’60年代の音楽、ファッション、文化にこだわりを持ち続けて数十年!!

昭和レトロなるものが、ブームになっている昨今。
少し違った観点から、マイ昭和レトロともいうべきスタイルを、
〜遠い〜記憶をたどりながら綴りたいと思う・・・・・・。

2006年6月15日

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鮫島宗哉さんの講座 [2008年05月06日(火)]

福岡の鮫島宗哉さんが5月から7月まで、神田YWCAで講座を実施します。

物事を成功させるには、計画力と実行力とともに説明力が必要です。考えや説明したい内容が伝えられる力・納得を得るために説明をする力がほしいと思っている方のための講座です。基礎実践を学び、コミュニケーション力が身につくと、仕事のレベルUPにもつながります。アナウンサーや広告マンとしても経験豊富な講師が、コーチング・ファシリテーションの技術を駆使して、受講生が楽しみながら学べるように指導します。6月の講座は6月28日(土)9:30〜17:00 です。 

福祉の知識と技術を広げる講座 福祉現場の方のためのスキルアップ講座です。
●より良いコミュニケーションのために、福祉現場で働くためには人と人とのコミュニケーションが重要です。この講座は、講座とロールプレイを用いて、さまざまな角度からコミュニケーションを高めるための技術を学びます。

詳細とお申し込みは、こちらからお願い致します。
http://www.tokyo.ywca.or.jp/college/course/1_3.shtml





”花のサンフランシスコ” [2008年02月16日(土)]

Blog Ivyscene1968 The・Hit・Studio Vol.U

1967〜8年の、サンフランシスコの”フラワー・ムーヴメント(愛と平和)”と、そこから発生した”ヒッピー・カルチャー”の代名詞となる「花の〜」は、サンフランシスコに行く時は、髪に花飾りをつけていくようにと歌われて、当時の学生を中心に大ヒットしました。

グラフィック・アーティストが多く集まるサンフランシスコには、永住権を取って仕事をしている友人もいます。私にとって思い出深い都市でもありますので、そう遠くない老後を、物価が安いシスコで暮らしてみるのも、悪くないかなあと思います。ちなみに中学生の頃は、ハワイへ移住するのが夢でした。'60年代は海外旅行、そのものが夢の時代でした。

20年程前に、スペインの南海岸にあるリゾート地”コスタ・デル・ソル”でリタイア後を過ごす為に、移住するのがブームになった時期がありましたが、現在はあまり聞かなくなりましたね。


花のサンフランシスコ
スコット・マッケンジー/'67年

If you’re going to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair
If you’re going to San Francisco
You’re gonna meet some gentle people there
もしサンフランシスコへ行くなら
必ず花を髪にさしなさい
もしサンフランシスコへ行くなら
きっとやさしい人たちに出会うはず

For those who come to San Francisco
Summertime will be a love-in there
in the streets of San Francisco
Gentlepeople with flowers in their hair
サンフランシスコに来る人には
夏が人と出会うときになる
サンフランシスコの通りには
花を髪にさした優しい人たちがいる

All across the nation,
such a strange vibration
People in motion
there’s a whole generation,
with a new explanation
People in motion, people in motion
国じゅうを揺るがす
この不思議な動き
人々はじっとしていられない
新しい考えを持っている
ジェネレーションが集まる
人々はじっとしていられない
人々はじっとしていられない

For those who come to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair
If you come to San Francisco
Summertime will be a love-in there
If you come to San Francisco
Summertime will be a love-in there
サンフランシスコに来る人たちへ
きっと花を髪にさしなさい
もしサンフランシスコにくるなら
夏が人と出会うとき
もしサンフランシスコにくるなら
夏が人と出会うとき

”初 釜” [2008年01月08日(火)]

