カフェブロトップへ いま世界が注目するエリア、アフリカを大特集!

過去のブログ文章をアップしました その12

2007年2月1日(木) 15:25
郷の味を堪能する
[2006-06-25]21:27:40
 今日は近くの市民センターで北海道ラーメンを作っていただくお茶会に参加。
 先月は、私の実家のある長野の五平餅を、同じく長野の上伊那郡出身の方が音頭をとってくださって作った。今日は北海道の西山ラーメンを、息子さんが北海道に在住の方がお取り寄せしてくださって、いただくことができた。
 しかも、私以外の参加者の方たちは、それぞれ、お料理上手★
 手際がいいし、連携プレーも見事だし、私は足元にも及びませんっ!という方たちばかり。 当然、おいしいラーメンをいただきました。多謝

 ちなみに私は食べることがだーい好き! 

藤沢で仕事をすると決まりかけたその日、Hanakoの湘南特集を持ってきて、驚かれたり、そこまで食べ物に執着があるのかと感心されたり…ということがあるけれど、今ではすっかりHanakoよりもうまい店をチェックしている自信はある。
 うまいお店はこれから少しずつご紹介していきたい。
| 湘南の美味いもの |


福祉の世界も官民格差?
[2006-06-21]23:41:08
 今日は、私のもともとの関心領域、社会福祉に関することに、いくつも出くわした。

 午前中は、神奈川県立の児童自立支援施設に伺った。「罪をおかしたり、おかすおそれのあるこどもたち」が暮らす施設だ。事実上は親が子どもを育てきれず、万引きしちゃったり、先生を殴っちゃったりなどのことをやって、児童相談所などを経てやってくる。

 施設は明治時代の議員や農家から寄贈された広大な緑の中にあり、浮世から隔絶されがちになる部分はあるにせよ、寮生活で(全国的にも類を見ないという)個室もあり、「今まで暮らしていた自宅よりも部屋が広い」と言う子どもさえいるという。
 
 学生時代の実習が教護院(現在の児童自立支援施設)で、卒業後は子どもにかかわる仕事に就きたいなあと思っていたので、とても懐かしく、同時に私の立ち位置も再確認した。
 ただ、実際の夫婦が24時間寝食を共にするというかつての形態はなく(北海道にある、元祖感化院=児童自立支援施設の北海道家庭学校では、まだこの形態をとっていて、私の先輩はそこで家族と一緒に住み込んでいる)、公務員だし、長時間勤務の日はあるとしても、ローテーションを組んで休んでいる。
  
 夕方からは学生時代、4年間の寮生活を共にした友人とゴハン。彼女と話していて同級生の驚くべき状況を知った。

 私たちはずっと働いていれば10年は越す。私自身も給料をもらって生活してきた。でも、彼女づてに聞いた同級生は、給料が出たのは最初の2年だけで、その後は住み込みということで給料が出なかったらしい。思わず「うっそー」と叫んでしまうくらい、驚いた。
 何かヘンだと思いながら働いてきて、ようやく10年以上を経て辞めることを決意したらしいのだけど、それまでの給料は運営費に回されていたらしい。既に別の職場で働いていて、事を荒立てるつもりはないようだけど、言葉はきついけれど、福祉という看板の下で、奴隷化されていたんじゃないか?おせっかいだけど、このまま泣き寝入りをするにはひどすぎると思うな。 
 
 私は人を支える仕事をする人は、ある程度まともな給料と待遇を得る必要があると思っている。自分が切羽詰っていたら、サポートを必要とする人に対して、何が必要なのかを想像する力が湧いてこないと思うから。

 障がい者も、高齢者も、サービスの利用料、医療費などがどんどん自己負担になって、厳しくなっている。今の政治はバリバリ働けない人間に対しては、本当に「最低限度の」負担しかしない姿勢を強くしている。
 でも、誰しもが老いを迎え、病や障がいを得ることだって、ヒトゴトじゃない。そんな当たり前のことが見えなくなっている今を変えていきたいと思う。
| セーフティネット |


応用編@仕事
[2006-06-20]22:26:52
 今の私のオシゴトは秘書なのだけど、その前も別の議員の議員会館で働いていたので、秘書の仕事は2ヵ所目ということになる。

 その前の仕事は業界紙の記者をしていた。今の私からは想像できないかもしれないが(でも、今だって感情が高ぶるとたまに涙が出てきて困ることはある)、新入社員の頃はよくトイレに駆け込んで泣いたものだった。
 
 少ない人数で週刊の新聞を発行していたため、新人(当時)の私に注げる時間は殆どない。知り合いの新聞記者の人に聞いたら、大きな新聞社や通信社ではずいぶん新入社員の研修なるものがあるみたい。私がいた会社にはもちろんそんな夢のようなことはあるはずもなく、どうやったらいいのか分からず、悔しい思いをしたのだけど、とにかくがむしゃらに歩き回り、3・4年経つころには「○○新聞の池田さん」ではなく、私自身のことを知ってくれて信頼してくださる人が現れ始めた。
 そうなると自ずと仕事も面白くなるもので、この頃は面白い・今の状況から半歩進んでるー
と感じるキーパーソンの方々の言葉から、次の仕事のキーワードを得ることができた。

 ステキな方々と毎日出会え、そのことを連日のように、当時一緒に暮らしていた彼に話していたため、「あなたは毎日、誰かと出会えて、何かが起こる」とうらやましがられた?ものだった。

 さて、今のオシゴト。
 私が感じるのは何といっても、「その次」を先読みして、調整と段取りする力が必要なのだということ。私自身が完全にできているわけではなく、願望も含めてなんだけど。
 「その次」を想像するためには、「その前」の蓄積が必要不可欠な気がする。
 
 仕事は人!なので、いろんな人と出会って話をすること、そしてありとあらゆる経験をすること、特にピーンチ(冷や汗) という経験は私にとっては結構大事だったかな。
 そのデータが私の中に蓄積されて、「その先」をはじき出そうとするのだけど、当たるもあたらぬも八卦で、何の根拠もない。他の人に説明も伝達もしようがない。「いくつかの選択肢はあるけれどそう思う」というおぼつかない根拠だけを頼りに仕事をしてきた。
 
 まだまだこれからも応用編@仕事は続いていくのだと思う。
| 秘書のオシゴト |


歌って、踊って、演じて
[2006-06-19]21:10:38
 土日にかけて、「平和ミュージカル・藤沢」の合宿に参加してきた。
 藤沢市が非核平和条例を制定(1995年)した後、市民がそれを記念して1998年から「勝手に」市民がミュージカルを演じてきた。
 そのミュージカルのメンバーの合宿があるというので、江ノ島女性センターにお泊りに行ってきた。夜まで歌い、語り、久しぶりに学生時代のようなノリを味わった。

 私は03年・04年に上演したミュージカルを観て、感動して泣きまくり、05年は押し寄せる仕事をかいくぐって、出演を果たした。
 藤沢駅前にある藤の木の精の「藤ばあさん」の役を演じたのだけど、がらっぱち系なばあさんの役は何だかはまり役で、私もノッて演じた。でも、本番でちょっとセリフをとちってしまったのだなあ。とほほ。
 
 ミュージカルで役を演じることは、ものすごく自分の血肉になるなあ、と感じた。役柄のセリフを覚えることは、自分自身のフィルターを通すことになる。時代背景などを含めて知って、セリフの意味を考え、模擬体験をし、どう演じれば最も人に伝わるか感情を込めて工夫をする。そういうステップを踏んで初めて、ミュージカルが成立する。

 やってみてわかったのだけど、歌も、踊りも、セリフも覚えるのはなかなかタイヘンだった。でも、小学生・中学生・高校生から、60代・70代の方まで一緒にやるのだから、弱音を吐いている場合じゃない。何とか覚えて一瞬遅れながらもステップを踏むことができた。

 来年のミュージカルに向けてみんなは練習している。
 私は来年の参加はできそうにないけれど、どういう応援の仕方があるのか考えているところ。
| 平和ミュージカル |


国会(見学ツアー)終わり…
[2006-06-18]21:30:09
 ようやく国会(見学ツアー)が終わった。通過・成立した法案もあれば、10月以降の臨時国会に持ち越された超!重要法案もある。
 国会のないこれからが、地元事務所にとっては仕事のホンバンって感じなのだ。
 
 私が阿部知子衆議院議員の地元事務所の秘書の仕事をして4年目。住まいも、仕事も、選挙区にあるため、殆ど国会に行くことはなかった。
 たまーに会議に行くくらいで、選挙区にこもりきりだったと言っても言いすぎではない。
 
 以前から国会見学ツアーはやっていたのだけど、今まではどちらかといえば内輪向けの企画だった。それが、事務所に新しいスタッフも加わり、ポスティングをしたことで爆発的に広がり、これまでご縁のなかった方々(でも、ボスの仕事に関心を寄せてくださっていた)がじゃんじゃん参加してくださる、人気企画になった。

 参加した方々の話を伺っていて、へーそうなんだと思ったことがある。
 それは「これまで人から頼まれて投票していたけれど、これからは考え直す」という言葉に象徴される、投票行動だ。
 選挙って、携わっている人間にとってはしゃかりきだけど、日常忙しく・必死に過ごしていると、いざ選挙になった時に誰に投票しようかを考えることは優先順位の下の方にくる。

 日々の暮らしの一つひとつに法律がからまっていて(例えば、路上駐車が厳しくなったことだってそうだ)、法律が変わることで、暮らしのパターンが変わることも多い。でも、やっぱり遠いんだよな。
 だから、「一票の重み」なんてことも意識にはのぼらず、判断材料も少ないから人から頼まれていれることだってあり得る。
 
 そうやって考えていくと、どのように情報をお伝えするかが大事になってくる。
 鮮度や品質が伝わるような情報提供をしなくちゃならないだろう。
 
 私も2月からミクシーで日記を書き始め、ウォーミングアップしたので、そろそろブログにも日々感じたことや考えたことを書き始めるつもり。

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2007年2月1日(木) 15:25
40年越しの訴え
[2006-07-13]20:44:05
 私の暮らす藤沢市の上空を、すさまじい音をたてて飛ぶ米軍機。横須賀港に空母「キティホーク」が入港している時は、朝も夜も遠慮なしに飛ぶ。特に、キティホークが出港する際に、夜間着艦訓練のため、深夜2時にも飛ぶ。「おいおい、何時だと思ってるんだよ(怒)」と天を仰いで叫びたくなる。
 その騒音の主、厚木基地に配備されている戦闘機は、50年近く、3度にわたって住民による爆音訴訟が取り組まれているにもかかわらず、2年前に30%もエンジン出力のアップした機種が配備された。
 
 私たちの国はミサイルの訓練に対して大騒ぎをしているのだけど、実は私たちの日常には、既に戦闘機が上空を飛んでいるのだ。そしてここで訓練をしてアフガニスタンやイラクに実戦に向かう。私たちは意識していないけれど、既に戦争に加担しているんだよね。

 同盟国の戦闘機は、どんなに国民の迷惑になっていようとも、大目にみるだけでなく歓待し、土地も金も安全も差し出している。
 私がここ藤沢で仕事をしている4年の間にも、マッチ箱大の戦闘機の部品が工場の屋根に落下する事故、要人輸送用のヘリが海岸に不時着した事故が起こっている。
 たまたま人が巻き込まれていないのは不幸中の幸いだけど、大きな事故につながりかねない予兆として見過ごしちゃいけないと思う。
  
 今日、その米軍機の騒音の被害を受けた住民4800人以上が原告になっている「厚木基地爆音訴訟」の東京高裁判決があったので、傍聴に行った。私は当日券の抽選に外れてしまったが、当たった原告団の女性が譲ってくださったので、ありがたく傍聴させていただいた。
 おおざっぱにいえば、被告である国の控訴を棄却する内容で、原告の40億円の賠償金を認めた判決。
 でも、原告団の真屋さんがおっしゃっていたように、「お金が問題じゃない」のだ。
 国に対して賠償金という負荷を与えることで、基地政策全般を見直してもらいたいという地域住民の切実な訴えだ。
 真屋さんは、かつて戦闘機の爆音がうるさくて踏み切りの音が聞こえず、息子さんが電車に轢かれて亡くなる経験をなさっている。その時までは、せっかく買った土地だけど、他に引っ越してもいいかと考えていらっしゃったのだけど、息子を失い、やむにやまれず、この爆音解消=基地撤去に向けた活動を続けてこられた。
 
 以前、厚木基地の真下で「スーパーホーネット追加配備反対」という行動に参加をしたことがあるけれど、40年前は私と同年代だった方々が70代になっても声をはりあげ、こぶしを固めている姿を見て、どうして国はこのような叫びを放置しておくのか涙が出たことがあった。

 もうこれ以上、この原告の人たちを苦しめるような上告はして欲しくないし、国の基地政策を変えて欲しい。(でも、この件で以前、防衛施設庁に電話したら、担当者は「これは自分たちの手に負えることではなく、政治で解決して欲しい」と言っていた)
 やっぱ政治のプレイヤーを変えるしかないのかな。
 だけど、今の政府与党の人たちの発言を聞くたびに、これからの道のりの長さにため息が出る。
| 騙されない |


落ち着いて考えること
[2006-07-07]07:17:18
 一昨日から北朝鮮のミサイル発射実験についての報道が続いている。「軍部の暴走か?」という見方もあるけれど、実際のところははっきりしない。「一国として実験するのは権利である」と開き直っているが、自国の行動が他国に影響を及ぼすことが分かっているのだから、得策でないことは明白だ。 
 
 そして日本では、原発施設の警備強化、あるいはミサイル防衛網の配備を前倒しするという報道もある。さらに朝鮮の民族学校に対する脅迫が既に行われている。冷静になって国と個人を区別して考えて欲しいと願う。

 だけど、不思議なのは他の国の領土に駐留し、ミサイルを打ち込み続けているアメリカの行動は不問にされていることだ。
 北朝鮮の実験に対して安保理決議なら、同じようにアメリカに対して安保理決議をしてもいいと思う。(もちろん、アメリカが拒否権を発動するだろうけど)

 おかしいことに対して、おかしいと指摘をすることは大事だけれど、誰かだけを(どこかだけを)悪の権化=敵にして、同じ事をやってもそこだけ攻撃するのはバランスを欠いていると感じる。国の力の大きさによらない世界共通のルールが今必要なんだと思う。
| 騙されない |


人が捨てられていく社会って?
[2006-06-29]18:45:51
 ここ数日、ガンジョーな私もついにへばっていました。
 なんせ私の周りの人はみんな働き者で、ついつい私もそれに影響されてしまうのです。けれど、やっぱり自分の体調は自分で見極めなきゃと改めて思った日々でした。
 反省しても、またエンジン全開しちゃんうんだろうけど、きっと。

 さて、ブログに書いたらとご要望のあった「メイドバーに行った」ことについては、近日中に書こうと思いますが、まずは昨日のニュースについて!
 
