60's Avenue/THE KINKS
1964年2月にリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」をカヴァーした曲でデビューした、イギリスのロックバンド「The Kinks(キンクス)」は、イギリス4大バンドであるビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーに並ぶグループです。1964年にリリースされたファースト・アルバムに収められた、「ユー・リアリー・ガット・ミー(You Really Got Me)」、「オール・オブ・ザ・ナイト(All Day and All of the Night)」は日本でも大ヒットし、グループ・サウンズがカヴァーしていた曲です。
2010年3月18日(木) 12:00 [ Oldies ]
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THE WILD ONE'S
ザ・ワイルド・ワンズのメンバーは1941年生まれの加瀬邦彦さん、1947年生まれの鳥塚繁樹さん、島英二さん、そして植田芳暁さんは1948年生まれとなっていますが、彼は早稲田大学在学中の頃に川崎のジャズ喫茶でドラムを叩いていて、当時「平凡パンチ」に載っていたワイルドワンズのメンバー募集記事に出会い、メンバー入りを果たしていますので、私が知るところでは実際は1945年生まれのようです。既に還暦を過ぎているザ・ワイルド・ワンズの皆さんは、現在もパワー全開ですね。
8年前に東京の住まいのマンションで、ある日エレベーターに乗ったら植田芳暁さんと、オックスのボーカルだった真木ヒデトさんがいてビックリした事があったのですが、私の部屋の階下にスタジオ・ミュージシャンが住んでいて、当時GSのCDを作る企画があって打ち合わせで訪ねていたそうでした。植田さんは'82年の6月頃に、イベントで植田芳暁&ザ・ヴォイスのライヴを日本橋高島屋の屋上でやった時と、植田さんの実家がある東横線の元住吉でお会いした事がありました。
渡辺茂樹さんがオルガンで加わった、1968年の懐かしい映像です。バスドラムに付いている小さなシンバルを、当時私も真似て付けていました。
2010年3月15日(月) 11:58 [ G・S Scene ]
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Saddle Oxford
以前、フローシャイム(FLORSHEIM)のコブラ・ヴァンプをUPしましたので、今日はダッキーブラウンとフローシャイムという、新旧のアメリカを代表する2大ブランドがコラボレートした、「フローシャイム バイ ダッキー ブラウン(Florsheim by Duckie Brown)のファースト・コレクション、「THE SADDLE」からサドル・シューズです。カラーはスモーク・グレイ×コニャックと、ブラック×ブラウンという渋い配色です。
「フローシャイム バイ ダッキー ブラウン」の、私が大好きなキャメル・ブラウンのウィング・チップです。ミディアム・グレイの無地、グレン・チェック、ハウンド・トゥース(千鳥格子)、ピン・チェック、ヘリンボーンのグレー系のスーツにとても合う靴です。
2007年5月にUPしていたREGALのサドルと、御茶ノ水の富士見坂を下って錦華通りと分岐する角にある靴店で、4年前に購入したソフト・レザーのウィング・チップです。
ワイルド・ワンズは1981年に再結成をした頃から、ブラック・オン・ソーテルのサドル・シューズを履いていました。
2010年3月8日(月) 00:43 [ Fashion・Scene ]
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60's Avenue/YOKOHAMA
伝説のゴーゴー・クラブ、本牧の「ゴールデン・カップ」で人気を博していた頃の、ザ・ゴールデン・カップスが得意としたR&Bを収録したサード・アルバム、「BLUES MESSAGE」は41年前の1969年3月10日にリリースされました。ゴールデン・カップスは、1967年〜1971年まで中華街にあった、ニューヨークのスタイルを取り入れた本格的なゴーゴー・クラブ、「レッド・シューズ」にも出演しましたが、コンサート以外のライヴは洋楽のみで、G・Sのレパートリーをやらないグループでした。
江戸の情緒が残る浅草に、当時の「レッド・シューズ」出身のオーナーが経営する、Live Bar「RED SHOES」があるそうなので是非行ってみようと思います。あとは私が昔よく行っていた、渋谷の本格的な英国風パブ「HUB」の浅草店は、年齢層の高い落ち着いた客層でディキシーランド・ジャズのライヴも楽しめます。
「レッドシューズ」は現在の西門通りと福建路が交差する角にありました。現在は中華料理店だらけの感がある横浜中華街ですが、1950〜'60年代はバー、キャバレー、クラブが密集していた時期があり、「大珍楼」や「酔仙酒家」などのある西門通りも、当時は店名にアメリカの地名を使ったバーやクラブが軒を連ねていたそうです。中山路と名づけられている「獅門酒楼」や「六鳳居」のある通りは、当時は米兵たちからハッピー・アベニューと呼ばれていた通りでした。
幕末にペリー艦隊が横浜へやってきたとき、綺麗に湾曲した根岸湾を見てアメリカのミシシッピーを想い出し、ここを「ミシシッピー・ベイ」と名づけたという話は、横浜の人の間ではよく知られています。また、太平洋戦争後、初めてアメリカ軍が本牧に上陸したときにも、この沿岸がフィリピンのナスグブという所に似ているという理由から、ここの住宅地区をナスグブ・ビーチと名づけています。
