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本しゃべりずむ

『カポーティ短篇集』

2007-06-10 22:27:32
こんな偶然って、在るのかしら?
例によってお風呂タイムに読もうと、書店でふと手に取り購入した、別段新しくもない『カポーティ短篇集』である。



しかしながら、密かなブームなのか?私の周りには、同じ時期、同じ本を読んでいる人が私の他に2人も居た。両者とも、たまたま短篇についての話題になった時に
「短篇といえば、今カポーティ読んでてさ。。。」
「え?私も!何読んでるの?」
「ええと、題名忘れたけど、最初が墓地の話。」
「あ、それ、私と同じだ」
と、こんな流れである。

会話の中で出て来た墓地の話は、『楽園への小道』と題された1篇。
内容をアマゾンから転用すると

妻をなくした中年男の一日を、一抹の悲哀を込め、ややユーモラスに描いた本邦初訳の「楽園への小道」をはじめ12編を収める。各ジャンルの中から作家の資質がもっともよく現れている作品を選んだ、1冊でカポーティの魅力を満喫できる本。

ちょっと不思議で、何処か物悲しく、また何故か微笑ましさも誘う素晴らしい作品だ。この妻をなくした中年男が主人公だと思いながら読み進めたのだが、気がつけば、墓場で中年男に声をかける女性に知らず知らずと視点がスライドして行く。私のイメージでは、おトボケ加減といい、にじみ出る人の良さ加減といい、まるで『家政婦は見た』シリーズの市原悦子である。

第1篇目というのっけから惹き込まれ、気がつけばやっぱりお風呂で湯あたりしてしまう。。。そんな1冊である。きっとこの先、何度も読み直してしまうんだろうな。

最後に、ちょっと切ないけど微笑ましい長閑さを感じさせてくれるこの本を読んだ人しか判らない暗号めいた事を書いてしまうと。。。
「未来の私が、新聞の死亡欄チェックして墓地に足を向ける事が無いように、切に祈るばかり」である。










『きんぎょの夢』

2007-05-09 00:19:42


こんな時は、どんな本を読めば善いのだろう?と半ば途方に暮れ、向田邦子の『きんぎょの夢』を手に取ってみた。向田邦子は、一世風靡した酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』に、あたかも「負け犬の教祖」のように紹介される、一見して強い女性像であるが、彼女の視点はそれだけではない。このオビに紹介されるように、「婚期を逸した女性が夢見たつかの間の幸せ」なだけの話ではないのだ。





内容をアマゾンから転用すると
おでん屋を経営する砂子には、結婚してもいいと思っている男がいる。ある日、店に見知らぬ女がやってきて―婚期を逸した女のはかない夢を描いた表題作の他、結婚をめぐっての親と子の心の行き違いをテーマにした「母の贈物」と、子のない老夫婦の哀歓を優しく見つめた「毛糸の指輪」の計三篇を収録。向田ドラマの小説化第4弾。


私は向田邦子の描く登場人物たちが好きだ。その人の培って来た自意識やモラル、理想や現実に翻弄され、葛藤しながらも紆余曲折の後に選びとった潔さに、強烈に惹かれるのである。私たちは、生きている限り、金太郎飴のように何処をとっても同じで平坦な心を持っている訳ではない。「こんな事は間違っている。でも。。。」とか、「これって正しい?」とか、日々自分の心と問答しながら究極の自己肯定に走ったり、過去の選びとった選択の後悔をしたり、つまらない事で一喜一憂したりと、結構忙しい。

そんな小さな人生の機微を向田邦子は慈しむように丁寧に書き出して行くのである。だから、向田邦子の描く登場人物は皆、どこか泥臭く不器用でたくましい。でも、私はそんな泥臭さやたくましさを美しいと思う。そんな小説を読む度に「私たちは生きている」と実感するのである。


地下鉄に乗って

2006-10-05 01:32:03
さてさて、昨日に引続き浅田次郎さん著『特別版 地下鉄に乗って』のお話。



この『地下鉄に乗って』は地下鉄と書いてメトロと読みます。最近ではもう耳に慣れてきたけども、10年前はまだ日本の地下鉄はメトロとは呼ばれていなく、本屋さんでこの本を見つけたとき、「パリかどこかの外国が舞台の本なのかな?」なんて思ったことを今でも覚えている。