 昨日の夜の「ニュース23」は特集のタイトル「イラク帰還兵の悪夢とPTSD」を見て何としても見なきゃ、と思って見たのですが、きっとご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

 今、ここでアメリカに加担しない方向を選ぶしかない、ととことん思った昨日のニュース。
 もともと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念そのものが、ベトナムの帰還兵の間で共通する症状として認識され、それが言葉化されたもの。戦争とはきっても切れない存在なのですが。
 私のミクシーの日記をご覧になった方には、同じような内容になってしまうけれど(過日、高遠菜穂子さんの講演を聴いた時に、イラク帰還兵のPTSDについて高遠さんがお話になっていたので、そのことを書いたのです)、個人の人生をめちゃめちゃにする戦争=暴力の毒について、戦争のために貧困を放置していることについて書きたいと思います。

 今、ちょうど私の住むアパートの上空を、厚木基地から横須賀に向かう戦闘機が飛んでいきました。もし、私の隣にイラク帰還兵がいたら、「敵の来襲か?」と身構えるでしょう。
 
 帰還兵の人たちの日常には、常に戦場での記憶が付きまとうのです。しかも、家族や恋人に言えたかどうかわからないけれど、おそらく人(多くは民間人)を殺した記憶が。

 昨日の番組でインタビューを受けていた州兵の人たちは、近所のそこら辺で働いていた人たち。もともとそんなに高収入で働けていたわけじゃないから、イラクに行けば高い報酬を得られるとそそのかされ、トレーニングを受けた兵士の人数が不足しているからという理由で、イラクに送られ、それ以前とは別人になって戻ってくる。
 
 日常の生活に悪夢が復元され、以前の彼や彼女ではないのです。家族との仲は疎遠になり、働けなくなり、経済的にも困窮し、気持ちを落ち着かせるために麻薬や酒に手を伸ばしていく、その結果の野宿生活。
 「退役軍人ホームレス連合」という団体の調査では、アメリカ全土のホームレスの4人に1人は退役軍人だと見ています。

 貧困・暴力・戦争の関係については、ずっと前から気になっていました。どうしてかといえば、一つは超個人的なこと。私の父は若い頃、大学を中退して自衛隊に数年入隊していたのですが、体を鍛えることだけでないその体験が父を酒飲みに、そしてそれまでの父に比べて暴力的な人間にしたのではないかという仮説を持っていること。
 もう一つは、学生時代から山谷や新宿で野宿をしている人たち(ホームレス)のところに通って話をすると、ずいぶんと自衛隊出身者が多いことに気づいたことです。
 
 この仮説についてはヒントをくれた人がいて、その人は、ドメスティックバイオレンスの被害者がもう一度、自分の力で生活することを応援しているのですが、彼女はこう言っていました。「自分のこれまでの歩みを振り返るということで、家系図を描いてもらうのだけど、その中に誰かしら戦争に行った人がいるのよ」
 暴力の種は時限爆弾のように内在させられ、何かをきっかけに表出した結果が、夫婦間暴力や児童虐待などにつながるのではないでしょうか?

 戦争でぼろ儲けして、人をどれだけ使い捨てにしてもこれっぽっちの痛みを感じない、感じないどころか、どれだけ犠牲者をうみ、貧困と憎悪と暴力の連鎖を自らの手で作り出そうとも、自分だけは天国にいける気になっている人たちは確実に存在しているんだと感じます。

 でも。騙されないっ!
| 騙されない |

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2007年2月1日(木) 15:23
弱さを体感した「強み」
[2006-08-29]20:59:03
 今日は仕事で、藤沢市内の障がいを持つ人たちが集う居場所=作業所「カフェ・ドゥ・そーじゃん」(http://www.cityfujisawa.ne.jp/~sojourn/)に伺ってきた。
 帰り際に、いただいたニュースレターを読んだのだけど、似たようなことを感じている人がいるなあと思いながら読んだのは、スタッフ「せんべ」さんの文章だった。
 せんべさん自身の病気の経験から、文章の小見出しは「病気したが故の、『人生の幅』」になっていた。たぶん、その経験をする前と後では、自分自身の感じ方もきっと変化しているに違いない。

 せんべさんは、「自分の病気を受け入れるかどうかで悩む精神障害者地域作業所職員」とご自身のことを表現していたが、私の場合は、「パートナーとの別れに際して、緊急避難場所(シェルター=ボランティア仲間のおうち)に駆け込ませてもらったソーシャルワーカー(自称)」になると思う。
 学生時代から福祉現場で働こうと思い、ボランティア活動でもいろんな相談を受けていた私だが、私自身が失意のどん底にいる時に、何が・誰が・どういう場所が必要なのかを身をもって知ることができた。
 
 ずっと強く、正しく、明るくい続けることなんて、できないってことがよーく分かったのだ。
 だから、人にも要求しないし、できないってことも分かる。
 こないだ久しぶりに24歳の時の「人前けっこんパーティ」の写真を見ながら、この時には知らなかったことを、いろいろ経験したなあ、とちょっと感慨深かったので、今日の「せんべ」さんの文章が余計に響いたのかもしれない。
| セーフティネット |


コトダマパワー
[2006-08-26]22:23:33
 今日も仕事で、昨日のマイパワースポットのお寺の近くを通ったので、また読んじゃった、「8月の標語」。
 「しょうじん」というタイトルの標語には、「目的 ただしければ 多難 抵抗も 多し」と書いてある。そうそう、そうだよね。求道者・イケダにはじーんとくる言葉だ。
 多難・抵抗ばっかりとはもちろん言わない。でも、多難・道遠しということは多々あって、そのたびに、「仕方ない」と割り切ったり、「こんちくしょー」と思ったり、ひょえーと叫んだり、頭を抱えたり、まあ、いろんな場合があるのだけど。
 
 そんな時に自分の気持ちを立て直すのは、コトダマパワーだ。人から聞いた言葉、目にした文章、心に呼びかけてくるコトバたち。
 そういうコトバに支えられて毎日過ごしているのよね。

 そしてちょっとだけ贅沢なことを思う。私から投げかけるコトバも、どこかで誰かの心に響きますように。

 そうそう、そういえば、ここのお寺の方と私の名前の読み方について話していたら、私の名前をつけてくださった、紀野一義先生という仏教者の方の話になり、その先生の本を本棚から出して見せてくださった。ご縁って、いろんなところにあるのね★と思った次第です。
| パワースポット |


ただいま、修行・求道中(パワースポット発見)
[2006-08-25]21:37:46
 今年に入って、仕事内容がショムから、営業に移った私。(たとえです、ちなみに)
 今日も、汗をかきながら、藤沢市内を回る。
 たまたまなにやら霊験あらたかなお寺を発見!人智を超えたことってあるしな…と階段を上ってみると、お坊さんが3人。
 「よかったら麦茶でも飲んでいってください」というありがたいお言葉をいただき、しばし、談笑。ということになるかと思えば、女性のお坊さんと話し込んでしまいました。人間としてのキホンの「挨拶」ができない大人!が増えていること、悩む人や迷う人が増えていること、お金に気をとられ、心を忘れている人が増えていること、つらい経験もしくは修行などを通過せずに、お金があれば何でもできるとばかりの生活に染まっている人も増えていること、人のために働くことを考えない人が増えていること。
 もしかしたら、彼女の属する宗教界と、私の属する政治界の責任も多いのかもしれません。

 さて、そんな話をしつつ、彼女は祈祷することができるようになるために、荒行を経験・通過したと話をしてくれました。なかなか、他の仕事をする人がどのような修行をするか聞いたことはなかったのですが、修行・求道中の私は、やっぱり超えなければならないことってあるのね★と再確認したところです。

 私にとってのパワースポットになりそうです。
| パワースポット |


お金を殺さないために
[2006-08-24]19:22:57
 友人のヒロさんから、ミクシー経由で送られてきた情報。これはぜひ多くの人に伝えなくちゃと思った。だから私はブログに書く!
 それはイスラエル支援企業のリストだった。
(http://palestine-heiwa.org/choice/list.html) 

 私たちが直接手を下していないとしても、心情的に支持しないとしても、こういう企業の商品を購入し、サービスを利用することで、イスラエルに間接的に手を貸してしまっているのだとしたら、それは私たちの望むところじゃない。
 でも、あまりにも生活の一部に食い込んでいて、代替できないものもありそうだ。リストには代替製品の紹介もあったけれど。
 
 私は経済活動なしに生きていかれるほどではない。でもせめて、お金を殺さない使い方をしようとはココロに決めている。

 ★多国籍企業で、土地の収奪や労働力の搾取をし、迷惑をかけている会社の製品は買わない
 ★貯金をする先も考えている。
 「エコ・貯金アクション」(http://www.aseed.org/ecocho/campaign/index.html)というキャンペーンに参加し、預金先を三井住友銀行から、中央労働金庫に変えている。三井住友銀行は、キャッシングを始めるは、消費者金融に金を貸すはで、企業の姿勢として不服だ。
 ★NGОなどにカンパをする
 ★地場農作物など、なるべく顔の見える人から購入する
 ★動物実験をする化粧品や薬品などは購入しない

 ちょっと情報を収集するなどの工夫をして、納得のできるお金の使い方をしたい。


平和の種をまく人たち
[2006-08-22]18:42:45
 ここ1ヵ月ほど連日、外回りの仕事が続いた。そして、いくつかの文章をまとめるという仕事も。さすがに体力勝負!な私も、帰宅してバタンキューな日々が続いたので、すっかりブログの更新をサボってしまった。

 今日はとっておきな話を聞いてきてしまったので、ご報告。
 私は、大学4年の時から13年間、山谷(東京)や新宿(同)で野宿生活をしている、いわゆるホームレスと呼ばれる人たちのところに通ってきた。最初は「ボランティアでーす」というノリだったのだけど、大人になってから、親や兄弟以上に一緒の時間を過ごした人もいて、今ではそういうメンバーは遠い親戚のおじちゃんやおばちゃんという感じだ。

 当初はその人たちが、野宿生活をした後、これからどうするのかなあ、という思いから、そして数年前からは、私自身が元パートナーと別れた時に、「東京の母」的存在の女性の家に20泊30飯お世話になってから益々、人がココロ傷ついた時に、自分と対話し、人への信頼を取り戻し、再生への道を歩めるような場所ってどうにか作れないだろうか、ということを考え始めた。

 そんな時に出会ったのが、今日お話を聞いてきたフォトジャーナリストの大塚敦子さんの「野菜がかれらを育てた−生きるヒントをくれるオーガニック・ガーデン」という本だった。アメリカの刑務所の受刑者を対象にしたNPOの「ガーデン・プロジェクト」のルポだが、人とのかかわりでは傷つき・傷つけ・傷つけられてきた人たちが刑務所内で行われるこのプログラムに参加し、野菜や植物を育てること、あるいは大地とのかかわりを通じて、自分の内から湧いてくる愛情を感じ、変わっていく姿を描いたものだった。
 大地が自分のよりどころになるという安心感、共に農作業を行う仲間への信頼、人と人、あるいは人とコミュニティの関係って、一朝一夕にはできないかもしれないけれど、共に作業をすることで、ちょっとずつできていくのかな?という希望を感じるものがたりだった。

 その後、大塚さんは、今日の話の舞台になったボスニア・ヘルツェゴビナに向かう。
 戦争までは三民族が隣同士で、混合コミュニティで暮らしていたのに、互いの不信・憎悪をかきたてることで、戦争に突入し(まだ国際戦犯法廷は継続中で、なぜ戦争に至ったのか、誰が戦争責任者なのか、という定説はないとのこと)最終的には「民族浄化」というところまで行き着いてしまったボスニアでは、戦争が終結した後も、結局、1つの国の中に2つの国が存在するということになってしまったという。
 「同じ」民族の人同士では、戦争中と同様に、他民族への不信・憎悪の循環が続いていたことから、3つの民族が共同で畑仕事をする「コミュニティガーデン」が作られることになったというのがあらまし。

