’60年代の音楽、ファッション、文化にこだわりを持ち続けて数十年!!

昭和レトロなるものが、ブームになっている昨今。
少し違った観点から、マイ昭和レトロともいうべきスタイルを、
〜遠い〜記憶をたどりながら綴りたいと思う・・・・・・。

2006年6月15日

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名古屋にて [2006年10月31日(火)]

土曜の夜、新幹線「のぞみ号」で名古屋に到着。当日は雨でしたが、翌日の朝からは晴天に恵まれ、東京より気温も高く爽やかな日和です。
久しぶりの名古屋は、高島屋の出店と「中部国際空港」が出来て早速足を運び、知多半島の新舞子の海辺も散策してきました。久しぶりということで逢う人が多く、プライベートも多忙に過ごしていますが、夜の名古屋は相変わらず寂しい街です。
時間が取れたら、わりと近いので岐阜の多治見へ足を伸ばしてみようと思います。

昨深夜、一人で飲みながら何故か石原裕次郎の「恋の街札幌」が頭に浮かびました。

時計台のしたで逢って、私の恋ははじまりました・・・・・。」
明日から11月ですが、冬枯れの札幌行きが楽しみです。
高校1年の頃「李ジュラン」という韓国人女性歌手が歌った「あの人は今札幌」という曲を思い出しました。確かヴェンチャーズのサウンドだったと記憶しています。
粉雪の降るなか一人、噂聞き訪ねてきたの、北の街札幌の夜・・・・・。」秋が深まるとセンチメンタルになります。AB型はロマンティストなのかな・・・・・。

IVY LEAGUE U [2006年10月27日(金)]

久しぶりの更新ですが、明日からは名古屋。中旬には私用で札幌へ行きます。その後は引越しを予定しておりますので、またしばらくは更新できないかもしれません。

   

  「Ivy League Universities」

   University of Pennsylvania

   Harvard University

   Brown University
   
   Dartmouth College

IVY LEAGUE [2006年10月27日(金)]

アイビーって何?観葉植物のこと?と、幾度か聞かれたことがありましたので、ご説明します。
アメリカ東部の8大学で、日本の6大学のレベルをはるかに超えています。成績が優秀なだけでは入学出来ないという、名門の家柄の子息、令嬢が集まるエリート養成学校です。
私が尊敬する一人でもあるアメリカ大統領、故ジョン・フィッツジェラルド・ケネディーはアイビーリーグの名門「ハーバード」出身でした。
そのアイビーリーグの学生達のファッションを、日本で紹介したのが「ヴァンジャケット」の創設者、故石津謙介氏でした。昭和40年前後のアイビーブームが巻き起こり、ひとつの風俗と、若者の文化をつくりあげました。アイビールックは現在も根強いファン層がおります。


     
 「Ivy League Universities」


アイビーリーグにもランク付けがありますが、ここでは順不同で4大学をアップします。


    Princeton University

    Yale University

    Cornell University
    
    Columbia University

    

”和のテイスト” [2006年10月15日(日)]


’68年1月号には「男の着物」と題したページがありました。



ひと頃女性達の間で和服を洋服にリフォームして着るのが流行っていて、私の姉もワンピースにして着ていました。
画像の縞柄は着物の生地です。一昨年、突然他界した母の遺品のひとつで、これは反物の状態です。母が何かを仕立てようと思っていたのでしょう。

以前からアイビーストライプは和のテイストだと感じていました。この柄はアイビーストライプに比べると色使いが少し少ないですが感じが似ていると思います。

ネットを通して知り合い、「ブラックウオッチとCAPE・COD・SPIRIT」でトラバを戴いた、往年のアイビーファンの方が、の浴衣で作られたというボタンダウンのシャツを拝見して、僕もこの生地でボタンダウンを作ろうと思います。綿素材なので半袖にすると良いかもしれないですね。たぶん、二着分できると思います。一枚は女性用にオーダーしようかな!

