学習塾講師の母・くみこの突然のがん宣告(正確には悪性リンパ腫)。
職場と塾と母宅と病院をうろうろする娘・みちこが書く、母・くみこの病状記録。
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たまには体調など(くみこ) [2008年07月14日(月)]
糖尿の先生から毎日20分以上の運動をするように言われ、池田ドクターからも無理をしなければ運動は差し支えないといわれ、動くのは好きではないが毎日マーチと一緒に散歩をしている。

五十肩だと思うが、気がついた頃から左腕がうまく上がらない。私の軽は窓も鍵もオートでないので、助手席側の窓を開けるのに苦労する。どのくらいまでなら上がるのかやってみたら、真上から45度、真横も水平から45度であった。

で、散歩しながら腕の上げ下げ、肩の関節回し。マーチが立ち止まるとすかさず腰回し。散歩というよりリハビリである。

その甲斐あって、血糖値は空腹時127(良)、肩の動きも良くなり、続けて2〜30分歩けるようになった。

先日ダンナと墓参りに行った際、なんと車椅子を載せずに出かけてしまい(!!しかもこれが初めてではない…)数メートルではあるが墓所までダンナをかかえて歩いた、というか歩けた。一年ぶりである。

『治療しなければ余命1年未満』といわれたその1年にあと1ヶ月、治療のお陰でまだ生きている、どころか元気である(今は苦手な季節であまり元気でないが)。髪もだいぶ伸びてきて、もう一息で佐伯チズレベルに達する。医学に感謝、家族に感謝、友人に感謝、すべてに感謝だが、まとめて仏さまに手を合わせてきた。

今日も暑い。だるくて頭痛がする。疲れてくると耳鳴りが加わる。でもヘルペスが起きないところをみると、たいした疲れではないようだ。毎日ごろごろしているんだから、疲れるわけないか。こんなだらけた生活をして「つかれた」なんて言ったら天罰で梅雨明けの雷に打たれそうである。
Posted at 15:38 | この記事のURL
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本の要塞(くみこ) [2008年07月11日(金)]
私は本好きで、そのお陰でずいぶん助かったように思う。本が好きになったのは、単純にまわりに友達がいなかったからなのだが、理由がなんであれ運のいい事であった。

遊び友達が近所にいなかったので、本と人形とでいつも一人遊びをしていた。結果運動が苦手になり、おてんばでならした割には体育は3だったし、ゴム跳びもドッジボールもへたくそで、すべての学業を終えて何が嬉しいって、体育の授業がなくなったのが一番の喜びであった。

高校へと進学しつるむ友達が出来るまでは暇さえあれば図書館にいっていた。書架の中で、背が高くて人がおらず、まわりから死角になっている世界美術全集の棚の突き出た最下段に腰掛けて、本を読むでもなく休み時間が終わるまでぼーっとしていた。

本好きには共通していると思うが、古い本の匂いが好きで、新刊本のインクの匂いに2通りあり、いい匂いなのと顔をしかめるようなのとあるのに気づいた。
図書館は私の城であり、踏み台を使うような高い書架に囲まれてさながら要塞に囲まれたようにやすらかな気分であった。

大学の図書館は閉鎖架で、本に囲まれる安心感が得られず残念だった。たまたま手に取った本に引かれて読んだら大当たり、ということもなくただ資料を探したり作者やタイトルを知っているものばかり読んでいた。

本屋は文房具屋、陶器店と同じく私にとっては素通りできない店であり、特に仕送りが少なくバイトする時間もなく貧しかった私は立ち読み専門で、今思うと本屋の主人がよく見逃してくれたと有り難く思うが、文庫本1冊読み切って出てくる事も一度ならずあった。

成人していくらかお金が自由に使えるようになると、「欲しい本を我慢しないで買える」という豪勢さに大人になった嬉しさをかみしめた。今また手元不如意になって買えなくなってはいるが、本は重いし場所をとるので専ら図書館を利用しているので困らない。財布を出すのは図書館にない雑誌やマンガのみである。

