(生涯発達心理学)教授 佐藤 眞一
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60's Avenue [2007年07月01日(日)]

月日が経つのは早いもので、今日から7月ですね。
親友の姪御さんである、象足さんの縁で、御学友が経営するサイトの、カフェ・グローブにブログを書き始めて、6月で1年が過ぎました。我乍らよく続いたものだと思いますが、ヒット数も上々です。訪問してくださっている皆様、ありがとうございます。今後ともどうぞ宜しく。

夏のイメージというと加山雄三!!久々の”若大将 ”です。


「エレキの若大将」
星百合子さんのヘアスタイルと、TEISCOのアンプが懐かしいです。


星百合子さんに代わり、マドンナ役は酒井和歌子さんです。


若き日の加山雄三。爽やかですねェ〜。


私はギターが上達しなかったので、ヨットの上でギターを爪弾くのが夢でした。今年の年頭目標には、ピアノのレッスンをして、羽田健太郎、弾厚作に近づこうと思います。でしたが…。


雪の降る湖に ひとりで僕を待つ 幻の乙女よ 愛しのアマリリア ロシア民謡 ”トロイカ ”のコードを取り入れた、キーボードのメロディーが美しい「幻のアマリリア」は大好きだった曲です。
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館一
秋のコンサート (09/06)
鮫島宗哉さんへ
”真珠の涙” (07/31)
きんちゃんへ
”真珠の涙” (07/17)
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