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本しゃべりずむ

『情事の終わり』

2007-04-25 02:34:12


『情事の終わり』決して確固たる無神論者ではないけれど、所謂無宗教の私がこの「神は存在するのか?」をテーマにしたこの恋愛小説を再度手に取り、読み込んだのには理由がある。

先々週かな?お世話になっている書籍編集者C氏との会食の際、「『ナイロビの蜂』の著者ル・カレや、『第三の男』のグレアム・グリーンの作風は、キリスト教社会の中に意識を飛び込ませないと、読んで理解したつもリでも絶対に理解出来ない」という興味深い話を耳にしたからである。

確かに一理ある。でも、それを言っちゃあ何だってそうではないか?例えて極端な事を言ってしまえば、子供の頃に読んだ『白鳥の湖』や『眠りの森の美女』なんかは、正義や恋愛が大きなテーマであるが、子供の頃の私に「何が正義か」「恋愛すると云う事はのような気もちであるか」は経験していなかったし、当然理解もしていなかった。でも、楽しめた。私が思うに、重要なのはこんなところなのではないだろうか?勿論、過去読んだ作品に付いて、思い出してみたり再読したりと、深く掘り下げるチャンスがひょっこりやって来るかもしれない。。。私にとって、丁度この本を再度手にとる機会に会ったのかもしれないし、実は何よりも魂のうち震える恋愛ものを妙に読みたかった。



何年か前に同名のタイトルで映画化されたときは確か、レイフ・ファインズ主演だったような???内容をアマゾンから転用すると

私たちの愛が尽きたとき、残ったのはあなただけでした。彼にも私にも、そうでした―。中年の作家ベンドリクスと高級官吏の妻サラァの激しい恋が、始めと終りのある“情事”へと変貌したとき、“あなた”は出現した。“あなた”はいったい何者なのか。そして、二人の運命は…。絶妙の手法と構成を駆使して、不可思議な愛のパラドクスを描き、カトリック信仰の本質に迫る著者の代表作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
グリーン,グレアム
1904‐1991。イギリスの教育者の家庭に生れる。大学卒業後、カトリックの学生と結婚して改宗。ジャーナリストなどを経て、’29年処女長篇となる『内なる私』を発表。’40年、政治権力と宗教の対立を描いた『権力と栄光』で作家としての地位を築く。’51年に発表された『情事の終り』は彼の名声を全世界的なものとした

本当に、不思議。読む度にこうも印象が変わる本って、滅多に無い。
最初に読んだ時、しっとりとしたラブロマンスのように感じ、主人公のベンドリクスやサラァに感情移入して読んだのだが、今回はその気になれなかった。うーん。読み時って、ほんとにあるのだ。。。今度は、いつこの本を手に取るのかな?


『石川くん』

2007-04-20 14:56:42


ここんとこ、ずっとバッグに入れて繰り返し読んでいる『石川くん』不思議な不思議な縁で、私の手元にやって来た本である。



この不思議な縁について、うまく書けるかどうか判らないけど、ここでご紹介すると、以前、私はこのブログで『結婚失格』なる本の感想を書いたのだが、何日かして急に、とあるリンクページから大量に、このブログを見ている人たちに気がついた。調べてみたら『結婚失格』の著者、枡野浩一さんのプライベートページからだった。制限を書けていらっしゃるため、その内容は判らずじまいだったが、とにかく、ここから人が大挙してくると云う事は、この『耽溺読書の時間』について、何かしらの事が書いてあると云う事である。

あの記事は、絶賛するでも批評するでも無く、ただただ淡々と私自身の経験と併せて読んだ事やそこからくるモヤモヤを抱えた事なども書いていたので「もしかして、お気を悪くさせてしまったかしら?」と、お詫びのメッセージを送ったところ、逆に「嬉しかった」との、私も嬉しいメールを下さった。

それから、また他の縁もあり、私の「ピンと来た!」もあり、この前晴れて枡野氏にお目にかかる事が実現したのである。更にその時に伺った新刊本『石川くん』を後日、お送りいただいた。と、こんな不思議な縁で私の手元に来て、以来気がつけばページをめくってしまう可愛らしい本なのです。