新年が明けて一週間、七日の朝は七草粥を召し上がった人も多いと思います。北海道ではお雑煮に入れて七草餅を食べる風習があります。お雑煮は醤油ベースで具材も東京とあまり変わりませんが、おせち料理は大晦日からテーブルに並び、正月を通して豪華絢爛な料理の食卓を囲みます。北海道のお正月風景です。

昨夜NHK教育で、千利休を継承する京都の”武者小路千家正月の初釜を楽しむ”という番組を観ました。私も東京に、茶道具一式があるのですが、本格的に炉を切る住居環境がないので、いつしか茶釜はオブジェのように飾り物になっています。これはこれで味わいがあるのですが、今年は日本のわび、さびを楽しむべく、武士の心得でもあった茶道を極めようかと考えるのです(笑い)。そして、茶系とグリーン系の渋い和服も揃えたいなあ・・・(凝り性です)。

私が好きな白金台の八芳園には、5万m2の広さを誇るという、緑が深くて落ち着ける日本庭園があり、池のほとりの茶室「夢庵」では、庭園内の散策と茶室で抹茶とお菓子を味わうコース(1人840円)があります。

私が尊敬してやまない、故 田中一光先生も茶道を嗜んでいた方でした。1月10日は先生の七回忌です。

「田中氏の山中湖の別荘には茶室があり、そこで偶然、手作りの道具を用意して茶会をすることになりました。
”そのしつらえがすごく良かった”と田中氏。”利休が生きていたら、きっとやりたかったであろうというような新しい茶会だった”と振り返ります。
”明治以降、お茶は女性に占領され、振り袖を着て、花嫁修業の一つとして…。というのが主流になってしまった。それをアート領域に取り戻したい”。」
田中氏のこのような感性にも憬れました。


田中一光氏(左)


永井一正氏(左)

日本デザインセンターの先生方は一見、ビジネスマンのようですが、芸術家然とした嫌味なファッションではなく、ダンディーなルックスも尊敬に値するスタイルでした。

50's ADVERTISING・COLLECTION [2007年12月17日(月)]


'50年代の遠距離バス広告です。”ティファニーで朝食を”で、オードリーがニューヨークのバスターミナルで、前夫を見送るシーンを思い出します。


'50年代の生クリームの広告です。キッチンでのシーンが多かった、”奥様は魔女”を連想します。サマンサの母、エンドラがティーポットに変身しているかも…。ティーポットの右にエンドラの顔が写っているように見えませんか?


アメリカABC 放送:1964年〜1972年

ダーリンの仕事は広告代理店のA・E(アカウント・エグゼクティブ)でした。さすが広告先進国のアメリカです。日本の広告会社でA・E制が一般的になったのは、'70年代でした。日本ではいろいろな経緯から、現状はA・E制も名ばかりのものとなっていて、A・D(アカウント・ディレクター)を用いる会社が多くなっています。


'50年代のタイプライター広告。昔、タイピストという職業がありましたね。オフィス・シーンが多かった、”ルーシー・ショー”を思い出します。

”イラストレーター・大橋 歩” [2007年10月21日(日)]

表紙に描かれている、アラジンのオイルヒーターもこだわりの一品でした。

IVY、VAN、MEN'S CLUBは、日本の'60年代を語るのに、欠かすことが出来ないキーワードになっています。もうひとつ、アイビーブームの火付け役となった、平凡パンチという週刊誌があります。平凡パンチの表紙は、イラストレーター『大橋歩』さんが描き続けた、アイビールックの若者のシーンがひとつのトレードマークになっていました。

著者紹介:1940年、三重県生まれ。多摩美術大学油絵科卒業。1964年の「平凡パンチ」創刊から1971年まで、表紙のイラストレーションを担当。その個性的なセンスとタッチで一世を風靡。


フォーマルからカジュアルまでの、着こなしの基本が書かれている価値ある一冊です。時代のT・P・Oをわきまえていると思われるビジネスマン諸氏も、復習本として是非読んで戴きたいですね。

