昨日の日曜日、駅前の調理師学校の学園祭へみちこと二人で行ってきました。寒かった!!!でも、そのおかげで、いつもなら昼にはすべて売り切れるという料理が食べられた。
各種学校って、みんなこんななのかな、窓も無いビルの中で若い子たちがひしめき合っていた。グラウンドは無いだろうけど、小、中、高の広い教室や廊下、幾つもあるトイレが無くて学校、というのが、当たり前だけどなるほどね〜と思った。
お金があれば、私もまだまだいろいろ習いたいところだけど、なに、昔は誰も教えてくれる人がいなくても自分で勉強したのだから、やる気があれば今の世の中何でも学べる、と思い直した。こうやってインターネットで調べられるんだもんね。
でも、だからこそじかに生の人から教えてもらえるありがたさも分かってくる。尋ねれば答えてくれる、手を取って教えてくれる、生徒に合ったやり方で指導してくれるのが、とても得難い事だったのだと分かってくる。
生の人間の心地よさに目覚めちゃっているもんで、わりと私は知らない人と会話するのが苦にならない。するとあちらも言葉を返してくれる。その場限りの人ではあるが、気持ちよく出会って気持ちよく別れる。暮らしやすい町というのは、こんなじゃないかと思っている。
若い頃は仏頂面だったんだけれど、人と関わるのが鬱陶しかったのだけれど、今でも近づき過ぎのおつきあいは嫌いなんだけれど、知らない人に愛想良くするのは、日々を気持ちよく暮らすのに必要なことだよね。
例えば、車を運転していて、ニコニコしている人を見るとやっぱり気持ちがよい。不機嫌な顔は伝染する。
昨日読んだ本で、患者を二つのグループに分けて、当人たちには知らせずに一方は「直りますように」とみんなで祈り、一方は何もしなかったところ、みんなで祈ったグループの治癒率は祈らなかったグループの倍にもなったそうだ。「だから、祈るのは確かに無駄ではないと証明されたのだ」とあった。うん、そうかもしれない。
私の病気の経過がこんなに良好なのは、絶対それがあると思う。だから、祈ってくれる人がいない人のために、私も祈ろう。自分にとって大事な人だけでなく、知っている人だけでなく、知らない人にも,会った事のない人にも私のような幸せが降り積もりますように。 |