’60年代の音楽、ファッション、文化にこだわりを持ち続けて数十年!!

昭和レトロなるものが、ブームになっている昨今。
少し違った観点から、マイ昭和レトロともいうべきスタイルを、
〜遠い〜記憶をたどりながら綴りたいと思う・・・・・・。

2006年6月15日

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”洞爺湖サミット” [2008年01月30日(水)]


『北海道洞爺湖サミット』(G8サミット)が今年の七夕、7月7日(月)から9日(水)までの3日間、洞爺湖町の『ザ・ウィンザーホテル・洞爺』において開催されます。
 G8サミットとは、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシアの8ヶ国の首脳と欧州連合(EU)の委員長が参加して、毎年開催される首脳会議です。地球温暖化対策など、国際社会が直面するさまざまな課題について議論されます。


昨年の9月4日に書いた、洞爺町近隣にある町、室蘭市出身の「ザ・サマーズ」が、デビュー前に洞爺湖で合宿練習をしたそうです。'60年代のG・Sブームの頃、東京では山中湖や中禅寺湖などで合宿練習をするグループが多くいました。

昭和42年のヒット歌謡、森進一の”盛り場ブルース”という曲は、全国の盛り場の地名が歌われていました。北海道は”洞爺 ススキノ 定山渓”と、観光地洞爺がでています。ちなみに東京は渋谷 新宿 池袋でした。

一般的に”とうやこ”と発音しますが、地元北海道の人達は”どうやこ”と言います。北海道有数の温泉地でもある”洞爺”の語源は、アイヌ語からきているのでしょうか?


北海道洞爺湖サミットまで99日を数える3月30日(サミット)の夜に、このサミットで大きなテーマとなる地球環境を考えるために、ローソクの光で過ごす『ガイアナイト』が開催されます。”家族や友人などと、電気を消してローソクの光の中で、地球環境を考える時間をつくってみませんか”という素晴らしい趣旨です。

”安部首相辞任” [2007年09月14日(金)]

一昨日、安倍総理が1年足らずで、突然退任したニュースを見て驚きました。昨年9月に総理大臣に就任した際には、私と同年齢の総理大臣が初めて誕生した事を、大変喜ばしく思いブログにも書きました。

昨日のニュースでは胃腸障害で入院をされたようで、退任表明をしてから入院されるところに、生真面目さを感じます。自分の立場が不都合になると、体調不良を理由に入院という形を取る政治家が多くいますので・・・!「機能性胃腸症」という、あまり聞かない病名ですが、大変気の毒に思います。

昨年のブログにも書いたように、世代違いの海千山千が揃う国会で、毛並みのよろしいお坊ちゃまにとっては、この一年の重圧は、相当な心労であった事とお察しします。かく云う私も8月中旬に、レベルは違いますがストレス性の胃腸障害を起こして、1週間ほどお粥と点滴のお世話になりました。とても辛い思いをしましたので、私の性分としましては他人事と思えないのです。マスメディアには人間的な基本マナーを持って、療養中だけでもそっとしておいて頂きたいものですね。

最近の一部の電波メディアは、国民に正しい報道を伝える義務を云々という、大義名分だけは整えていますが、実情的にはくだらないバラエティー番組を垂れ流しにしているような、企業イメージが強いのです。視聴者に及ぼす悪影響を考慮できていない、視聴率だけが優先の、ここ数年の番組制作に対しては知的水準を疑います。

このような本音を書くと、記事を抹消されるケースが多いのですが、筋を通す私は敢えて書くのです!

”安倍改造内閣発足” [2007年09月01日(土)]

安倍改造内閣が、27日夜発足された改革の再スタート。外務大臣に町村派会長の、町村信孝元外相が入閣されました。私としても、たいへん喜ばしい事です。前外相の頃、「2004年9月27日:第二次小泉内閣 改造内閣で外務大臣に就任(〜2005年9月21日) 2005年9月21日:第三次小泉内閣で外務大臣に就任(〜10月31日) 」にも功績を残されておりましたし、やはり世界外交には、押し出しも素晴らしく、スマートなルックスをお持ちの、町村氏のような人物が理想的と思います。 


中学時代には野球をされていたという、閣僚界の若大将?は爽やかです!私としては、次期総裁選には、町村信孝氏に総理大臣をやって頂くことを希望します。

”北都物語” [2007年07月10日(火)]

縁あって、北海道で仕事をする機会が多く、今回は昨年11月からの長い滞在でしたが、もう少しで東京へ帰れそうです。

しかし、26年前に2年程住んでいた頃の札幌には活気がありました。当時の北海道財界を代表していた北海道地崎と、北の英知が集合したような企業イメージがあった、北海道拓殖銀行が経営破綻したのちの、大恐慌に陥った北海道は、昨年財政破綻した夕張町だけではなく、全体的に見て、破綻に近い市町がたくさんあります。

2000年の有珠山噴火により、多大な被害に遭った、洞爺湖温泉がある洞爺湖町で、7月7日に安倍首相も首相官邸からライブ中継で参加して、「美しい星への願い―サミット一年前、七夕イベント」が行われていました。来年の七夕に北海道 洞爺湖サミットが行われると、少しは町と北海道経済の活性化に繋がるのでしょうけれど、それも一時的なものと思います。

