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千差万別

2006-08-30 23:42:43
このブログが暗ーくなってしまいそうな、極個人的な事件があったので、勝手に更新をお休みしていました。妹に更新しないことについて叱られたりもしたのですが、なかなか踏ん切りがつかなかったのです。が、私の大好きな友人たちからいろいろ興味深い話を聞いたり、熱く語ったりしているうちに「そうだ!ブログを更新しよう」と今日に至った次第です。

で、今日サブカルに精通する編集者のM氏とお食事をしている最中に、お互いマシンガントークネタが降臨したので、ここでちょっとご紹介。うまく書けると良いのですが。。。

ちょっと唐突ですが。。。
とかく、独善的に「〇〇である」と言い切ってしまいながらも、その実「本当にそうかな?正しいように言っているけど、それだけが正しいのかしら?」なんて頭の片隅でぼんやりと考えている人って、私だけじゃないと思う。

人の考えや気持ちは千差万別で、個人の立場や環境を通して、その個の持つ視点が他人と180度違っていることってある。有り得ないことだけど、みんなが固体として融合しない限り100%他を理解するって事は無理だともおもう。

私が高校生時代からちょくちょく聞き始めた言葉で最近小学生でさえ口にし始めた「価値観が違うのよねー」ってあるけども、「じゃ、君の価値観はどうなのだ」と問いたい気持ちが私にはある。人は皆価値観が違うものである。だからこそ、違うということを認識することが大切なのである。そうでないのはちょっと危険ですよね?

と、以上のこれが大前提にある話なのですが。。。

ちょっと前に、某局の『あいのり』なる番組を10年ぶりくらいに見た。実はO氏も私も他人の“惚れたはれた”には全く興味が無く、どうでも良く、どちらかというと“好きではない番組”の類に入るのだけども、このネタ1本で燃えました。

ご存知でない方にも判るように説明すると、若いシングルの男女が『ラブワゴン』なる悪趣味なピンクのワゴンで世界中を旅し、その旅の中で云わばハムスター的に恋愛をし、カップルになったら手に手を取り合いめでたく帰国。というのどかな番組である。

先日私が偶然見た回では、1人の男性をめぐり、他人から見れば相当どうでもいいことで熾烈な女の戦いが繰り広げられていたのである。と、ここまではただのドウデモイイ話であるが、すごいのはこの女の戦いがどこで成されていたかである。
なんと、ボスニアだった。

ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦の傷跡が生々しく残り、現地の家族を皆殺しにされたイスラム教徒の女性や、一見加害者とだけ見られるセルビア人家庭の双方から『スレブレニッツァの大虐殺』について話を聞くシングル様御一行。そんなことが背景にあるのにもかかわらず、参加している二人の女性はどうでもいいことでお互いが独善的な話をし、泣きながらケンカしているのだ。

繰り返して言うけれど、人によって、そして環境や、持つ視点によって本当に違う。
一視聴者の私の目には、それがとっても異様な光景に見えた。ギミックというか、今現在「信じること」「思いやること」「争いや差別をなくすこと」「共存すること」を「平和」に向かって必死で回復させようともがいている広大な現実の中に、ピンクのワゴンの中だけある意味「平和」なのである。より、お互いが引き立て合っていたのだ。つまり、悪趣味なワゴンの中がくだらなければクダラナイ程、ボスニアの哀しい歴史や人間の愚かさ、平和の大切さが引き立つのだ。もしも、この番組のプロデューサーやディレクターがわざと狙ってこの回を作ったのであれば、本当にすごいことだと思う。もしも、そうでないのであれば逆の意味ですごいと思う。

O氏とこのような内容で話したのであるが、他を慮って視点を変えて考えてみることは他人と共存する上でとても重要なことだと思う。それには、イマジネーションが必要なのだが、そこでちょっとお勧めしたい1冊がある。

レーモン・クノーの『文体練習』



この本は99の断章と3つの付録の計102の断章からなっている。しかし、その実その全てが同じ内容、同じ出来事なのである。基本になるのは「ある日、バスの中で起こったつまらない喧嘩の顛末と、後にその張本人をたまたま見かけた」という出来事。
それをクノーが視点を変え、書き方を変え、102通りに紹介していく。。。と、こんな感じの本である。バリエーションの豊富さにも驚かされるが、一つ一つの文の完成度にも驚かされる不思議な1冊である。余談であるが、このブログのプロフィール写真で私が読んでいるのも実はこの本。お勧めですよ。




こころやすらかに

2006-08-23 01:08:54


玄関を守るインドの女神様の横に

ピットリついて「にゃあ〜お」

と何度も私を呼ぶティッティ

何をお祈りしたら良いのか

判らないけれど、

「やすらかに」と...