好きな作家の1人、中島敦の『文字禍』(だったと思うが、もう読んでから40年経つから違っているかもしれない)のように、地震などで本に押しつぶされて死ぬのも無念であるし。

視力も聴力も障碍があるのは不便であるが、私は本が読めなくなる、絵が描けなくなると思うと視力が無くなるのが一番つらいと思っていた。ガイドヘルパーに早くからなったのも、そのためである。今はオーディオブックなるものがあるそうで、手を動かしながら本が読めるのは大いに有り難いが、ネットで調べて高価なのに驚いた。

当分図書館に出入りして、遠い将来『図書館の幽霊』になるのも夢の一つである。

Posted at 16:39 | この記事のURL
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おそるべし遺伝(くみこ) [2008年07月10日(木)]
私の好きな作家のひとり、群ようこのエッセイが好きでよく読んでいたが、彼女が億のカネを稼いでいる、和服が好きで都内に家を建てるぐらい金をつぎ込んでいる、母親と着物を買いに行って、母親が30分で500万使ってしまった、なんて話を読んでからしばらく遠ざかっていた。

最近、また読み始めている。社会の非常識な人々に『小言婆さん』として腹を立て、翻って自らに憤り、めげてはまたよみがえる風に共感するからである。トシも同じくらいでこれまで同じ時代を経験しているから、体調も感覚も似ているのだろう。経済状態があまりに違うが、文筆家という水商売(だと私は思っている。ちなみに、自分の塾も同業である)ならばやむを得まい。

なにかでこんな話を聞いた事があるぞ、と思ったら、私の母が同じ理由で佐藤愛子のエッセイを好んで読んでいた事を思い出した。

群ようこが、『背中が痒くて孫の手で思いっきり掻きまくる心地よさ』を書いていたが、私も背中が痒くなる。ダンナに、肩甲骨の左下2センチ、次はその5ミリ右上、なんて訳の分からん指示を出して掻いてもらっていたが、1人で夜更かししている時に以前おみやげ屋でおまけに貰った孫の手を見つけ出して使ってみたら快適この上ない。おお、わかるわかる、と思って読んでいたら、やはり母がしょっちゅう背中を私たち子供に掻かせて、しまいにはやはり孫の手にたどり着いていた事を思い出した。

私は冬場、足も冷たくなるが腰も冷える。ゆたんぽを当てる時は寝る前に腰の当たりに置いて布団を暖めておいて、寝る時に足元に押しやって寝ていた。夏は頭が熱を持ったように火照って、冷たい枕が気持ちよく、枕が暖まってくると裏返し、物足りなくなるとアイス○ンを使うのだが、かつての父親がまったく同じであったと母から聞いた時はびっくりし、イヤな気分になった。それは、「あんたがまだお父さんの中にいた頃」と言われるのと同じような厭な気分であった。

他にも探せばもっと共通点が出てくるだろう。親子だから仕方が無いが、私は両親とは仲が悪い。ひとりは既にみまかっているが、その以前から勘当されたのを幸いに付き合いを絶っている。葬式には出るが、それ以外はお断り、と宣言してそれを守っている。(この件に関して今のダンナや子供達からいろいろ意見されるが、聞く耳を持たない強情な私である)

にもかかわらず、こうして『血は水より濃し』の証のようなものを見せられると、引き出しの中にグロテスクな自分のひからびたへその緒を見つけたような気分になる。

同様に、自分の息子や娘に自分と同じ性癖を見いだす事が多くなった。腹の中で「そうか、お前もか」「すまんな、それはわたしの血だ」と思いながら、しれっとして聞いているが、遺伝とはげに恐ろしいものよと深く感じ入っている。
Posted at 13:45 | この記事のURL
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電子レンジ(くみこ) [2008年07月09日(水)]
私が初めて働いてお金をもらったのは、高校生の時だった。駅前のおにぎりやさんで、時給100円,当時としては悪くない金額であった。お昼を賄いで頂いて、夕方まで働けば一日700円だったが、食事なしで午後1時までで400円、という条件で機嫌良く働いた。

