※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
2007年08月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
リンク集
本しゃべりずむ

『明治時代の人生相談』

2007-08-14 00:57:22

「読書」というには、相当憚りがありますが、実は私、よくコンビニなんかで売っている雑学モノに手を出してしまう癖がある。その昔『世界のトイレ事情』(名前は定かでありませんが)なる本を読んで、なんの役にも立たない雑学に無性に惹かれ、そのての本ばかりを読みあさったのが事の始まりだと記憶している。

中でも今東光の『毒舌日本史』『毒舌仏教入門』などの毒舌シリーズは面白く、いつでも読める状態で、私の書棚に収まっている。中でも『毒舌身の上相談』は面白く、「30年くらい昔の若者は、こんな事で悩んでいたのだろうか?」とかなんとか、言葉の言い回しや、その内容、その回答に苦笑しつつも読んだ素敵な本である。

その内容をアマゾンから転用すると

天台宗大僧正、中尊寺貫主、参議院議員、直木賞作家…。まさに波瀾万丈の人生を生きた今東光和尚。過激な毒舌の裏に溢れる人間愛と知性で、多くの人々に愛され続けた。その奔放な人生経験をもとに、若者たちの悩みにズバリ答えた型破り〈人生相談〉。

で、この度書店にて『明治時代の人生相談』なる本を見つけ、つい購入してしまう。



オビ文句を転用すると
恋愛・家庭問題、身分の問題、生活の不満、徴兵、将来の夢……
悩み事からみえてくる100年前の日本!!明治時代の新聞、雑誌に掲載された「人生相談」138本からみえてくる当時の世相、現代との意外なギャップ!!

なんと言っても、思わず手が伸びてしまう程、表紙が可愛らしい。まるで、昔のグリコのおまけみたいである。

中に掲載されている当時の人々の悩みも、そしてその答えも、大真面目で、すこぶる笑えて興味深い。が、しかし、これを一概に笑ってはいけないのだろう。明治時代の人の考え方に触れ、大いに反省する所もあるから面白い。

それに、こういった本は、只一重に楽しいだけではなく、例えば夏目漱石、森鴎外、尾崎紅葉といった作品の時代背景なんかも見えて、彩りを添えるから堪らないのである。本棚に、大切に置いておきたいかどうかは別として、一読の価値ある書籍である。

『ゲドを読む』

2007-06-07 05:11:32

昨年の『ゲド戦記』映画公開に合わせて読んだ『ゲド戦記』総計6冊。DVDが発売されるのに伴いプロモーションの一環として『ゲドを読む』と題された無料の文庫を110万部配布している。実は、冒頭であげたように、私は既に原作も読み終え映画も観ている事から、プロモーションという意味でしか興味が無かったのである。しかしながら入手し、目次を見て大変驚かされる。「こんなの、タダで配ってしまっていいの?」と。。。



「『ゲド戦記』を読み解く」と言われると、ちょっとお腹いっぱい気味な気もするが、これは「読み解く」と云うより、「随筆集」とでもいおうか?素晴らしいのひと言である。何より執筆者がいい!宮崎駿は当たり前としても、中沢新一や河合隼雄の深みのある考察も素晴らしく読み応えがある。何度も言うが「こんな本、タダでいいの?」である。

本好きな方、『ゲド戦記』好きな方、ル・グウィン好きな方、この本の執筆者たちの好きな方、おすすめです。ちなみに私は上に挙げた中沢新一&河合隼雄だけで、文庫本1冊以上買う価値があると思う。

この無料文庫は5色あるらしいが、私が持っているのはフューシャピンク。中身は皆同じなのだろうか?じゃ無いのなら、集めてみたい気もするが。。。

『私の紅衛兵時代』

2007-01-21 19:18:07


学生時代に友人と観た『さらば、わが愛/覇王別姫』。以来、チェン・カイコー監督の作品は可能な限り欠かさず観ている。確か、この映画を観た前後に中国の文革が気になり、『ワイルド・スワン』を読んで、中国の歴史の一端と云うより、人間の歴史に強い衝撃を受けたのである。
この年末に、チェン・カイコー氏が、自身の体験による文革について書いた『私の紅衛兵時代』を書店で購入。やっと読み終わる。