今日は往年のアイビーファンさんのページのカテゴリー、「ペットの話」を拝見しましたので、今は亡き愛犬、「吾郎」君が幼犬だった頃をアップします。和のテイスト「秋田犬」です。


'60s Avenue [2006年10月14日(土)]

先日お会いした くろすさんが昔、執筆していた雑誌を発見!忘れていました。
先週見つけていればこの本にサインを戴いたのに・・・・・残念です。
次回のチャンスに期待する事にしましょう。

【若者たちに占領された夏】 くろす としゆき

1934年東京都文京区生まれ。服飾評論家。

’54年慶応義塾大学、’55年にセツモードセミナーに入学。在学中はバンドとアイビーに熱中し、穂積和夫氏らとアイビークラブを結成。
両校を卒業後、’61年VANに入社。おもにアイビー、トラッドの商品開発およびプロモーション分野を手掛ける。
’70年退社し、クロス・アンド・サイモンを設立と同時にダンロップ、リーガルの顧問に就任。同社解散後はテレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」にレギュラー出演。エッセイストとしても活躍中。

大人の街といわれていた銀座が、ある年の夏、若者たちに占領されたことがあった。「みゆき族」とよばれる高校生中心のグループにである。彼らはみゆき通りを中心に、銀座通りにたむろした。(中略)その数3,4百人、休日は倍以上にふくれあがった。こんな騒ぎが初夏から夏休みいっぱい続いた。1964年、東京オリンピックの年である。
この集団の特徴は、当時若者の間で人気爆発のアイビースタイルでキメていた点にある。男性は半袖のボタンダウンシャツ、丈の短いコットンパンツ(ソックスが10センチ程のぞく)か、バミューダショーツ。女性はコットン製のロングスカート、共地のリボンベルトをだらりと下げる。頭に二つ折りのハンカチーフをかぶる。そして男女共に大きな紙袋か麻袋(フーテンバッグとよばれていた)を抱え、肩をゆすって歩く。
わたしは「みゆき族」より10年程前にアイビーに熱中した世代で、当時アパレルメーカーの企画部員だった。洋服屋から見るとアイビースタイルとは思えぬ妙なファッションもあったが、彼らはいわばお客様。興味深く服装や行動を見守っていた。
「みゆき族」以前にも太陽族など、族と名のつく若者の集団はいくつかあった。中で「みゆき族」が異質だったのは、ストリートファッションの集団であったことと、思いもよらぬ場所、銀座で生まれた点にある。また、若者たちがマスコミに取りあげられたことも、かつてない画期的な出来事といえる。これを機に、若者文化の時代に突入した。



「みゆき族(女子)」の典型的なスタイル。


みゆき通りにたむろする「みゆき族」の少年・少女。


「みゆき族」がトレードマークのように持っていたVANの紙袋。


初期の「みゆき族」の前身でもあった、「六本木族」の女の子。(’62年頃)ファッションに’50sの香りがします。うしろは東京タワー。映画「三丁目の夕陽」の時代です。

芸術の秋 「映画」 [2006年10月13日(金)]

カフェブロ・トップページの、編集部がセレクトしたおすすめブログ、三篇のひとつに、本日、私のブログを「 映画から音楽まで、60年代カルチャー満載!」「ivyscene 1968」 とセレクトして戴き、身に余る光栄です。アクセス戴いている皆様、カフェブロ編集部の皆様に感謝です。

一昨夜、私のブログに登場する姉に、所用で23時に電話をしたところ、話が弾み、終わったのが深夜1時を過ぎていました。先日のブログにも書きましたが、毎年のように同窓会が行われて、今月も一泊旅行で同窓会をやるそうです。卒業して40年近く経つのに、教頭を始めとする先生方も出席するそうで、皆さん良い関係を続けています。なかなか出来ない事です。
私もよく知っている姉の友人で、女子大卒業後に「山野愛子美容学院」を経て、美容関係で活躍していた女性が55歳で亡くなりました。クルーザーを何艘も持つハイ・ソサエティーでしたが、病という不可抗力に人生の悲哀を感じます。同窓生が何人か病に倒れているようなので、あの’60年代の先端をはつらつと謳歌していた頃の姿を知る私は胸が痛みます。

