ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 東京カフェブロ編

ロンドンで怠惰な生活を送っていましたが、現在は帰国。引き続き怠惰な生活を送りながら、欧州・日本の政治・社会事情を経済的視点から解説。また、レストラン紹介や旅行の記事もしばしばのせています。 当ブログでは「ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ」と「小さな政府を語ろう」から、ぜひ読んでいただきたい記事を転載していきます。

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名前で人生は決まる??

2012年5月24日(木) 05:50
イギリスにはEurovision song contestというのがある。正確にはイギリスではない。ユーロ圏にはということか。各国の代表が出てきて歌を歌って視聴者が投票してどの国が一位かを決める番組だ。まあ、よく分からないながらもイギリスに居るときは何回か見たことがある。

いつも紹介するStumbling and Mumblingというブログを見ているとその番組に触れながら、最初と最後の演技者が勝つことが多いと書いてあった。まあ、そりゃあ、最初と最後が印象に残りやすいから当然かなと思い読み進めるとさらに興味深いことが書いてあったので引用する。

Ordering effects, luck & rationality

Alphabetic ordering effects exist in the 1977 2011 Irish general elections. The effect is significant, in both a statistical and substantive sense. The estimated effect of being listed first on an alphabetical ballot paper in an Irish general election is approximately 544 first preference votes or 1.27 percentage points for the average candidate.



This corroborates findings from the US (pdf) and Australia (pdf) .

1977年から2011年のアイルランドの選挙においてアルファベット効果は存在した。その効果は統計的にも実質的にも非常に大きい。アイルランドの選挙において最初のアルファベット順で掲載された候補者は1.27%ほど他の候補者よりも多く得票した。同様の事実はアメリカやオーストラリアでも観察される。

また、本文内にあるが、同様の内容は選挙のみならずサッカー選手その他にも見られるという。

ここでは、もちろんどういった選挙制度がいいかという議論はしない。僕自身はあまりそういったことに興味がないからだ。

それ以上に重要なのは人生ってのは努力その他と同等にやはり運が重要だということだろう。この前も友達と話していて苗字が「あ」で始まるとなんでも最初に当たることが多いから大変だったとか、逆に後ろのほうだとそれはそれでいやだったとか。そういった話で盛り上がったことがあった。

そういったことがその人間の人格や性格の形成に影響を与える可能性もあるだろう。名字を人間は選べないがそういったことがその人の人生に実は大きな影響を及ぼすということだ。

だからといってどうすることもない?外見やIQ・性格など人間はいろんなコントロールできない不平等を背負って人間は生まれてくるからだ。

まあ、リベラルに言わせればそんな不平等には課税しなさいとなるのだろうか?所得の不平等はやたら叫ぶし相続税を増やせなどという意見は熱心に主張するが、こういった事実には黙ってしまうリベラルな政治家というのはいつも不思議だと思う。機会の平等を実現するために名字に課税しようと提案してほしいものだ。

あ・・・。なんだか話がづれた・・・。人生にはいたるところに不平等のタネがあることだけは間違いないようだ。









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ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ

当記事は上記ブログからの転載です。
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結婚の意味の変化と同性婚 経済学的な考察

2012年5月23日(水) 05:47
オバマが同性婚を支持すると主張してこの議論が若干高まったようだ。

同性婚とは何だろうか?いや、そもそも結婚とはなんだろうか?ということを考えねばならないだろう。

結婚の経済学ってやつだ。まあ、ご存知の方も多いだろう。

ノーベル賞を受賞したシカゴ大学のベッカーによると結婚とは「男女がそれぞれの得意分野に特化して生産性を高める行為」である。

たしかに、特に家事が重労働であった時代はそうだっただろう。あるいは外での仕事というものがより体力が必要であった時代はそうであったことは間違いない。結婚して女性が家事に特化し男性が仕事に特化するのは非常に効率的なあり方であったはずだ。文化や伝統・社会のあり方の背景には必ず合理的理由が存在すると考えるならば、当然のことである。

もちろん、時代や国によっては女性がさらに仕事も手伝うということもあっただろうけど。

現代においてはどうか?

家電製品の発達によって、家事はそれほど重労働でなくなった。男でも誰でもそんなに苦労せずにできる仕事の一つである。また、特に日本などそうだが外食産業の異常な発達で安くておいしい食事を気軽に外で食べることもできる。家で食事を作ることの価値は現代においてはそれほど高くない。

仕事という面を見るとどうだろうか?

製造業や建設業・農業といった重労働が必要な仕事はかなり減った。また情報技術の発達によって、在宅でも仕事を行うことも不可能ではない。(欧米の企業では結構自宅から会社のPCに接続して仕事というのがあるようだ)
一般的により体力がない女性が働くことへのハードルは遥かに下がっているのは疑いのない事実だろう。

まあ、子育てだけはこれは今も昔も変わらぬ重労働だろう。この部分だけが、女性がより家庭の仕事を行うという傾向を生み出しているのではないだろうか?他の部分においてはかつてベッカーの説いたような「特化」のメリットは相当薄まっているように感じる。

とすると、結婚のメリットはかなり小さいということになる。合併(結婚)によるシナジー効果は現代においては少ない。経営学風に言えばこんな感じだろうか?だから、晩婚化が世界中の先進国で進んでいるのだろう。一方で、結婚しなくても一緒に住むと言う行為はより一般的になっている。また離婚が増えている。要は結婚とはお互いがお互いの仕事に特化して生産性を高めるため、より豊かになるために嫌でも一緒にやっていかねばならないものではなく。一緒にいたいという相手と一緒にいることを約束する契約という側面が強まっているのだろう。l

結婚のあり方というのは今大きく変わろうとしているのかもしれない。そういえば、昔は上流階級においては結婚は政略の重要な手段であった。今もそういうのはあるが薄くなっている。時代や地域・階級によって結婚の意味というのは変わってきている。我々は大きな岐路に立っているのかもしれない。

だから、同性婚の議論というのは実はそういった結婚という行為の意味合いの変化とともに捉えて議論すべきなのかなあと思ったりもする次第である。同性婚は男女の「特化」においてはあまりメリットがないだろう。しかし、結婚とは一緒に居るべき相手を見つける行為であるとするならば多い意味があることかもしれないし、これを容認することに意味があるだろう。


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