そんな印象をもって読み始めたが、実は舞台は東京。しかも主人公が地下鉄丸の内線に乗るとタイムスリップしてしまうSFロマン。ひと言でいってしまうとそうなのだが、ひと言でいい表せないのが浅田文学ともいえるだろう。父子の愛憎入り混じる葛藤や究極の愛の話がベースにあり驚かされ、より物語に惹き込まれる。私がもっと文を書くのが上手なら、もっと内容に触れて書きたいところだけど、これ以上かいてしまうとネタばれしてしまいそうなので、止めておきます。

アマゾンから流用すると
永田町の地下鉄駅の階段を上がると、そこは30年前の風景。ワンマンな父に反発し自殺した兄が現れた。さらに満州に出征する父を目撃し、また戦後闇市で精力的に商いに励む父に出会う。だが封印された“過去”に行ったため……。思わず涙がこぼれ落ちる感動の浅田ワールド。吉川英治文学新人賞に輝く名作。


以前、何度も読みたい本について書いてみたけど、この本もそう。友人に貸して戻ってきたら、もう一度つい読んじゃう本。

この物語をこれから読む人は、是非中断せずに一気に読んで欲しい1冊です。私たちの日常は、めまぐるしく日々忙しいけれども、1時間、没頭して物語に入り込んで読んで欲しい。この本にはその1時間の価値を何倍にもする力があるから。。。

と、ここで物語本編の話はおしまい。何故かと言うと、この特別版には、ちょっとした“嬉しい”が沢山詰まっているので、チョコット紹介したいと思います。

まず最初に、この本の装丁。ちょっと善いと思いませんか? 特別版だけに、なんだか重厚感があり、それでいてノスタルジックな表紙です。あと、これは私のひそやかな楽しみですが、私はよく、単行本の表紙(カバー)をそっとはずして本当の表紙の美しさを楽しむ傾向にあります。そんな時、カバーと本体の表紙のデザインがガラっと違っているのを発見すると、そこに編集魂をぐぐっと感じたりするのです。ちょっとオタクですが。。。この『特別版 地下鉄に乗って』もそう、カバーを剥いてしまうと、昔の丸の内線のイメージで、これまた素敵なんです。

次に、『「地下鉄に乗って」縁起』と表された書き下ろしのロングエッセイが収録されていること。これを読むと、作家浅田次郎氏がどのような気持ちでこの物語を書いたのか?や、作中の父親のモデルになった人物について紹介されていたりするから多角的にこの物語を愉しめる。映画もこの10月21日から公開されるが、映画をみる前に是非読んで欲しいエッセイである。

と、特別版たる所以か?こんな“嬉しい”がぎゅっと詰まっている大切にしたい1冊なのである。

そして昨日に引続き、興奮覚めやらぬ浅田先生話、というか先生への公開メッセージ?を最後に。。。

昨日今日と2日間、この本のプロモーションのために時間を作ってくださった浅田次郎先生。本当に素敵な方でした。先生はアナログが流儀な方でいらっしゃるから、きっとこのブログは読んでくださらないと思いますが、いろんな素敵なお話を伺うことが出来て本当に嬉しかったです。ありがとうございました。


引き続き宮本輝

2006-08-16 01:58:18


昨日の有言実行で、ブログを書いてから『錦しゅう』を持ってベッドに直行。途中で眠ってしまうのだろう、と思いながらページをめくると気がつけば空が白んできた。。。それどころではなく、読み終わったら本格的に朝。小泉首相の靖国参拝などのニュースが流れていた。

そのくらいこの『錦しゅう』はハマる。どこまでも優しく温かい、なだらかな宮本氏の文体を貪り読む。



内容は、アマゾンの紹介文を転用するとこうだ。


「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛し合いながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る―。往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。

この本は、離婚して10年たった元夫婦の往復書簡で、すべて進められている。この本を読んだのは今回を入れて3回。最初はまだ私が学生だった頃。2回目は三浦天紗子さん著の『ブックセラピー』のPRを担当した一昨年の夏。そして今回である。

