たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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白ネコと黒ネコの会話 [2008年05月10日(土)]

白ネコ 「やあ黒ネコさんよ、引越しシーズンも終わって少しは楽になったんか?」

黒ネコ 「いやあ、そんなことはないにゃあ。俺ら下っ端ネコはこき使われるだけにゃ。青いドラネコもそう言っとったで。そういう白ネコさん、こんどソフトバンクのCMに出るんやて? たいしたもんやにゃ」 

白ネコ 「うんにゃあ、あれは別の白ネコや。俺みたいなノラネコに、声なんか掛かるわけあらへん。それにネコに小判やにゃいけど、ネコに携帯はいらへんよ。ところで黒ネコさん、最近ネズミ捕まえてるか?」

黒ネコ 「忙しくって、それどころやあらへん。白ネコさんはどないにゃ?」

白ネコ 「俺もそうやにゃ。『白でも黒でも、ネズミを獲るネコはいいネコだ』って聞いたことあるけど、俺たち、いいネコなのかね〜?」

黒ネコ 「さあね。ところで白と黒といえば、上野にまた大熊猫が来るんやて? 人気者は羨ましいね。でも笹ばっかり食っておとなしゅう見えるけど、結構獰猛なんやで。騙されたらアカン! 同じ猫でも、俺たちゃ貧しき者は虐げられるだけや」
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ [2008年05月07日(水)]

連休最後の6日は、お仕事撮影。
宝塚の某所でピアノ発表会。いつもなら小学生〜高校生くらいまでが出演者なのと違い、今回は年齢層がずいぶんと高い。一人の小学生を除いてほとんどが大人。そのせいではないだろうけど、会場は落ち着いた雰囲気。とても気持ちよかった。

先月、神戸某所で、やはりピアノ発表会のときのこと。観客席は、ほとんどが出演者の家族や友人といった身内。だから人の出入りや席の移動が頻繁に見られる。まあ、それは仕方ない。かわいい我が子の演奏は間近で見たい。それが終われば、子どもとゆっくり時間を過ごしたいというなら、さしたる問題ではない。

が、親たちが演奏中ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ……。おしゃべりするわ、おしゃべりするわ、おしゃべりするわ……。会場全体が騒がしい。

出演者の年に一度の晴れ舞台を、思い出に残るように撮影するのが、私の役目。さして難しくはないが、集中力は必要。生ピアノの演奏を聴かせてもらうのは役得であると同時に、その集中力の緩急をつけさせてくれる。だから周囲が騒がしいと、気が散ってしょうがない。

さらにはそのひと月ほど前、奈良でも同じように騒がしく、とうとう場内放送で注意されるほどだった。それでも私の前にいた親御さんは、そんなことどこ吹く風、おしゃべりを止めはしなかったのには、あきれた。

いったいこの人たちは、何しにきたのか。おしゃべりなら外ですればいい。わが子の演奏さえ終われば、どうでもいいのか。親がそういう態度なので、子ども同士もおしゃべりする、歩きまわる、で落ち着きがない。人の演奏をしっかり聴けないなら、上達なんてしないと思うし、親がそれを分かっていない環境でピアノを習わされている子どもは、不幸だと思う。
アジアンビューティー? [2008年05月05日(月)]

最近は髪を染めていない人の方が珍しいくらいで、茶髪金髪当たり前。赤青黄色、紫に緑とまるで虹のよう。黒々艶々の髪なんて、なかなか見かけなくなり、いまやネコも杓子も茶髪だとか? アジアンビューティー危機一髪。なんかコイツ、眼つき悪いし…。
ポートレート撮影も楽じゃない [2008年05月04日(日)]

今日は年数回参加している女性ポートレート撮影会。
女性をモデルに撮影するのは、やはり楽しいが、撮影中はたいがい頭ん中真っ白状態で、構図とかどんな表情やポーズがいいのか、思いつかない。モデルがくるくる変えていく表情を、捉まえるのが精一杯。なので、自分でも上手いとは思っていない。