合掌

bye bisous chica

歴史にならなかった歴史

2006-08-20 23:39:30


「もしも、クレオパトラの鼻があともうちょっと低かったなら。。。」というように歴史において「もしも・・・だったなら」という想像をよく考えてみたりするが、先週実家の本棚を見たら、まさにそのままのタイトルがつけられた本を見つけてしまった。こっそり拝借してきた文庫『歴史にならなかった歴史』を読み終わった。



勿論、もうすでに起きてしまったこと、成されたことに「もしも」は無い。あるのは事実のみである。しかし、そこに至るまでの選択肢は多種多様なのだ。内容をアマゾンから転用するとこうだ。



歴史にifはない。しかし、歴史を決定した瞬間について「もし…だったら」と想像するのは楽しい。まして、その想像の蓋然性を補強する文献や資料が存在すれば、知的興奮はいや増す。本書は20世紀の世界を動かした事件に関する重要資料や機密文書を博捜して「歴史のif」に迫り、過去を知ることが未来をつくることを実証している。

アメリカで出版されたものの翻訳だけに、著者の意図する事実に???という箇所も多々あるのだが、それは置いておいて、多く紹介される歴史の一つ一つの中から強く心に残る事件、1994年のルワンダフツ族におけるツチ族大量虐殺がある。

今年の初め『カイトランナー』のPRを担当したことがきっかけで、知り合ったS氏に強く勧められ一緒に観に行ったのが映画『ホテル・ルワンダ』。“アフリカのシンドラーのリスト”とも言えるこの映画の中で主人公とホアキン・フェニックス扮するジャーナリストとの間で痛恨の思いで交わされる会話

ジャーナリスト 「あんなにひどい虐殺の映像を撮って君に見せて
          すまなかった」

主人公 「ルワンダの今の状況を世界に知らせてくれてありがとう」

ジャーナリスト 「君は、全くわかっていない。世界の裏側では
        夕食時にこの映像をニュースで見て、自分たちは
        平和で安心だということを再確認するだけで素通りし
        てしまうということを」

主人公 「。。。それでも、誰かが何処かでこんなひどい状況を放っ
     て置いてはいけないんだと助けてくれるはずだ」


うろ覚えだけど、確かこんな感じの会話。正直、胸が痛かった。当時学生だった私自身がまさに、夕食時にこのニュースを見て素通りしてしまっていたからである。

この本には事件の起こる1994年より前の1993年の時点ですでに、人権監視委員会や他の組織よりアメリカや国連に対して、ルワンダが民族浄化の淵にあるさまの警告が何度もあったそうである。また、明けて1994年の年初めにはルワンダ駐留国連軍司令官ダレール総督から暗号電文で国連への警告文も発されている。本書には、ダレール総督から暗号で国連に送られた電報と、それに対する国連の反応がわかる返事の2通が生々しく紹介されている。

前もって、これだけの情報がありながらアメリカ、国連は軽視し続け、アフリカの小国の内紛に巻き込まれることを恐れ、ひいては「大量虐殺」という文言を使用しないよう警告までしていたのだ。結果として、フツ族の過激派は50万ないし100万人を虐殺したのだ。著者は「もしも合衆国がこのダレール情報に基づいて、切迫した暴力への対抗手段を講じていれば、数十万の人命が救われたのでは」と結んでいる。しかしアメリカ人で無い私は、「もしも、ルワンダに石油やウラニウムがあったなら。。。」などのちょっと荒唐無稽な『もしも』も頭をよぎらせるのだ。