確か学生時代の私は。、元夫婦であったもの同士の愛情、そして元夫を支えるもう一人の女性の愛という一種変形し、答えの見えている三角関係として読んでいた。

再読した一昨年の時は、昨日書いたとおり不安定な時期にいたので、もっと大きいくくりの人間愛として読み、絶対悪な人なんかいないのだと、登場人物たちの誠実性に大いに癒されたのである。だから、昨日あのように書いたのである。

そして、再々読した今日は。。。
こんなことを書いてしまうと、ここんとこ続けて父の話をブログにアップしているので、ファザコンのように思われてしまいそうであるが、知らず知らずにこの元妻の父の存在を自分の父に重ねて読んでいたのである。

ブログだからこそ、私生活についてや、ごく個人的なことを書くのは少々憚れるのであるが、普段からオープンにしていることなので書いてしまうと、私は所謂バツイチである。この主人公たちのようにまだ心も頭も未成熟であった頃に知り合い、結婚し、フワフワと一緒にいることが当たり前に思えるほど無知だった。そして、この本の様に血なまぐさい事件ではないにしろ、同じようなくだらない事件(その時の私には大事件)をきっかけにどろどろとした離婚劇が始まり、歳月を不必要にかけ離婚に至ったのだ。

勿論かなり時間も経て、うらみつらみ等の憎しみや愛情は淘汰され、何処かへ行ってしまったくらいどうでも良いことになってしまった。しかし離婚した事に関してひとつだけ私に残った思いがある。父を代表とする私の家族の絆である。

あの時、私は生まれて初めて絶望を知った。
あの時、母は深い愛情で私を包んでくれた。
あの時、父は私が納得することが最大のプライオリティとし、じっくり耐えた。
そのおかげで、自分が深く愛されていることを実感したのである。

あくまで、母から聞いた後日談なのだが。。。
夫の出て行った家で一人泣き暮らす私が「実家に戻っておいで」という両親の言葉に反し、帰れずにいた頃のことである。眠れない夜を過ごしていたのは私だけではなく、父母も同じ時間を過ごしていた。ふと「あの娘、大丈夫かしら?」と漏らした母に「大丈夫だ。あの娘は強い子だ」と自分にも言い聞かせるように、力強く父が答えたそうである。

この話を聞いた時、父の忍耐・勇気と共に言葉では言い表せないくらいの深い愛情を感じたのだ。眠れないくらい娘のことが心配で、不安な夜を過ごすくらいなら無理矢理連れ戻して甘やかすこともできただろう。しかしそうはせずに、じっと信じて待つ。どんなにか辛い思いをしていたのだろうと思うのだ。

この本に出てくる主人公の一人、元妻の父はそんな人である。いや、登場人物の一人一人が皆、忍耐強くそして愛情深いのである。ちょうど、再生に向けて大きなジャンプをする前のちょっとしゃがんで力を蓄えている。。。そんな印象の物語である。

と、まあごく個人的なことを書いてしようもない気もするが、今更恥ずかしくて面と向かって「あなたの忍耐と愛情、信じる気持ちのおかげで私は再生され、今まで以上の跳躍ができたのだ。ありがとう」と言えない私が、必ずこのブログを読むであろう父に向けてのお手紙を書いた、と笑って許してもらえれば嬉しい。


あ〜あ。。。

2006-08-13 23:10:00


やってしまいました(涙)
先日読んだボリス・ヴィアン。予想以上に良かったので、気がつけば本屋さんで2〜3冊目に付いたものを著者・表紙で購入しちゃって、ついつい追っかけ読みをしている。が、しかし!!信じられないことに今日読み終わった『うたかたの日々』(早川書房)と、次に読もうと手に取った『日々の泡』(新潮文庫)が同じ本だと発覚。