文化革命に付いて書かれた本は、フィクション、ノンフィクション問わず数多く出ているが、『さらば、わが愛/覇王別姫』が好きな人には、かなりお薦めの1冊である。映画の登場人物と、この本のチェン・カイコー少年を含む登場人物がオーバーラップするシーンが多く、振り返って思うのではなく、渦中あの時代、中国で本当はどんな複雑な気持ちで居たか?が判り、戦慄する。

ちょっと話が逸れるけども、国や人種を問わず、人間は一つの情報や事柄に無条件で邁進する傾向があると思う。「これこそが正しい」と思って、他を認めずのめり込む。うまく言えないが、『本を読む』『いろんな属性の人と話す』『新聞を読む』『テレビを見る』『そして、自分で考える』事の大切さをもう一度深く考える。皆が同じに言っている事は、その実とっても危険な事でもあるからだ。

最近、何人かの知人が異業種交流会等の所謂啓発セミナーに通いだした。
私の知っている限り、このようなセミナーに通っている人は、おしなべて真面目で、向上心があり、実に好感の持てる人たちなのであるが、それらのセミナー全てが頂けないのではないが、私はちょっと歪さを感じるのである。

何故なら、これらの交流会に足しげく行っている人、それらの本を書いている人の殆どが
「気づき」
「出会い」
「ヒント」

と、色んな時事をこの3つのキーワードで片付けて、それ以上深く話さないからである。
私にとっては、なんら魅力を感じないのである。勿論、私が魅力を感じないだけであって、その人自体に魅力が無い訳ではない。しかし、「気づきがあった」とか「気づきが足りない」とはいったいどういう意味なのだろうか?突っ込んで聞いても、未だ納得出来る答えにであった試しは無い。

人は、正しいと思った事においても紆余曲折があって、葛藤もあって、間違いなんかもあるかも知れないけど、それでも正しいと思った事をするのだと思う。それをこんな3つのキーワードで収めてしまおうと云うのはちょっと乱暴だと思うのである。

と、ちょっと辛口になってしまいましたが、言いたいのはそんな事じゃなく、うーん。。。
皆がみんな同じことを言ったりするのを鵜呑みにするではなく、自分で咀嚼して行く事の大切さをちょっとだけ考えてみました。ってことかな?




思いもよらず。。。

2007-01-16 23:58:04


年末に本屋さんで大量購入した本の中には、私が以前から読みたくて読みたくてたまらなかった本が有る。サマセット・モームの『劇場』である。



もともとは、画家のゴーギャンをモデルにした『月と六ペンス』が好きで、モーム好きになり、翻訳はもちろんの事、装丁自体も大好きな新潮社の文庫版。絶版になっていて読めずに、ずっと居たのですが、映画化をきっかけにこの度再版されたそう。

日頃、お気に入りの本が映画化と云うと、映像で観る事のちょっぴりの期待感と、自分なりに描いたイメージの崩壊につながる大いなる不安感が私を襲う。それ以外の気持ちの何ものでも無いのであるが、今回ばかりは「サンキュー!映画化!!」と、本屋さんで叫んでしまうくらい嬉しかった。


アマゾンから転用すると内容はこう
天性の才能を駆使し、堂々たる舞台女優となった46歳のジュリア。彼女は、美男俳優で劇場経営者でもある夫や、20年来プラトニック・ラブを捧げ続ける貴族に囲まれていたが、たまたま劇場の経理を担当した23歳の青年トムに夢中になる。そして、トムの心が新人女優に傾いたのを知ったときジュリアは…。人生と芝居が妖しく交錯する巧みなストーリー・テリング、モーム円熟期の傑作長編。

