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フランス映画祭

2007-02-14 21:08:57


このシーズンになると、私の心はいつも浮き足立つ。学生の頃からほぼ毎年通う「フランス映画祭」がそろそろ開催されるからである。といっても、この映画祭、横浜で開催されていた時は6月開催だったので、冒頭の「このシーズン」というには少々語弊があるのだが。。。

昨年より、場所/時期を新たに3月に開催される事になったこの「フランス映画祭」は、毎回私にとっての「秘やかなお祭り」でもある。上映されるフランス映画の全ては、日本未公開で、時たま配給が決まっておらず、この機会を逃してしまったら、もう2度と観れないかも知れない作品が紹介されていたりもするのである。

このブログで紹介してしまうと、ただでさえ取りにくいチケットが取れなくなっちゃうのではないか?と少々の危惧もあるにはあるが、ま、それは私個人のブログならそんな事も無かろう。。。と開き直りつつ、ちょっとだけ私的『愉しい映画祭のススメ』の片鱗なぞ、ご紹介。

毎回、欠かさず注目し観ているのは、ずばり「短編特集」である。フランス映画を好きだと云う傍ら「んー、ゴダールって難解で判らない!」と思う私にとって、毎回当たり外れがあるというのは事実である。そのような意味において、誤解を恐れずに云うと“難解である=フランス映画”という認識が世に蔓延しているのも、本当だと思う。でも、フランス映画にだって「くっだらなーい!」と目尻に涙をためながら観る作品だって、スプラッタ・ホラーだって、ラヴ・コメディだって、社会派ドラマだってあるのだ。

下記の画像をクリックすると映画祭予告編が観られます。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓




で、「短編特集」をお薦めする理由は?というと。。。

1 多様なジャンルを一度に観る事が出来る。

2 少しミーハーですがデビューする監督を、
  気持ちの上で「先物買い」出来る。
 
3 上で挙げたように、これを逃せば、
  2度と観る事が出来ない。


こんな私のごく個人的な想いが「短編特集」をお薦めする理由である。たったこれだけの理由で、もう通って通って14年間。今度で15回目である。「ああ、開催まであとひと月。もうひと月」と思いながらワクワクする時間を愉しみ、待つのである。

と、このように浮き足立つ心に薪をくべるかのような映画祭の予告編映像を上にご紹介した。このブログを読んで、ちょっと興味を持った方にはお薦めです。


どうしても。。。

2006-12-16 11:31:45


以前、このブログで紹介した映画『行け、生きろ、生まれ変われ』(原題直訳)が来春、『約束の旅路』と云うタイトルで公開が決まり、昨日試写会を観てきた。まだ横浜でやっていた頃の「フランス映画祭」で偶然観て、あまりの素晴らしさに、映画祭のサブイベント、監督・俳優・プロデューサーを囲んでの少数ティーチインに参加してから、約1年半ぶりに再度観た映画だった。

既に紹介しているのにも関わらず、どうして?と思う人も居るかもしれない。でも、どうしてもこの映画に関して語りたい事があるから、ここで書くのだ。きっと、今日ここでこのブログに書いても、書き足りない事が沢山あるから何度だってあえて書く。




内容をシネマカフェから転用すると
1984年、飢饉に見舞われたアフリカ。ユダヤ教エチオピア人はイスラエルへ移住できると聞いた母親は、9歳の息子の命を守るためにユダヤ教だと偽らせる。母子は離れ離れとなり、息子だけがイスラエルへ。少年を引き取ったのはフランス系ユダヤ人夫婦。養父母は愛を注ぐが、少年は偽りの身分に思い悩む…。ベルリン映画祭でパノラマ部門観客賞を受賞するなど、各国の国際映画祭で感動を呼んだ必見の秀作。

最初に観たとき「多分、今回の映画祭で一番良い映画だったんじゃないかしら?」と思う反面「この映画は、多分日本で配給が決まらないんじゃないかしら?」と考えていた。

つまり、いかに作品の素晴らしくとも、それはあくまで観た後の感想で、あまりに日本と環境や人々の思う所が遠すぎて、社会派のイメージが強くて集客が望めないのでは?と思ったからだった。

そんな私の危惧をものともせずに、晴れて日本で公開される事が、私は嬉しくてしようがない。そして、映画関係社でもない私が試写を観る事が出来た偶然にも、本当に嬉しい。

先に書いた通り、最初に観た時には、まだ監督の話を聞いていなかったので、社会派エンターテイメントとしてみたのである。涙腺のちょっと緩い私がハンカチをグシャグシャにして、鼻をすすって、時には笑って、最後にはココロに温かいものが広がる感覚を享受したのであるが、その数時間後(?)のティーチインに参加して、更に心に響くものがあった。

それらを踏まえて、昨日もう一度観た所、ハンカチの枚数が更に必要であった。
「長い長い歴史の中、ユダヤ人であると云う事だけで多くの人々が虐待にあったり、殺されてきた。しかし、この映画においては「モーゼ作戦」と云う実際にあった歴史の一端に、“ユダヤ人(実際にはユダヤ人ではないが)だからこそ、生き延びられる事が出来た男の子”というフィクションを加えて映画を撮ろうと思った」と語った監督の言葉が耳に残る映画鑑賞であった。



