私の好きな作家のひとり、群ようこのエッセイが好きでよく読んでいたが、彼女が億のカネを稼いでいる、和服が好きで都内に家を建てるぐらい金をつぎ込んでいる、母親と着物を買いに行って、母親が30分で500万使ってしまった、なんて話を読んでからしばらく遠ざかっていた。
最近、また読み始めている。社会の非常識な人々に『小言婆さん』として腹を立て、翻って自らに憤り、めげてはまたよみがえる風に共感するからである。トシも同じくらいでこれまで同じ時代を経験しているから、体調も感覚も似ているのだろう。経済状態があまりに違うが、文筆家という水商売(だと私は思っている。ちなみに、自分の塾も同業である)ならばやむを得まい。
なにかでこんな話を聞いた事があるぞ、と思ったら、私の母が同じ理由で佐藤愛子のエッセイを好んで読んでいた事を思い出した。
群ようこが、『背中が痒くて孫の手で思いっきり掻きまくる心地よさ』を書いていたが、私も背中が痒くなる。ダンナに、肩甲骨の左下2センチ、次はその5ミリ右上、なんて訳の分からん指示を出して掻いてもらっていたが、1人で夜更かししている時に以前おみやげ屋でおまけに貰った孫の手を見つけ出して使ってみたら快適この上ない。おお、わかるわかる、と思って読んでいたら、やはり母がしょっちゅう背中を私たち子供に掻かせて、しまいにはやはり孫の手にたどり着いていた事を思い出した。
私は冬場、足も冷たくなるが腰も冷える。ゆたんぽを当てる時は寝る前に腰の当たりに置いて布団を暖めておいて、寝る時に足元に押しやって寝ていた。夏は頭が熱を持ったように火照って、冷たい枕が気持ちよく、枕が暖まってくると裏返し、物足りなくなるとアイス○ンを使うのだが、かつての父親がまったく同じであったと母から聞いた時はびっくりし、イヤな気分になった。それは、「あんたがまだお父さんの中にいた頃」と言われるのと同じような厭な気分であった。
他にも探せばもっと共通点が出てくるだろう。親子だから仕方が無いが、私は両親とは仲が悪い。ひとりは既にみまかっているが、その以前から勘当されたのを幸いに付き合いを絶っている。葬式には出るが、それ以外はお断り、と宣言してそれを守っている。(この件に関して今のダンナや子供達からいろいろ意見されるが、聞く耳を持たない強情な私である)
にもかかわらず、こうして『血は水より濃し』の証のようなものを見せられると、引き出しの中にグロテスクな自分のひからびたへその緒を見つけたような気分になる。
同様に、自分の息子や娘に自分と同じ性癖を見いだす事が多くなった。腹の中で「そうか、お前もか」「すまんな、それはわたしの血だ」と思いながら、しれっとして聞いているが、遺伝とはげに恐ろしいものよと深く感じ入っている。 |