読み応えはばっちり。寝る間も惜しんで読んでしまうくらい引き込まれる。基本的にモームは人間不信の変わり者なんだと思う。だからこそ、元々人間不信で、偏屈で、それが元でタヒチで生涯を送ったゴーギャンを『月と六ペンス』のモデルにしたのだろうと思うし、『女ごころ』に至っては、どう見ても中身は男性?と思わせる、人間不信で、これまた分裂症ぎみの女性を描いている。そして、その主人公たちの誰もが少々舞台じみてはいるものの、強烈な魅力を放っているから、不思議である。

この『劇場』の主人公ジュリアもまた、そんなモームの作り出した主人公たちに負けず劣らず、人間不信で、分裂気味、そして繊細にして美しいのである。賢く、美しく、誰が見ても完璧なのに、その実本人はジレンマや紆余曲折があり、溺れてあがいて、愚行を犯し、そしてサラリと立ち直ってみせる。もう、釘付けです。そんな不完全な人間について書かせたら天下一品の、やっぱり人間不信のモームはきっと魅力的な変人だったのだと、想像しつつ。。。
おやすみなさい。

クオリア

2006-11-28 23:07:25
ここ2・3日友人や家族など、各方面より電話あり。
なんの事はない、最近またサボっているブログはどうしたのか?と軽くお尻を叩かれる。お小言を頂いているのにも関わらず、これがまた意外な人からだったりと、多くの人が結構気にして、「ちゃんと読んでくれているのだなぁ」となんだか少し嬉しいようなくすぐったい気分になる。こういったところがブログの魅力なんでしょうね。

更新しなかったのはなんの事はない、少しサボり癖がついてしまっているのと、ここのところ文芸作品から離れて、妙に新書やエッセイ、マナー本などをランダムに読んでいたので、読んだ感想をうまく書けずにいただけなのである。

すごく面白かったのは、茂木健一郎氏のブログ「クオリア日記」を編集・加筆して出版された『やわらか脳』




アマゾンから内容を転用すると
ウェブ日記「茂木健一郎クオリア日記」の2004-2005年に2年分をまとめたもの。まさに人生は一回性の連続。出会った人、感動したこと、憤りを覚えたこと…、毎日懸命に生きる中で、脳を通り過ぎていったことを綴る。

そう、ココロに日々響いた事を書くというより、この方の場合はやっぱり“脳を通り過ぎていった事を綴る”がしっくりくる。

温浴をしながら、一気に読んだ。途中で私の脳にも疑似体験的にピンとくる文の箇所はページを折りながら、湯あたりか読書熱のせいかは判らないが、途中で、眼と手と脳を止めたくなくて、半ばのぼせながら読んだ。そのくらいこの本は面白い。

よく本で紹介されている事やマニュアル本、エッセイを丸のみして、それ以上の想像を止めてしまう人がいるが「それは私の読書スタイルではない」と、こうゆう本に出会うと思うのだ。先日このブログに私の考えを書いたと思うが

「読書とは、
読書する時間のみが楽しいのではなく、
読後の愉しみも与えてくれるのだ」


そのような面から見ても、まさしく今の私にとって大きなインフルエンスを与えてくれた1冊だと思うのである。

いろんな箇所で脳にピンときたのであるが、その中の一つを紹介するとこうだ。

茂木氏がイギリスのコメディを見たことから端を発し「奇妙な人が、集団の中で萎縮させることなく、ますますそれぞれの奇妙さの世界の中に傾斜していける、というのがイギリスを近代化学の発祥の地にたらしめた一つの条件だったのでは?」と仮説を立て「奇妙であることの自由」について考えを綴った項である。