次のバイトはやはり駅前のケーキ屋さんの売り子であった。一日何時間働いたのか憶えていないけど、時々おやつが出たのがうれしかった。一度は私がケーキの箱をイチゴのデコレーションケーキの上に落としてしまい、クリームの形が崩れて仕方なくそれが店員のおやつに出た。オーナー婦人は苦い顔をしたが(当然です。当時500円のケーキでした)店員仲間には大好評で、「またお願いね」と言われたことを憶えている。

その店では2階が喫茶室になっていて、下の店のケーキとお茶とか、ホットケーキやスパゲティなどの軽食を出していた。作るのはケーキ売り場の奥の調理室で、そこに電子レンジが入る事になった。

初めての電子レンジを試してみようと、オーナー婦人が店員のおやつにサツマイモを電子レンジでふかしてくれる事になった。みんなで感心して覗き込む中、チーンと音がして取り出されたサツマイモはてんで生だった。

『おかしいわねぇ、時間が短いのかしら』2度3度とやってみて、ふかしがまで作った方が早いんじゃないかという疑いがみんなの胸にわいてきたが、とうとうサツマイモはアンデスのミイラのごとく、同じ形と色を保ったまま数分の一にしぼんだだけで食べられる状態にはなっていなかった。

『何だろう、これでいいはずなんだけど、もう一度聞いてみなくちゃ』とオーナー婦人は落胆と怒りで機嫌が悪くなり、固唾をのんでいた私たちは気の毒なのとがっかりとでため息をついた。何か代わりのおやつが出たような気がするが、今思うとあのサツマイモはラップしていなかった。ひたすら水分をとばしていた訳で、ミイラになるのも当然であったが、当時の私たちの誰もがそんな事は知らなかった。

愛読していた「暮らしの手帖」誌上で、『電子レンジ、この愚劣な商品』という記事が載ったこともあり、長い事電子レンジとは縁がなかった。次の遭遇はそれから10年ほど経った隣の家の台所であった。

私は2人の幼児の母親であり、転勤族の夫(当時)について高崎市の元社員独身寮であっただだっ広い社宅に住んでいた。余談だが、広すぎて掃除が大変だからと最初いやがった私だが、8LDKで家族全員がトイレに入る事ができる(つまり4つあった訳だ)、広々とした風呂場があるこの家は大変快適で、同じ敷地内にあった課長夫婦にはとても良くしてもらい、なかなか楽しい日々を過ごしたのだった。

その課長夫人の花子さんにミートローフの作り方を教えてもらった時に使ったのが、我が家にはまだない電子レンジであった。

課長夫婦は子供がなく、奥さんもずっと仕事をしていたそうで経済的に余裕があり、まだ珍しかったワープロもいち早く購入し、『うちのお父さん、午後いっぱいかかってやっと打った文章が「はなこさん、こんにちは」ナンだよぉ』と2人で大笑いした。こうやって書いていると花子さんにまたファクスしなくちゃ、と思うけどまた後にしよう。

電子レンジの使い方を教わっている時に、「調理中に覗き込んで、目をやられたりしないの?」と私が聞いて、「やんだぁ(花子さんは仙台の人で東北弁だった)、あんだ若いのにそったらこと言って」とコロコロ笑った。

今家にあるのは、娘に選んでもらったオーブンレンジであるが、私の使いこなし度は45パーセントくらいであろうか。最近パンを焼き始めたのでこれくらいになったが、それまではもっぱら暖め直しに使うぐらいで、メーカーの開発者が聞いたら涙が出るような宝の持ち腐れグッズであった。