引き続き宮本輝

2006-08-16 01:58:18


昨日の有言実行で、ブログを書いてから『錦しゅう』を持ってベッドに直行。途中で眠ってしまうのだろう、と思いながらページをめくると気がつけば空が白んできた。。。それどころではなく、読み終わったら本格的に朝。小泉首相の靖国参拝などのニュースが流れていた。

そのくらいこの『錦しゅう』はハマる。どこまでも優しく温かい、なだらかな宮本氏の文体を貪り読む。



内容は、アマゾンの紹介文を転用するとこうだ。


「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛し合いながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る―。往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。

この本は、離婚して10年たった元夫婦の往復書簡で、すべて進められている。この本を読んだのは今回を入れて3回。最初はまだ私が学生だった頃。2回目は三浦天紗子さん著の『ブックセラピー』のPRを担当した一昨年の夏。そして今回である。

確か学生時代の私は。、元夫婦であったもの同士の愛情、そして元夫を支えるもう一人の女性の愛という一種変形し、答えの見えている三角関係として読んでいた。

再読した一昨年の時は、昨日書いたとおり不安定な時期にいたので、もっと大きいくくりの人間愛として読み、絶対悪な人なんかいないのだと、登場人物たちの誠実性に大いに癒されたのである。だから、昨日あのように書いたのである。

そして、再々読した今日は。。。
こんなことを書いてしまうと、ここんとこ続けて父の話をブログにアップしているので、ファザコンのように思われてしまいそうであるが、知らず知らずにこの元妻の父の存在を自分の父に重ねて読んでいたのである。

ブログだからこそ、私生活についてや、ごく個人的なことを書くのは少々憚れるのであるが、普段からオープンにしていることなので書いてしまうと、私は所謂バツイチである。この主人公たちのようにまだ心も頭も未成熟であった頃に知り合い、結婚し、フワフワと一緒にいることが当たり前に思えるほど無知だった。そして、この本の様に血なまぐさい事件ではないにしろ、同じようなくだらない事件(その時の私には大事件)をきっかけにどろどろとした離婚劇が始まり、歳月を不必要にかけ離婚に至ったのだ。

勿論かなり時間も経て、うらみつらみ等の憎しみや愛情は淘汰され、何処かへ行ってしまったくらいどうでも良いことになってしまった。しかし離婚した事に関してひとつだけ私に残った思いがある。父を代表とする私の家族の絆である。

あの時、私は生まれて初めて絶望を知った。
あの時、母は深い愛情で私を包んでくれた。
あの時、父は私が納得することが最大のプライオリティとし、じっくり耐えた。
そのおかげで、自分が深く愛されていることを実感したのである。

あくまで、母から聞いた後日談なのだが。。。
夫の出て行った家で一人泣き暮らす私が「実家に戻っておいで」という両親の言葉に反し、帰れずにいた頃のことである。眠れない夜を過ごしていたのは私だけではなく、父母も同じ時間を過ごしていた。ふと「あの娘、大丈夫かしら?」と漏らした母に「大丈夫だ。あの娘は強い子だ」と自分にも言い聞かせるように、力強く父が答えたそうである。

この話を聞いた時、父の忍耐・勇気と共に言葉では言い表せないくらいの深い愛情を感じたのだ。眠れないくらい娘のことが心配で、不安な夜を過ごすくらいなら無理矢理連れ戻して甘やかすこともできただろう。しかしそうはせずに、じっと信じて待つ。どんなにか辛い思いをしていたのだろうと思うのだ。

この本に出てくる主人公の一人、元妻の父はそんな人である。いや、登場人物の一人一人が皆、忍耐強くそして愛情深いのである。ちょうど、再生に向けて大きなジャンプをする前のちょっとしゃがんで力を蓄えている。。。そんな印象の物語である。

と、まあごく個人的なことを書いてしようもない気もするが、今更恥ずかしくて面と向かって「あなたの忍耐と愛情、信じる気持ちのおかげで私は再生され、今まで以上の跳躍ができたのだ。ありがとう」と言えない私が、必ずこのブログを読むであろう父に向けてのお手紙を書いた、と笑って許してもらえれば嬉しい。


