”いさお(勲)なき”とは、あるがままという意味です。できたら、束縛をされず、解放された想いを、時々つづっていけたらといいなぁと想います。あるがままに・・・

人があるがままに生きられるように、へいわ、じんけん、日々の暮らしにも、ささやかですが目配りしてゆきたいものです。

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ハナビラウツボなど・・・。 [2007年11月30日(金)]
一昨日11月27日、伊豆でダイビングした時の写真を掲載

しておきます。当日、偶然にも、5月に、ともにバリ島の

ミンピリゾートにダイビング・ツアーに行った”マダム”2人

が来ており一緒に潜りました。

水温21℃程度。気温16℃程度で、ダイビングから上がっ

た後の方が寒く感じられました。海は益々透明になります。


ハナビラウツボ


一句:秋の海ハナビラウツボ吾見初め



カミソリウオ雌雄〜左:大が雄、右:小が雌です。岩の色に擬態化しています。



オニカサゴ〜とっても美味な魚だそうです。
Posted at 00:55 | 海日記 | この記事のURL
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黙想ウォーキング〜丹沢大山中腹を歩く。 [2007年11月28日(水)]
今日は、朝から寒空だった。予定とおり、
小田急秦野駅に朝8時40分に集合。
メンバーは私も含めて6名。出発点の簑毛に向かった。

黙想ウォーキングってなあに?
と初めて聴いた人には分からないことでしょう。

ドイツに留学経験されたご夫妻がいて、
ドイツは元々徒歩旅行などよく歩くのですね。
で、ご夫妻とも、クリスチャンで、神が創った創造物のなかで、
黙って、喋らず、創造物や神との対話をしながら歩くそうです。
それで、去年から、それを真似て始めたのです。

聴いただけで疲れてきそう。実際は、所々で休憩し、
自分の好きな詩を朗読したり、
賛美歌を歌ったりするわけです。

だから、一人でハイキングや登山している人は、
いつも黙想ウォーキングしているようなものです。

喋らないで、自然を見つめて、自分を見つめるって
ところが実際ですが、こんなウォーキングも偶には面白いですね。

でも、今日はさむい〜山でしたね。
距離的には約4時間のハイキング程度です。











「美しい大地」〜きょうのウォーキングにはピッタリの歌で最近気にいっています。
Posted at 22:30 | 日記 | この記事のURL
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作りすぎてしまったもの・・・。 [2007年11月25日(日)]

具が多すぎた”ヒジキ煮”



いえね。子どもを作りすぎたとか目出度い話しじゃないの

昼間勤務中から”料理欲”って湧いてきた訳。

で、考えたのが、友人のMさんから先日ご指摘のあった

「毎日のようにヒジキはかえって毒よ」といわれた”ヒジキ煮”

毎日じゃないからではよいだろうってね。
                
                       
それで凝りすぎた”ヒジキ煮”だよ。こんなに作ってどうするんだい いね。

明日、私は例のところで”食事会”があるわけです。

それで、最近全く”食べる人”化してしまった訳

そりゃヤバイでしょ。趣味で好きなことは「料理」なんて

書いておいてね。それで、今日はスペシャル”ヒジキ煮”を

作ってみたのですが、ヒジキより具が多すぎてこんな感じです。
Posted at 09:22 | 料理・ご飯 | この記事のURL
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神学生の話「ラ・トゥールの絵の影の持つ豊かさ」 [2007年11月20日(火)]


一昨日は「神学校礼拝日」だった。神学生の4年生が我が教会で宣教をされた。牧師とは違う新鮮さがあった。

神学生が、何を話したかったのか、夜勤明けの頭で思いだそうとするが、なかなか思い出せない。話しを再構成するために友人に電話をかけた。

彼の妻は、
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、ヨブは答えた。
「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸も頂こうではないか。」(ヨブ記2章9節)

神学生は、自分がクリスチャンとは縁遠い生活をしていた時、お父さんをクモ膜下出血で亡くされたのだという。日が経ち、この聖句とともに次の聖句を読み立ち止まったのだという。

「わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名ををほめたたえられよ。」(ヨブ記1章21節)

「主は与え、主は奪う。」肉親や友人などの身近な、突然の死に接すると、「主は奪う。」という解釈はあり得るのかもしれないと思う。
そして、そんな時にも「無垢でいるのですか。」と悪魔の声が囁く。ラ・トゥールの描く、「妻に嘲笑されるヨブ」(ラ・トゥールがそう題名を伏したのではない。)のようにクリスチャンとは耐えなくてはいけないのだろうか?クリスチャンとは、ヨブのように、悪魔の囁きにも負けず、「無垢で」奪われた突然の事態にも動じず、神に従順に従うのだ。そう、牧師が解釈、説教することが多いらしいが、そのことに、神学生は疑問を投じたのだ。

クリスチャンとは、自己犠牲にもめげず、神に従い、隣人を愛する清き人と理解されているかもしれない。また、そうあるべきだと説教する牧師や教会もあるかもしれない。でも、実態は違うのではないかと言いたい。

私は神学生の話しを聴き思った。例えクリスチャンであっても、神に向かって、嘆き、哀しみ、呪い、怒ることがあってもよいのだ。そして、実際、神に向かって、「どうして、あなたは、私を守ってくれなかったのですか!」「あなたは何故最愛の者を奪ったのですか!」と叫ぶこともある。そうしていいのだ。逆に、無矛盾的に、いつもいつも神に従順であることは、危険なのではないかと思うのだ。原理主義に陥る危険性があるように思うのだ。どんな信仰にもそうした危険性がつきまとうことに注意することが大事だ。