 それが今日のお話をしてくださった「コミュニティ・ガーデニング・アソシエーション・オブ・ボスニア・アンド・ヘルツェゴビナ(以下、CGA)」のスタッフのダボリンさんだったのだが、彼はCGAのコンセプトをこんな風に表現した。
 ★人のきずなを作る
 ★地域と結びつく
 ★人と分かち合う
 
 そして、CGAの目標は
 ★物質的支援
 ★異なる民族同士の再交流を進める
 ★教育(最初はCGAが運営をしているが、その後運営方法を参加者に伝え、参加者自身が農園を運営するようにする)
 ★特別な支援を必要とする人々のためのグループセラピー
 なのだそうだ。

 三民族それぞれの参加者は、参加した当初は「私は○○人だ」という表現を用いるけれど、一緒に農作業をする中で、しばらく経つと「私がガーデナー」と言い始めるそう。
 無理がなくて、押し付けられてもなく、いい感じ。
 
 大塚さんの本「平和の種をまく ボスニアの少女エミナ」は帰りの電車の中で読んできたけれど、思わず涙が出てきた。
 (ぜひ、大塚さんのサイトもご覧ください。)アドレスは http://www.atsukophoto.com/です。
 
 世界には争いに依存し、人々の憎しみを煽り、戦争を作り出す人もいるけれど、ボスニアでは、少女エミナが異なる民族のナダと一緒に土を耕し、花を育てている。
 私はやっぱりそこに希望を見出す。
 そして、私の日常の中でも、違いを排除し、憎しみを煽り、考えを束ねていこうとする動きを注意深く観察し、平和を作り出す共同作業を担っていきたい
| 平和の種 |

過去のブログ文章をアップしました その9

2007年2月1日(木) 15:23
仕事帰りにお墓参り
[2006-09-04]21:33:04
 今日は仕事で上野に行った。
 浅草線の稲荷町駅で降りて、目的地に。目的を達してから、周囲を見渡すと何だか見たことのある風景が。そういえば、この近くに母方のお墓があったなあと思い、早速、実家の母に電話した。
 近くの区の施設で住所を調べてもらい、何とかお寺を探し当てて、しばらくぶりにお墓参りをしてきた。
 自分を超えた力や縁のある人たちが眠る場所は、パワースポットの一つだろうな、きっと。
| パワースポット |


いただきものアイデアといただきもの素材によるおいしいオカズのアイデアおすそ分け
[2006-09-03]20:06:20
 昨日に引き続きゴハンの話題。
 今日は夕飯でゴーヤのナンプラー炒めを作った。それがワタシ的には結構おいしくできたので、おすそ分けしたいと思います!
 帰り際に駐車場の大家さんとお会いし、庭の青紫蘇をいただいた。そこで、家にあったゴーヤを思い出し、早速、近所の生協にナンプラーを買いに走った。
 
 ここからいきなりレシピスタート。
 ゴーヤは半分に切って、種をスプーンでとり、5ミリくらいに適当に切る。塩(この塩は実家で使っていたものと同じものを「ごんぱち」で母が発見した)をふり、しばらく置く。これで苦味が薄まるらしい。
 豚挽き肉を炒めた後、ゴーヤをいれ炒め、味付けにナンプラーをかける。フライパンいっぱいに作ったのだけど、もう半分食べちゃった。
 たぶん、ビールにもあうと思う。
 
 今年の夏は昨日書いたように、暑くて汗だくになりながらボスの国政報告会の案内をして回ったのだけど、あちこちでお茶をいただき、野菜のおすそ分けをいただき、野菜の無人販売所でおいしい野菜をゲットした。大変だったけど、なかなか楽しい夏だったような気がする。

 既に季節は秋。
 食欲の秋がワタシを待っている。また、どんな味との出会いがあるのか、楽しみ★
 
 「イケダ、本当に仕事しているのか?」「これで大丈夫か?」と思われた皆さまへ
 この野菜からいただいたパワーを皆さまにもおすそ分けするべく、ガンガン働きまっす!
| 湘南の美味いもの |


3食絶品!食いしん坊が行く
[2006-09-02]22:08:22
 今日の食事はおいしかった!まずは、私に食べさせてくださった皆さんと、おいしい食材に感謝を。
 お昼!
 いつもの「ごんぱち」で、ゴーヤチャーハン。今年の夏のランチは、この「ごんぱち」で、ゴーヤ三昧でした。まず、ゴーヤチャーハンは味が濃くて、うまい。地図見ながら運転して、歩き、人と話す営業の仕事が私の仕事だ。
 今年は地球温暖化防止に向けて、自宅ではまったくクーラーをいれなかったし、車もどなたか乗っていただく時は、クーラーつけるけど、ひとりの時は、窓を全開に。
 そんな訳で、とにかく汗だく。っていうか汗くさい。皆さんごめんなさい。閑話休題。
 そんな汗だくの私は、濃い味のこのゴーヤチャーハンを食べ、ゴーヤとナンプラーの炒め物定食をいただき、この夏を元気に過ごした。

 夕方!
 行きつけのサンドイッチやさんでお友だちになった麻里子さんが今日、そのサンドイッチやさんの場所を夜だけ借りてオープンしたカフェバーに。
 試食の時にいただいたナスの炒め物がバージョンアップしていた。かなりうまいので、3皿もいただいちゃった。
 藤沢駅前なので、もし、一緒にという方いらっしゃいましたら、お声かけてくださいませ。
 
 夜!
 自宅近くのこれまた行きつけのジャズレストランに。今日は前から予約していたライブがあったので、行ってきました。
 ここの料理もこれまたおいしい。仕事の帰りに一息つけて、しかも一人で行っても、おなじみのお客さんとお話できる楽しい場所です。
 しかも!ここに行くと、中高年のカッコイイ、しかもラブラブなカップルに遭遇する率高し。
 最初これにはホントに驚いた。
 何しろ我が家は、伝統的?日本風?な家庭だった。私の小さい頃、父親はトラック運転手(その前は自衛隊員)で、運転手仲間と我が家で飲む酒は日本酒の一升瓶、歌う歌は軍歌だった。家で親がラブラブなんていうことは思いもよらず、まあ、つまりそういう光景を見慣れているので、世の中には、こういう世界もあるもんだと知った訳だ。

 生まれた板橋区、6歳まで育った中央区、実家の長野、学生時代の寮のあった清瀬市、一人暮らしの練馬区、二人暮らしの北区&世田谷区、そして一人暮らしの世田谷区と、あちこちを転々とし、現在の藤沢市に至るが、うまいものという点では、現在の藤沢市に一番をつけたいと思う。
| 湘南の美味いもの |


もうちょっと「ゆるゆる」に
[2006-09-01]21:31:34
 ちょっと前まで「キンスマ」を見ていた。
 那須でイナカ暮らしをする女優の高木美保さんのこれまでの人生を振り返ったものだったけど、そのイナカ暮らしに至るまでの、精神的な病のことなども、率直に言葉にする姿は、すごいなあ、と思いながら。
 パニック症候群(病気)で苦しむ時に、たまたま青森県の奥入瀬渓谷にロケに行って、「もう(がんばらなくても)いいんじゃないか」という自然からのメッセージを受け取って、それで、一旦女優を辞め、那須塩原に移住したということだった。
 知らなかった。

 いつも強くはいられない、だから気持ちがしんどい時に、自分自身でどうバランスをとるか手当ての方法を知っておくことは大事なんだろうねえ。

 「ゆるゆる」を流行らせよう。ゆるーい時間をもっとたっぷり持とう。私自身も。
| 働くオンナのつぶやき |


溜める?吐き出す?
[2006-08-31]19:13:14
 昨晩、お気に入りの食べ物やさんに行ってきた。
 藤沢市の中でも自然豊かな場所にあり、私は最近仕事でその近くを通ることが多かったので、連日ランチをいただきに行っていた。食べること大好きで、特に「おいしい食べ物が、私の体とココロを元気にしてくれる」と思っているので、ここはパワースポットの一つ言える。
 昨晩は仕事で遅くなったので夕食をいただきに行ってきた。秋の虫の声が聞こえる「特等席」で、野菜たっぷりのメニューをいただいた。
 その後、店主が明日の準備をしている間、お願いして窓辺で虫の声を聞かせてもらった。本当にありがたい時間と空間だ。

 私は仕事は嫌いじゃないし、人と会うことも、一緒に何かをすることも好きな方だと思う。でも、同時に自然の中で、ぼーっとする時間もバランスをとる上で大事にしている。
 どれだけ時間に余裕がなくても、自分の気持ちの「溜め」を用意する時間を大切にしたいな、とつくづく思う。
| 働くオンナのつぶやき |

過去のブログ文章をアップしました その8

2007年2月1日(木) 15:22
全国の仲間と、後に続く人と
[2006-09-10]07:07:43
 昨日は、一日中、大興奮な日だった。
 
 まずは午前中。午後から都内に出る予定だったので、その前にひとりの学生と会った。大学4年生の彼女は、卒論で、女性野宿者のことを取り上げるという。しばらく前に、横浜の寿町で野宿者支援活動をする、オリジンから紹介されたのだけど、ぜひ協力したいと思って。

 私が初めて山谷にボランティアに行き始めたのは大学4年生の秋。13年前ということになる。10年前から、野宿をする女性たちのおしゃべりする場所を作りたいと1ヶ月に1回程度のゆるーい集まりを持っている。その活動について聴きたいと要請だったので、どこかの居酒屋さんではないが、「喜んで」という気持ちだった。

 ほぼ1時間半しゃべり続けたけれども、私にとって活動を知りたいと言ってくれる人がいるということはとても嬉しかった。
 私の前には私の元パートナーのところにも話を聴きに行ったとのことで、間に入ったオリジンが「あの2人は元カップルなんだよ」と絶対に彼女に伝えているだろーなあと思って、その口調を真似て言ったら、案の定だった。過去は消すことができないし、だったらなるべくいいことだけを抽出しようと思える安定した私になってきた。
 彼女は野宿者支援の現場で働きたいと希望を持っていて、私も、そう思う人にこそ、現場に行ってもらいたいと強く思った。

 午後からは社民党の青年議員・党員の全国集会へ。
 辻元清美さんが、青年女性委員長になり、若い議員・党員を元気にするプログラムをとのことで数年ぶりに企画してくれたのだ。
 特に、若い人の雇用問題について集中的に学び、議論した。北海道から鹿児島まで(沖縄は選挙があり参加できず)の10代〜50代の党員が参加したのだけど、のっけの辻元さんの話からまず超感動!でうるうる泣いてしまった。
 今の自民党の総裁選のように広告代理店を入れて華々しくはないけれど、手作りのこういう地道な取り組みこそが大事なんじゃないか、という話だった。
 その通り!
 
 私も昨年の12月に社民党の神奈川県連合の決定を受けて、来年の統一地方自治体選挙の皮切りの神奈川県議選挙に挑戦する予定だけど、実は公認決定以降も、どうやって訴えればいいのか、選挙のやり方は何がいいのか、私にできるのか、と半年くらいはすっきりしない毎日を送った。
 最近になってようやく、何となくペースもつかめてきて、本当に地道なことが大事だと見に沁みる毎日を過ごしている。(だからブログの更新もできているのだ)
 社民党は格差をこの前の選挙からずっと取り上げ、「同じ仕事なら、時給も一緒」という政策を打ち出しているけれど、「地味だ」「次は消えるよ」「活動が見えない」とさんざん言われる。特に予定候補者っていうやつになると、そこまで言うかー?というような経験もし、あるいは街頭でコトバの暴力を受けたり、私のように直接たたかれたりすることもある。

 めげそうになることもしばしばだけど、昨日は辻元さんの秘書で、大阪府議に立候補予定の同年代の女性や、私たちと同じ世代の人とも久々に会い、予定候補者のセルフヘルプのような語る時間を持ち、「苦労しているのは、めげそうになるのは私だけじゃないのね★」と確認し合ってきた。
 
 同じ方向を同じルートで、あるいは違うルートで目指す仲間との出会いはホッとするし、後に続く人が現れることは彼や彼女にバトンを渡すまでがんばろうという気持ちをかきたててくれる。

 昨日は世田谷で、学生や若い人が若い人の雇用問題を自分たちでも相談に応じ、改善していこうという試みをしている「posse」(NPO申請中)の代表の今野さんのお話も伺った。ウソみたいな、詐欺みたいな雇用問題に直面している彼の言葉には重みがあり、すごいなあと思った。私たちの「新宿野宿者女性の会 心を開く輪」も同じスタイルだが、posseでも、互いの経験を語り合うグループミーティングをやっているそうだ。互いの経験を話し合うことで、驚くような話が出てきて、問題点が見えてくるという。政治も、NPOも、労働組合をきっとやるべきことは同じ。個人個人の抱える問題を丁寧に聞きあい、ひとりずつ内面化された無力感や諦めを取り去っていくことだと思う。権力を持つ人たちに都合よくふるまうことはないし、私たちはもっと希望を持っていいんだと思う。
| パワースポット |


感情労働の燃え尽き未然防止
[2006-09-06]22:21:13
 今日は福祉関係のお仕事をしている方とお話する機会があった。
 それで思い出したこと。
 私は以前の福祉関係の業界紙の記者をしている時に、福祉施設内の虐待防止をかなり集中して追っていた。どうしても施設は密室化傾向にあり、特に虐待を受けた子どもは、代弁してくれる親もいないため、深刻で、悲惨な状況に陥っていた。
 どうしたら、それを防ぐことができるのか、第3者の目が入ることも大事だけど、同時に感情労働の大変さを理解し、「援助職の燃え尽き防止」が大事ではないかと考え、連載記事も書いた。
 先ごろ、厚生労働省が、高齢者福祉施設内の虐待について調査するとの報道があった。
 でも、私の友人は、介護保険が導入されて、人件費を抑えるためにどんどんパートタイムが増えたと話す。「福祉のココロ」など個人の資質や姿勢だけに還元できない構造的な問題があるのではないか、そんなことを思う。