当時、姉が聴いていた4曲入りのサウンドトラック、EP盤「男と女」、
良いフランス映画がたくさんありました。


「 男と女 」


(1966年/フランス)
出演 :アヌーク・エーメ、ジャン・ルイ・トランティニャン、
監督 : クロード・ルルーシュ

第39回(1966年)アカデミー賞 脚本賞、外国語映画賞/第19回(1966年)カンヌ国際映画祭 長編部門 グランプリ 受賞作品。

共に連れ合いに先立たれた男女が、互いの悲しい過去を引きずりながら恋に落ちていく様を描いた大人のラブ・ストーリー。

フランシス・レイのテーマ曲「男と女」が大ヒットしました。フランス語のボサノバ調の曲と、ハモンドオルガンをフューチャーした、ささやくような挿入歌もとても良い曲です。
ルノー・ベルレイの「個人教授」など、’60年代後半のヌーベルバーグが懐かしいです。

“ I care you ” [2006年10月11日(水)]

マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング 株式会社
日本法人代表取締役社長 柴田励司氏。
毎週、配信戴いているメールマガジンから、特に10月8日付けの内容に感銘しましたので、一部割愛して御紹介します。

『部下を大切に思う気持ち』

ロンドンです。思ったよりも寒く、ホテルの部屋では暖房をいれています。
さすがに、朝日が昇るのも遅いです。朝の6時半頃にロンドンタワーの辺りを走っていますが、その時間では真っ暗です。
昨日はこちらのお客様にご配慮いただき、Queen劇場で「レミゼラブル」の20周年記念講演を観てきました。「レミゼラブル」は大好きな作品の一つで、これまでもニューヨークで2回、
サンフランシスコとシカゴでそれぞれ1回、ロンドンで2回、アムステルダムで1回、日本で2回観ています。

今回のロンドン版は、やや演出に荒いところがありましたが、ジャン・バルジャンとエポニーヌの出来が素晴らしく、全体としては十分に満足です。まだ一度も観たことがない、という方はぜひ!(「ミュージカル=宝塚」という方のイメージを一新できると思います。)

さて、このミュージカルの底辺に流れるテーマは「他者へのCare」です。ストーリーをご存知でない方にとってはチンプンカンプンでしょうが、銀織機を盗んだジャン・バルジャンに対する神父のCare、ジャン・バルジャンのコゼットへのCare,エポニーヌのマリウスに対するCare、ジャベールのジャン・バルジャンに対するCareなどなど、自分以外の人間に対するCareが目白押しです。ここに20年にわたって、世界中で人々の心をつかんでいる秘訣があると思います。

楽曲がすばらしいミュージカルは他にもたくさんあります。作曲のクロード=ミッシェル・シェーンベルクの作品としては、ミス・サイゴンの方が楽曲的には優れていると思います。しかし、テーマの深さでレミゼラブルに及びません。

人はやはり、誰かをCareしたいし、Careされたいものです。組織運営上、みな、それぞれ役割があります。
上司という役割、部下という役割、派遣という役割など、関わり方は多様です。しかし、お互いにお互いをCareするような組織運営ができれば、そこに信頼を超えた強い結びつきが生まれるのではないかと思っています。

プロの仕事集団にはCareはいらない。そこに必要なのはMissionの共有だけだ・・・というハードボイルドがお好きな方もいらっしゃると思います。それを否定はしません。しかし、長くつき合っていく組織であれば、私はそこに「相互の結びつきと信頼」を求めたい。

Careというのは「そのヒトのことを大切に思う」ことです。「大切に思う」からこそ、そのヒトの体調や精神状態などを気にします。仕事で悩んでいないか、困ったことは起きていないか、自然に気を配ることができます。