プラダを着た悪魔

2006-11-19 23:53:42


先々週、一足先に観てきた映画『プラダを着た悪魔』
面白かった。。。




実は、この原作を未だ読んでいないのですが、この映画を見て読みたい!と思わせてくれた非常に出来の良い映画だったと思う。
映画タイトルと同名の原作は、VOGUE誌の名物編集長アナ・ウィンターのアシスタントだったローレン・ワイズバーガーが書いたベストセラー小説である。
小説を未だ読んでいないから何とも言えないし、人によって異論はあるものの、映画を見る限りにおいて、私は、メリル・ストリープ扮する鬼?悪魔な編集長は、決して悪魔なんかではなく、人一倍繊細で優秀で、素敵な人に思えた。メリル・ストリープが女優として、きっとそれだけ素晴らしかったという証左である。
この映画は、アン・ハサウェイとメリル・ストリープの共演で映画化したおしゃれなコメディ・ドラマ。大学を卒業し、ジャーナリストを目指してニューヨークへとやって来た主人公が、ひょんなことから一流ファッション誌の編集長のもと、アシスタントとして働くことになり、鬼上司に振り回されながらも恋に仕事に奮闘する姿をユーモラスかつ等身大で描き出す。。。

というおはなし。

最初っから最後までどんなストーリーになるのか、まるで水戸黄門でも観ているように読めてしまうのだが、それも、脚本の素晴らしさなのか?音楽の使い方がうまいのか?俳優陣がいいのか?飽きる事なく、というより楽しく鑑賞出来た一作だった。

もうそろそろ公開です。

 

偶然か?

2006-09-03 23:28:30



観たい観たい!と思っていた映画をやっと観に行った。
『蟻の兵隊』




そもそもこの映画に惹かれたきっかけはこうだ。
今年の1月からPRをしていた島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』という本の映画化があり、本自体もとても素晴らしいので、5月の封切に母と祖母、叔母を連れ劇場に行った。その時に一番最初に流れた予告編が、この映画だったのだ。

あまりに強烈な印象を私に与えたのだろう。その後の予告はどんなものを流していたのか思い出せないくらいである。たまたまこの映画の主人公が奥村さんという方で、同じ苗字を持つこのご老人に興味を持ったことと、このドキュメンタリー映画のテーマにひどく惹かれたからである。

『佐賀のがばいばあちゃん』の上映が終わり、帰宅後にアマゾンで本を探してみても見当たらず、「映画の公開を待って、まず観よう」なんて強く思っていたのに、すっかり忘れていた。しかし、この映画を観る運命にあったのか、私の友人Nに「知花ちゃん、絶対に好きだと思う映画を観たよ。もう一度観に行こうと思ってるけど、一緒に行かない?」と誘われたのがこの映画だった。

友人Nによると、私がチェックした時よりずいぶんと時差があり、映画の公開にあわせて本も出版されていた。観に行く前に読もうと思い、早速手に入れて予習をしていた。


『私は「蟻の兵隊」だった−中国に残された日本兵』





アマゾンから転用すると、この本の内容は以下のとおりである

上官の命令に従ってアリのように黙々と、戦後も中国で戦った人たちがいた。内戦に巻き込まれ負傷し解放軍に捕まった元日本兵へのインタビュー形式で綴る、戦争の真実を明らかにする執念の書。

と、だいぶ言葉足らずな印象がある。
が、しかし映画『蟻の兵隊』の公式HPからあらすじ紹介を転用すると、以下のようになる。

 今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
  かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。

この映画と本はご紹介のとおり、中国の“日本軍山西省残留問題”を扱うテーマとしているが、それだけではない。奥村さんの思いは多分その先にある。どのように自分が加害者になっていったのか?自分がしたことがどのように恐ろしいことだったのか?を60年かけて対峙していく事で戦争とは何か?を強く問いたいののだと思う。

勿論、奥村さんは聖人君子ではない。80歳を超えてもなお生身の人間で、中国に渡り、当時自分たちが処刑した中国人の生き残りの家族にインタヴューしたとき、当時の日本人兵としてのロジックに立ち戻ってしまうシーンもあった。60年間抱え続けた自責の念を、当時のロジックによって自己正当化させるかのような場面であった。それに気がついた時、人は戦争の恐ろしさを知るのだと思う。

もちろん、あたりまえであるが、この映画を観たり本を読んで思う事、考えることは個人の自由である。ただ、だからこそこの映画や書籍を一人でも多くの人に触れてもらいたいと思うのは私だけではないだろう。

偶然にも、私に薦め、この映画の存在を思い出させてくれた友人Nに感謝をしつつ。。。




ゲド戦記

2006-07-29 22:18:51


「見えぬものこそ」

世の中の均衡が崩れ、馬や羊が死に人々の頭も変になっていく。
目に見えるものだけを尊び、
目に見えないものには信用を置かない。。。
そんな世の中では、センシティブな人は、
精神的な打撃を受け、ココロのバランスさえも失っていく。。。