 「思いやり」や「福祉のココロ」や「人のために働くヨロコビ」が発揮できる環境を整えることが大事なんだろうと私は思う。
 
 家族介護をしている人の3割が、「死にたい」と思ったことがあるという調査があった。誰からも支えられないで、孤独に介護をすることが、どれほど人を追い詰めるかをもっと深く認識する必要がある。
 介護も、育児も、支えられてこそ成り立つのだよね。きっと。


ワタシはここにいる
[2006-09-05]20:49:17
 一言で表現すると、見えなくされている・社会的に隠されている少数派(今はもしかしたら多数派かもしれない)が「ワタシはここにいる」と、その存在を周囲に見えるようにしていくこと。周囲の人間は、その可視化を応援していくこと。変化の始まりはそこからしかないかもしれないと改めて思う。これはかねがね思っていたことなんだけど。 
 この夏、ボスの阿部知子議員の国政報告会で、知的障がいのある娘さんのお母さんから、「親亡き後」についてどうしたらよいのかというお話を伺い、また、私の学生時代からの友人の息子が自閉症で、周囲の親や子どもたちから、距離を置かれることに悩んでいる。
 
 今日は、市内の障がい者の方々のグループを国会見学ツアーにご案内。盲導犬のレナードも国会内を歩いた。私たちスタッフもご案内することで、次はどのように手配したらいいのか、どのようなサポートが必要なのかを、その都度学ぶことになり、とてもありがたいと思っている。
 阿部議員が、障がいのある人たちへの介護サービス(!)に応じた1割負担を盛り込んだ「障害者自立支援法」に、反対の論陣をはりまくった頃から、障がいのある当事者の方々とのご縁もどんどんいただくようになり、少し前には、身体障がいの方々、今日は視覚障がいの方々の国会見学ツアーのご案内ができるようになった。
 何しろ、さまざまな障がいのある人たちが、抵抗し続けた「障害者自立支援法」を、恥ずかしげもなく、通過させた厚顔無恥な国会議員の多くいる場所だから、障がいのある人たちのその身を賭した訴えも、届いているとは言えない。
 けれども、その圧倒的な切実さとリアルさは、きっと誰かに、どこかで届いていることと思う。

 少数派の訴えを継続していくことは、しんどいことも、切ないことも、へこむことも多いけど、でも、変化を信じて続けていくしかないと思う。
 
 私が13年前、山谷に初めてボランティアに行った時、女性ボランティアは少数派だったし、「活動家」の人たちが、生活を賭けてやっている姿にびっくりしたものだった。でも、今、野宿を余儀なくされる人たちの暮らしに気持ちを寄せる人は確実に増えているし、玉石混交のサービスも増えた。
 かつて「10年続けていれば、何かが変わる」と聞いたことがある。10年という単位は、かなり気が遠くなるが、それでも、共に歩む仲間はきっといるハズ。励ましあいながらやっていきたいね。
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2007年2月1日(木) 15:20
平良夏芽さんの逮捕
[2006-09-27]09:24:40
 9月25日、まだキューバから戻ってきたばかりで、ぼけぼけしたアタマを直撃したニュースがあった。
 私の友人がたまたま名護に行っていて、「平良夏芽牧師が逮捕された」という一報が入り、私もこのことに関係する人たちに連絡をとった。本当はもっと早くにこの話を書きたかったのだけど、帰国後朝から晩まで動いていたので、なかなかアップできずじまいだった。

 平良さんのお話は、今回連絡をくれた友人に誘われて、夏に聞いたばかりだった。
 もうこの時点で、平良さんはおそらくご自身の逮捕も含め、相当の覚悟をなさっている様子だったが、政府は、非暴力で抵抗する個人に対して、これほどまでに牙をむくのかと改めて恐ろしいと感じた。

 逮捕への抗議の意味でハンガーストライキをやっている平良さんは、弁護士と接見した時、「お腹はすいていますが、心は満たされています。取調べの中でほとんど黙秘していますが、「資産は?」と聞かれた時に、「仲間達です」と答えたことは間違いではありませんでした。 最後の最後まで共に闘っていきましょう。平良は元気です」と答えたとのこと。
 
 今日も平良さんの仲間たちは、名護警察署の前で抗議行動をするという。

 米軍基地は私たちの暮らす神奈川にとってもこれから更に問題が先鋭化する。
 キャンプ座間への米陸軍の移駐、横須賀港への原子力空母の母港化など、どんどん基地が拡張され、戦力が押し寄せてくる時に、私たちもまた身を投げ出して抵抗するまで追い詰められるだろう。
 沖縄で今起こっていることは、決して対岸の火事ではないことを私たちはもっと自覚しなくては、と思う。
 
 本土のニュースではベタ記事だったが、沖縄タイムス 夕刊ではこう書かれている。
 ぜひお読みください。

 2006年9月25日(月) 夕刊 1・6・7面
 シュワブ兵舎移転/反対派1人を逮捕
 【名護】米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う名護市キャンプ・シュワブ内の兵舎移転に伴い、名護市教育委員会は二十五日午前、移転候補地の埋蔵文化財の分布状況などを確認する現地踏査に着手した。名護署は同日午前、基地内に入ろうとした市教委の車両を実力で阻止したとして、移設反対派の一人を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。
 市教委は、ヘリ基地反対協の調査容認表明などを受け、「文化財の有無の科学的な調査が目的だと大筋で理解を得られた」と判断。表面の土壌を採取する必要があるかなど、今後の手順や調査期間は「現場の状況を詳しく調査しないと分からない」と話している。

 兵舎の移転候補地二カ所は遺跡として確認されている「思原(ウムイバル)遺跡」「思原石器出土地」と重なり、市教委では、「基地の外の文化財と同様にきちんと調査したい」としている。
 市教委の職員九人は同日午前十時ごろ、同基地のメーンゲートに到着。移設反対派約二十人が話し合おうと、市教委の車両を止め話し合いを求めた後、名護署員が反対派ともみ合いになった。

 施設局職員も早朝、同基地内に入り調査に立ち会っている。

 普天間飛行場移設問題で十五日、初めて県警機動隊が投入される事態となり現場は混乱。市教委は、機動隊投入に反対し踏査を断念していた。施設局の説得を受け同日午後、職員三人が移転候補地の場所を確認しただけで、実質的な踏査は行われていなかった。
     ◇     ◇     ◇     
流血に悲鳴と怒声/なすすべない反対派
調査団員表情かたく

 【名護】「頼む。この現状をみんなに知らせて!」。米軍普天間飛行場移設問題で初の逮捕者が出た。二十五日午前、警察車両で連行される平和市民連絡会の平良夏芽牧師(44)は、顔や手から血を流しながら叫んだ。名護市キャンプ・シュワブ内の文化財調査で、同市教育委員会調査団の車両を止めようとした牧師は公務執行妨害で逮捕された。この日集まった反対派メンバー約二十人のうち数人が調査団の車の前に身を投げ出すなど必死に止めようとしたが、倍近い人数がいる警察に次々と排除された。現場は怒号と悲鳴が入り交じり、騒然となった。

 午前十時、名護市教育委員会文化課のワゴン車がキャンプ・シュワブ第一ゲートに到着すると、反対派市民らが話し合いを持つため、車を止めようとした。だが、これまでとは違い、職員が乗った車の窓は閉じられたまま。警察が反対派を制する中、職員らは緊張した面持ちで基地内に入ろうとした。

 反対派住民らは車の前に身を投げ出したり、ゲート入り口の路上に座り込んだりして抵抗。警察官らが住民らの手足を抱え、力ずくで排除すると、「痛い」「止めて」などの怒声や悲鳴が響いた。

 車の下にもぐりこんだ平良牧師は顔などを負傷。公務執行妨害の現行犯で警察に連行された。

 平和市民連絡会の当山栄事務局長は、抗議のため名護署に向かった。「理不尽な基地建設のための不当な弾圧だ。運動を委縮させる狙いだろうが、われわれは抗議を通じて反対の機運を二倍、三倍に高めていく」と語気を強めた。

 名護警察署前では、反対派住民約三十人が押しかけ、「不当逮捕は許さないぞ」などとシュプレヒコールをあげて抗議した。同署の警察官ら十数人が出入り口で一列に並び、にらみあいが続いている。

 ヘリ基地反対協事務局長の仲村善幸さんは「名護署側と話し合ったが、公務執行妨害容疑の具体的内容を明らかにしていない」と名護署の対応を批判した。

 午後零時半すぎから弁護士や市民団体代表が名護署から逮捕時の状況について説明を受け、併せて接見を求めた。同署の説明によると、容疑者はけがについて「病院に行く必要はない」と話しているという。

県、大変残念

 逮捕者が出たことについて、県の牧野浩隆副知事は「詳細は分からないが逮捕者が出たことは大変残念」と述べた。

 同財調査については、稲嶺恵一知事は十五日の記者懇談会で「政府は全体のスケジュールを示し、その中での位置付けなど地元に対して十分な説明を行う必要がある」との認識を示している。

 沖縄人権協会の永吉盛元事務局長の話 基地ある故に沖縄の人々の生活が脅かされていることの表れであり、個人ではなく基本的な人権の問題だ。これまで強権行使を控えてきた防衛庁が、基地建設に必死になっている。反対運動も激しくならざるを得ず、憂慮すべき事態だ。
| 騙されない |

キューバに行ってきます
[2006-09-14]23:22:53
 明日から23日までキューバに行ってきます。
 2年ほど前に「200万都市が有機野菜で自給できるわけ 都市農業大国キューバ」(吉田太郎著 築地書館)という本を読んで以来、私がいいな、と感じる社会システムが実現されてるー!大興奮し、といつか行きたいと思い、今回念願叶って行ってきます。
 私のボスと、支持者の方々と総勢10人。私はこのチャンスを逃すものかと思い切りました。

 ソ連(当時)に食糧を依存し、当時は今の日本の食糧自給率40%と同じくらいのキューバが、ソ連崩壊とアメリカの経済封鎖により、食糧危機となったが、99年時点で米の65%、生鮮野菜の46%を都市農業で生産しているといいます。(この数字などは最新のものを確認してきます!)

 医療の面では、中南米各国から医学生を受け入れ医学教育を提供する、医師を派遣するなどの政策を進めてきたようです。

 どこかで成長幻想にピリオドを打ち、経済格差を埋めるための方策を考え出す必要のある日本が参考にできることがあるんじゃないか?としっかり見てくるつもりです。
| 私たちの目指したいもう一つの世界 |


けっこんしないのか?できないのか?
[2006-09-12]22:43:56
 今朝も6時半から、駅でチラシまき。もちろんお仕事です。ギョーカイ用語では「朝立ち」と言います。これを人前で口にすると、何となくサーッと空気が冷えるので、なるべく「朝の街宣」とか「駅立ち」とも言ってみますが、やはり、「朝立ち」がしっくりくるような気も。
 ここ3年半、ずっと毎週月&水曜日はこういう具合です。
 昨日の、5年目の9・11を迎え、これからもあちこちの戦争に出張っていくアメリカと本当にこれからも共に歩いていくのか、私たちはアメリカだけに頼らないアジア地域の非核地帯を目指す道を歩いていくべきではないでしょうかというお話をしました。

 さて、駅の一つの風景として、この「朝立ち」も何となく定着した感はありますが、チラシを配る側からすると受け取っていただける人が変化してきているように感じます。

 最近、受け取ってくれるようになったと感じるグループは「若い男性」です。
 何でなんだろうなあ?と考えていたところ、若い男性が今、職場でも、家庭でも、一番プレッシャーやストレスに押しつぶされそうになっていて、割を食っているんじゃないか、と思い当たったのです。これはあくまで主観ですが。

 ちょっと前に発表された今年の「労働経済白書」では、2002年時点で、15〜34歳の男性の内、配偶者がいる正社員は40%、配偶者がいる非正規従業員は13%、パートやアルバイトは8%という数字があります。2000年から2005年の5年間に全国で男性の正社員は193万人減少しています。安定したお勤めの口が少なくなって先の見通しがつかなければ、当然でしょう。

 今日の毎日新聞では、「結婚できない男」考という特集を組んでいます。
 その中で「30代未婚男」(NHK出版)という本を紹介していますが、その中で「30代未婚男の結婚しない理由」というものがあげられています。
 
 以下、多い順だとのことですが
 1 出会いがない
 2 理想の相手に出会えていない
 3 経済力がない
 4 特に理由はない、なんとなく
 5 自由気ままな生活を失う
 6 自由になるお金が減る
 7 自分に自信がない
 8 面倒くさい
 9 結婚制度にこだわる必要ない
10 異性とうまくつきあえない
11 趣味やレジャーを楽しみたい
12 今の生活に満足している
13 必要性を感じない

 学生時代の友人たちと話をすると、カジュアルな形式のお見合いを、結構経験しています。
 でも、女性側から断っている話が多い。というか、そういう話しか聞きません。私たち30代の前半世代には、たいてい30代後半や40代前半の方のお話がくるそうですが、フィーリング(これまた、コトバで説明するのが難しいのですが)が合う人はいないとのことです。
 友人たち、いろんな経験してて、話が面白くて、自分の意見を言えるいいヤツばっかりなんだけどなあ。

