ラララ!同志社2008-04-11 15:16:58
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ボンジュール!サバ?
昨日は母校同志社に行きました。そして明徳館地下の生協食堂でランチを食べました。雨がちょっとぱらついていました。写真は工事が終わったクラーク館です。英文学科の学生だった私のゼミの教室はこのクラーク館。懐かしいし、伝統がある建物は立派ですね。
ちょっと昔の記憶が甦りました。。。。。
さて、私とフランス語の出会いは、この英文学科生の時でした。
(伏線としては、高校生時代にハマった太宰治の小説でしょうか。彼は東大仏文でした。(かっこいい!)がしかし、同志社には英文しか無い、でも、まあ海外の文学を勉強したいので、いいかという感じ)その当時の私はあまちゃんだったので、まあテストや単位の為の英語としか捉えておらず、英語を喋るなどどいうことは頭にありませんでした。また外国人も今のように沢山いませんでしたので、使う機会もあまりありませんでした。
当時の英文学科には、第二外国語が必須科目で3年間ありました。
が、しかし1年目に落としてしまった私は、あとの3年間、留年の恐怖と戦いながらフランス語を勉強しなければならなくなったのです。代替科目としてラテン語もありましたが、フランス語ができない人にラテン語は無理でした。先ず発音、そして男性名詞、女性名詞。こんがらがっていました。
しかし、頑張った甲斐あってか何とか4回生へ。
そこに待っていた講義は『仏書購読』というもので、仏文学を読むというのですが、(あまり記憶が薄れているので確かではありませんが、日本語で読んでも可だったように思う。)、当てられた人が、毎回調べて来て、ストーリーや解説をするというものでした。出席するだけなら、とても楽しい講義でしたが、それがいざ自分に番が廻ってくると、ちょっと重たかったのでした。当時の学生は(私も含めて)ちょっと冷めていたと感じていたのでしたが、この講義のとき、ある文学に対して学生同士が解釈をめぐって激論を交わしていたこともあり、そんな時はやさしそうな教授が『まあまあ』なあんてこともありました。
私も2度ほど順番が廻ってきました。一度目は『メグレ警視シリーズ』。これは何とかクリア!
しかし次に巡ってきたのは何と!パスカルのパンセだったのです。(汗)これは困りました。22才の私は日本語で読んでも全く理解出来ませんでした。理解出来ないものが、解説などとんでもない。。。。
その日は欠席してしまいました。先生あのときはごめんなさい。
その後の記憶は曖昧ですが、先生のご配慮で単位を頂き、なんとか卒業いたしました。!
今日、その先生のことを思い出し、検索してみました。(先生はお元気かなあ。。)
ネットで調べたところ、先生はご健在で同志社にいらっしゃるようです。またこんな本もお出しになられていました。
ムーミンパパの「手帖」―トーベ・ヤンソンとムーミンの世界
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東 宏治
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