オバマが同性婚を支持すると主張してこの議論が若干高まったようだ。
同性婚とは何だろうか?いや、そもそも結婚とはなんだろうか?ということを考えねばならないだろう。
結婚の経済学ってやつだ。まあ、ご存知の方も多いだろう。
ノーベル賞を受賞したシカゴ大学のベッカーによると結婚とは「男女がそれぞれの得意分野に特化して生産性を高める行為」である。
たしかに、特に家事が重労働であった時代はそうだっただろう。あるいは外での仕事というものがより体力が必要であった時代はそうであったことは間違いない。結婚して女性が家事に特化し男性が仕事に特化するのは非常に効率的なあり方であったはずだ。文化や伝統・社会のあり方の背景には必ず合理的理由が存在すると考えるならば、当然のことである。
もちろん、時代や国によっては女性がさらに仕事も手伝うということもあっただろうけど。
現代においてはどうか?
家電製品の発達によって、家事はそれほど重労働でなくなった。男でも誰でもそんなに苦労せずにできる仕事の一つである。また、特に日本などそうだが外食産業の異常な発達で安くておいしい食事を気軽に外で食べることもできる。家で食事を作ることの価値は現代においてはそれほど高くない。
仕事という面を見るとどうだろうか?
製造業や建設業・農業といった重労働が必要な仕事はかなり減った。また情報技術の発達によって、在宅でも仕事を行うことも不可能ではない。(欧米の企業では結構自宅から会社のPCに接続して仕事というのがあるようだ)
一般的により体力がない女性が働くことへのハードルは遥かに下がっているのは疑いのない事実だろう。
まあ、子育てだけはこれは今も昔も変わらぬ重労働だろう。この部分だけが、女性がより家庭の仕事を行うという傾向を生み出しているのではないだろうか?他の部分においてはかつてベッカーの説いたような「特化」のメリットは相当薄まっているように感じる。
とすると、結婚のメリットはかなり小さいということになる。合併(結婚)によるシナジー効果は現代においては少ない。経営学風に言えばこんな感じだろうか?だから、晩婚化が世界中の先進国で進んでいるのだろう。一方で、結婚しなくても一緒に住むと言う行為はより一般的になっている。また離婚が増えている。要は結婚とはお互いがお互いの仕事に特化して生産性を高めるため、より豊かになるために嫌でも一緒にやっていかねばならないものではなく。一緒にいたいという相手と一緒にいることを約束する契約という側面が強まっているのだろう。l
結婚のあり方というのは今大きく変わろうとしているのかもしれない。そういえば、昔は上流階級においては結婚は政略の重要な手段であった。今もそういうのはあるが薄くなっている。時代や地域・階級によって結婚の意味というのは変わってきている。我々は大きな岐路に立っているのかもしれない。
だから、同性婚の議論というのは実はそういった結婚という行為の意味合いの変化とともに捉えて議論すべきなのかなあと思ったりもする次第である。同性婚は男女の「特化」においてはあまりメリットがないだろう。しかし、結婚とは一緒に居るべき相手を見つける行為であるとするならば多い意味があることかもしれないし、これを容認することに意味があるだろう。
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