 社会的にも、個人的にも、旧来の「オトコらしさ」と、現実の間に最もギャップのある人たちが若い男性たちなのかもしれない。
 もうしばらくこのテーマについては考えていきたいし、情報をキャッチしていきたい。

過去のブログ文章をアップしました その6

2007年2月1日(木) 15:19
赤ちゃんにうっとり
[2006-10-22]21:12:47
 つい先日、仕事関係で知り合った女性が子どもを産んだ。帝王切開で子どもが生まれた
翌日、お見舞いに伺い、その存在にうっとり。第一弾。生まれたてだから慣れていないから手は出さなかったけれど。
 そして昨日、行きつけの食べものやさんでランチ。そこの店主の4ヶ月の娘を抱っこした。その可愛さにうっとり。第二弾。
 孫のおじいちゃんである先代の店主が、抱っこさせてくれたのだけど、今日もその娘に会えたらいいな、と思いながら同じお店でランチをいただいた。

 今年の正月、久しぶりに顔を合わせた私の父はのたもうた。
 「俺はいいけれど、お母さん(私の母)に、孫の顔を、見せてやってくれ」
 最初のけっこん(当時24歳)の時は、そんなことをまったく言わなかった父親だったが、10年たち、現在34歳の私には言いたくなったようだ。

 今じゃ仕事に追いまくられ、更に縁遠くなった娘に対しての父親の気持ちなんだろうなあ、とヒトゴトのように思っていたけれど、やっぱり赤ちゃんはカワイイ。
 父も、母も、きょうだいや近所の人たちに続々と孫ができる中、私も弟もけっこんせず、子どもも産まないので、コトバに出すか出さないかはそれぞれとしても、きっといいなあと思っているだろうなあ。

 私も、これまで子どもがまったく眼中になかった訳じゃない。叶わなかったけれど、最初に就職した職場では産休・育休第一号を目指していたのだ。
 今でも、女性誌の妊娠・子育て特集を見るとつい手を伸ばしてしまうし、同世代の友だちとは子どもの話をすることもある。
 でも、やっぱりナマの赤ちゃんを抱っこすると、子どもを産む・育てるということがもっとリアルに迫ってくる。
 
 私は、特に母親から、ものすごい愛情を注いで育ててもらったと思っている。しかも、こんなにガタイがよくなって、面の皮の厚みが増した今でも変わらぬ愛情を注いでもらっている、と思う。
 子どもがすべてではないにしても、そして実の子がすべてではないと思うけれど、やっぱり子育てはいつかやってみたいことの一つだ。
| 子ども |


奪われた自尊心を取り戻すために必要なことって?
[2006-10-17]23:01:16
 14日、久しぶりに嬉しいニュースが流れてきた。
 日本国内でも、アジアでも、このまま社会は暴力と格差の坩堝に叩き込まれてしまうのかという不安の中で暮らしている日々。
 でも、やっぱり人間は信頼できるし、連帯も可能だとお腹の底から感じられるニュース。
 バングラデシュの経済学者のムハマド・ユヌスさんがノーベル平和賞を受賞した。
 東京新聞の記事によれば、ユヌスさんは「勤勉な女性の手元にわずかな資本を与えてあげれば、生活の糧を得て自立することができる」と語っている。
 (ユヌスさんの設立した、貧しい人たちのためのグラミン銀行についてはぜひ、この記事をご覧ください。http://www.cafeglobe.com/news/gramin/index1.html)

 この銀行がやっていることは、借り手に何人かの仲間と一緒にグループを作ってもらい、そのメンバー相互の信頼に基づき無担保融資を行っているが、97%の借り手は女性で、返済率は9割を超える。
 担保がなければ、あるいは男性でなければお金を借りることができなかった女性たちは、自分の稼いだお金で家計を支える。一人ひとりが無力感から脱し、社会を支える担い手になっていく。

 私は行き場を失った人たちのシェルターと、地域住民参加のコミュニティ農場、コミュニティの食堂、人間関係の基礎のコミュニケーションを学ぶ場所などを作り、そこではこのユヌス氏の設立したマイクロクレジット(無担保小口融資)をいつかやりたいと思っている。コトバに出して言っていればいつか叶うと聞いたことがあるし。
 誰もがかけがえのない存在であることを実感して欲しいと思っている。口で言う代わりに、それを目に見える融資という方法で示したユヌス氏の考え方は画期的だと思う。
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感情の蓋を開けてくれたキューバ
[2006-10-04]14:41:24
 キューバから帰国してもう10日以上も経ってしまった。
 でも、その「効能」はまだ続いている。
 キューバでの出会いと気づきと感動に加え、帰国後もすばらしい人との出会いと学びが押し寄せてくるのだ。すっかり涙腺が緩みっぱなしな、毎日を送っている。
 もともと私はかなりの感激やで、本を読んでいてもすばらしいコトバに出会うと泣き、テレビを見ながら泣き、人と話していて感激すると泣き、だったのだけど、ここ5年間くらいは私自身を前面に出す仕事ではなかったし、力量不足で悔し涙は流しても、感動してあまり泣いてなかったなあ、と振り返って初めて分かる。

 キューバの視察報告は少しずつ書きたいと思っているけれど、まずは私が感動したコトバを紹介したい。
 農業事情を視察していた時に、農業省の大臣助言者のホセさんが語ったのは、「私たちの国の国民は毎日肉を食べることはできないけれど、お腹をすかせて眠る人はいない」というコトバだった。
 キューバでは主食の米をはじめ、豆・塩・卵・肉は配給で、野菜は市場で購入ということになっているらしい。90年代初頭、食糧を依存していたソ連の崩壊、アメリカの経済制裁というダブルパンチを受け、国民を飢えさせるかどうかの瀬戸際まで追い詰められたキューバは、首都ハバナでもミミズ堆肥を使った有機農業を導入し、都市農業は100パーセント有機にし、地方の農業の一部が農薬を使っているのだという。

 医療は無料。ファミリードクターが人口700人にひとりいて、その地域の住民の健康状態を把握している。
 キューバのすごいところは、医療関係者の派遣を通じた世界への医療支援。1963年から2004年までの41年間に、97カ国に7万9487人の医者を派遣し、2005年には70カ国に2万4521人を派遣したとのこと。
 また、98年にはミッチというハリケーン災害時に2年間派遣した医師をキューバに戻すにあたり、地元住民から「医者をここに派遣し続けて欲しい」と懇願されたことをきっかけに、「中南米医学大学校」を設立し、すべての中南米の国々から毎年1500人の医学生を受け入れ、医学教育を提供しているのです。卒業後は各々の国々に戻り、医者として働くそうです。
 キューバの外務省を表敬訪問した時に、「私たちは、私たちの国にとっても宝である医者を各国に派遣している。医者が余っているからではなく、連帯のために。自国の不足を分かっていてもなお、援助することが大事だと思う」とおっしゃっていた。

 もちろん、タテマエと実情は異なる場合もあるだろう。
 でも、私は、キューバの政治や行政に携わる人たちのコトバから「私たちの目指したいもう一つの国のあり方」を感じる。
 
 自分(の国)さえよければいい、文句があるなら自由を奪うぞという、今の私たちの国のあり方にうんざりしている人はたくさんいると思う。

 私は、他の人と喜びも、大変さも分かち合ってこそ、ホントのシアワセを感じることができる、と信じている。
 自分の価値を、他の人との比較なしに心底信じられることができる社会にしていきたいと思っている。
 
 昨日は調子にのって、「チャべス ラテンアメリカは世界を変える!」(ウーゴ・チャべス&アレイダ・ゲバラ著 伊高浩昭訳 作品社)を購入して、今読んでいる。
 たまたま東京新聞の書評欄で紹介していたのだけど、訳者の伊高さんは友人が講座に通っている立教大学ラテンアメリカ研究所の講師で、ものすごくいい!と前評判を聞いている方だった。
 日本はアメリカとの関係に縛られているが、世界には私たちがこれからもっと出会える豊かな思想がたくさんあり、すばらしい人が大勢いるのだと思う。
| 私たちの目指したいもう一つの世界 |

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2007年2月1日(木) 15:18
お金の使い方
[2006-11-23]20:51:15
 昨日・今日と「フェアトレード」というコトバに接する機会があった。
 まずは昨日。
 たまたま知り合いの方に紹介して頂いたのが縁で、昨日、湘南台文化センターで行われた、てつろうさんというアーティストのコンサートに行ってきた。
 しっとり平和を願うメッセージ性のある歌から、「きいろいスクールバス」というノリのいい曲まで、かなり充実したコンサートだった。
 売り出し中という点では共通する部分もあり、こうやってがんばっている人がいるんだなあ、と私も勇気をいただいた。

 てつろうさんのホームページを見たら、オーガニックフェスタなどでも歌っている方で、もともとフェアトレードに関心を持っていたみたいだけど、コンサート会場で、「ネパリ・バザーロ」というフェアトレードのお店がブースを出していて、とても嬉しくなり、私もいくつか購入してきた。

 今日は、ゴミ問題についての学習会に参加。
 ゴミも、戦争も、何とかしたいと思っている人は多いのに、ゴミを増やすことで儲かる人がいて、戦争を起こすことで儲かる人がいる、その構造が変わらない限り、現状が変わらないということが分かった。
 両方とも絶えず品物や武器を作り続けなければ儲からない。それがゴミになろうと、人を殺そうとお構いなしで。経済が右肩上がりの成長という神話はとうの昔に過去のものになっているのに、まだその神話・幻想を手放そうとしない人たちが権力の中枢にいるから、どれほど環境を破壊しようと、人が死のうと痛くもかゆくもないんだろうなあ。

 これに対峙できる価値観って何だろう?
 これを読んでいるあなたはどのように考えますか?
 私は、人の命も、モノも「使い捨てにしない」価値観を取り戻すことなんだろうと思います。
 そして、実際の経済や政治や文化や芸術の中で、その価値観を伝えることを絶え間なく続けていくことが大事だと思います。
  
 お金の使い方・商品の選び方について関心を持ったのは、高校時代、粉ミルクを発展途上国に販売したネッスルの不買運動をしたスイスの女性たちの話を本で読んだ時だったと思う。衛生的な水が得られないのに、母乳よりも栄養価が高いという触れ込みをして、現地では高価な粉ミルクを売りつけ、結果多くの子どもたちを栄養失調に陥らせたネッスルに対して不買運動を行うことで、企業の「売らんかな」の方針を変えさせたというお話。
 無自覚に「買う」のではなくて、食品であれば食品添加物をどの程度含んでいるのか、化粧品であれば動物実験をしていないか、あるいは前にも書いたがイスラエル支援企業かどうか、他国の環境を破壊していないかなど、知っている限りの情報を用いながら「買う」。

 私たちひとり一人が持っているパワー=お金の使い方について、しっかり考えたいし、その延長線上には、私たちの税金を何に優先して使うか、という政府や地方自治体の予算にもつながると思う。
食べられない人がハンスト
[2006-11-09]22:17:09
 今週の月曜日から明日までの日程で、都庁前で都内各地で野宿をしている人たちがハンガーストライキをやっている。
 その背景にあるのは、2年間の期限付きで、テントが集中する新宿の中央公園や隅田川などに暮らしていた野宿者を対象に、月額3000円のアパートを提供する東京都の「地域生活移行事業」の終了がある。住む場所はあるものの、月2・3回の公的就労が提供されるのみで、自力で就労先を探さなければならない。
 高齢者や障がい者などで生活保護に移行する人も一部にはいて、私たちの野宿者女性の会「心を開く輪」のメンバーも、この事業でアパートに入り、たまたま彼女は生活保護に移行したとつい先日前にメールをもらったところだ。

 けれども、新宿でかつて野宿をし、現在は支援活動をするKさんによれば、「この事業は1回目の時、排除を伴いました。今回も、指定地域のどの区も事業に乗らない者は、工事を名目に追い出しにかかっています。ましてや移動層は対象にならず、排除のとばっちりを被っています」とのこと。

 つまり、定住層のみを事業の対象にし、アパートに移ったまではいいとしても、2年間仕事を探しながら、殆ど現金収入は個人の空き缶集めなどの都市雑業に頼り、「その間に仕事を探せ」と言われても、なかなか落ち着ける職場は見つからず、2年経って放り出されても、元々の定住場所にはもうテープが張られていて戻れず、移動層になるしかないということだ。しかも、はなから移動層は対象にならないということは、定住層の排除も視野に入れられた政策だということ。
 この事業が始まった当初から、このことは懸念されていたけれど、こうして現実を目の前に突きつけられると、その露骨さに何もできない悔しさが募る。

 貧しい人たちの住宅問題については、もっと力を入れていかなければならないし、米軍の住宅を思いやり予算で建設するより先に、日本の貧困者の住宅を何とかすべきだと思う。

 13年前に山谷の越年の人民パトロール(夜回り)でお世話になった人や、新宿の4号街路でのパトロールで一緒に歩いた人、馴染みの顔に会った。考えてみると、10年前は毎週、新宿に通いつめていたのだから、親よりも会った回数が多い人たちがたくさんいる。
 日曜日が仕事のため、なかなかボランティアに通えないのだけど、「池田、夏祭りだから顔見せろよ」、「手伝いに来てくれ」「マスコミにこのことを宣伝してくれよ」と携帯に電話が入ると、何を置いても、まずは優先する。
 私にとってはどの位置から社会を見るのか、誰の声を聞き、伝えるのか、いつも原点であり続けているし、これからもきっとそうなると思う。
 