2010年3月1日(月) 23:45 [ Rhythm & Blues ]
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60's Avenue/Fashion
2010年2月27日(土) 01:00 [ Fashion・Scene ]
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北国のチャペル
2006年9月14日のブログ「博多時悠塾 」で紹介している私が大好きな曲、ザ・ランチャーズの『北国のチャペル』をUPします。ランチャーズは加山雄三の従弟である喜多嶋瑛(Ds)、喜多嶋修(Lg)兄弟と、慶応の学友の大矢茂(Sg)、渡辺有三(Bg)の4人のメンバーで、1967年11月25日に「真冬の帰り道/北国のチャペル」でレコード・デビューし、以降は加山雄三から独立した活動を開始していました。「真冬の帰り道」はスマッシュ・ヒットし、G・S史上に残る名曲です。
2010年2月25日(木) 00:25 [ G・S Scene ]
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なげきの真珠
2010年2月23日(火) 06:00 [ Music・Scene ]
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エメラルドの伝説
2010年2月22日(月) 18:18 [ G・S Scene ]
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Now The Time For Love
ザ・ワイルド・ワンズと沢田研二のユニット、「JULIE with THE WILD ONES」の、"渚でシャララ"というシングルが2月10日にリリースされ話題になっていますね。オリコン1位を狙います!という意気込みで、3月にはアルバムも出て全国コンサート・ツアーの企画もあり、アジアへ進出してのコンサートもやるようです。ブームから40年以上が経ち、還暦を過ぎたグループ・サウンズが、北京や上海で受けるかも知れませんね。私としては興味がありませんが。
G・Sブームが去った1971年に、沢田研二(vo)、萩原健一(vo)、井上尭之(g)、岸部修三(b)、大野克夫(kb)、大口ヒロシ(ds)による、「PYG」がデビューしました。当時、高校2年だった私はあまり興味がありませんでしたが、同級生が聴いていた「自由に歩いて愛して」、「花 太陽 雨」を、今聴くと懐かしさがあります。
2010年2月19日(金) 00:26 [ G・S Scene ]
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Traditional shoes
昨日UPしたザ・ワイルド・ワンズの、ファースト・アルバムの記載に誤りがありましたので、訂正をして画像を追加しました。早速、詳細と画像を送って頂いたn-projectさん、ありがとうございます。このアルバムは東京の自宅にあるのですが、記憶違いと思い込みが激しい私は、このブログを立ち上げた4年前から、n-projectさんのお世話になっておりました。以来、京都の方角に足を向けて寝ていません。(笑い)
久しぶりにファッションの話題です。かつて、すごい数のブランド・シューズがあったと言われる、悪名高きイメルダ・マルコス夫人とまではいきませんが、私も数十足の靴を持っていて、一度も履いていない靴もあります。9年前に左足首を粉砕骨折してからは、REGALなどの硬い革靴をあまり使用しないので、幅が3Eの軽いものを新たに買っているため、以前の靴はシューズ・ボックスの肥やし状態となっているのです。
昔、ニュートラが流行した頃に好んで履いた、GUCCIのビット・モカシンは現在も好きで履いています。と云っても冬の北海道では靴が傷むので履きませんが、皮底の靴は雪道でも滑らないので、デスク・ワーク主体のときにはあまり外出をしないので、ウイング・チップやプレントゥを履きます。
1960年代から人気がある、米国フローシャイム(FLORSHEIM)のユーマ(YUMA)です。甲部の形状がコブラの頭部を思わせることから、「コブラ・ヴァンプ」と通称されるこのモデルは、日本でも1960年代にVAN REGALから発売されて、アイビー・リーガーの定番靴でした。
1967年6月15日にリリースされた、ザ・ワイルド・ワンズのファースト・アルバムです。ダブル・ジャケットの裏面は、「丸VAN」「RACING MATE」のワッペンが付いた、ダブルネーミングのレーシングスーツを着て写したものです。歌詞カードには撮影協力「ヴァン・ヂャケット」、「レーシング・メイト」のクレジットが入っています。1982年の夏に日本橋高島屋の屋上で、植田芳暁のバンド「ヴォイス」のライヴをやったときに、ワイルド・ワンズが全盛のG・Sブームの頃、植田芳暁はポルシェに乗っていたというエピソードを話していました。これに記憶違いはありません。(笑い)
画像では分かりにくいのですが、左から島英二のブラウンのデザート・ブーツ、鳥塚繁樹のブラックのヴァンプ、加瀬邦彦はブラックのデザート・ブーツ、植田芳暁のコイン・ローファーはVAN REGALでした。ワイルド・ワンズも当時IVYで、銀座のテイジン・メンズ・ショップを利用していたそうです。
ファースト・アルバム収録曲、オール・オブ・マイ・ライフです。
2010年2月15日(月) 00:50 [ Fashion・Scene ]
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