神学生は、お父さんを失った時、ラ・トゥールの絵と出会ったそうだ。そして、ラ・トゥールの絵の特徴でもある、蝋燭の灯りの織りなす影のグラデーションに、神と人間との豊かで多様な関係性があるのではないかという。神を疑ってみたり、怒ってみたり、嘆いてみたり・・・・・
賛美したり、感謝したり、喜んだり。その人、その人の神との応答や関わり、分かち合いがあるのではないか、と言いたかったのかもしれない、と私は思った。そして、私たちが神にネガティブな感情を例え持ったとしても、哀しみや、苦しみのなかにあって叫び、嘆き、怒ったとしても、神は、共にいて下さる。そのことが大切なのだと思うのだった。
そんな気づきをさせてくれた神学生に切に感謝をしたく思った。

注)この文章を書くにあたり、神学生の宣教を再構成するために、教会の仲間と電話で話し合ってみた。ここに書いたことが、神学生の言いたかったことに一致するかどうか分からない。そう私が理解をしたということなのです。

Posted at 14:19 | 日記 | この記事のURL
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“わが母の教え給いし歌”を聴く [2007年11月14日(水)]
ドヴォルザーク歌曲集 「ジプシーの歌」より “わが母の教え給いし歌”
を一日中聴いていました。何故かはよく分かりません。深い意味などないのです。

石垣島に暮らす友人の「この石を忘れるなかれ」
という便りを読ませて頂き感激した。戦時下の哀
しい 記録を辿ったものだった。本になっているので
読みた く想った。

ドヴォルザークが1880年に作曲した「ジプシー歌曲集」作品55第4曲
が“わが母の教え給いし歌”なのです。ドヴォルザークの曲では「遠
き山に日は落ちて」が有名です。
独語ではAls die alte Mutter.英語ではSongs my mother taught me
と書きます。“わが母の教え給いし歌”とは、英語の直訳です。



Dvorak - Songs My Mother Taught Me←You-tube(ユーチューブ)で古い盤で歌っている記録が残っていました。 何か哀愁のある曲です。さぁ、聴いてみましょう。歌手は不明です。

Als die alte Mutter mich noch lehrte singen
     〜 わが母の教え給いし歌 〜

   Als die alte Mutter
   mich noch lehrte singen;
   Tranen in den Wimpern,
   gar so oft ihr hingen.

   Jetzt wo ich die Kleinen
   selber ub' im Sange,
   rieselt's mir vom Auge,
   rieselt's oft mir auf die braune Wange!


   年をとった母がその昔
   歌を私に教えてくださった時
   母の眼には大粒の
   涙の玉が浮かんでいたものを。
   
   今は、私がその歌を
   自分の子たちに教える時がきて
   私の眼にも同じように
   いつか涙が浮かんでくる。

“わが母の教え給いし歌”のヴァイオリン曲は後にクライスラーによって編曲されました。


Posted at 12:00 | 音楽 | この記事のURL
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素朴な夕食 [2007年11月13日(火)]

煮物・雑穀&豆入りご飯・生モズク入り味噌汁



夕飯を作る気持ちになりました。

ただ買い物をあまりしていないので

基本は家にあるもので作りました。

煮物〜出汁をとってから、人参・コンニャク

・高野豆腐・若芽を入れました。

これでは”精進料理”のようなものです。

若芽は大家さんから頂いた長崎産のもの。

葉が大きくて新鮮さがあります。

そうだね。ここに椎茸とか入れたいものですね。

まぁ、一人で食べるんだから、言い訳なしの、

贅沢なしの、小さな幸せに感謝
Posted at 20:10 | 料理・ご飯 | この記事のURL
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皆で食べた昼食 [2007年11月11日(日)]
私は、全く敬虔でない某プロテスタント教会員なのです。

実は、4月から役員として選出されてしまった。

「神さまに託された役員の仕事」などと、とても言えない。

まともなプロテスタント教会と言えども、運営は「独立採算制」なのだ。

組織を運営していくというのは、小さな会社を運営していくのに等しい。

いろんな人に配慮をし、力を注がなくてはならないのかもしれない。

唯一、安堵できる時間は、誰にも邪魔をされない礼拝の時間と、

引き続き毎回行われる、「昼食会」の時かもしれない。

家族が揃って食事をする機会も少なくなった。「孤食」全盛の時に、

仲間と、慎ましいが昼食の一時をとる時安堵を感じるのだ。

今日は、いつもより少ない10人程で昼食をたべた。

ご飯をお代わりした。普段、「孤食」生活の私には大切に思える時だ。




今日のメニュー

・ポテトサラダ

・ロールキャベツ

・里芋と鶏肉の煮物

・イカと大根の煮物

・南瓜のサラダ







時計回りに回ってくるオカズを、写真のように自分の取り分をお皿に
とります。ご飯と烏龍茶をセットします。

簡単なお祈りをしてから頂きます。

皆と一緒に食事できると、また新しい週を頑張ってみるかなぁ
と思うのだから、大きな意味がこの「昼食会」にはあります。
さぁ、今週も頑張ろう!皆さんにとり佳き日々となりますように。
Posted at 23:00 | 料理・ご飯 | この記事のURL
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