 ぜひ、このブログをご覧になった方も野宿者の人たちの声に耳を傾けてください。
| 野宿者女性の会「心を開く輪」 |


自然豊かな池子の米軍住宅
[2006-10-24]08:55:01
 神奈川県逗子市にある、米軍の池子住宅。ゲートの外側からは見たことがあったものの、昨日はその中に入りました。
 
 社民党の福島みずほ党首を団長に、神奈川県内で基地問題に取り組む方々に同行したのですが、その豊かな自然にびっくり。現在でも横須賀基地で働く基地の米軍人の家族854世帯・3300人が暮らしていますが、今後は横浜市にまたがる地域の山を崩し、新たに住宅を建設するという計画が明らかになっています。
 
 昨日はその山を切り崩すという場所にも行ってきましたが、驚くほどの広さ!せっかく残っている自然環境を壊すというだけでなく、もう一つの問題があります。池子住宅のある場所はもともと、日本海軍が使用していました。切り崩される計画の山の一部には、かつての日本海軍が使用していた弾薬庫があり、その中に毒ガスもあるのではないかと言われています。
 調査費・土壌調査など環境アセスメント費・建設費は400億円くらいかかると言われており、それは日本の税金でまかなわれるのです。

 昨日、住宅を案内してくださった横須賀基地の担当者は、5つのトラックがあり、ハイキングコースがあり、自然が豊かでみんな楽しんでいるというお話をなさいましたが、それを聞きながら私は複雑な思いでした。率直な思いでしょうし、悪気はないと思います。確かにここに暮らす人たちは快適な生活を送っているかもしれないけれど、それは私たちの負担の上に成り立っていることを感じていないんだなあと感じました。
 
 政府はお金がないといって高齢者の医療費や障がい者の介助費用や高齢者の介護費用を削っているのに、こういうところにつぎ込むお金はどこから出てくるのか、やっぱりお金の使い方は間違っているだろう、と思います。
 基地の土地も、お金もアメリカの言うとおりに差し出す日本って、そりゃおいしい存在だよな、と思いながらも、こういう依存的な関係は少しずつ脱却したいと改めて思いました。
| 平和の種 |

過去のブログ文章をアップしました その4

2007年2月1日(木) 15:16
ココロの栄養補給をしてきました
[2006-12-31]22:47:36
 28日の仕事終了後、長野の実家に帰省。先ほど藤沢に戻ってきました。
 明日から仕事のため、3泊でしたが山を眺め、近所の温泉につかってココロの栄養補給をしてきました。「子どもを自然の中で育てる」という父の考えで、小学校入学3日前に、東京は中央区晴海から、長野の伊那谷に引っ越した私たち家族。
 毎日片道3キロの小学校・中学校への通学路を歩き、体力も、粘り強さも身についたと思います。長野と藤沢では寒さもまったく違います。一番の違いは肌に現れますが、藤沢の風に慣れた肌で長野に帰省すると途端にパッツンパッツンになります。
 それでも、雪山を見ながら我が家の小さな庭を見るのは楽しみです。
 
 村営温泉に行けば、小学校時代に剣道を習っていた先生(村の職員)にお会いし、隣の市のお店で、小学校の音楽の先生にお会いしました。私が来年の統一地方自治体選挙に挑戦することを喜んで下さり、応援して下さいました。小学校時代の私が、今のような仕事・活動をするなんて、私も含めてどなたもが予想していなかったことと思います。

 人前で、自分の主張を展開するというこのオシゴト。私の考えは多くの方々に支持していただいているという信念なしには成り立ちません。
 私がどんな考えを持った人間なのかをお伝えし、相手の方のお話もしっかり伺うこと。
 これを今年も懸命にやりましたし、来年も私のモットーにしていきたいと思っています。
 人の変化を呼び起こす「対話」の力を信じて来年も活動します。 
 
 今年は本当にありがとうございました。
 明日は、仕事で(七五三を除いて)初めて着物を着ます。母が結婚前にあつらえた、私には見幅が少し不足気味の着物を着て、ご挨拶です。07年もどうぞお付き合いください。
| 働くオンナのつぶやき |


子どもたち自身の危機対応力アップを
[2006-12-26]11:24:36
 身近な学校や家庭で、いじめや虐待などの危機に瀕している子どもたちの痛ましいニュースを耳にするたびに、どのようにこの状況を変えればよいのだろうかと頭を抱える。子どものいる親御さんならなお更だろう。
 そんなことを考えていたある日、なるほど!と手を打ちたくなるような本と出会った。「子どもが出会う犯罪と暴力 防犯対策の幻想」(森田ゆり著 NHK出版)がそれだ。筆者の森田さんは90年代はじめに「子どもの暴力防止(CAP)プログラム」を日本に紹介された方で、そのプログラムは、子どもたち自身が危機に遭遇した時に「ノー(嫌だと言う)」、「ゴー(逃げる)」、「テル(その体験を誰かに話す)」をロールプレイで学ぶものだ。
 そもそも大人が24時間365日見守っていることはできないし、子どもの発達の観点からも、大人の目の届かない秘密の時間と場所は貴重なものだ。そのことも踏まえつつ、安全をキープするためには、子ども自身に危機対応力をつけてもらうことが望ましい。
 更に、この危機対応力は大人になってからもきっと効力を発揮する。人間生きていると、予想外の出来事に遭遇することも多い。そんな危機に遭遇した時にひとりで抱え込んで「誰にも言えない」「誰も分かってくれない」とドツボにはまり、自ら死を選ぶような事態に陥らないためにも、子ども時代からの積み重ねが大事だと思う。
 大人たちには、子どもの声をありのままに受け止めてもらいたい。評価も批評もされずに話を聞いてくれる大人をこそ、子どもたちは求めている。
 (情報誌「ぱど」12月15日号に掲載)
| 子ども |


もっと「ほっとけない」日本の&私たちの貧しさ
[2006-12-26]11:21:14
 17日、NPO法人自立サポートセンターもやいの事務局長、湯浅誠さんに、藤沢に来て話をしていただきました。もやいはアパートを借りる際や、仕事に就く際の保証人を提供する活動を5年前から始め、1000世帯に保証人を提供してきました。
 今、もやいにはインターネットカフェや自宅のパソコンや携帯から、働いても食べていけない若い人たちからの相談が相次いでいます。世間の求める技術や能力に及ばず、定期的な仕事に就けず、家族からの支援も期待できない、「どうやって生きていけばいいんだ!」という悲痛な声が社会に少しずつ届き始めました。
 現在、生活保護受給世帯は100万世帯以上で、それ以外に生活保護基準以下の収入で生活する世帯が400万世帯とも推計されています。日本では「貧しさ」について議論も、調査も十分に行われていません。
 湯浅さんの指摘によれば、これまでは家族や企業が、社会保障を肩代わりしてきました。けれども、家族も、企業も、暮らしを支えるという役割を担いきれなくなった現在、現金収入がないと日々の暮らしが成り立ちません。
 私は、公営住宅を若く金のない世帯にも提供することに力を入れたいと思っています。また、人間関係の不得手さが仕事探しを阻害している要因にもなっているので、子ども時代から「自分は社会に受け入れられている」という実感を持てるような居場所作りを進めていきたいと考えています。
 来年もどうぞよろしくお願いします!
 (12月20日号)
| シアワセの種ニュース |


 本気で何とかしたい!働き方
[2006-12-26]11:15:00
 私は、学生時代から東京の山谷や新宿で野宿を余儀なくされている人たちのところにボランティアとして通って、話を聞いてきました。
 その頃は、働いても生活できない人たちのことはあまり問題視されていませんでした。特別な人たちの問題と思われていたからです。
でも、今は違います。
 今年度の労働経済白書では、正規社員3340万人、非正規社員1663万人という数字が06年度1月の最新の人数が示され、さらに非正規社員の比率はどんどん高まっています。
 05年度に行われた日銀の調査で、「貯蓄がない」と答えた世帯は約4分の1の23・8%。
生きるために毎日必死に自転車操業しなければならないなんて、私たちの望む働き方ではないはずです。
 私は、働いても食べていくことができない「ワーキングプア」の人たちのサポートに一刻も早く取り組まなければならないと思います。
そのためには、生活のためのつなぎ資金・働く場所・住まい・心理的なサポートなどいくつもの要素が必要です。多重債務で首をくくらなくても済む、野宿に陥らないでも済む、劣悪な職場でこき使われなくても済む、そんな社会を一緒に目指していきたいと思います。
 (シアワセの種ニュース 11月28号)
 駅などで配布しています。
 ブログに載せそびれていたので、アップします。
| シアワセの種ニュース |


追い風と向かい風
[2006-12-21]20:03:19
 来年の神奈川県議会議員選挙の候補者になって約一年。
 思わぬ方々から応援を頂いたことに嬉し涙し 、予想外の方々から叱咤をいただいたことに涙する でした。
 これまでの秘書の仕事であれば優先順位は私のボスが動きやすいようにという明確だった基準も、自分で動いてみると判断つかないことも、できないこともあり、難しいことも多かったように思います。
 それに加え、裏方からの精神的脱皮は結構大変でした。

 でも、この一年、藤沢市内の多くの方々と直接知り合うことができて、その方の人生の一端を垣間見ることができたり、どこをクリアすればもっと生きやすくなるのか課題を共有することができたり、「踊る!大捜査線」ではありませんが、会議室(事務所)の中を飛び出して、現場(地域)を歩くこと、ここにこの仕事の面白さがあることを認識できた一年でもありました。

 ちょうど昨年の今ごろ、候補者になるかどうかを迷っていた頃、ずっと私の頭の中にあった言葉があります。
 写真家の長倉洋海さんの写真展でココロ惹かれ、手帳に書きとめていた、ブラジルのアマゾンで暮らすヤノマミ・インディアンのリーダーアユトン・クレナックさんの言葉です。
 「私は政治家を信用していない。いま、大統領に会うことと、小さな村を歩くことの二つのオプションがあるなら、自分は後者を選ぶ。種をまき、強い根を作ることの方が大切なのだから。高いところから『言う』のではなく、『する』ことから始めよう。白人や政府に頼らなくても生きていかれるように」。
 
 私なりに今の仕事と絡めて解釈したのは、「口先ばっかり」の政治家では信用されないし、他の人たちと協働して、私たちの望む社会を作り出すことはできない。だったら、一人ひとりと対話する中で、「こうなったらいいな」の社会の夢を共有していこうとすること。それなら人と話すことの大好きな私にうってつけかもしれないと思ったのが一年前のことでした。

 最近では、市内で「ポスター見たわよ」と声をかけて頂いたり、朝の駅立ちの時に「応援しているよ」と見ず知らずの方に声をかけていただく機会も増えました。 
 
 追い風も、向かい風も両方あびながら、私自身の、いろんなことを受け止められる器を大きくしていきたいと思うこのごろです。
| 候補者のまいにち |


これがミミズ堆肥だぁ
[2006-12-04]11:20:11
 これがキューバで触ったミミズ堆肥です。
一昨日、吉田太郎さんのお話を伺ってきて、またまた感動したので、ぜひ皆様にもご覧いただきたいと思います。
「畑の耕作者」ちゃんです。

 11月30日に、キューバから来日したアルニレスさんというドクターのお話を聞く機会がありました。
 彼女は24歳。「ヘンリー・リーブ災害救援部隊」というグループに属していて、パキスタン地震の際には7カ月間、現地で治療活動を行ったそうです。パキスタンからキューバに戻り、4日目にインドネシアで地震が起こり、また、緊急医療支援に赴いたそう。
 現在、2万人の医師がパキスタン・インドネシア・グアテマラ・ボリビア・ベネズエラなどで医療活動をしているそうですが、彼女はいつでも、必要とならば支援に駆けつけられるよう、トランクに荷物をつめているそうです。
 彼女の語る言葉のひとつひとつが深くて、その他人を思いやる発想と行動力にとっても感激し、経験が人を鍛え上げていくのだと感じました。
 勢いにまかせて、12月2日に下北沢で行われた冒頭の吉田太郎さんのお話とアルニレスさんのお話も伺ってきました。
 そして、昨日のニュースでは、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が3選したとのこと。
 世界は、どんどん変化している。
 このままじゃ日本は置いてきぼりかな?
| 私たちの目指したいもう一つの世界 |

過去のブログ文章をアップしました その3

2007年2月1日(木) 15:15
昨日イチバンのありがとう
[2007-01-06]00:32:13
 友人のみちこさんの書き込みを読みながら、もう一つ書きそびれたことを思い出したので、ベッドから這い出してきました。
 
 昨日、仕事で川崎に行ってきたのだけど、目的の会場の近くの路上で横たわっていた男性がいたので、「大丈夫ですか?ここに寝ていると轢かれちゃいますよ」と声をかけた。
 その男性は日常の光景の一部になっていて、心配して声をかける人はいない。
 私が何度か声をかけた後、冷たい路上に体を横たえていた男性は、目を半ば開き、のどの奥から「ありがとう」と言った。

 人が倒れていたら声をかける、そんな当たり前の行為に対して、「ありがとう」と言わせるこの社会の在り様がどこかずれているとしか、私には思えない。
 社会からのけものにしておいて、その社会に対して、感謝をさせるなんて。
 お詫びしなくちゃならないのは私たちの側なのに。
 ホントのところ、変える必要があるのは、私たちの暮らす社会の在り様そのものなんだと思う。

