ニューカレドニア7日目 [2007年07月05日(木)]
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2004年11月9日(火)
頑張って早起きして 朝市へ行った食べたものは前回と同じ ![]() クロックムッシュとカフェオレ やっぱりとても美味しい ![]() ![]() お土産を買ったりマリーナで写真をとったりと楽しむ ![]() ホテルへ戻って チェックアウトをして 前の道路でタクシーを捕まえた タクシーは白人のおじさん(50代ぐらいかな)でしたが私達を見ると 「ニホンジンデスカ?」 とスーツケースをトランクにしまいながら カタコトの日本語で聞いてきた 「はい」 と答えると 「ワタシノ オジイサン ワ ニホンジンデス」 との返事 ココからは 日本語が通じず 英語で話したのですが 旦那:「お爺さんの出身地はどこですか?苗字は?」 運転手さん:「熊本だよ 苗字は○○○(←忘れた)って名前だ お爺さんから少し日本語を教えてもらったんだ 普段はフランス語で話してたけどね」 旦那:「お爺さんは日本へ戻ったのですか?」 運転手さん:「いや、ニューカレドニアで生涯をとじたよ」 「小さい頃 お爺さんから よく日本の話を聞いたよ」 って 会話が続いた (ワタシの英語力では この解釈しかできなかった) ニッケル鉱山の労働者として 明治時代半ばに 日本から移民していった人がいるそうだ 日本へ帰ってきてから 調べてみたら 1892年、600名の単身日本人男性がニューカレドニアへ出発 それ以降、1919年までに5575名が出稼ぎへ行ったそうです。 過酷な労働で亡くなった人、5年間の契約期間を終えて帰国した人、 蓄えたお金で事業を起こしたり、現地女性と結婚して定住した人がいたそうです。 1941年、真珠湾攻撃が勃発すると、日系一世は敵とされて全員(1340人)が逮捕され 一部をのぞく1124人がオーストラリアの強制収容所へ送られた。 5年後、1946年に選択の余地なく全員が日本に強制送還され妻子と離れ離れに なってしまった人もいたみたい。。 大黒柱を失ったニューカレドニアの家族は貧困と差別で長い間厳しい生活を強いられたそうです。 日本人の父親の中には、戦後ニューカレドニアの家族の元に戻った人もいたそうですが 戦後の混乱のため経済的な余裕がなく再びニューカレドニアへ 戻れなかった人が大半のようです。 現在 ニューカレドニアには8000人の子孫がいるそうです。 この運転手さんのお爺さんは ニューカレドニアへ戻れた 数少ない人だったのですね その後も 会話が続いて 楽しかった 12:20 トントゥータ空港発 19:30 成田着 J3パーキングの方が 到着ゲートへ車を持ってきてくれた 日本は寒い 風邪引きそうだ ![]() ニューカレドニアでは ゆっくりと時間を過ごせたのでリフレッシュできた ![]() ビーチリゾート最高です ![]() |
Posted at 23:28
| ニューカレドニア・イルデパン
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日差しが強い 魚
がたっくさんで 満足〜
を読んだ



誰もいない 何もない





天気イイ!
エェ!?車じゃないよね??














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