「笑い」という中には、クスクス、あはは、わっはっは等沢山あるが、この本は「クスクス」と「あはは」がいっぱい詰まっている。内容をアマゾンから転用すると

啄木の短歌は、とんでもない!(談・糸井重里)
親孝行や働き者のイメージは間違いだった!? お金大好き、働くの嫌い。借金大王で、女ったらし。そんな「石川くん」の本当の姿をユーモラスに描いたエッセイ集。啄木短歌、衝撃の現代語訳つき。

以上である。
石川啄木というと、教科書で「働けども働けども。。。」の歌を読んだ事以外、さして私の記憶に残っていなかったし、興味を覚える人物ではなかった。それに、勝手な想像であるが「教科書に出ているくらいなら素晴らしい人物なのであろう」なんて思っていた。なのに、この本を読んでみると、とんでもない駄目人間である。そんな石川くんに書かれた枡野氏の意地悪なコメントも面白い。ものすごーくハマる1冊である。ま、意地悪といっても、相手を貶めるタイプのものでなく、わざと好きな子に意地悪しちゃう小学生のような意地悪が可愛らしい。愛情溢れる気持ちで書いているのが判るから、好ましいのである。本書の中で紹介されている石川啄木の文献や日記も読みたくなってしまうのである。

「笑い」以外の事を書いてしまうと、所謂「だめんず」な私は、あまりに自分勝手でダメな石川くんと過去私に関わった「だめんず」を重ね、みんなが笑って読める箇所でも、つい泣けてくるのであるが。。。文庫なのでポケットに入れて、おりにふれて楽しんで欲しい、お薦めの1冊である。

『ガルシア・マルケスに葬られた女』

2007-04-15 23:39:16
ここんとこ、とんとブログの更新をサボってしまっていますが、こういったサボリ癖はいけません。日々、読んだ本について「こんなこと書きたいなぁ」と思う瞬間が、何冊分もたまってくると、自分の頭の中だけでもまとまらなくなってしまうから。。。

で、これまでのブログ更新のお休み中に読んだ本の中で、何故この『ガルシア・マルケスに葬られた女』を選んだかというと、何となく最近私が思っている事のもやもやを誘発した本だから。もやもやと云うのは、以前まだ私が某男性向け雑誌でデート・マニュアルのような記事を書いていた時、友人が特別に教えてくれたお気に入りの店を出してしまって、非常に不愉快な思いをさせてしまった事の悔いが残っているのだと思う。

友人は「モノを書く人にとっては、そんな思いもネタになっているんだね」と苦言を呈された。もう何年も前の事なのに、あの時の申し訳ない気持ちは、まだ私の中で鮮度を失わずに残っているし、消したくないと思うのだ。



この『ガルシア・マルケスに葬られた女』をアマゾンから転用するとこうである。

第3回開高健賞受賞作家、受賞後第一作。
『予告された殺人の記録』のモデル、マルガリータは、処女でなかったとの理由で実家に返され、実兄は彼女の昔の恋人を殺害した。著者はコロンビア取材を敢行し、彼女を巡る様々な謎に迫る。

また、ここでベースになっている『予告された殺人の記録』の内容も、アマゾンから転用すると下記のとおり。

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。



もともと、マルケス文学がとても好きで、中でも特に『予告された殺人の記録』は、1番好きな作品である。そんな中、先月書店で見かけて思わず買ってしまった、この本。驚いた。不勉強な私は、完全にフィクションだと思って『予告された。。。』を読んでいたのに、この本の内容自体が、ほぼノンフィクションなのだと云う事。それと、モデルにされてしまった女性が、その為に後の人生を狂わされてしまった事が、如実に記されていた。

とても興味深く、一気に読んだ。そして作家というクリエイティブな職業に必要なモラルについて少し考えてみた。是非を問うのでは決して無い。ただ、思いを馳せてみたのだ。マルケスほどの偉大な作家が、そのモデルとなったひとりの女性の人生を、結果としてめちゃくちゃにしてしまった事。それに反して、世界何十カ国で出版され、私のような全く関わりのない人間が読んで、非常に素晴らしいエンターテイメントを享受したと云う事を。。。