 ちょっと大げさな表現をすれば、たぶん今必要なのは「価値観の革命」だ。
 人が困っていたら助け合う、嬉しさも、苦しさもひっくるめて分かち合う、そういう考え方が必要なんだと思う。
 私たちは今、そこで苦しんでいる人の肩代わりはできないという限界を見定めながら、それでも、願うような気持ちでその苦しみを少し引き受けていく、実はその営々とした連続性の中にしか、暮らしは成り立たないと思うのだ。

 そして、みんながちょっとずつ大変さを引き受けていけば、「柳の下の幽霊」ではないけど、恐れるに足らないんだと思う。
 
 半年ほど前の夜、関内駅を通行中、立ち並ぶダンボールハウスを、私たちの前を通行中の男性が蹴飛ばしながら歩いていった。こういう光景を見た途端、私は頭の中で「ブチッ」と切れた音を聞いた。
 後ろから、横に並び、「何するんですか。止めて下さい」と声をかけた。
 私のボスが一緒でなかったら、「テメー、何するんじゃ」とその男性の襟首をつかんでいただろう。もちろん、腕力に自信はない。
 私たちが本当に向かう相手は、ダンボールハウスに寝ることを余儀なくされている人ではない。ぬくぬくと自分は安全な場所にいながら、人の痛みを痛みと感じない人間たちだ。
 この昨日イチバンの「ありがとう」をココロに刻みながら、私は私のやり方で人とつながりながら、「対話と共感と分かち合い」という価値観を共有していきたい

対話と共感と分かち合い
[2007-01-03]23:19:31
 仕事が終わってから、昨日は新宿の越年に、今日は湘南台駅の夜回りに行ってきた。
 何と申しましても、新宿は我が居場所。盆暮れはやっぱり顔を出さないと落ち着かない。ホームレスの人たちのいる場所が居場所とは、言語矛盾のような気もするが、そこはご愛嬌!
 とにかく、みんなの顔を見たくて行ってきた。私の父親くらいの男性(もう10年くらいの付き合いになる)から「ババア」と呼びかけられれば、「何だよ、ジジイ」と、知らない人から見れば、ケンカしているのかいな?と思うような言葉もすらすらと出てくる。
 私は日本語と新宿語のバイリンガルになったと思っているが、普段の生活をしている時には使わない言葉も、新宿では使ったりもする。
 善悪はともあれ、「郷に入れば郷に従え」。そこの場所で、そこにいる人たちと仲良くなろうと思ったら、やっぱり、近い言語で、近いテンポで会話をする、これでぐっと距離が縮まる。

 私は本当に新宿で鍛えられたと思う。
 どんな人とでも、話ができるのは、ここで、様々な経験をしてきた人たちからいろんな話を聞かせてもらい、私の引き出しを増やしてもらえたからだと思う。

 昨日は、元パートナーから、現在、彼のやっている活動の記録誌をもらった。とてつもなく、大事な事業で、具体的な人生のやり直しのチャンスを提供している。
 当時から私にも必要性はわかっていたけれど、そこまで踏み込めなかったことを考えるとき、よくここまで続けてきたなあ、と本当に頭が下がる。
 ド修羅場で別れた後、ココロの狭い私は(今日、そのことを話した、後述の男の子から言われたのだなあ)、さすがに一緒の活動をするまでは至らず、そればかりか、実は「うまくなんかいかないさ」と前向きな発言で鳴らした私にしては、究極の呪いの言葉を吐いた。もちろん、本人に向かってではないけれど、ここで懺悔します。

 何はともあれ、今、その事業が、多くの、社会的にのけものにされた人たちと、何とかその状況を変えていこうとする人たちの心のよりどころになっていることについては、とびきり嬉しいし、心からありがたいと思う。
 
 今日はボランティア仲間の男の子に誘われて湘南台駅の夜回りに行ってきた。
 終わってから、お茶を飲みに行って、その彼の就職活動の話などを聞き、また、昨年末に恋人ができた!という、これもまったく嬉しい報告を聞いた。今よりも血気盛んな頃の私の反省なども話しつつ、「あれよ!あれ!銀座のど真ん中に貼ってある、花には水を、妻には愛を」と、付き合い始めたばかりのラブラブな(はずの)二人には、無用の格言を持ち出してみたりもした。ついでに、私もあやかるようにと拝んでみた。
 10歳年下の彼からは、リアルタイムで経験していることや、学んでいること、考えていること、いろいろ聞かせてもらい、へーと思ったり、なるほどと思ったり。今日もなるほどと思ったのは、ファイナルファンタジーは、バーチャルリアリティの世界での「地域通貨」があり、やり直し装置があるということ、そしてレンアイと風俗の違いについて。あくまで、架空の世界のことと、実際に経験すること、出会うことの違いについて、深い話ができて嬉しかった。
 本人が聞いたらゲーッと思うかもしれないが、勝手に2番目の弟と思っている。(実際にも弟がひとりいるので、姉−弟関係はいつものことだし)
 
 そして、今日はもう一つ嬉しいことが。約20歳年下の「女子探検部」仲間から年賀状をもらい、その中に「さっちゃんががんばっていると、私もがんばろうと思って、元気をもらえます」と書いてあった。その言葉はそっくりそのまま彼女と、彼女の妹に返したい。
 大人にもダメダメな時もたくさんあるけれど、でも、その中を生きていかれるし、世の中には、そんなダメダメな自分でも、オッケーと言ってくれる人は必ずいるよ、と伝えていきたい。 もちろん私も、本気になって、聞いて&語っていかれる大人でありたいと思う。

 そんな豊かな気持ちでお風呂に入っていてふと浮かんだ今年の私のテーマは、「対話と共感と分かち合い(シアワセも、重荷もセットで)」。
 これを軸にしながら、仕事も、ボランティアも、レンアイも楽しんでいきたい。
| 私たちの目指したいもう一つの世界 |


子どもの幸せな顔が見たい
[2007-01-03]19:07:04
 あけましておめでとうございます。昨年は子どもを取り巻く社会の状況がクローズアップされた年でした。「お産できる場所がない『お産難民』」、「子どもの虐待」「学校内のいじめ」、「必修科目の未履修」など、気がついたら、こんなにも深刻な状況になっていた、というのが、大方の大人の率直な感想だと思います。
今年は、ぜひとも家庭・学校・地域社会が子どもたちにどのような環境を提供できるのかを意識して一緒に考えて頂きたいと思います。
私は、悩みを抱えた子どもたちのサポートをしたいと学生時代に考えていました。社会人になってからは、仕事で児童虐待防止をテーマに記事を書き、仕事の傍ら、地域の中高生たちと「女子探検部」を結成して、若い子ども達に、親や友達とは違う「ナナメの関係」を経験し、具体的に自分の将来の参考にしてもらえたら嬉しいと思ってきました。
 子どもから見れば、大人たちはすごい存在に思えますが、実は悩んだり、もがいたり、子どもとそんなに変わらない迷いの日々を送っています。そのことを率直に伝えたかったのです。
現在、大人の社会が疲弊しきっていて、子どもたちを支える力をどんどん失っています。いじめも昔からあったけれど、かつてはそれを聞いてくれる大人がいました。今は大人にも余裕がありません。私はその機能を社会的に作っていきたい。代わりに学校に子ども同士・子どもと先生、親、地域の人間関係を調整する「スクールソーシャルワーカー」を配置したいと考えています。
 (07年1月4日号)
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昨日も、今日も新年のご挨拶
[2007-01-02]21:15:38
 昨日は、藤沢市内のお寺などで、着物でご挨拶。(隣は私のボス、阿部知子衆議院議員です。テレビにもよく出演するため、顔を知っている方も増えました)
 
 年末に事務所のほかのスタッフから「着物で挨拶をするというのはどうか?というアイデアが出たものの、私は成人式にも着物を着なかったため、急きょ、実家の母の若かりし頃に作った、超レトロな着物を着てご挨拶となりました。
 「三十路は着物にはまる人も多い」らしいのですが、私自身も着物開眼。洋服だけじゃなく、和にも目を向けていきたいと思いました。

 今日は、街宣カーに乗って、市内あちこちを回りました。
 今年は選挙目白押しの年です。
 ぼやぼやしていられない、と気を引き締めてまいります。
  
| 候補者のまいにち |

過去のブログ文章をアップしました その2

2007年2月1日(木) 15:14
母に感謝をする日
[2007-01-13]09:26:47
 今日は、私の誕生日
 何かの本に書いてあったことがきっかけで、母に「ありがとう 」を言うようになった。

 私は、生まれた時、とてもでっかい赤ん坊だったらしい。今の私よりも小柄な母親が3810グラムの私を生み落とすのは結構難儀だったと思う。

 私は、父親が厳しかったせいで、父には寄り付かず、少しでも母の姿が見えなくなると、ビービー泣いていたらしい。そうだったかなあ、とおぼろげな記憶があるのみで、こそばゆい気持ちがする。
 私の母は元保母で、今でも、当時の子どもから、季節の便りなどもいただくようで、子どもとの付き合いに関しては、我が母ながらピカイチだと思っているが、その子育て力は私と弟の子育てにおいても、如何なく発揮され、私も、弟も、本当にうまく育ててもらったと思う。
 「あなたはかけがえのない大事な人」だということを伝えてもらったことで、自己肯定の根っこが育ったと思う。
 何せ、母の頭の中では、弟はものすごい人格者だし、私はといえば、かなりのおっちょこちょいだけど、いろんな人から可愛がってもらういいヤツってことになっている。

 私が今でも親に感謝し続けていることは、「○○しちゃダメ」と言われたことも、「○○だから〜しなさい」と言われたことも記憶にないことだ。
 「自分を信じ、他人を信じ、自分の思うままに生きよ」というメッセージをひたすら受け続けてきたおかげで、様々な挑戦をし、ステキな人たちと出会い、あちこちに旅をすることができたと思う。すべてのことが叶った訳ではないし、あちゃー、これは手を出さない方がよかったかも、ということも、もちろんあるけれど、それでも、やらないで後悔よりはやって後悔の方がましだ。
 
 「小さくまとまらない」という表現があるが、自分の枠を自ら設定しないことで、出くわしたチャンスは限りないと感じるし、次の世代に、答えは一つじゃないこと、あなたの前には無限のチャンスと出会いが待っているよ、ということを私も伝えていきたい。

 親からも、友達からも、おめでと をたくさんもらって嬉しい。
 幸せの種をたくさんもらい、次の人におすそ分けしていくのが私の役目だ。
| 子ども |

人のご縁ってフシギ★
[2007-01-12]16:30:45
 昨晩とっても嬉しいファックスをいただいた。
 私がお手伝いしたことを喜んで下さった方と、かねてからお世話になっている方が元職場の同僚で、その方から、「ありがとう。彼女も喜んでいたわよ」というファックスを頂いたのだ。
 もちろん私は、お二人が元職場の同僚だなんて知らなかった。ホントに人の縁ってどこでどうつながっているか分からないものだ。

 でも。こういうことって、これまでも経験している。
 「この人面白いなあ」と思って話を進めると、「えーあの人と知り合い?」ってな話がいくつもあったのだ。かつての仕事でも、ボランティア活動でも、その両方にまたがって、という場合もある。こんな広い社会の中で、縁が複合的に重なっていることってあるのだなあ、と妙に感慨深かったりして。

 そんなことがあるものだから、私もなるべく「この人とこの人が出会ったら化学反応が起こって面白いだろうなあ」という人同士を紹介するようにしている。
 そうやって人の縁がつながり、広がり、あちこちにできていくことを想像するとワクワクしてくる。 

 今の社会は、人と人がつながったり、人の喜びを一緒に嬉しがり、人の哀しみを共に受け止める、そういうことができにくいと感じる。
 「自分さえばよければ」と思っている時にはきっといい出会いはやってこないと思うし、人のことを想像し、慮り、他人にもハッピーであってほしいと思っている時に、思いもよらぬいい出会いが訪れるような気がする。
 
 何でも自分の思うようにいく訳じゃなくて、予想外・想定していない出会いに宝物が埋まっていることだってきっとあるんだと思う。
 多くの縁に向かって、自分を開いていきたい。
| 候補者のまいにち |


しゃべれない候補者になっちゃった
[2007-01-12]09:50:42
 10日朝、起きたらイキナリ声が出なくなっていたことは、既に書いたのだけど、一昨日・昨日と夜中に断続的に咳が出て、こりゃさすがにやばいだろう と思い、今朝一番に病院に行ってきた。
 風邪からきた炎症の状態で、声を出したから、結構まずい状況になっているらしい。「しばらくは仕事の時だけに声を出すのは限定した方がいい。家族との会話もなるべく控えた方がいい。その他の場合はメールか筆談で」という、げにおそろしい診断をいただいてしまった。
 ついでにお酒や辛いものも控えた方がよいとのこと。
 声にならない声で、「いつくらいに治るんですか?」と聞いた私に、ドクターは「このまま声を出し続けていたら、治るものも治りませんから。声が潰れることだってありますよ」という泣きそーなことを告げた。

 昨日も、お訪ねしたお宅で、中身の濃い対話ができたのだけど、これで声がもっと出ていたら、と思わずにはいられなかった。

 他に誉められることはあまりない私だけど、声だけは唯一「よく通る」と誉められていたのに、私の声よ、戻っておいでーということで、しばらく声出しは控えながら働かなくちゃ。