私には何か電気を使うものはもったいないという観念があり、芋はガスで加熱するようにしていたが、最近の雑誌などで二酸化炭素排出および時間がかかる故のエネルギー消費量で電子レンジの方が優れていると知ったので、これからこなし度は多少UPすると思われる。
でも、野菜はやっぱゆでた方がえぐみもとれるような気がするが、どうなんだろう?最近の野菜はあくが少ないからノープロブレムなのだろうか?
Posted at 15:34 | この記事のURL
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休みの日は休もう(くみこ) [2008年07月07日(月)]
昨日は久しぶりの晴れだったので、みんなで農園に。晴れた日にしか出来ない作業、『土入れ』を頑張った。そしたらてきめんにダウン、頭痛が始まった。

今日も晴れたので、昨日できなかった『植え替え』をやりたかったが、なんせ目が覚めたのが昼近く。まだ頭痛はするし、だるいしで一日家でごろごろしていた。

以前ならここで罪悪感に苛まれるところだけど、『年寄りには年寄りの働き方がある』と自分を責めない事にした。よくやってるじゃん、私。休みの日は休むべし。

今日の新聞で、2035年には認知症の老人が倍増する、とあった。
さらに、若手労働者が減って外国人労働者が頼みだ、というのも載っていた。

今の年寄りは元気なんだから、若くない労働者がたんまりいると思えばいいんじゃないだろうか?

そりゃ、年寄りだから無理はきかないけど、頭数で勝負して、若いもんが残業して1人でやる仕事を年寄りが3人くらいでぼちぼちやればいいじゃん?

子供を育て上げると同時に命がつきていた昔とは訳が違う。へたすりゃ孫、ひ孫、やしゃごを見るまで生きるのであれば、早々と隠居なんぞされた日にゃ隠居後の人生の方が長くなってしまう。

私だってすぐ疲れて横になりたくなってしまうが、一日寝ていたいとは思わない。(休みの日は別)

最近娘が職場の若いお嬢さんが使えないと愚痴をこぼしている(もうそんなトシだからね)。塾で教えている子達を見る限り、彼らがあと何年かして社会に出たら、どの程度の仕事をしてくれるか予想できる(あーあ…)

トシだから、きつい肉体労働<やビジュアル系の仕事は無理かもしれないが、まだ十分に使えます。年寄りは資源だ!活かす道を考えよう!シルバー人材センターだけが道ではないぞっ! 
Posted at 00:35 | この記事のURL
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夢が無いんだよね(くみこ) [2008年07月05日(土)]
仕事が終わって一息ついた頃(12時頃)夜のトイレ散歩にラブのマーチをつれて出る。私自身の運動にもなるし、夜は気持ちがいいし。今頃は田んぼで蛙が合唱しているのも楽しい。

私に合わせてゆっくり歩いてくれるマーチの背中を見ながら、あれこれ考える。昔願った事の多くは叶ったのに、なんでこんなに気が晴れないのだろうと。

早く子供達が大きくなりますように、ぜんそくの発作が起きなくなりますように、ダンナの膝の痛みが楽になりますように、誰にも依存せずに自分の働きで生活できるようになりますように。大きな犬を飼いたい、小さな、私の愛犬が欲しい、好きなだけ本が読みたい、朝ゆっくり寝ていたい、夜更かししても文句言われないで好きな事をしたい、全部叶っているのに。

思うに、先の不安があるからだね。来年からの生活のめどが立たない。働きたいが、このトシでは働き口があるかどうか分からない。そもそも、働ける体力があるかどうかも分からない。今は幸せだが、来年は闇である。だから今の幸せを喜べないんだね。

世間全体に不安感が満ちている。この国も、この世界も先に明かりが見いだせない。だから漠然とした不安が今の幸せを感じなくさせているのだろう。

私が子供だった頃、戦後で社会全体が貧しかった。『三丁目の夕日』の時代である。食べ物も着るものも、生活はおしなべて質素でむしろ貧しかったが、未来への夢があったからみんな幸せだった。