これをを読んだ後「奇妙であることの自由」の言葉を切り取って脳にインプットした私は、ふと一人の女性を思い出した。彼女は、高校卒業を目前に控えた私たちに「あなた方が卒業して大学に入るまで、いや少なくとも二十歳になるまで、おのおの方が“大人でない自分”を意識し、大人になるまで完全な自由を作らないで欲しい。何でも良いから、人と違っていようがなんであろうが、自分で“たとえ皆がしていても、私は〇〇を大人になるまでしない”と制限し、“窮屈で不自由な自分”を自分の意志で体感してほしい。晴れて大人になって、真の自由をも体感した後に君たちは、不自由であることの大切さも学ぶのだ」といった国語の女性講師がいたことを思い出す。

不義理なことに、もう名前さえも忘れてしまった彼女のこんな言葉を、当時聞き流してしまったにもかかわらず、脳からこんな記憶を引っ張りだして、しばし「奇妙であることの自由」について考えてみるのである。

ああ、頭で思っていることって本当に書きにくい。。。


最近になって知った。。

2006-11-17 23:28:08

皆さんはもうとっくに知っていらっしゃると思いますが、私にとって最近になってやっと知ったYOU TUBU(ユーチューブ)

著作権とかモロモロがどうなっているのか知りませんが、世界中の人が録画(?)して投稿したものをネット上で観られるという優れもの。

過去のテレビ番組をチェックしたりする事が出来るらしいのですが、どうしてももう一度見てみたい映像があったので、探してみたところ出てきました。

かなり昔のフレンチポップス、ダリダとアラン・ドロンの『パローレ パローレ』
日本では確か中村 晃子さんと細川 俊之さんが 『甘い囁き』という題でカヴァーしていたので、私と同世代以上の方はきっと耳に残っていると思います。歌詞はなんの事はない、男性があまーく囁く中、「口ばっかり!口ばっかり!!」と半ば絶叫気味に歌い上げる内容ですが素敵な曲です。



ダリダ et アラン・ドロン あまい囁き


で、何故この曲を一番最初に調べたかというと、単純に動いているダリダを見たかったからなんです。ダリダを初めてスクリーンで見たのは私が未だ学生だった頃、第2回横浜フランス映画祭で観た『ミナ』という映画の中でした。『彼は18歳』というちょっとセンチメンタルな曲が映画でとても印象的で素晴らしく、ずっと目と耳に焼き付いていたのですが、悲しいかなDVDにさえなっていません。

更にカラオケ好きな私が、この『パローレ パローレ』をせめて日本語で歌ってみたくても、どこにも入っていないので、たまにはダリダにどっぷり浸かってみたいなぁ。。。と思ったからでした。

と、なんだか今日は書籍の紹介ではなく、曲の紹介になってしまいましたが、これをきっかけに、私の好きな分野が一人でも多くの人に伝染して懐メロ復活になって、更には私がそれを享受できる未来を淡く思いつつ。。。

素敵な話

2006-10-30 23:45:21
先日、24日に日本テレビで放送された山口智子さんの『女帝エカテリーナ 愛のエルミタージュ』を観た人も多くいらっしゃると思いますが、実はこの番組に併せて『恋文』という本が出版されているのです。



女帝エカテリーナとポチョムキンの間に交わされた1062通のラブレターを通して、日本におけるロシア文学の重鎮、小野理子さんと山口さんの大人の恋愛について語る対談を1冊にまとめたものである。

歴史好きな私でもその実、女帝エカテリーナについてはあまり知らなかった。たしか子供の頃に読んだ池田理代子さん(だったけな?)の長編漫画が私の知るすべてと言っても過言ではない。そんな中で、今回この本のPRが出来た事はとても興味深く、嬉しいものだった。この本の中で紹介されている、女帝と臣下であり、妻と夫である二人の間に交わされた往復書簡からは、深い愛情が見えてくる。知性・品性ともに成熟した人間が書く、これほどまでに素直で素敵なラブレターは、時に微笑と感嘆を呼ぶものである。ましてや、一国の女帝とその臣下という立場の違いもあったのだから、愛し抜くという事はなみなみならぬ事だったであろうと思う。

まさか、自分がこの世を去ってこれほど年月が経った後に、自分のごくプライベートな手紙が公開されるだろうとは、、、とエカテリーナは思っているかもしれないが、一見の価値ありですよ。私自身、ちょっとは素直にかわいい事言ってみようかなぁ?なんて思ってしまったのだから。


『恋文』著者、山口智子さんの
サイン会&トークイベントのお知らせ

当日は、『恋文』に沿った大人の恋愛をテーマに、
ロシアでのロケ話などもお話される予定です。

     日時:11月18日(土)18:00〜20:00
     場所:丸善 丸の内本店(OAZO内)  3F日経セミナールーム
お問い合わせ先:03-3499-2985 潟Aーティストハウス(営業部)

役得?