 しゃべれない候補者って、翼をもがれた鳥のようなもので、今回は自分の喉の強さを過信したことを海よりも深く反省しています。
| 候補者のまいにち |


人間拡声器故障中
[2007-01-10]23:11:45
 今朝起きたら、声が出なくなっていた。
 1日から、毎日しゃべりまくっていたからなのか、賀詞交換会で、消火器の粉を吸い込んだからなのか、いずれにせよ、しゃべることが生きがいのような私にとってはイタイ。
 活字依存症の私は、読むことも、話すことも、書くことも大好き なのに・・・

 私の上司、阿部議員の選挙のときには「人間拡声器」として活躍したワタシ。選挙期間中、朝8時から夜8時までは、マイクを使えるのだけど、それ以前&以降はナマ声でお話申し上げなければならない。
 候補者の声はたいてい潰れるから、「影武者」「背後霊」のような存在はやっぱり必要なのだ。その時に私自身もありがたやーなのが私の声!
 マイクなしで響く声はかなり重宝がられる。
 
 私自身の最初の選挙の時に、選挙をよく知っている方から「1回のどを潰せば、声が太くなるよ」と言われたが、実際にその通りで、その後のどが強くなったみたい。
 なのに、枯れるとは。トホホ

 対話はエネルギーの交換だと思う。
 たまーに同じような波長やテンションの人と出会って話すと本当に気持ちいい。こういう出会いにはココロから感謝する。
 でも、前に親友に言われたことがある。「元気な時は幸と話していて元気になるけれど、落ち込んでいる時に話すと、自分の元気のなさが辛くなる」なるほど、そっかぁと思って、それ以来はパワー全開にしすぎないように調節に気をつけている。
 
 力任せに歩んできた20代から30代を過ぎて、いろんな気づきがあり(ヒーラー・癒し手の友だちからのアドバイスもあったりして)私の振る舞い方も考えるようになった。
 この間のキューバでも気づきがあったのだけど、先輩たちの胸を借りながら、イキオイに任せて挑戦してきたステージを過ぎて、周囲に配慮しながら、自分を表現するステージにたどり着いた気がする。周りをよーく見回していこう。
| 候補者のまいにち |


子どもの「助けて」を受け止める人を増やそう
[2007-01-07]18:37:58
 成人式、おめでとうございます。
 皆さんの中で、いじめられた経験をお持ちの方はどのくらいいらっしゃいますか?
 最近、結婚情報サービス会社が調査した結果で、びっくりするような結果が出ました。何と今年成人を迎える方たちの約半数が学校や職場でいじめられた経験を持つというものです。しかも、「周囲の大人は何もしてくれない」という訴えは76%にものぼります。
 更に、昨今の家庭内の虐待に関して、児童相談所に寄せられる相談件数の伸びを考えるとき、学校や職場だけでなく、家庭にも居場所がない子どもたちも相当数存在することが予想できます。
 「いじめ」は、私の子ども時代からありましたが、今との最大の違いは子どもの「助けて」を受け止めるはずの大人社会の疲弊だと感じます。
 私は、学校教育や社会教育で、子ども自身が「助けて」と言うことができるように、その方法や技術を伝えていきたいと思います。その一つの方法、「子どもの暴力防止プログラム」は、子ども自身が危機に直面した際に、「いや」「やめて」と誰かに伝えていいということをロールプレイで学びます。
 また、学校に、子ども同士・子どもと先生・親・地域の人間関係を調整する「スクールソーシャルワーカー」を配置したいと思います。他の人に分からないように「閉じた関係」の中で起こる、いじめを解決するためには、誰かが間に入る必要があることは明らかです。
 (07年1月8日号)

過去のブログ文章をアップしました その1

2007年2月1日(木) 14:52
人間拡声器バージョンアップ中
[2007-01-19]08:46:41
 長かった!声の出ない日々。一週間なんて、まったく信じられない。「ハスキーな声」なんてものを通り越して、ホントに声が枯れたという感じでした 。

 今日から朝のひとり駅立ちも再開して、と。
 最初は、さすがにひとりでやるのはちょっと勇気が要ったけれど、最近では、駅などに立っていると、顔見知りの方に遭遇する率も高しで、ちょっと楽しい
 ご挨拶をしていると、たまーに「がんばってね」と見知らぬ方に声をかけて頂いたりもして、私の方が驚くやら、嬉しいやら。本当にありがとうございます
 
 更に最近では、私が夕ゴハンを作る余裕がないことがわかり、あちこちのお宅にお呼ばれして夕ゴハン を食べさせていただいたり、(一昨日はスタミナ鍋、昨日はロールキャベツ!)昨日は激ウマのかりんシロップをいただいて、何しろ応援の気持ちをいただき通しで、ありがたく思っている。

 政治家の仕事ってストレスが多いと思われている。もちろん、そうには違いない。
 復党問題の直後に倒れられた平沼赳夫さんも、きっとストレスフルだったんだろうなあ、と推測する。
 権力の座から「降りる」ってことが、どれほど周囲との摩擦を生じさせるかは、想像に難くない。
 
 だけど、自分がどこに依拠し、誰と手をつなぎ、何を目的に働くのかという軸をしっかりと据えて仕事をすれば、きっと豊かな関係をあちこちでいただけると思うのだ。
 
 私が目指すのは「ソーシャルワーカー系の政治家」。
 一人ひとりの抱えているテーマを一緒に担い、その人自身が解決への道筋を歩んでいけるように伴走しつつ、個別のテーマを超えて手を組む必要のある時は、積極的に人と人、人と社会(地域)資源、組織と組織などをつないで回り、社会的にもアピールしていく、そんな「すき間」が私の活動領域だと思っている。
| 候補者のまいにち |

私の身に起こることから何を読み取るか?
[2007-01-15]13:20:22
 声が出なくなって5日目。だんだんにはよくなってきたのだけど、まあ、何と言うか一進一退を繰り返している。
 原因は分かっている。毎晩、咳が出てしまい 、寝ているんだか寝ていないんだか、毎晩布団に入って3秒で熟睡という私のいつもとは異なる状況が続いているからだ。
 体力が回復しないところで、毎日仕事に出て行くのだから無理もない。外せないスケジュールばかりなので、無理してでも、という気持ちで毎日を過ごしている。

 そんなめげそうになる状況、しかも他の候補者の方々も軒並み活動を始めた最近、焦らないかといえば、そりゃ、やばいなあと思う。
 以前の私だったら、きっと今よりもっとジタバタしていただろう。
 
 けれども、今は咳が続いて寝られないことも、声が出ないことも、しっかり受け止めようと腹をくくっている。
 体の不調も、気持ちの揺れも、ないことにしたり(できないけど)、臭いものに蓋をすんじゃなくて、そこから、どんなメッセージが発せられているのか、受け止めながら、いきたいな。
 
 私は今、これまでよりずっと自分の体とココロを信じ 、仲間たちや支援してくださる人たちを信じている 。
  昨年1年はホントに多くの出会いがあって、いろんな思いや願いや生き様を背負わせてもらった。
 私の器ではまだ至らないことも多いけれど、「がんばれよ」と声をかけてくださる人たち、「今のままじゃ生きていかれん」と思っている人たちとがっちり手を組んで、「対話と共感と分かち合い」を基礎に据えた社会システムにしていきたいと強く願っている。
 
 声と体力が戻ったら、またたくさんの人と出会っていきたい。待っててくださいね。
| 候補者のまいにち |

戦争の「正義」や「大義」に騙されない
[2007-01-15]09:39:16
 戦争や暴力をなくすためにどうしたらよいのかを考える時、いつも「誰がこの戦争で得して、誰が損しているのか」を頭に思い浮かべる。
 言うまでもなく損しているのは、私たち市民に決まっている。でも、戦争の本当の姿を知らないがゆえに、騙され、巻き込まれ、対立させられ、傷つき、命を失い、正気を逸し、戦場に送られ、自爆し、飢え死にしなくちゃならない。
 本当に不公平だと思う。
 
 今、私たちの国、日本はアメリカの求めに応じ、着々と戦争をするためのレールを歩んでいる。押し寄せるアメリカの軍事基地、スケジュールに上った憲法カイセイ、防衛庁の省への昇格など、子どもの教育への「愛国心」の介入などいくつもの断片をつなぎ合わせた時に全体が見えてくる。日本は実は戦争の被害者になる可能性よりも、加害者になる可能性が高いのではないかと感じる。
 
 世界中のあちこちに出向き、戦争を仕掛けているアメリカのブッシュ政権は、いまや国内でも、国外でも支持されなくなりつつある。自国民の命や未来を浪費し、他国民の命と営々と続いてきた暮らしを奪い続けるブッシュ大統領こそ戦争犯罪人と呼ぶにふさわしい。
 戦争や抑圧を支持する人間こそ、最もそれらと無縁の場所でぬくぬくと生きている存在であること、戦争の「正義」や「大儀」を振りかざす人間は、決してそれらのために身を投げ出すことはないことに私たち市民は今こそ気づかなければならないと思う。
 
 世界の変化は早い。
アメリカの一国支配には屈しないという政権が南米で続々と誕生し、南米圏域のみならず、アジアの国々とも連帯的な経済関係を結ぼうとしている現在、私たちの国日本も、アメリカによる支配を脱するための模索が必要だと思う。

 (平和の白いリボン行動・藤沢 1月13日のチラシ)
| 騙されない |

ココロザシ高く働く私たちの必読本★
[2007-01-14]20:52:25
 活字依存症の私は、仕事帰りに本屋さんにちょこっと立ち寄るのが何よりの楽しみ。余談だけど、今住んでいる湘南台という駅だって、当初「有隣堂」という本屋さんが駅前にあったから、帰りに立ち寄れる と思って、アパートを決めたくらい(なのに、私が引っ越してから間もなく、そこはパチンコやさんになってしまい、号泣したものだった 。

 今日も仕事帰りに、駅ソバの本屋さんに立ち寄ったところ、あるじゃないですか!?藤巻幸夫さんの新刊が!!ソッコーで購入して、帰りの電車の中で読んできた。
 藤巻さんを最初に知ったのは、「日経ウーマン」連載中だったからなんだけど、藤巻さんの感性スキと思って、たまたま本屋で目にして買ったのが「チームリーダーの教科書」(インデックス・コミュニケーションズ)だった。あまりによかったから、長野の実家にいる、薪ストーブの会社で働く弟(いい仕事をしたいと思っている30歳。ちなみに独身です )にも、この本をあげた。

 特に私は最後の部分で、チームリーダーはスマートにやっているように見えるけれど、ホントは泥臭い部分がたくさんあるんだということを包み隠さず書いてあったところがよかった。ちょうど私も、グループで大きな仕事を成し遂げるために私はどう振舞ったらいいだろうか、と考えるところがあったので、大いに参考にさせていただいた。

 私はルポルタージュやノンフィクション、そして小説も好きだけど、昔から生き方や働き方に関する本も好きで読んでいた。かつてセーラー服を着ていた高校時代から、ビジネスパーソンが読む「知的生きかた文庫」(三笠書房)などを読んでいて、スマイルズの「自己実現の方法」とか、シュラーの「信念」とか読んでいたのだ。
 今、その姿を想像すると、ミスマッチぶりに我ながらクスクス笑ってしまうけど。
 いずれにしても、言葉の持つ力=コトダマパワーを感じながら育ってきたんだと思う。
 しかも、書物に残るということは、各々の本が多くの人のフィルターを通過して、磨かれ、より本質的になったエッセンスが詰め込まれているから、時空を超えて、多くの人と対話・交流・交換できるのだ。
 
 さて、今日購入したのは「人脈の教科書」インデックス・コミュニケーションズ)というタイトル。この本のいいところは、真髄がシンプルな言葉で、図解入りで書かれているところ。私はかねてより、難しいことを難しく言えるのは、まんまだけど、難しいことを、いかにも分かりやすく、しかも興味を引くように語れる人こそ、スゴイ人なんだと思ってきた。しかも、それができるようになるためには、数々の出会いと経験と試行錯誤を重ねるしかない。あとから振り返って、ああ、そういうことかと胸にストンと落ちるものの、きっと当時は必死だったと思う。その必死さや真剣さが、私たち後に続く者にとっては、イチバンの教科書なんだ。
 
 私も、前の「福祉新聞」でも、本当にありがたい人のつながりを頂いてきた。
 以下の文章は「全日本手をつなぐ育成会」という知的障がいのある親御さんのグループの機関誌「手をつなぐ」(03年6月号)に書いた文章。特集「支援の届かない人に」で原稿依頼を受け、書きました。私の文章のタイトルは「ヒトゴトと片づけない想像力がイノチ−必要なら自分でつくっちゃえ!」で、内容は、私たちの野宿者女性の会「心を開く輪」についてです。
 「人のつながり」で私がイメージすることはこんなことです。

 サポートの必要度の高い人を支えることはとても難しいけれど、無我夢中で動き回った後にはありがたいことに確実に人との縁が深まり、自分の経験値が高まっています。(中略)
 排除と暴力の吹き荒れる荒涼とした時代に突入してしまいましたが、今こそ必要なのが、想像力に基づいた人のつながりだと強く感じています。これまで個別のテーマで手をつないでいた人同士、更に手を伸ばして、今の社会システムのどこをどう組み替えていけばよいのか、もっと連帯していきましょう!
 私は、もっとも中心から離れたところに身を置く人とそのサポーターこそが、そのリアルさと切実さゆえにシステムを変えるキーパーソンになりえると信じています。 
  | 働くオンナのつぶやき |




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