先を思い煩って今の幸せを台無しにする事は無い。ま、今の世の中、飢え死にする事もあるまい…いや、あるかも!とにかく、明日の苦労を今する事はないじゃないか。お茶はおいしいし、家族はみな元気だ。あしたは農園に行こうかなっ
Posted at 00:19 | この記事のURL
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免疫療法のおかげだったかな(くみこ) [2008年07月04日(金)]
最近とても疲れやすい。一時、階段を上るのが楽になってきたと喜んでいたのに、元に戻ってしまった。あ〜あ、ずいぶん良くなったと喜んでいたのに…、と思っていたら、そうか!免疫療法やっていたからあんなに回復していたんだ!と思い当たった。

あの頃は、一週間ごとに回復していた。はじめは1人で横浜まで行かれるか心配だったほどなのに、終わり頃にはダンナの車椅子を押して歩き回ってもへいちゃらだった。経済的な余裕があれば続けたいところだけど、どうせ目的地に着くなら新幹線をけちって各駅停車で行こうと思っている。それにしても、血液ってすごい。輸血をすると、みるみる顔色が良くなって元気になる、と聞いた事があるが、納得できる。

今日の新聞で、団十郎が骨髄移植をする、とでていた。私ももし再発したら骨髄移植することになっているので、人ごととは思えない。それにしても、貧しくてもちゃんと医療を受けられる日本の健康保険制度はありがたい。高額医療補助制度の事を知らなかったので、役に立たない医療保険に一生懸命保険料を支払っていたのが悔やまれる。あれだけ積み立てていればけっこうたまっていたはずなのにぃ!ま、『使わずに済んだ』幸運を感謝しよう。あの保険料で誰かが助かっていたと思いたい。まさか、保険屋がウハウハしてただけではあるまいな?

収入減に加えての物価高で家から出ないようにしている。なのになぜ更新できないかというと、縫い物したり本読んだりして遊んでいるから。ごめんなさいーーいや、あやまることではないか?病後だし。貧乏性で、働いていないことに罪悪感を持ってしまう。稼ぐ以上に、他人のために何かの役にたっていないと何か不安になる。

私自身のトラウマかもしれないが、常に誰かに必要とされていないと不安である。家族にたいしては、『何もしなくて良い、そのままいてくれるだけで有り難い』と思うのに、自分は動いていないと倒れてしまうコマのように感じる。

Posted at 14:21 | この記事のURL
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今日は検診日、晴れ。(くみこ) [2008年07月02日(水)]
二ヶ月に一度の検診に行ってきた。経過良好。ただし、免疫療法を休んでいるせいか感染に対する抵抗力が落ちているそうな。とはいえ、基準最低値の870に対し804だから、心配するほどではない由。
腫瘍マーカーも488とまずまずの数値(正常値220〜530)

歩くのは前よりだいぶ良くなっているが、立ったり座ったり、とか階段などの上下運動がまだ大変である。膝が上がらない。「これって副作用ですか?」と聞くと、

直接の副作用ではない。しかし、ステロイド剤をたくさん使ったので筋力は低下しているし、半年運動を控えたのでさらに落ちているはずである。それも副作用と言えば言えるだろう、とのこと。元に戻すには運動して鍛えるしか無いが、やりすぎると別の弊害も起きるので無理しない事、たまに水泳や水中ウォーキングなどやるべし、と池田ドクター。

疲れやすくて、すぐへたばってしまうのはトシのせいでしょーか?と聞くと、いや、実際かなり体が弱っているはずです、とうれしい(?)返事。

もともと梅雨時は体調も気分も落ち込みがちだったのだが、ドクターのお墨付き?を頂いて堂々と「へたれ」ていられる。

でも、病院からでると久しぶりにお日様が照っていて、明るい前向きな気分になった。どんよりと曇っていると気分は後ろ向きというより下向き。梅雨が明ければまたクソ暑い夏が来るとうんざりだが、この湿気も苦手である。日本って、ちっとも『温暖な気候』とは思えない。それでも今日のようにたまに晴れ間があるから梅雨もなんとかしのげる気がする。陣痛と同じだね。

