小さい頃、家の庭にイチジクの苗を植えました。
実のないイチジクの苗は、味気のないただの木。
それでもそこに美味しいイチジクの実がなることを知っている私は、水をやり、声をかけ、その日がくるのを今か今かと待ちわびていました。
1年がたちました。
2年がたちました。
イチジクの実は、姿を現しません。
もうだめじゃない?
木を倒してしまおう。
家族の間でそんな相談が交わされ、それでも何となくかわいそうだということで放っておかれたまま、だんだんと誰にも注目されなくなりました。
数年の月日がたちました。
ある日突然、その木に小さなイチジクの実がなりました。
お店で売られているもののように立派な見栄えではないけれど、イチジクの実に間違いはありません。
とって食べてみると、なんとも素朴で、深い味のする、今まで食べたこともない味でした。
あのとき木を倒してしまわなくて良かったと、心から思ったのでした。
「あなた」という木には、いったいどのような実がなるのでしょう。
その実は甘いのか、すっぱいのか、おいしいのか、まずいのか、どんな味がするのでしょう。
あなたの木にできる実の味は、他のどの木にも出すことができない、特別な味です。
その実がなるまで、あなたの木を切り倒してはいけません。
何年かかっても、何十年かかっても、あなたの枝に実がなるときは必ずくるのです。
その日を辛抱強く待って、水をやり、声をかけ、雨や嵐を乗り越え、地面に強く根をはらしていかなければなりません。
あなたにしか出せないその味にであうために、苦しいことも、悲しいことも、歯を食いしばって耐えながら、いつか真っ青な空の下で、おいしい実のなる日がくることをどうか待ち続けてください。「あなた」という特別な味にであうその日まで、どうかあきらめないでください。
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