2006-10-13 23:49:04


以前、坂口安吾の『不良少年とキリスト』をここで書いたせいか、友人の雑誌編集者M氏より頂いた嬉しい1冊。

『なぜ生きるんだ。−自分を生きる言葉』




「絶対、知花さん好きだと思って!」と言っていたけど、正解です。坂口安吾氏はかなり好き。この本は、今まで読んできた坂口安吾のググッとくる名文を、ご子息坂口綱男氏が1冊にまとめた語録集。

ちょっと話は変わるけど、何年か前にサン・テグジュペリ物がたくさん出版され、本屋さんに並んだのは記憶に新しい。実はこれ、テグジュペリが亡くなって50年経ち、著作権が解禁になったのが理由。『星の王子様』に思い入れがあり、テグジュペリ・ファンの編集者達がこぞって出版したのだ。

で、何故ここでこんな話を書いたかというと、実は坂口安吾氏も没後50年。この本は、聞くところによると熱烈な氏のファンである編集者が担当したそうである。装丁もとても美しく、ご子息綱男氏の写真にも魅入られながら、抜粋もとの著作物を思い出しながら、語録集をうんうん、と頷きながら読む。

この本をきっかけに坂口安吾ファンが増えると嬉しい。ただ、ひと言だけ付け加えるのであれば、どうかこの本を読んだだけで坂口安吾氏の全てとしないで欲しい。この本の中で取り上げられている個所はどれも人の心をつかみ、その言葉は深い。だからこそ、あくまでもきっかけとして読むか、あるいは氏の著作物をさんざっぱら読んだ挙句に「ちょっとした文で浸りたい」という方にお薦めであるからだ。・・・語録集とは、そういうものだと私は思う。


初!

2006-08-09 01:00:39
いつもお気に入りのブックカバーと共に、その日の気分の本をいつも持ち歩いているのだけど、たまにベッドに置き忘れてしまう傾向が私にはある。そして、そのようなときに限って、いつも急に時間が2時間ほど空いてしまうのだ。普段なら本屋さんに行って時間をつぶすのだけど、どうしても美味しいコーヒーが無性に飲みたくなったので、数年前によく通った喫茶店に久しぶりに行った。

そこは、美味しいお茶とケーキを出すなんでもない喫茶店だけど、素敵なことに絶版になった平凡社の『別冊太陽』や書籍が所狭しと置いてある。お客さんにお茶の時間を心地よく過ごしてもらうために、わざわざ店長が長年かけて買い求めて揃えたのだという。またチョイスが良い。しかも図書館さながら、自由に読んでいいのである。

他人の本棚を覗く感覚にしばしひたり、お茶をいただきながら物色すると、最近気になっていたボリス・ヴィアンの『心臓抜き』が目に付き、手に取る。実は気になりながらも何故かずーっとスルーしてきた作家だった。それに最近になって人から薦められた事もあり、脳のどこかにインプットされていたものが、ここで一気につながったような気がしたのだ。だから私は今回が初ボリス・ヴィアンなのである。



序文を読んだだけで、ちょっとだけけだるい空虚な午後のひと時に、とたんに彩りを与える。驚いたことに、私の好きな作家『地下鉄のザジ』のレーモン・クノーがこの序文をかいていたからである。



本文は淡々と語られているのに何故か色描写については奇妙なほど緻密に書かれ、そのカラフルな描写のわりに、内容は少し暗い。そして次第にこの奇妙な感覚に引き込まれていく。。。