ためらいながら、ない頭でちょっとでも考えながら、ともすると上がってしまうテンションを抑えながら撮っていく。フィルムのときの感覚を思い出すように…。

のつもりだったが、これまでになくハイペース。結果、仕事を除く、1日の撮影枚数として過去最高の、925枚。それまでの最高は、昨年(07年)9月青森県米軍三沢基地907枚、ついで8月の広島県大久野島毒ガス工場跡824枚で、ポートレートでは696枚だった。そのときも気持ちを抑えつつのつもりが、これだけの数字。そうでなければ、倍くらいになってたかもしれない。

別にそれがダメなわけじゃなく、後の整理作業を考えると、やはり少ない方が楽で早く終わるし、粗製濫造なんてしたくない、といった意識も働いてのこと(細かく見れば、ポートレートは日中3時間ほど、単位時間あたりは、断然こちらが多い)。

いずれもODC撮影会

しかしデジタルの特徴で、フィルム交換のわずらわしさや、1本使うごとに、ん百円かかるという制約から解放されるため、シャッターチャンスを惜しむ必要もない。「いい」と思ったときは、どんどん撮る方がいい結果を残せるんだから。そうでなければ、モデルにも失礼だし。

いつも、このふたつの感覚を行ったり来たり。写真の奥深さを痛感する。
旧国鉄宇品線を行く A [2008年05月01日(木)]
現代史彷徨:廣島行脚 旧国鉄宇品線を行く A 歩み 4/9


宇品線は原爆の翌日、8月7日夕方にはもう運転を再開、被爆者を広島湾似島にある陸軍検疫所まで搬送するため、宇品港まで走った。爆心地から離れており、直接被害が少なかったことが大きな理由だが、運転士始め多くの職員に死傷者は出たはずだし、山陽線は大きな被害を出し、運行システムもズタズタだったに違いない。
にも関わらずいち早い運転再開は、宇品線が軍需物資輸送の重要な担い手、つまり軍事最優先だったからではないか、と思うのは邪推だろうか。

東京からの鉄道が広島まで開通した1894年6月、李氏朝鮮の支配権を争って日清両国の関係は悪化、その2ヶ月後の8月、ついに開戦。すでに近代的港湾として整備され、その機能を持て余していた広島・宇品港が陸軍の出撃拠点として注目された。そして開戦直後、兵員物資を運ぶため、軍専用線(陸軍の管轄)として、広島駅から宇品港までの5.9kmを、わずか17日間の突貫工事で完成させたものが、宇品線だ。

広島はこのとき、日本国内での最前線として大本営が設置され、天皇と帝国議会も移ってくるなど臨時首都となリ、以来、日露戦争、シベリア出兵から太平洋戦争にいたるまで、同線は膨大な軍需物資(沿線一帯に陸軍糧秣支廠(現広島市郷土資料館)、陸軍被服支廠、陸軍兵器補給廠が造られ、最短距離で搬出できた)と兵員を戦場に送り出してきたいわば、軍都“廣島”の実働隊だったわけである。


旅客輸送は日清戦争後に始まっていたが、戦後、宇品線沿線には原爆で被災した県庁が一時的に移転(陸軍兵器補給廠跡)し、マツダの工場進出、広島大学医学部(県庁が再移転後の陸軍兵器補給廠跡を利用)等学校の通勤通学客で活況を呈していたが、軍事輸送という元来の役割がなくなった非電化単線の路線は需要が伸びることはなく、広島の復興、自動車の普及とともにしだいに旅客は減り、国鉄赤字ローカル線ワースト1へと転落、1972年全面旅客営業終了、以降1日1往復の貨物輸送をほそぼそと続けるが、それも86年9月、国鉄がJRに代わる半年前に潰えた。

普通ならそのまま都市開発に飲み込まれ、忘れ去られるものだと思うが、宇品線は部分的にその痕跡をとどめ、あるいは地元住民に語り継がれている。
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