初めての抗ガン剤点滴の時、副作用が強い場合に備えて一日入院をした。抗ガン剤治療をしている患者の病棟は、免疫力が低下しているため消毒と菌の持ち込みに神経を使っている。(なので風邪気味だった息子は病棟に入れず、私が出ていって面会した)
その病棟の廊下の先にハロウィーンの飾り付けがしてある一角があった。小児病棟である。私はたまたま副作用も少なく、みんなから『ほんとに癌なのか、嘘じゃないのか?!』と言われるほどであるが、辛い治療、苦しい副作用に耐えている人も多いだろう。それが子供であれば、どんなに辛かろう。親はどんなに切ないだろう。
高校の同級生が三島市内で介護ショップを開いていて、毎年柿を沢山下さる。私が干し柿を作って食べたがっている、と知ってから毎年である。その「なずな」(店の名)にウチの農園でダンナが作った花を持っていき、熱海で福祉の仕事をしていた彼女が離職してめずらしく家にいて、しばらく立ち話をした。
介護の現場から誠実な仕事をする人から燃え尽きて離職する現状、ケアマネさんも利用者のためにどうしたらいいだろうとあれこれ真剣に悩む人ほど疲れ切っていろこと、ヘルパーの基本は技術よりシンパシーだと思うのに、ただのパート仕事としてこなす人が多いこと、それも仕事の内容に介護報酬が追いつかない現行制度に問題がある、などと互いに嘆き合った。
立ち話が長くなって私の病気の話になって、彼女が癌に詳しいと驚いたら、「私、次男を白血病で亡くしたから…知らなかった?」「知らなかった!!」
12才で発病して、白血病なら避けて通れないあの痛い骨髄穿刺もやり、手を尽くしたが八年前に見送ったそうである。口元はほほえんでいるものの、彼女の目からみるみる涙が溢れ、「でも、まだうちは良い方だったの。初めての子供が癌と分かって母親が自分を責めたり、ほんの幼児なのにつらい治療を続けたり、兄弟もまだ幼いのに家に残して病院に居なければならなかった人や、親の介護と重なったひとなんかもいたから…」
うちの子供達も小さいうちから喘息で、転勤で引っ越すたびに小児科を探し、夜中に車を飛ばしては点滴や吸入に付き添い、発作で苦しむ子供が「お母さん、助けて…」を息も絶え絶えに言うのを泣きながら抱いていた(発作中は寝ているより起きている方が楽なので)。
近所のワルガキ(失礼)を見ては、あんなに放ったらかしにしている家でなんの病気もなく丈夫に育っているのに…とうらやんだものだったが、とにかくもうちの子供達は死なずに大人になったのだ。
母親にとって、子供を亡くすよりも辛い経験ってあるだろうか。
がんセンターのボランティアにはそんな辛い目に遭った人たちが多くいるそうだ。私は今回の病気を案じてくれた友人・知人たちからお見舞いとして物心だけでなく多額のお金も頂いている。この調子ではみんなに快気祝いをお配りする日も近そうである。
我が家はおそらく友人達の中でダントツに貧乏であるが(重度障碍者のダンナが無年金で、バツイチの私の収入だけで暮らしているし、借家に暮らしているのもウチだけだ)、我が家より豊かに暮らしている彼らの家になくもがなの品物を送るより、小児ガンと戦っている人たちに友人達の名で寄付しようかと思っている。それをぶつくさ言いそうな人が一人も居ないことが私の誇りだなっ。
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