組織を引っ張るリーダーというのは「あのヒトと一緒に働きたい!」と思われるヒトであるべきというのが私の持論ですが、その秘訣の一つに部下を大切に思っているかどうか、があると思います。
これまで、何故「あのヒトと一緒に働きたい」と思われるかというと、「わかってくれるヒトだ」と部下に思われるから、と説明してきましたが、そのベースにあるのは「部下を大切に思う気持ち」だと思います。


パフォーマンス上問題がある、ケミストリー(相性)が合わない、ひどい失敗をしでかした、文句ばかり言う、問題ある部下の典型的な状況です。もし、この部下が倫理的に問題ある(嘘をつく、一生懸命やらない)のであれば「大切に思う」必要はありません。しかし、そうでない場合は、問題があっても「大切に思う」気持ちと態度で接するべきだと思います。そうであれば、仮に組織の外に出てもらうことになったとして、そこには「感謝」こそあれ「憎しみや怒り」は生まれないはずです。

組織が集団皿回し状態になると、上司も自分の仕事をこなすので精一杯になって、とてもヒトのCareなどしていられなくなります。みな、ヒトのCareはできないけれど、こんなに仕事をしているから自分はCareされるべきだと考えます。
でも結局誰もCareしてくれないので、常に不満に思うようになります。そうなると組織がギスギスします。
同じ組織でありながら、できるだけ双方向のコミュニケーションを避けようとします。コニュニケーションを強く望んでいるが故に、反動的な態度をとるようになってしまいます。

この場合、皿回しを解消するか、それが短期的に難しい場合には、皿回しの状態でもヒトのCareができるヒトを投入します。それは経験豊かなリーダーかもしれませんし、外部のカウンセラーかもしれません。または、癒し系の若手社員かもしれません。
いずれにせよ、Careのない状態を長らく放置してはいけません。これは、組織の一番上の人間(社長)と人事責任者の責任です。

“ I care you ”、部下に対してそう言えるリーダーの集団をつくりたいですね。

柴田励司氏が、週一回発行しているメールマガジンへの登録はこちらから。

『柴田励司の人事の目』

VAN COLLECTION [2006年10月10日(火)]

VAN COLLECTION

池袋東武百貨店のイベント「エンジョイ大人時間」、本日は穂積和夫さんとくろすとしゆきさんのトークショーがあって、アメリカーノさん、MR・Hさんと一緒に参加しました。

MENS・CLUBのイラストを飾った穂積和夫さんは、ブルー・オックスフォードのB・D、レジメンタルタイ、アメリカン・トラディショナル・モデルのネイビー・ブレザーにブルー・ジーンズ。初期のVAN JACKETから’66年にKentを立ち上げた、くろすとしゆきさんは、やはりブルー・オックスのB・Dにアイビー・ストライプのジャケット、濃いキャメルのチノパンに同色のソックス、靴はブラウンの、懐かしいBASSのペニー・ローファーでした。お二方共、素敵に年輪を重ねておられます。

’70年代に入り、リーガルをアイビーではない人達が履くようになった頃、バスやジョンストン&マーフィーのローファーを愛用するようになりました。これもこだわりです。(笑い)


’72 Come On!Sportsman

'73 Sports Communication

’75 My Woody Country

’70年代初頭のVANは、スポーツ路線のポスター・カレンダーが多くありました。今は紛失しましたが’73年にVAN SHOPで戴いたアメフトのポスターがありました。私の知人で、J・PRESSの「オンワード樫山」に大学からアメフト選手で入社をした人がいました。そのチームには元ヴァンガーズの選手もおりましたが、バブル崩壊のあおりで企業のスポーツチームは殆ど無くなりましたね。残念です!

