私は本好きで、そのお陰でずいぶん助かったように思う。本が好きになったのは、単純にまわりに友達がいなかったからなのだが、理由がなんであれ運のいい事であった。
遊び友達が近所にいなかったので、本と人形とでいつも一人遊びをしていた。結果運動が苦手になり、おてんばでならした割には体育は3だったし、ゴム跳びもドッジボールもへたくそで、すべての学業を終えて何が嬉しいって、体育の授業がなくなったのが一番の喜びであった。
高校へと進学しつるむ友達が出来るまでは暇さえあれば図書館にいっていた。書架の中で、背が高くて人がおらず、まわりから死角になっている世界美術全集の棚の突き出た最下段に腰掛けて、本を読むでもなく休み時間が終わるまでぼーっとしていた。
本好きには共通していると思うが、古い本の匂いが好きで、新刊本のインクの匂いに2通りあり、いい匂いなのと顔をしかめるようなのとあるのに気づいた。
図書館は私の城であり、踏み台を使うような高い書架に囲まれてさながら要塞に囲まれたようにやすらかな気分であった。
大学の図書館は閉鎖架で、本に囲まれる安心感が得られず残念だった。たまたま手に取った本に引かれて読んだら大当たり、ということもなくただ資料を探したり作者やタイトルを知っているものばかり読んでいた。
本屋は文房具屋、陶器店と同じく私にとっては素通りできない店であり、特に仕送りが少なくバイトする時間もなく貧しかった私は立ち読み専門で、今思うと本屋の主人がよく見逃してくれたと有り難く思うが、文庫本1冊読み切って出てくる事も一度ならずあった。
成人していくらかお金が自由に使えるようになると、「欲しい本を我慢しないで買える」という豪勢さに大人になった嬉しさをかみしめた。今また手元不如意になって買えなくなってはいるが、本は重いし場所をとるので専ら図書館を利用しているので困らない。財布を出すのは図書館にない雑誌やマンガのみである。
好きな作家の1人、中島敦の『文字禍』(だったと思うが、もう読んでから40年経つから違っているかもしれない)のように、地震などで本に押しつぶされて死ぬのも無念であるし。
視力も聴力も障碍があるのは不便であるが、私は本が読めなくなる、絵が描けなくなると思うと視力が無くなるのが一番つらいと思っていた。ガイドヘルパーに早くからなったのも、そのためである。今はオーディオブックなるものがあるそうで、手を動かしながら本が読めるのは大いに有り難いが、ネットで調べて高価なのに驚いた。
当分図書館に出入りして、遠い将来『図書館の幽霊』になるのも夢の一つである。
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