アイビーリーガーのアンダーウェアーは、トランクスもホワイトとされていました。因みに、ナイトウェアーも含めて、アメリカンテイストは私の30数年来のこだわりなのです。’60年代のVANはアンダーウェアーもありましたが、ホワイトブリーフで、ウエスト部分にラインが入るものでした。(著書本文とは関係ありません)

昭和女子大学学長、坂東眞理子さんが昨年出版された『女性の品格』がベストセラーになっています。内容的には、昔なら一般常識の範囲内で出来ていた事なのですが、あたりまえであるべき事を、敢えて取り沙汰されるという事実が、老若男女問わず、”品格”が欠落している日本の現代社会の実態なのです。

60's Avenue ”ACB” [2007年10月12日(金)]



私が心を残す'60年代シーンのひとつに、当時都内各所に点在していたジャズ喫茶があります。
26年程前に、銀座7丁目のレストランACB。新宿は住友ビルの48階か49階に、アシベパークというレストランがありましたが、現在もあるのでしょうか?

銀座ACBの昭和30年〜40年代の曲が収まったCD・BOOKがありました。当時の音源そのままに20大スターの20曲入りCDブックです。日本のフォーク全盛時代に入った、昭和46年にACBは閉店しました。

著者略歴 :谷 和子
銀座ACBオーナー、故・谷富次郎氏夫人。大正6年徳島生まれ。満州ハルピンで、富次郎氏と結婚。引揚後、銀座の料亭「あしべ」の女将として活躍。昭和32年、銀座7丁目にジャズ喫茶、銀座ACBを開店。その後、芸能界の”おかあさん”的存在に。(BOOK著者紹介情報より)


新宿ACB―60年代ジャズ喫茶のヒーローたち (The New Fifties)
60年代ポップス・グラフィティ。ロカビリーからエレキ、和製ポップス、グループサウンズの熱狂まで。新宿ACB支配人をつとめた著者によるジャズ喫茶秘話。当時の公演スケジュール表などの資料も多数収録。(データベースより)

ADVERTISING・COLLECTION [2007年10月03日(水)]

American nostalgia
私はTokyo nostalgiaです。

1938年のコカコーラの広告。


'60年代のシステムキッチンの広告。
文化の違いが一目瞭然ですね!


'60年代のフロリダ観光の広告。

昔、サマータイムのカリフォルニアへ行った事がありました。大昔は日本にもありましたが、過去に一部の企業で、サマータイムの導入を検討していた時期がありました。何処かの県では実施したようですが・・・・・?

街のアイビーリーガース [2007年09月15日(土)]



MEN'S CLUB 1980年10月号より

私はこの年の1月と5月に所用で名古屋へ行きましたが、やはりアイビーリーガーが多い街でした。'80年はVANが再建した年でしたが、まだVANショップがなかった名古屋に、何故かVANの袋を持っている方が多いので選んでみました。肖像権を考慮して、オリジナルに加工を施しています。




この方が手にしているのは、'69年〜'70年の”グローバル・アイ”の頃の袋ですね。


昔のアイビーキャップを思い出しました。彼のはシャツと同じバティック・プリントでした。右の彼のように、シャツの裾を外に出して着る着方も、名古屋にかぎらず日本全国で流行しましたね。(くろすとしゆきさんの寸評より)
VANの袋は持っていませんが、'60年代を感じさせる爽やかなお二人です。

'66年に”遠い渚”が大ヒットしたシャープホークスが、紺と白のロンドンストライプのボタンダウンの裾を出して着ていたのを真似て、中学の頃にくるぶし丈のコットンパンツに、素足でブラウンのスリッポンを履き、ロンドンストライプのシャツの裾を出して着ていました。”みゆき族”のブームから4年が過ぎた頃ですが、両手をポケットに入れ、”みゆきウォーク”をする生意気盛りでした。