と、60ページほど読んでタイムリミット。
多分時間を惜しまなかったら倍は読めただろう。
でも、時間が惜しかった。この本を買いに行く時間が!!
次にこの店に来る時を待ち望むのも素敵だけど、私は早くこの本を買って、仕事や今日すべきことを済ましてゆっくりとベッドで続きが読みたかったんだと思う。こういう所が仕事仲間から「せっかちだなぁ」と言われてしまう所なのだが、人は忘れていく習性を持つので、パッションを感じた本との出会いは大切にしたいものである。

岡本太郎氏について

2006-06-27 10:11:36
最近テレビで「Be TARO」のキャチフレーズを聞く
なんだ?なんだ?と思っていたら、あのメキシコにある岡本太郎氏の壁画『明日の神話』が、このたび修復され、汐留にやってくるらしい。その名も『明日の神話 再生への道』展である。

ちょっとここで話は変わるけど、わたしにとって絵画や彫刻、舞台、写真などなどの芸術は、感覚や嗅覚的にわたしを「好き」か「不快にさせる」か「そのどちらでもない」かである。
芸術として最悪なのは「どちらでもない」と云う中途半端な主張しか持たないものだと思う。

あくまでも私にとってだけども、誤解を恐れずにいうのであれば岡本太郎氏の作品は「どちらでもない」に属している。難解なのだ。判らないものを「したり顔」で判る必要はないと思う。本と同じように、芸術にも読み時があって、もう少し私が成長したら判るかもしれないけど。。。

ただ、私は彼の書いた本がすきだ。彼の哲学や思想そして彼の送ってきた人生が好きだ。たぶん、それは岡本太郎さんというより、彼の公私にわたるすべてに惚れ込んで「太郎の遺伝子」を人々に発信続けた岡本敏子さんに、惹かれるからかもしれない。
昨年お亡くなりになった彼女は、彼の内縁の妻であり、養女でもある。彼の秘書となって以来、あらゆる制作に立ち会い、取材に同行、口述をメモし、執筆を扶ける。講演・執筆など精力的に活動な女性だった。

彼女が書いた本『岡本太郎が、いる』は、そんな岡本太郎氏の魅力を余すことなく綴られた強烈な「ラブレター」だとおもう。そして、愛の形はさまざまだと、私に教えてくれた一冊だった。
と、どういうわけか太郎さんの本を読むより先に敏子さんの本を読んでしまった私だけど、太郎さんの本でももちろん素敵な本があるのでご紹介したい。



『自分の中に毒を持て』である。
この本の名前が出るまでとっても時間がかかったが、じつは冒頭で挙げた展覧会の宣伝を見て一番最初に「読み返したい!」と思ったのは、この本なのだ。
なんとも、わき道にそれてしまって申し訳ない。。。

でも、何故だかこの本を、いつ、どんな状況で手に取ったのかは覚えていない。ただ、読んだあとの印象がとても強いのだ。この本の中で太郎氏は、常識的に考えると一見ユニークでアイロニックな突飛な意見を言っている様だけど、じつはそれこそが物事の本質なんじゃぁないかな?と思わせる。それは実体験で「常識人間を超えた」彼だからこそ持つ言葉の重みなのだ。

もしも「自分の殻を飛び越えてみたい」と思ってる人
もしも「“みんなおんなじ”であることに疑問」を持ってる人
もしも「形式的にみえる愛に不安」を持ってる人

そんな人に強烈にオススメしたい1冊です。

ちなみに、敏子さんが昨年亡くなる直前に、よしもとばななさんと対談した本を1冊にまとめた
『恋愛について、話しました。』も併せてオススメ。
「人間愛・恋愛・自己愛」がみえてきます。


| 次へ
http://www.cafeblo.com/chica/index1_0.rdf
ネットワーク (2)






(c) 1999-2008 Cafeglobe.com All rights reserved