ドラゴンズファンの夫には悪いけど、
ヒルマン監督、よくやった!!!
私が今日行ったキリスト教書店の入り口のガラスには、
「おめでとう日本一」の手書きPOPと
今日発行(タイムリー!)の
ヒルマン監督インタビュー記事が貼ってあった。
あれだけ個性派ぞろいの選手たちをまとめるために、
個人的なコミュニケーションに力を入れてたそうだ。
一人ひとりの選手たちが「自分は必要とされている」ということを
実感しながらプレイできることが大切だと、述べていた。
これは聖書の教えにも通じるものがあると感じた。
一人ひとりの選手が自分は必要とされていると感じていたから、
あれだけ力を発揮できたのだろうし、
きっと他の選手もチームに必要な存在だということを監督から教えられ、
あれだけ互いに尊敬し合い、団結できたんだろう。
落合監督はセリーグでの優勝のときに選手に「ありがとう」と言っていたけど、良く考えたらあれは違うんじゃないの?自分が戦いの中心にいたと思っていたから出た言葉でしょ?でも本当には、戦いの中心にいたのは選手たちだし、主役は選手たちだよ。
「監督」っていうと、上から物を言うエライ人って感じがしちゃうけど、
ヒルマン監督はきっと自分を「監督」とは思わずに、監督の英訳である「マネージャー」という意識を持っていたのだと思う。英語圏の人だから当然だけど。マネージャーと言うと、チームをまとめる役割、っていう感じがする。監督とはニュアンスが全然ちがう。
監督かマネージャーか、という違いだけじゃなくて、やはり彼の根底には「互いに愛し合い、赦し合いなさい」という聖書の教えが流れているのだな、と思う。
その記事でヒルマン監督が引用していた聖書の箇所は、第一コリント13章13節。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
だった。
そして記事の最後で彼が読者に伝えたかったメッセージは、「クリスマスは家族とすごしましょう」ということだった。ヒルマン監督も、クリスマスを家族と過ごすために、家族の待つアメリカに帰るそうだ。
クリスマスかあ。もうすぐクリスマス。クリスチャンは教会の行事や何かで、ものすごく忙しくなる時期。本来のクリスマスの意味さえ忘れがちになりそう。街は11月に入ればデパートやファッションビルや街路樹がクリスマスの飾りつけを始める。毎年飾りつけの規模が大きくなるにつれ、街を歩くときの心はむなしくなる。中身のなさが逆に露呈されてしまう。
今年はどんなに忙しくても、世界で最初のクリスマスのことに思いを馳せ続けよう。汚い馬小屋ですやすや眠っているイエスさまと、親になりたての初々しいヨセフとマリア。そのようすを見つめる貧しい羊飼いの少年たちと、馬小屋の馬たち。ろうそくの1,2本くらいあったのだろうか。薄暗くて静かな夜。現代のクリスマスとは似ても似つかない本物のクリスマス。世界で最初のクリスマス

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