悪童日記
2006-06-16 00:10:29
6月8日にここで紹介した『カイト・ランナー』に続き亡命作家モノにさらに深く、「やっぱり、このジャンルはハマる!」と思わせてくれたアゴタ・クリストフ。
『カイトランナー』が出た直後に彼女の自伝『文盲』が出版された事を知り、何故だか今まで素通りしてしまっていた『悪童日記』を読んだ。

書籍名 悪童日記
著者 アゴタ・クリストフ
訳者 堀茂樹
出版社 早川書房
価格 651円(税込み)
内容はアマゾンから転用するとこんな感じ。
−戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。 −
と紹介すると、何やらとっても難解そうに見えるけど、内容はそんなに難しくも読みにくくもない。ちょっと残酷に感じる部分も確かに在るけど、もともと子供は無垢なだけあって残酷だし、もっと残酷で痛ましい事件が、事件にならないほど当たり前な戦乱の時代背景くを考えると、むしろ、そんな中で子供の豊かな想像力が生々しく書かれている事に驚かされる。その点ではコクトーの『恐るべき子供たち』を彷彿させる。
著者がどのような亡命作家かと云うと。。。
アゴタ・クリストフはハンガリーのオーストラリアとの国境近くで生まれた。幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には“ハンガリー動乱”によって、社会主義国家となった母国を捨てて乳飲み子を抱いて夫と西側に亡命している。その後、スイスに暮らし、母国語ではなくフランス語で直接この本を書いた。ちなみに、亡命時はフランス語をまったく話せなかったというから、これまたすごい。
この本は、後に発表される『二人の証拠』『第三の嘘』3部作の第一作で、主人公「ぼくら」の日記によって進められる。いや、違う。。。この本自体が「ぼくら」の日記そのもの。なんだか、「ぼくら」が人には絶対見せないし、見せたくない日記を偶然見つけて読んでしまっている錯覚に陥る。
無駄な箇所が一切ないこの日記で、どの部分も衝撃的なんだけども、私がいちばん心に残っているのは、こんなシーン。
第二次世界大戦の折り、強制収容所に向かって家畜のように“牽かれて行く”2〜300人くらいのジプシーかユダヤ人たちの列を、まるで見世物のように見る、町の人たち。
「ぼくら」も司祭館の女中と一緒に見ているんだけど、“牽かれて行く”人の中から「パンをー」と痩せた手が伸びる。。。女中はパンをあげる振りをしながら、その人に絶望の中の一縷の希望を持たせておきながら「あたしだって腹ペコなの!」とギリギリのところで自分の口に放り込む。つまり、からかったのだ。そして彼女は「ぼくら」に「あんな連中、犬畜生みたいなものなのよ」と言い放つ。この俗悪な女中はかねてから「ぼくら」を可愛がり、世話をする人なのだが、何日かして大きな事故(「ぼくら」によるかなり故意的な)にあう。。。
ここで私が「ぼくら」を一種、頼もしく感じたのは「この時代・この風潮(ユダヤ人が虐げられる事に麻痺し、次第に喝采を送るようになる)の中で、「ぼくら」が本能的にも理性的にも公正でいたことでした。子供は無垢で純粋であるがために洗脳されやすい存在です。それなのに、「ぼくら」は「皆が言っていることが全て正しいとはかぎらない」と物事の真理を追究しようとする。もちろん、だからと言って“天誅をくだす”のがいい事ではないと、いけない事だと断言しますが。。。
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『カイトランナー』が出た直後に彼女の自伝『文盲』が出版された事を知り、何故だか今まで素通りしてしまっていた『悪童日記』を読んだ。

書籍名 悪童日記
著者 アゴタ・クリストフ
訳者 堀茂樹
出版社 早川書房
価格 651円(税込み)
内容はアマゾンから転用するとこんな感じ。
−戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。 −
と紹介すると、何やらとっても難解そうに見えるけど、内容はそんなに難しくも読みにくくもない。ちょっと残酷に感じる部分も確かに在るけど、もともと子供は無垢なだけあって残酷だし、もっと残酷で痛ましい事件が、事件にならないほど当たり前な戦乱の時代背景くを考えると、むしろ、そんな中で子供の豊かな想像力が生々しく書かれている事に驚かされる。その点ではコクトーの『恐るべき子供たち』を彷彿させる。
著者がどのような亡命作家かと云うと。。。
アゴタ・クリストフはハンガリーのオーストラリアとの国境近くで生まれた。幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には“ハンガリー動乱”によって、社会主義国家となった母国を捨てて乳飲み子を抱いて夫と西側に亡命している。その後、スイスに暮らし、母国語ではなくフランス語で直接この本を書いた。ちなみに、亡命時はフランス語をまったく話せなかったというから、これまたすごい。
この本は、後に発表される『二人の証拠』『第三の嘘』3部作の第一作で、主人公「ぼくら」の日記によって進められる。いや、違う。。。この本自体が「ぼくら」の日記そのもの。なんだか、「ぼくら」が人には絶対見せないし、見せたくない日記を偶然見つけて読んでしまっている錯覚に陥る。
無駄な箇所が一切ないこの日記で、どの部分も衝撃的なんだけども、私がいちばん心に残っているのは、こんなシーン。
第二次世界大戦の折り、強制収容所に向かって家畜のように“牽かれて行く”2〜300人くらいのジプシーかユダヤ人たちの列を、まるで見世物のように見る、町の人たち。
「ぼくら」も司祭館の女中と一緒に見ているんだけど、“牽かれて行く”人の中から「パンをー」と痩せた手が伸びる。。。女中はパンをあげる振りをしながら、その人に絶望の中の一縷の希望を持たせておきながら「あたしだって腹ペコなの!」とギリギリのところで自分の口に放り込む。つまり、からかったのだ。そして彼女は「ぼくら」に「あんな連中、犬畜生みたいなものなのよ」と言い放つ。この俗悪な女中はかねてから「ぼくら」を可愛がり、世話をする人なのだが、何日かして大きな事故(「ぼくら」によるかなり故意的な)にあう。。。
ここで私が「ぼくら」を一種、頼もしく感じたのは「この時代・この風潮(ユダヤ人が虐げられる事に麻痺し、次第に喝采を送るようになる)の中で、「ぼくら」が本能的にも理性的にも公正でいたことでした。子供は無垢で純粋であるがために洗脳されやすい存在です。それなのに、「ぼくら」は「皆が言っていることが全て正しいとはかぎらない」と物事の真理を追究しようとする。もちろん、だからと言って“天誅をくだす”のがいい事ではないと、いけない事だと断言しますが。。。
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