ソウルるん滞在記 '88 ソウル“最深”事情 [2008年07月28日(月)]
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ソウルるん滞在記 '88 XI ソウル“最深”事情 9月20日(火)〜23日(金)
![]() 20日(火)李朝時代の王宮、キョンボックン(景福宮)内にひときわ目立つ近代建築物は、かつて日本植民地時代の朝鮮総督府庁舎。解放後は米軍政庁舎、独立後は韓国政府庁舎として主は変わっても権力の中枢機関が置かれていた。以来民族屈辱の象徴ゆえの取り壊しか、歴史の教訓としての存続かで揺れながらも、2年前の86年に国立中央博物館(クンニプ・チュンアンパンムルグァン)として落ち着くことになった(建物が頑丈で費用がかかり過ぎ、取り壊しできないという説を聞いたことがある)。 旧総督府庁舎は、風水に基づいて建築されたキョンボックンの地脈を断つためにこの位置に建てられたという説がある。真偽は分からないが、王宮の正殿、クムジョンジョン(勤政殿)を塞ぐようにそびえ、正門であるクァンファムン(光化門)も移築させられた。朝鮮戦争で焼失したクァンファムンは1968年元の位置に再建されたが、その背後に建つ旧総督府との対比は、やはりどう見てもそぐわない。王宮という一国の権威を威圧するような存在であることは、どの角度から見ても分かる。 展示物は時代別、地域別や近隣諸国、仏教美術、白磁や青磁といった分野別などに分けられ、古代日本と共通するようなのものが多数あり、なかには縄文土器と見まがうようなものには驚かされた。改めて両国の歴史文化交流の深さに、感嘆させられる。全てを観ようとするなら半日や1日はかかるだろう。韓国人にとって忌まわしい過去の記憶をもつという位置付けはともかく、重厚な造りの建物は花崗岩の外観も内装も「中央博物館」にふさわしいものに見えたのは、日本人の身勝手な思いかもしれないが(取り壊しか保存かの議論はくすぶり続け、結局1996年撤去された)。この時、キョンボックンおよび中央博物館を案内してくれたのは、民泊先の下の階(2世帯住宅みたいな形)に住むA氏。大学生(院生だったかな)の彼も日本に興味を持ち、言葉も勉強中。留学したいとも言っていた。彼と民泊先のC氏と3人で、連夜のように話し込んだ。当時韓国で上映禁止だった日本映画を、日本語学習の名目で観たとか軍隊生活はとても嫌だったとか、日本の学生事情、はたまたポルノ映画はどんなものか、など日本についてもあれやこれやと聞かれた。 ▲上) 景福宮・敬天寺十層石塔 下) 外国の使節を歓待するキョンフェロウ(慶会楼) 上) 光化門越しに見る旧総督府庁舎 下) 景福宮・ヒャンウォンジョン(香遠亭)にて。右がA氏▲ |









展示物は時代別、地域別や近隣諸国、仏教美術、白磁や青磁といった分野別などに分けられ、古代日本と共通するようなのものが多数あり、なかには縄文土器と見まがうようなものには驚かされた。改めて両国の歴史文化交流の深さに、感嘆させられる。全てを観ようとするなら半日や1日はかかるだろう。韓国人にとって忌まわしい過去の記憶をもつという位置付けはともかく、重厚な造りの建物は花崗岩の外観も内装も「中央博物館」にふさわしいものに見えたのは、日本人の身勝手な思いかもしれないが(取り壊しか保存かの議論はくすぶり続け、結局1996年撤去された)。


祇園祭のころ、京都の夏は蒸暑い。だからいにしえ人は加茂川に床を張り出して涼をとった。

大坂城ができる以前、この場所にあって大きな勢力を誇った石山本願寺は織田信長との抗争に敗れ、秀吉、徳川それぞれの大坂城築城でその痕跡は完全に埋立てられてしまい、定かでない。修道館横にある控え目で、ひっそりとたたずむ「石山本願寺推定地」標柱は、まるで「兵どもが夢のあと」。歴史の栄枯盛衰を見た気がした。

ほとんどのこの手の見学時間は17時まで、夏場18時までなのに(通年16時までというのも珍しくない)、ここは4月〜9月8時30分〜18時30分まで(10月〜3月17時まで)。これは見学の自由度が高まってありがたい。訪れたのはお昼過ぎだったので関係ないけど。w(>o<)w