これは、今日から公開された『ゲド戦記』の冒頭シーン。
アレン王子とテルー少女は、
まさにこんなダメージを受けている、この映画の主人公だ。

面白いのは、この主人公達が、不均衡な世界にバランスを与えるキーマンとしての、いわゆるヒーローでもヒロインでもない事。ただの大きな世界の中の犠牲者の一人が、次第にココロのバランスを取り戻す、というところにある。

私自身にとっても、生きていくうえで感じる不均衡さや、不安に直接訴えてくれるような、素晴らしい映画だった。今の時代にぴったり合った、良いテーマだと思う。ちょっと早めに試写会を観ていたのですが、もう一度観にいきたい作品です。
所謂ハリウッド映画のようにマスに対して訴えるテーマというよりは、むしろ見ている観客サイドに訴えるテーマを投げかける、美術品のような映画でした。

よく、私は自分のバランスを崩しそうになると本を読む。以前、私がPRを担当した『ブック・セラピー』という本があるのだけど、その著者、三浦天紗子さんもいっているように、読書は極めて能動的に行動するセラピーのひとつだと思う。




生きるということだけを真面目に考えてしまって、その反対の死というものを見ないようにすれば、自然とココロのバランスは崩れていく。そこで、そんなテーマのもと、またまた連鎖反応的に繰り返し読んだのは『堕落論』
この中にある1篇、『不良少年とキリスト』は太宰治の自殺直後に坂口安吾が書いたエッセイです。交友関係にあった太宰や芥川の死を通して、坂口安吾が生と死について語った、少々口の悪い花向けの一文である。




この中の1節で

“生きるということは、戦うということ。
戦っていれば、負けない。
負けないという事は、戦うという事です。
人間は、決して勝ちません。
ただ、負けないのである。”

“通俗、常識そのものでなければ、
すぐれた文学は書けぬ”

といっている。

人は、生きることに戦っているのである。

そして『ゲド戦記』で監督デヴューを果たした宮崎吾朗氏もまた、

「自分探しのように、
見えない何かを求めるのではなく、
ご飯を食べて、仕事をして、
回りの人を大切にして、
今ここにある日々を大切にする。
つまり、まっとうに生きること」


を推奨している。

いろんな情報が氾濫し、お金や物のように見えるものが重きを置かれる時代だからこそ、真面目に「まっとうに生きること」を考えてもいいのかもしれない。。。


行け、生きろ、生まれ変われ

2006-07-23 01:44:27
ちょっと唐突だけど
「優しくなること」
「受け入れること」
「理解すること」。。。


これって、この社会の中で幸せを求めるのに、とっても必要なことだと思う。よく、「事実はひとつ」って言うけれど、例えばひとつの物事があったとしよう、それに関わった人たちの数が100人。そしたらその100人の思いによって、事実は100通りあると思う。立場によっても、その個人の育ってきた環境や知性によって、ひとつの事実が大きく変わるからだと思う。

今、イスラエルとパレスチナで起きている争いのニュースを見て、
昨年のフランス映画祭で上映された『約束の旅路』(映画祭当時は原題直訳『行け、生きろ、生まれ変われ』)を思い出した。思い出すというよりは、昨年6月に観てから、私の頭からなかなか離れない。もう一度観たいと思っていても、なかなか配給が決まらなかったのだ。で、ちょくちょくネットで検索しながら公開情報を探っていたのですが、今年の3月頃になってやっと配給も決まり、来年春には公開されるそう。





1980年代に国連主導のもと、実際にあったプロジェクト「エチオピアにいる黒人系ユダヤ人をイスラエルに亡命させる」という事実をもとに、物語は始まっていく。
80年代アフリカで飢饉のさなか、キリスト教であるのに関わらず、「生きて欲しい」と母に諭されユダヤ教エチオピア人を偽って、イスラエルへ移住する9歳の主人公。後にフランス系ユダヤ人夫婦に引き取られ、養父母は愛を注ぐが、少年は自らの信仰・アイデンティティなど偽りの身分に思い悩み、そして成長していく。。。

と、こんな内容なのだが、出来るだけ多くの人に見て感じて欲しい作品だった。
この映画の主題とは、ちょっとずれますが、映画の中で主人公に養父のおとうさん(つまり、おじいちゃん)が、イスラエルの歴史を話すシーンがある。「この木々は私達がこの土地に移り住んだときに植えたんだ。畑を耕し、この土地を愛し生活してきた。だけど、この丘や見渡す限りの山や風景はいぜんからここに住んでいた人たちが、愛していた土地なんだ」正確ではないけどたしか、こんなニュアンスの台詞があったと思う。

皆がみんな、このおじいさんのように考え、相手の立場に立って理解しあえば、どんなに素敵なことだろう。とおもう。そしてみんな溶け合って、融合し、差別や偏見が無くなればどんなに平和な世の中になることだろうと思う。そんな世の中にはならないものなのかな。。。
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