みゆき族と言えば、日テレのお昼の番組、みのもんた司会の「おもいっきりテレビ」9月12日の”今日は何の日”で、43年前の9月12日”みゆき族が一斉補導された日”を取り上げていました。意図は昨年から市場ターゲットにもなっている、団塊世代を意識したものだと思います。一般的な出来事ではないので、当時の東京を知る関東圏内在住以外の方は、中高年でもみゆき族の存在を知る人は少なかったと思います。

アイビー全盛期の'65年前後の深夜放送でD・Jをやっていたみのもんたが、番組内で当時の若者が夢中になった二代ブランドのVANとJUNを、当時人気を博していたコメディアンの「伴 淳三郎」のギャグで、”バンジュン、アジャパー”と揶揄したところ、リスナーの若者達から抗議の葉書が殺到したそうです。その、みのもんたが司会をする高視聴率の番組内で、”みゆき族”を取り上げた事は皮肉と言うか、日テレ上層部と総合プロデューサーの企画に、ユニークな思惑を感じるのは私だけでしょうか?(笑い)

記事本文に戻って、70年代以降の街アイを見るとヘアスタイルが長めの人が目立ちます。私は中学時代からヘアスタイルを大きく変えないので、毛髪が寂しくなりつつある現在は、自然と七:三に分かれてしまうのです。

今回は長いので、最後まで読んで頂きありがとうございます。

AMERICAN DREAM [2007年09月12日(水)]

G・Mの古き良き時代/完



1955年型シボレー・ステイションワゴン

童話に出てくるようなイラストですね。赤レンガの煙筒に、風見鶏がある屋根の家。子供の頃にテレビで観た、黄金期のアメリカン・ハウスに憬れました。
当時の日本映画でもG・Mの車がよく使われていました。私が幼い頃に見た欧米車のなかでは、比較的大衆的だったと思われる、シボレーに乗っている方が多かったと記憶しています。
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AMERICAN DREAM X [2007年08月31日(金)]

G・Mの古き良き時代 X

1950年〜1960年代まで、G・Mのスタイリング部門の長として、コルベットなどの多くのアメリカらしい名車を生んだのが、ハリー・J・アールである。


シボレーは、1911年に誕生したG・Mの、いわば大衆車。といっても、もちろんハリー・アールの華麗なデザイン、G・Mらしさは充分に盛り込まれている。50年代の広告イラストでは、キャディラック、ポンティアックの豪華な背景と対照的に、人々の生活のちょっとした一瞬をとらえ、たとえば産院へ急ぐシボレーを、笑顔の白バイが先導していたり、といった情景がおもしろい。

その頃の日本は、あまりにも現在と異なった世の中であった。自動車を興味の対象として、話が出来る相手を、東京で見つけ出すのが大変であったのだ。日本人は米軍用車の全てをジープと呼んでいたし、有名新聞の記事でも営業用でない乗用車は、ひとからげに”高級車”という言葉で表現されていた。

東京ではやっと、自動車幹線の第二京浜国道が全通したのだが、ラジオのインタビューに対して、ある国家公安委員は「自動車ばかり考えずに、もっと舗道を広くしろ」と言って、大いに知的ぶってみせていたし、タクシーには三輪車も走っていた。一部の金持ち子弟の中には、スポーツカーを乗り回す進歩派も現れてはいたが、日本人の大部分は、頭の中で、自動車とはタクシーかステイタス・シンボルのなにものでもなかったのであり、国産メーカーはタクシー用と三輪トラックと、あとは戦時型を改良したトラックとバスのシャシーを細々と作っていたのみで、自動車産業なんて言葉は現れず、ましてや自動車株なんて区別もされず、自動車会社とは、四苦八苦でやっている三流企業といったところだったのである。
(文:五十嵐 平達 参考資料より)


1956年型シボレー・ツーテン

産院へ急ぐシボレーを、笑顔の白バイが先導している。
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館一
秋のコンサート (09/06)
鮫島宗哉さんへ
”真珠の涙” (07/31)
きんちゃんへ
”真珠の涙” (07/17)
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