子育てだって同じだ。たまにでも休みがあれば耐えられるけど、ずうっとでは参ってしまう。電池だって休ませればまたちょっとは使えるようになる。なんでも同じだよね、また頑張るために、休まなければ。高く跳ぶためには一旦かがまないといけない、と分かってはいてもつい休む事に罪悪感を感じてしまう。

疲れたので今日はここまで。

Posted at 00:45 | この記事のURL
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また失敗(くみこ) [2008年06月23日(月)]
先日スーパーで、鯵のおろしたのが安かった。フライにしようと思って買ったのを、いざ揚げようとしたらパン粉を切らしていたのを思い出した。

パン自体はあるのだから、おろしてパン粉を作ろうかとも思ったが、せっかくうまく焼けた作りたてのパンである。フライをあきらめて唐揚げにすることにした。昨夜の事である。

今朝、葛湯が飲みたくて、この間別のものを探しているとき見つけたのはどこだっけ?(いつもこんな調子だ。何がどこにあるか、整理整頓しなくちゃと思いつつ進歩が無い)と探していたら、まだ封を切っていないパン粉があった。慌てて買い物リストからパン粉を消した。

そういえばこの前揚げ物をしたとき、使い切ってしまったのですぐに買い足しておいたのを忘れていた。もともと忘れっぽいほうだが、トシをとって磨きがかかり、自分で自分が一番信用できないほど自分の記憶に自信が無くなった。

老人の常として、最近の事は忘れるが昔の事は忘れない。大脳皮質のどことやら、記憶する場所が異なるせいだそうだが、古い話を繰り返すお年寄り、認知症になって幼い頃の世界に迷い込んでしまうお婆さんが理解できるように、私もなってきた。

鏡を見ても自分が「おばさん」から「おばあさん」になりつつあるのがよく確認できる。若い方が偉いなどとは決して思わないし、トシをとるのは結構新しい発見があったりして面白いから、それなりに楽しんでいるのだが、体力が衰えてくるのは残念至極である。

もっとも、この若さで(私はまだ56歳だ)体力が無いのは病後のせいだとは思うけどね。体力が衰えると気力まで萎えてくる。体を鍛えて(糖尿のためにも歩くように医師から言われているし)気力もシャンとしたいと思っている。
Posted at 11:31 | この記事のURL
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かまってほしいの?(くみこ) [2008年06月18日(水)]
糖尿の薬が終わってしまって、K医院に行った(月曜日の話)。いつも混んでいるが、休み明けのせいかさらに混んでいて、午前の受付が終了しても、午後1時すぎてもなかなか順番が回ってこない。

午後の歯医者の予約に間に合わなくなるので、キャンセルしようかと思ったら3時からの午後の部の始めに回してくれた。

どこの病院でもそうだが(違うのは小児科と産婦人科くらいのものだろう)お年寄りがめちゃ多い。自分は若くないが、病院の待合室ではヤングな気分である。

なんでこんなにお年寄りが多いのかと思ったら、病院では医師も看護士も親切に話を聞いて心配してくれるからでは無いかと思い当たった。

ヘルパーの仕事をしている時も、入浴介助も下のお世話もどうってことは無い、何が大変と言ってお年寄りの話を聞くのが大変なのである。

多少の血圧の高さや体の不調はもちろんあるのだろうけど、『その後いかがですか?』『それはいけませんね(またはそれは何よりですね)』ついでに愚痴などを聞いてもらって、『お大事になさってください』とかまってもらえるのがうれしいんではなかろうか。

周りから気を使ってもらえることは自分が大事にされている事、まだ必要とされている事である。『愛情の反対語は憎しみではなく、無関心』なのだから、病院でなくとも何かいい方法、場所があってお互いに気持ちよく関われるシステムが作れるといいと思う。
Posted at 01:40 | この記事のURL
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