5月3日、憲法記念日、昼間街宣をし、夜はNHKのETV特集「いま憲法25条、生存権を考える」を見た。
私も愛読している評論家の内橋克人さんと、昨年末からの年越し派遣村で一躍時の人になった湯浅誠さんの対談。期待に違わぬ濃い内容だった。
95年から渋谷で野宿者支援をしてきた湯浅さんは「昨年の秋から始まったことじゃない。このままじゃ社会がもたない」と言っていたがまさにその通りで、生存権についての議論を中途半端にしてきてしまったために、結局のところ何が「命を守る基礎的な要素」なのかが不明確なままきている。
そしてこの10年あまり。「自己責任」と「自助努力」のみが強調されて、更に生きにくくなってしまった。働く人一人ひとりを「労働者」ではなく、「労働力」として扱ってきたのは、長い目で見れば弊害を生むだろう。熟練の労働者にも、消費者にもなれず、更に結婚格差まで生み出している現状は放置してはならない、と思う。
「貧困」が自己責任ではなく、「社会的構造」から引き起こされていることにもっと注目していかなければならないのではないか。
11年間で30万人以上の人が自ら命を絶つ状況を作り出し、放置してきたツケはあまりにも重い。
社会福祉を市場原理に叩き込んでしまったために、貧しい高齢者を支える基盤はどんどん削られ、「老後の沙汰も、命の沙汰も金次第」にしてしまった私たちの社会の責任は償いきれない。
湯浅さんが番組の最後にとても面白い発言をしていた。「世の中おかしいと思った時、変える回路がない」から、「活動家を作る学校」をこれからスタートさせるというのだ。アジア太平洋資料センターの「社会にモノ言うはじめの一歩 活動家一丁あがり」がそれ。
http://www.parc-jp.org/freeschool/2009/kouza/kouza_27.html
残念ながら締め切りは過ぎてしまっているが、私の仲間がこの企画に参加していて、受講者にはなかなか面白いメンツが集まっているよ、と言っていた。中には「もう一丁あがっているだろう」人も申し込んできたらしい。
なんかすごくその気持ち分かるなあ。70年安保世代が躓き、その後社会運動がなかなか盛り上がらない時期が続いたように感じる。
私も東京の山谷地域で、日雇い労働者向けの食堂で皿洗いボランティアをした93年、初めて「活動家」という人たちと出会って、本当に大変だなあと感じた。運動を続けるために自分自身も日雇い労働をして食い扶持を稼いでいたのだ。
私は結局その後、大学を卒業してから就職をして、働きながら山谷や新宿にボランティアという立場で通ってきたのだけど、確かに非凡な人たちは周囲に大勢いた。
「活動家」で食べていかれる時代になるといいなあ、と私も思っていた。
私はそこまでの力量はないけれど、いつか「活動家系政治家」になりたいな、と思っている。 問題の根本要因を割り出し、その場所で生きる人たちと共に生きやすくなるための「居場所」と「役割」を作っていきたい。必要があれば社会に働きかけるし、問題を共有する人やグループと連携をする、そんな回路になりたいと思う。