ボリス・ヴィアンから

2006-08-14 23:50:58


先日、ボリス・ヴィアンについて更新したら、友人たちから数件のメールや電話が入る。「コクトー好きだから絶対読んでいると思ったのに、ボリス・ヴィアン読んでなかったのがびっくり!」という内容。本当、自分でも何で今まで食わず嫌いをしていたのかが判らないほど不思議である。それにもっと驚いたのは、自分の周りにこんなに沢山のヴィアン・ファンがいたことにも驚かされる。みな、めいめいに思い入れがあり、お勧めのボリス・ヴィアンの映画や本を紹介してくれるというオマケつきである。またまた楽しみが増えてしまう。

以前、“読みどき”について書いたのだけど、まさに今そんな感じなのである。
もっと前に読んでおけばよかったなぁ。。。
なんて気持ちも多々あるがその実、
好い時に読んだなぁ。。。
という実感を持てる。そんな、友人たちとの会話だった。

ブログを書くようになって、早3ヶ月。こんな感じで友人たちとのやり取りをするようになって、客観的に、その時期自分の読む傾向がなんとなくわかるようになる。「最近、小説づいてるね」とか「元気ない?」とか等など。

事実、なんだか私は最近小説づいているようだ。現実逃避か?
いやいや。つい何となくなのだが、ちょっと自分の波に乗る良い傾向なので、熱が冷めるまでボリス・ヴィアンに没頭しようと思うのである。

何故だか、一昨年の夏もデジャヴのように同じようなことがあった。
宮本輝氏にハマってしまったのである。彼の書く物語はどこまでも温かく、登場人物はそれぞれの立場は違えど慈愛に満ちている。読んで読んで、馬鹿みたいに読み漁って、そして全集まで買ってしまおうか?と思い悩んだ挙句、飽きてしまったのである。

何故、飽きてしまったのかというと、確かその頃私はあらゆる意味において不安定だった。フリーランスとして仕事をするようになってやっと一年たった頃、実家暮らしとはいえ、所謂安定した収入もなく「就職したほうが良いのでは?」なんかも漠然と考えていた頃だった。今思えば、宮本氏のぬくもり感のある文体と登場人物たちに優しさを求めたような気がしたのである。

で、そんなことをふと思った瞬間に私の中の宮本熱が急に冷めたのである。本とはいえ、フィクションに逃げるのはやっぱりバーチャルでリアルでは無いのである。そう感じた瞬間から、妙に生ぬるさを感じて急激に冷めてしまったのだ。

とはいえ、こうして書いているそばから、また強烈に読みたくなった宮本輝本。こうなってしまうと、こと本に関しては浮気性な自分を自覚する。ボリス・ヴィアンは据え置いて、本棚を探る。『錦しゅう』と『オレンジの壺』である。

『錦しゅう』は、学生の頃読んで好きな1冊であったものの、大人になって人生の機微を経た後のほうがより心に響いてくる1冊。きっと、年を重ねて行く度にこれから何度も読み返すのだろう。『オレンジの壺』は、私にとって、宮本輝氏ブームの火種となった1冊だった。和製『ダヴィンチ・コード』のような展開で、上下巻を寝る間を惜しんで読みきる程、興奮しながら読んだ。

ああ、時間も時間だし今日は『錦しゅう』を読もう。。。
2年前より、少しだけ大人になった私は何を思うのだろう。


あ〜あ。。。

2006-08-13 23:10:00


やってしまいました(涙)
先日読んだボリス・ヴィアン。予想以上に良かったので、気がつけば本屋さんで2〜3冊目に付いたものを著者・表紙で購入しちゃって、ついつい追っかけ読みをしている。が、しかし!!信じられないことに今日読み終わった『うたかたの日々』(早川書房)と、次に読もうと手に取った『日々の泡』(新潮文庫)が同じ本だと発覚。





