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城郭探訪8 駿河国 駿府城(府中城) 4/5
静岡市内や駿府城内の観光解説版に、「大御所」という文字がいくつか見られた。「その道の第一人者として影響力のある人」と解釈していたが、それだとどうも解説の内容が理解できなかった。しばらくして気が付いた。「あ、徳川家康のことか」
「引退した将軍が在する所」というのが元々の意味だが、それから転じて、ここでは一般名詞としてではなく、家康個人を指す代名詞として使われているのだ。家康は先に訪れた浜松城のあと、ここ駿府城を居城とし、さらに征夷大将軍を秀忠に譲り、再びここに隠棲後も、1616年没するまで権勢を振るい、大御所の名を知らしめた。
「大御所=家康」という図式は、大阪なら「太閤=秀吉」と同じ感覚だと思うが、江戸城以上に徳川色の強いこの土地柄ならではの、ものなんだろう。
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静岡市内や駿府城内の観光解説版に、「大御所」という文字がいくつか見られた。「その道の第一人者として影響力のある人」と解釈していたが、それだとどうも解説の内容が理解できなかった。しばらくして気が付いた。
五層七階の壮大な天守閣は1635(寛永12)年に焼失後、再建されることはなく、明治以降は旧陸軍第34連隊が駐屯し、内堀は埋められ、徳川の威光むなしく残された遺構も取り壊されるも、外堀はなお往時を偲ばせている。戦後は市民公園として開放され、櫓や御門が復元、現在発掘調査もされている。最後の花見の週末として多くの市民で賑わっていた。
3月中に満開を迎えたという静岡地方だが、月末に花冷えの日が続いたせいか、散り始めや葉桜となりつつある木も見られたものの、まだまだ充分に絢爛に咲き誇っていた。
お城の天守閣はじめとする建築物は増改築したり、焼失後の再建などで姿を変えることもあるが、もうひとつのお城を特徴づける石垣は、造成された当時の姿をほぼ変えずにとどめている。つまり時代によっての造りの違いが、そのまま残されているわけだ。
家康が浜松城の居城していたのは17年。それから静岡・駿府城に移り、やがて江戸開闢へと続く。その後水野忠邦(老中。天保の改革)をはじめ、ここの歴代城主は江戸幕府の要職に就いた者が多く、「出世城」の異名があるが、17年なんて待てない。すぐにでも駿府城へ行こう。