冒頭で書いたようなちょっとした反省があったのも手伝い「自分のプライベートが全て自分のものではなく、他人のプライベートでもある」と、考えるたちなので、手放しでフィクションだと思って120%楽しんだ作品が実は、知らず知らずに他人の人生の覗き見をしてしまったような感覚に陥り、ごく個人的な評価として少なからずマルケスの評が下がった気分で居た。しかし、事実『予告された殺人の記録』は本当に素晴らしい本なのである。繰り返すが、是非を問うのではなく、ただ認識する事の難しさを知る良い機会になったと思う。

この『ガルシア・マルケスに葬られた女』はマルケス・ファンからは賛否両論ならしいが、著者の情熱が伺い知れて好ましい。私は、こんな著者や編集者の情熱がこぼれてきそうな本が好きだ。最後に、自分がそうするかどうかはともかく、作家としては実にエゴイスティックかもしれないが、マルケスは、非常に優れた作家であるし、その作品もまた素晴らしくエンターテイメント性も高いのである。



『しゃべれどもしゃべれども』

2007-04-04 22:03:24


久しぶりに実家に帰ったら「ブログはどうした?」とのお小言を貰う。友人たちからも「生きてるかー?」とのお尻たたき有り。。。生きていますよ。ご心配&お尻叩いてくれて、ありがとうございます。と云う事で、久しぶりのブログ更新です。

子供の頃から、おそば屋さんに行くとパブロフの犬のように「ねぇ、昔、落語でね。。。江戸っ子の粋な蕎麦の食べ方に付いて講釈をするおじさんが居てね。お蕎麦は、ツユをちょっとだけ付けて、勢い良く、ズズズーッって一気に啜るのが粋ってんだっ!というおじさんが臨終の間際に言う言葉が面白くてね。。。」と、一緒に蕎麦を啜る相手に言ってしまう癖がある。元夫は、こんな私の癖に「何度も聞いたよ」と頷いてくれていたが、さぞ、ウザッたかっただろう。でも、どうしても最後まで話したくてムズムズするのだ。今でも、実家では年越し蕎麦なんかを食べる時には、家族全員でこの話をニコニコとしてしまう。まるでレコードが一年分飛んでしまったかのように繰り返す。

こんな習慣が有るのはきっと、お蕎麦好きの祖父母と一緒に暮らしていたせいかもしれない。あと、子供の頃、身体的にとても弱かった私を気遣ってか、テレビもラジオも無い長野の人里離れた(隣の家まで1キロ!)の空き農家に、休みの度に祖父母と送りこまれ、休みの間中「落語百選」なる物をテレビの代わりに聴き過ぎたせいか、、要は刷り込まれたのである。毎晩、夕ご飯を食べ終わると、今日は「芝浜」か「ちはやぶる」か?なんて真剣に選んでいたのを思い出す。

何故、こんな妙な事を思い出したかというと佐藤多佳子さんの『しゃべれどもしゃべれども』を読んだせいである。




内容をアマゾンから転用すると
俺は今昔亭三つ葉。当年二十六。三度のメシより落語が好きで、噺家になったはいいが、未だ前座よりちょい上の二ツ目。自慢じゃないが、頑固でめっぽう気が短い。女の気持ちにゃとんと疎い。そんな俺に、落語指南を頼む物好きが現われた。だけどこれが困りもんばっかりで…胸がキュンとして、思わずグッときて、むくむく元気が出てくる。読み終えたらあなたもいい人になってる率100%。

読み終えた後に、本当に好い人になったかどうかは判りませんが、スルスルーっと読めて、爽快感が走るこんな本も、良いと思う。出てくる人がみんな、不器用で個性的でとにかくキュート。個人的に、繰り返し何度も読みたくなる作品ではないけど、どんな世代の人でも思わずクスクス笑いが漏れてしまうんだろうなぁと思わせる程、テンポ良く、温かい本。母に薦めたい1冊である。
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