もちろん、ちゃんと原題や裏表紙の要約を吟味して買わなかった私が悪いんだけど、やっぱり動揺は隠せません。。。

この本は、良い意味でSFじみていて、かつ恋愛小説、でも悲痛。と一言で言ってしまえばこんな感じ。友情を交わした3組のカップルが登場するのだが、主人公カップルのコランとクロエの出会いから最終的な悲劇までがメインのストーリーとなっている。物語の前半は全くもって幸せそのもので、ヴィアンのちょっと不可解なくらいの虚構世界が彩りを増し、読み手もつい幸福感が移ってしまうほど美しい。もちろん後半も美しさは変わらないのであるが、一変してどんどん不幸になっていく。逆にその美しさが不幸さを増すと言ってもいいだろう。

盛大に行われた結婚式・新婚旅行をきっかけに、新婦クロエは病に倒れる。なんと、肺に睡蓮が咲くという奇病なのだ。しかもその病気(睡蓮)をやっつけるには、薬でなく多種多様の新鮮な花によって直すというのである。この病気が元で、プチ・ブルだったコランは日々の花代によって貧者となる。

もっともっと、この本の内容を紹介したいのだけど、是非とも読んでほしい1冊なのであらすじについては紹介を控えます。一言だけ、さらに付け加えると6名の主な登場人物とハツカネズミの中で、私の心にぐっと来る人物は、病的なほどに思想家の熱狂的ファン、シックの哀しい恋人、アリーズ。彼女に深い同情と羨望の気持ちを持つ。あ、あとハツカネズミにも。

この本を読んで、高校生のときに初めて観たコクトーの映画『美女と野獣』や『オルフェ』を思い出し、不条理な幻想の世界にしばし浸ってしまった。コクトーと言えばヴィアンの死後、ボーヴォワール、サルトルと共にヴィアンの作品を再評価し、60年代後半のヴィアン・ブームのきっかけを作ったそうである。

もう少し、時間を置いて『日々の泡』を読もうかな。。。

おとーさん、ありがとう

2006-08-10 23:45:45


人からよく「本、沢山読むね」なんて言われるが、仕事を別に考えると、実生活において家族の中では一番読んでいないのでは?なんて思うほど、私の家族は本を読む。みんな寝る前にベッドで読むのが習慣のようである。そこで、週末に実家に帰るとまず、祖母・父・母が読み終わった本の山の中から2・3冊は頂戴してくるのが最近の私の習慣である。

そんなだから、子供のころは父が姉にプレゼントした『埋もれた世界』などを同じ日に祖母からもプレゼントされ、結果的にお下がりではない新品の本のおこぼれにあずかる。。。
なんてことが良くあった。

中でも、多岐にわたって濫読傾向にある父のお勧めの書籍は私の世界を広げてくれる。特にその昔、考古学者になりたかった父の歴史モノチョイスは、いつも私をワクワクさせてくれる。小学生だった頃、父から譲り受けた酒井傳六氏翻訳の『ツタンカーメン発掘記』は今でも私の宝物。

で、2週間ほど前に父から借りた『女帝 わが名は則天武后』をやっと読み終わった。「君とあまり年の変わらない中国の女の子が、フランス語で書いた則天武后の話だぞ」とニコニコしながら父が薦めてくれた本である。



則天武后は中国史上、唯一の女皇帝である。時代は唐時代。日本では、ちょうど中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼした"大化の改新”頃になるだろう。この本は、後に則天武后になる"武照”を主人公にした史実に沿った物語であるが、よく"悪女”とか"冷血漢”などと言われている彼女ではなく違った視点で、天命に翻弄された一人の女性の孤独と憔悴を美しく洗練された言葉で綴っている1冊である。

子供の頃、映画で見た『西大后』のイメージが強すぎてしばらくの間、西大后が実際にとても残酷で怖い人だったと思っていたのに、本を何冊か読んで、実は慈悲深い人だったのかも?なんて思う機会を持ったときや、クレオパトラが魔女のように計算高い美女というだけではなかったのかも?と思ったときのショックのように、この本も新しい則天武后の一面を教えてくれる。

まあ、あくまでも物語であるのだけれど。。。






初!