芸術の秋 U [2006年10月09日(月)]

「 永井一正 」

「田中一光」先生と共に私が尊敬申し上げる、世界的なグラフィック・デザイナー「永井一正」先生。


1929年大阪に生まれる。1951年東京芸術大学彫刻科中退。1960年日本デザインセンター創立とともに参加。

1962年東京ADC銀賞、銅賞。1966年第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞、日宣美会員賞、毎日産業デザイン賞、朝日広告賞グランプリ、亀倉雄策賞、勝見勝賞。1968年第6回東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞、第2回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞。1980年日本宣伝賞山名賞。1983年毎日デザイン賞、東京ADC会員賞、第5回ラハチ国際ポスタービエンナーレ第3位賞。1984年第11回ブルノ国際グラフィックビエンナーレ金賞、日本グラフィックデザイン展(ニューヨーク)金賞、銀賞。1988年芸術選奨文部大臣賞、第13回ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリ。1989年紫綬褒章、西ドイツ国際カレンダー展金賞。1992年第1回モスクワ国際ポスタートリエンナーレグランプリ、東京ADC会員最高賞、第2回メキシコ国際ポスタービエンナーレ第1位受賞。1993年全国カレンダー展通商産業大臣賞。1967年より富山県立近代美術館、姫路市立美術館、ワルシャワ近代美術館ポスター館、池田20世紀美術館等で43回の個展を開催。

「アサヒ・スタイニー」1965 ポスター

主な著書としては「アートディレクション」(美術出版社)、「永井一正のポスター」(河出書房新社)、「永井一正の世界」(講談社)がある。

現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会理事、AGI会員、東京ADC会員、日本デザインコミッティ理事長、日本文化デザインフォーラム会員。

作品収蔵=東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、富山県立近代美術館、姫路市立美術館、ニューヨーク近代美術館、ドイツ国立抽象美術館等多数。

I'M HERE
「JAGDA平和と環境のポスター展」1992

芸術の秋 [2006年10月08日(日)]

「 田中一光 」

この大きな山はつねに柔らかく、

いまなおふだんに成長しつづける山なのだ。


田中一光のような存在について言葉をもって直接的に語ることは難しい。というより不可能に近い。しかたがない。比喩という間接的方法を奥の手として使うことにしよう。

私が田中を考えるとき、かならず連想するイメージがある。それは山だ。大きな山だが、けっして人間を拒む嶮しい山ではない。あくまでも優しく、なだらかで、登る人を受け容れる登り口をいくつも持っている山だ。
それらの登り口を便宣的にロゴタイプ、ポスター、カレンダー、ブック・デザイン、グラフィック・アート、あるいはトータル・イメージ・メーキング・・・・・・などと呼んでみてもいいだろう。
(1993年4月 詩人:高橋睦郎 評論より抜粋)

私が若い頃から最も尊敬する、世界を代表するグラフィック・デザイナーの一人「田中一光」先生。2002年1月10日永眠。 享年71歳。青山の自宅近くで倒れて、急逝したことで私は大きなショックをうけました。


1930年奈良市生まれ。1950年京都市立美術専門学校(現京都芸大)卒業。
鐘淵紡績、産経新聞等を経て、1960年日本デザインセンター創立に参加。1963年田中一光デザイン室主宰。日宣美会員賞、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞、毎日デザイン賞、芸術選奨文部大臣新人賞、ニューヨークADC金賞、東京ADC会員最高賞、毎日芸術賞、日本文化デザイン大賞、TDC会員金賞、朝日賞、第一回亀倉賞などを受賞。また、N.Y.及び東京ADC殿堂入り、紫綬褒章受章、文化功労者表彰。西武美術館、N.Y.クーパーユニオン美術大学、L.A.日米文化会館、奈良県立美術館、パリ装飾美術館・所属広告美術館、メキシコ現代美術文化センター、ミラノ市現代美術館、富山県立近代美術館、サンパウロ現代美術館、東京国立近代美術館フィルムセンター、バウハウス・アーカイブ・ミュージアムなどで個展。

著書に『田中一光のデザイン』、『デザインの周辺』、『田中一光デザインの世界』、『デザインの仕事机から』、『デザインの前後左右』、『田中一光自伝 われらデザインの時代』などがある。



他界される数年前に、中野の料理屋で田中一光先生と会食をする機会に恵まれました。その際に著書と本人直筆のサインを戴きました。何よりも大切にしている私のお宝です。
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