道民の皆様は気持がとてもおおらかで、人情味があふれる良い人が多いのですが、行政に対して住民パワーをもっと強く持つべきだと思います。昨年の11月から通算7ヶ月余り住んでみて、改めて感じるものがありました・・・。

今では風化されつつある、かつての北海道ブランド、”雪印”の大不祥事に続き、今回は苫小牧で起こった、ひき肉加工会社の不祥事にしても、早くから道庁に内部告発があったにもかかわらず、早急な処置がなされていなかった、怠慢とも云える道側の対処からも端を発していますね・・・。

今春の知事選でも与党の自民、公明からの支持を受けて、二期目に再選された、通産省出身の高橋北海道知事は、主婦としての立場からも、しっかりと北の大地に足の着いた政策で、北海道経済の建て直しを中心に、今後もあらゆる面に真剣な取り組みをして、道民の生活の安全を守り、道政を改革して頂きたいと思います。

私は、1959年〜1971年まで、北海道知事をされていた町村金五氏の御子息である、前外務大臣の町村信孝氏のファンでもありますので、通産省出身の町村信孝氏の後輩にあたる、高橋はるみ北海道知事へもエールを送らせていただきます。

因みに、安倍晋三首相と、高橋知事は私と同年齢です。企業や団体から、団塊世代が引退をしてゆき、次代を担う世代交代は、私たちの世代の時代に入っているようです。
精神年齢が幼い?私も、何かの形で貢献してゆかなければなりませんね。

町村信孝氏は、ベスト・ドレッサー賞を差し上げたいほど、国会議員唯一の、スマートなジェントルマンです。

J・F・K [2007年05月02日(水)]


「第35代アメリカ大統領」

「祖国があなたのために何ができるかを問うより、あなたが祖国のために何を行うことができるか問うてほしい。」

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.


これは、有名な就任演説の中の文。演説が上手かったケネディーの文章の中でも、とびきりの名文とされているが、本当に何度読み返しても、示唆に富む素晴らしい言葉です。

ブツブツと文句を言うだけで、何でも他人のせいにするのを戒め、「主体的に自らの運命を切り開いていく」のだという言葉は、今の時代にも、新鮮な響きを持っている。

「生い立ち」
ケネディはマサチューセッツ州ブルックラインで、アイルランド系移民の子孫で、株取引(大恐慌の際、株の空売りで巨利)や禁酒法時代に密造酒の製造で大儲けをした投資家のジョセフ・P・ケネディ・シニアの2番目の息子として生まれた。ケネディ家は非常に富裕な家柄で華やかなイメージが強いが、他方で常に陰のイメージが付き纏うのは、彼の父の経歴に根ざしている。

13歳のときにチョート・スクール(コネチカット州ウォリングフォードの寄宿学校)に入学し、その後1935年にイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに1年間留学した。帰国後ハーバード大学に入学を認められていたものの、親しい友人が進学を決めたプリンストン大学に入学することにしたが、クリスマス休暇中の黄疸のために退学しなければならなかった。1936年の秋にはハーバード大学に転校したが、在学中にフットボールの試合で背中をひどく痛めた。彼は、ハーバード在学中ヨーロッパへ2度旅行した。2度目の旅行は父親が駐イギリス大使を務めていたイギリスへのものであった。帰国したケネディは1938のミュンヘン協定でのイギリスの外交政策の分析についての卒論「イギリスはなぜ眠ったか」を書き、第二次世界大戦中の1940年6月にハーバードを優等で卒業した。


1941年の春にケネディは陸軍を志願したが、学生時代に受けた背中の傷のために拒絶された。しかしながら、夏に体を鍛え、その年の9月に海軍士官に任官、1943年3月には艇長としてパトロール魚雷艇を受け取り、太平洋戦争中に様々な作戦に参加した。

ケネディ中尉が率いる魚雷艇、PT-109は、1943年8月2日にソロモン諸島の近くのニュージョージアの西を哨戒していた時に、大日本帝国海軍の駆逐艦「天霧」との偶発的な接触事故によって船体を引き裂かれた。彼は痛めていた背中からデッキにたたきつけられたが、負傷者を命綱で結びつけ3マイル遠泳して、なんとか小さな島にたどり着いた。友軍による数日の探索後に島民2人に出会い、ココナッツに刻んだメッセージが元で救助された(このココナッツは後年、ホワイトハウスの執務室に暗殺の日まで置かれていたという)。これらの行動について、ハルゼー海軍提督からの感謝状、名誉負傷章、海軍メダルおよび海兵隊メダルを受章した。しかしながら背中の傷はボートの上にぶつけた際に悪化し、さらにマラリアにかかり、1945年前半、終戦の数か月前に名誉除隊をした。

後日談だが、1952年の上院選、1960年の大統領選の際には、大日本帝国海軍の駆逐艦「天霧」の元乗員一同から激励の色紙を贈られている。


ケネディー・ファミリー/1962・August
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