もちろん、ちゃんと原題や裏表紙の要約を吟味して買わなかった私が悪いんだけど、やっぱり動揺は隠せません。。。

この本は、良い意味でSFじみていて、かつ恋愛小説、でも悲痛。と一言で言ってしまえばこんな感じ。友情を交わした3組のカップルが登場するのだが、主人公カップルのコランとクロエの出会いから最終的な悲劇までがメインのストーリーとなっている。物語の前半は全くもって幸せそのもので、ヴィアンのちょっと不可解なくらいの虚構世界が彩りを増し、読み手もつい幸福感が移ってしまうほど美しい。もちろん後半も美しさは変わらないのであるが、一変してどんどん不幸になっていく。逆にその美しさが不幸さを増すと言ってもいいだろう。

盛大に行われた結婚式・新婚旅行をきっかけに、新婦クロエは病に倒れる。なんと、肺に睡蓮が咲くという奇病なのだ。しかもその病気(睡蓮)をやっつけるには、薬でなく多種多様の新鮮な花によって直すというのである。この病気が元で、プチ・ブルだったコランは日々の花代によって貧者となる。

もっともっと、この本の内容を紹介したいのだけど、是非とも読んでほしい1冊なのであらすじについては紹介を控えます。一言だけ、さらに付け加えると6名の主な登場人物とハツカネズミの中で、私の心にぐっと来る人物は、病的なほどに思想家の熱狂的ファン、シックの哀しい恋人、アリーズ。彼女に深い同情と羨望の気持ちを持つ。あ、あとハツカネズミにも。

この本を読んで、高校生のときに初めて観たコクトーの映画『美女と野獣』や『オルフェ』を思い出し、不条理な幻想の世界にしばし浸ってしまった。コクトーと言えばヴィアンの死後、ボーヴォワール、サルトルと共にヴィアンの作品を再評価し、60年代後半のヴィアン・ブームのきっかけを作ったそうである。

もう少し、時間を置いて『日々の泡』を読もうかな。。。

ちょっとまじめに。。。

2006-07-18 10:00:46
今年の3月くらいに公開されていた『白バラの祈り』という映画をご存知だろうか?
ナチス時代にナチス批判の地下活動をし、処刑台に送られた“白バラ”というグループの実話を元にした映画。このグループの中の中心にいて、死刑になったショル兄妹の残された姉のインゲ・ショルが書いた『白バラは散らず』という本を読んだ。



当時、ナチス批判をした地下組織は沢山あり、またそれが理由で処刑された人も多いのだが、この白バラはちょっと特異で、虐げられたり阻害された人たちが中心ではなく、社会的には優遇され、将来を約束された所謂エリート学生が起こした地下組織だった。

彼らがゲシュタポにつかまり、その4日後の民族裁判で死刑宣告を受け、異例ながらその日のうちに処刑されたのは、ナチスとしては、エリート層に白バラの精神を浸透させる前に根絶やしにするには必須だったのらしい。今となっては、代も変わり、“白バラ”の精神こそが脈々と、大学に受け継がれているのだが。。。

この本は、断頭台の露と消えた兄妹が、何故、どのようにして反ナチスの道を選んでいったのかが、姉の視点で書かれている。

どんな時代、どんな風潮の中にも自分の信じるものって、ある。
それを守っていくには、困難や批判を乗り越えるための勇気や芯の強さが必要。
我を通すのではなく、自分の大切に思うことを、大切に思う人たちを、文字通り大事にしていきたい。って、ちょっとまじめに考えさせられます。

レイモン・ラディゲ

2006-06-21 05:21:10
最近友人から「遅まきながら、引っ越し祝い何がいい?」なんて尋ねられ、つい「コクトーのドローイング・ポスター!」なんて元気良く答えてしまいましたが、結構これが探すの大変ならしく、結局一緒にネットで探したりしている今日この頃。。。
連鎖反応と少しカブるけど、コクトー好きな私は、やっぱりラディゲも好き。で、『肉体の悪魔』を読み返す。。。

何度も読み返しボロボロの新潮文庫のこの本は、初版が昭和29年、後の昭和42年に改版されているままの、昔ながらの1冊だ。でも、ネットでポスターを探しているうちに最近出版された(といっても8年前ではあるが)新訳 肉体の悪魔』なるものを見つけ、比べて読んでみた。