2006-08-09 01:00:39
いつもお気に入りのブックカバーと共に、その日の気分の本をいつも持ち歩いているのだけど、たまにベッドに置き忘れてしまう傾向が私にはある。そして、そのようなときに限って、いつも急に時間が2時間ほど空いてしまうのだ。普段なら本屋さんに行って時間をつぶすのだけど、どうしても美味しいコーヒーが無性に飲みたくなったので、数年前によく通った喫茶店に久しぶりに行った。

そこは、美味しいお茶とケーキを出すなんでもない喫茶店だけど、素敵なことに絶版になった平凡社の『別冊太陽』や書籍が所狭しと置いてある。お客さんにお茶の時間を心地よく過ごしてもらうために、わざわざ店長が長年かけて買い求めて揃えたのだという。またチョイスが良い。しかも図書館さながら、自由に読んでいいのである。

他人の本棚を覗く感覚にしばしひたり、お茶をいただきながら物色すると、最近気になっていたボリス・ヴィアンの『心臓抜き』が目に付き、手に取る。実は気になりながらも何故かずーっとスルーしてきた作家だった。それに最近になって人から薦められた事もあり、脳のどこかにインプットされていたものが、ここで一気につながったような気がしたのだ。だから私は今回が初ボリス・ヴィアンなのである。



序文を読んだだけで、ちょっとだけけだるい空虚な午後のひと時に、とたんに彩りを与える。驚いたことに、私の好きな作家『地下鉄のザジ』のレーモン・クノーがこの序文をかいていたからである。



本文は淡々と語られているのに何故か色描写については奇妙なほど緻密に書かれ、そのカラフルな描写のわりに、内容は少し暗い。そして次第にこの奇妙な感覚に引き込まれていく。。。

と、60ページほど読んでタイムリミット。
多分時間を惜しまなかったら倍は読めただろう。
でも、時間が惜しかった。この本を買いに行く時間が!!
次にこの店に来る時を待ち望むのも素敵だけど、私は早くこの本を買って、仕事や今日すべきことを済ましてゆっくりとベッドで続きが読みたかったんだと思う。こういう所が仕事仲間から「せっかちだなぁ」と言われてしまう所なのだが、人は忘れていく習性を持つので、パッションを感じた本との出会いは大切にしたいものである。

癒しついでに♪

2006-08-03 12:46:33
昨日のブログにも書いたけど

うん。

確かに動物のひたむきな愛情には

癒し効果がある。

普段はワガママばかりで
ツンと澄ましているティナも

この通り。。。

私の大切な家族たち♪

bye bisous chica

ちょっと役得

2006-08-02 23:41:53

最近のブログ記事が、ちょっと真面目すぎたのか?友人の出版プロデューサーO氏が
「これ、すっごく癒されるよ。是非、読んでみて!」と、送ってくれた約100ページものゲラ(原稿)。全くの無名の新人著者が書く、心温まるホスト犬の物語である。

ホスト犬といっても、福祉を目的としての所謂ペット・セラピーを堅く書いた本ではない。主人公わんた(主人犬?)の入ったクラブは『わんだー・倶楽部』そこにはご指名ありの「ワンテーブル1時間、延長2時間」と人間社会におけるホストクラブさながらである。

先輩に叱られながらも、ホスト犬として次第に成長していくわんたの物語中には、動物虐待やアジリティなど、現実にある犬をめぐる社会問題もふんだんに盛り込みながら人と動物が共生する素晴らしさが語られている。

この物語の根底にあるテーマは"無償で一途な愛情”だと思う。その優しいわんたと、わんたを取り巻く素敵な仲間たち(人間も含む)の深い愛情に触れ、読後私はすっかり癒されたである。

と、まだ出版社も決まっていず、いつ本になるのか判らないこの素敵なお話をブログで記事にするのを少し躊躇ったのだが、O氏に聞いてみたところゴーサインが出たので書いてみた。本好きな私としては、こんな機会にちょっと仕事上の役得を感じてしまうのである。

そして、愛情深い素敵な本を、「落ち込んでいるのかも?」と思って私にこの物語を紹介してくれたO氏のやさしい心遣いや友情にも
心からメルシーを!

いつか、この素敵な原稿が本になったときに、もう一度ここで可愛らしい表紙と共に紹介したいものである。そしてその時が来るのを、私は首を長ーくして待つのである。
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