読み比べると、おもしろい。。。
まるで、原作本と忠実に作られた映画のようである。。。


この本の内容を、16歳の少年と美しき人妻との恋愛悲劇といってしまえば、それまでであるが、すばらしいのはその感性。主人公の早熟な視線、葛藤、無知さのそれらすべてが、この物語の美しさや繊細さを生み出している。

『肉体の悪魔』と『新訳 肉体の悪魔』。。。
前者は、この物語が書かれた当時の言葉で、この上なく忠実にラディゲの持つ妖しさ、そしてその文章の美しさを垣間見せてくれる名作中の名作だ。
後者は、今まで昔の言葉を読みにくいと感じる人にお勧めの、重宝のエンターテイメントである。


これを書いた当時、ラディゲはまだ17歳だった。17歳であるがための感性と残酷さを持って、その視線は40歳!妙に老成しているのである。大人と子供の混在したこの若い著者は、まるで生き急いでいたかのように20歳でこの世を去ってしまう。

読み終えて、ふと何年か前、文化村で開催されたコクトー展の最後を飾った写真パネルを思い出した。
「愛する人のために この世に存在しないリングを」(ジャン・コクトー)と記された注意書きの上に飾られた1枚の写真。
それは、あのカルティエの3連リングを左右両方の手にしている、晩年のコクトーの寂しそうな笑顔だった。

この、カルティエの3連リング(トリニティ・リング)はコクトーが“愛・友情・忠誠心” この3つの要素が調和する時、愛に普遍性が宿る”と、ラディゲのためにカルティエに制作依頼をし、贈ったもの。。。持ち主がなくなってしまってから、贈り主の元へと戻ってきたのである。その写真を撮ったときのコクトーはどんな気持ちだったのかしら?

なんとも、哀しくて切ない話である。

トリニティリング
ジャン・コクトー




パンドラの匣から

2006-06-11 22:47:06
思わず、何度も読み返してしまう本ってある。

かの三島由紀夫も鉛筆片手に読み返すたびに、その時々、心に残る1文を線引いていたそう。

私の場合、月に2度ほどの本棚整理の際に、やっぱり読み返す。
再読本の面白いところは、その時のメンタリティだとか自分の属性の変化によって驚く程に、印象や感動する箇所が違うところ。ひどい時には、過去、赤面モノに読み誤っていた事が露見したりする。

こんな本を代表して、私の廻りでよく云われるのが『星の王子様』
読み度に印象をコロコロ変えて、私を愉しませてくれる。
でも、『星の王子様』については、云いたい事がたくさんあるので、またの機会に。。。

今日紹介したい1篇は書籍『パンドラの匣』から『正義と微笑』
何故だか、多感な頃の私はこんなに素敵な物語を「太宰にしては妙に清清しいなぁ」くらいで、スルーしてしまっていたのです。ところが再読するとびっくり!ガッツンガッツン心に響いてきます。






書籍名  『パンドラの匣』
著者    太宰治
出版社   新潮文庫
価格    500円(税込み)


この『正義と微笑』は
主人公が16歳の春から17歳の年の暮れまでに書いた日記を基に物語が薦められていく。
裕福で、尊敬する兄の影響で芸術や哲学に憧れ、多感で繊細な日々を送る少年の素直さが、青春時代を懐かしく、胸を打つ。爽やかな作品です。

あくまでも日記が基にあるから、そこには日常が書かれているわけだけど、その日常の中にある不変さがすばらしい。

中でも、ハッとした一文を抜粋すると。。。

先生嫌いの主人公が「1人だけもう一度会ってもいいかな?」と思い出す、学校を辞めてしまった先生の別れのひと言


「勉強というものは、いいものだ。−学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。−日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。−勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。−覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるという事なんだ−心を広く持つということなんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。」


今更ながら心に響きました。
きっと、私の父や母、先生、おじさん。。。
所謂、年長者の人たちが何度も何度も、それこそ耳にタコが出来るくらい、私に教えてきた言葉だったから。
それなのに、いちばん色んな事を吸収しなくちゃいけない時は、もう過ぎて。。。
過ぎてしまってから、その大切さが身にしみて気づく。。。
なんとも切ないものです。


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