たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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瞬間最高ランキング [2007年10月31日(水)]
ほぼ毎日のようにこのブログのアクセス数と、そのリンク元をチェックしている。アクセス数は記事更新直後に増えるが、平均すると自慢できるほどの数字でない。

ところが9月30日、一日で一ヶ月分に相当するアクセス数に達した。アクセス元を見てみても期限切れや「ページが見つかりません」の画面ばかりで、何をキーワードにたどり着いたかさっぱりわからない。イッタイゼンタイわずか一日で何が起こったんだ? もしかしてウィルス侵入、不正アクセス、情報漏えい…、少し不安がよぎった。

実はその数日前にアップした記事が、その日の当ブログの発行元カフェブロ事務局配信の「スタッフが見つけた「今週の掘り出し記事」―秋の名月をきれいに撮るコツ、知ってます? ―に取り上げられたためのアクセス急増だった。おそらく何百とあるであろうブログの、さらに数え切れない記事のなかから「これは」というものをピックアップするのは、容易なことではない。わたしの記事がそれに値したのなら、嬉しい限り。そんなつもりで書いてわけではないので、その気持ちはよりひとしおだ。

おかげで、瞬間最高カフェブロ人気ランキング10位に躍り出た。翌日は19位、翌々日は圏外(51位以下)と降下、10日ほどでこれまでのアクセス数に戻ったけど、10月のトータルはひと月の数字としては最高、9月は2位になった。やはりたくさんの人に見られることは嬉しいし、励みになり、いい加減な作り方はできなくなる。同時に常に上位にいるブログを書き続けるのは、並大抵ではないと思った。わたし程度の記事でこれほど四苦八苦しているのに、より面白い読ませる記事を書くには…。

それでも記事の内容はもちろん、以下にしてアクセスを増やせるか思案するこのごろである。
10月の所感 映画編 [2007年10月30日(火)]

『エディット・ピアフ 愛の賛歌』 '07 仏・英・チェコ

フランスの国民的歌手の半生、といってもこれを観るまでまったく知らない存在だったけど。世界的ヒット曲は、なるほど聞いたことある。この人の歌だったのね。

図抜けた歌の才能とは違って、恵まれなかった少女時代、そしてデビュー後も私生活は不遇。このあたりのエピソードを時代が脈略なくいったり来たりして、ストーリーが繋がらず、判りにくい。この人は誰、あの後どうなったの?

最後47歳にしてドラッグに蝕まれ、歩くことさえおぼつかないまるで老婆のようなエディットを演じたマリオン・コティヤールの演技力は上手かっただけに、もったいない。

『キューポラのある街』 '62日活 監督:浦山桐雄

デビュー間もない吉永小百合の、初々しい演技で名高い作品。確かに可愛い。全然擦れていない(当たり前か)。他にも子どもたちの演技が上手い。
そしてこれも有名な在日朝鮮人たちの帰国風景のシーン。まさに帰国事業たけなわの時期に作られただけに、「金日成将軍の歌」が高らかに響く中、絶望的な貧しさと差別から脱却するために見知らぬ祖国に旅発つ様子は熱気がみなぎり、当時の様子をよく伝えていると思う。

『ダーウィンの悪夢』 '04仏・墺・ベルギー 監督:フーベルト・ザウパー

一抱えもあるような巨大な魚、ナイルバーチ。グロテスクで不味そうだが、本当は美味いらしい。日本にも盛んに輸出されているそうで、白身魚フライとかなんとかで知らないうちに食べているかもしれない。

輸出元タンザニア・ビクトリア湖畔の街はその水揚や加工業で賑わうが、これはごく一部の話。その恩恵に預かれない大部分の人が、少しでもおこぼれを貰おうと群がるが、そこには出口の見えない貧困の泥沼地獄しかない。
売春、AIDS、空腹を紛らわせるために発泡スチロールを熱湯で溶かし、そのガスを吸引する子どもたち、前任者が射殺され夜警の職に就いた男性が、「戦争で兵士になる方が収入がいい。怖くないさ」と嘯く…。
ただ蝕まれていくだけの現地住民。この地の人たちは一体何のために生まれ、何のために生きているのか。

私たちが何気なく口にする輸入食品の背景を、この映画ではしかし、その実態の、ほんの一端を伝えているにしかすぎないと思う。

消えた半日 [2007年10月28日(日)]
10/28 CFカード受難その2 消えた半日

その瞬間までまったく気が付かなかった。「あれ、なんかおかしいぞ」。そう思った時には後の祭りだった。
急きょ入った夕方からの撮影仕事を終え一旦、夜遅く会社に戻りデータ整理をしているときのこと、400枚以上の撮影データが消えてなくなっているのに気が付いた。

この日の昼間は某カメラメーカ主催の撮影会に参加。いわゆる綺麗なモデルさんを相手に、モデル命なのか、カメラ命なのか、写真命なのかわかんない連中が群がってパシャパシャと撮りまくる、あれである。
しかし一人のモデルに撮影者30〜40人という人の多さに、しだいにうんざりしてきた。思うような撮影ポジションをとれず、何とか確保したかと思えば、そこから身動きがとれず、いたずらにシャッターを切り続けることは、苦痛になっていったからだ。

それでも来たからには撮らねば、その意味がない、と2枚のメモリカードに700枚ほどを撮った後、そのまま京都宝ヶ池に向かう。当初時間的に間に合わないので断っていたその依頼も、「少し遅れるくらいなら構わないから」と言われ、「夕方からなら、時間を有効にできるな」と引き受けた。

メモリーカードは仕事用分まで余裕がなかったので、ストレージに放り込んで再び使用。赤貧写真家は使えるものはとことん使う主義。デジタル様さまである。

が、2枚のうち1枚は、京都に向かう電車内で彷徨い込んだ夢の世界の中で、その作業を済またらしい。何もかも一瞬の出来事。これもデジタル様さま。

これが仕事の撮影データなら確実にクビだろう。普段から撮影済みメモリカードは会社のサーバに移すまでは、触らないように指示されていたにも関わらず、それを無視してストレージに頼っていたからだ。

逆じゃなかったのがせめてもの救い。だからか一大事のはずも、不思議とショックはあまりなかった。とは言え、気乗りしなかったうえ撮った写真の半分以上が消えた半日は、どうしたって戻ってこない。
指が痛い [2007年10月19日(金)]
今秋の運動会の撮影は計6回、まだ数回はあるようだが、どうも出番はまわってこなさそう。撮影中は子どもたちに混じって走り回るので、翌日には足腰が痛くなるものだったが、今年は直前に軽い怪我をし、それを少し控えたせいか、足腰はなんともなかった。撮影に特に支障はなく、仕上がりも問題なかった。とすれば去年までは何だったのかな。

もっとも2台のカメラでの総撮影枚数は1万4千枚強、これは過去最高。さすがに指が痛い。
断ち切られた鉄路 [2007年10月15日(月)]
『奥の細道2007 青森・風間浦 9/6』


下風呂という地名は温泉地だらかというわけではないと思うが、下北からのバスを降りたとたん、温泉特有の硫黄の臭いが鼻を突いた。

昨晩、蟹田にて青函トンネルをくぐる特急に乗れず、函館に行きそびれた。仕方がない。すぐに切り替えたもうひとつの目的地、陸奥湾をぐるっと廻った先、竜飛崎に負けず劣らず「北のはずれ」感がたっぷり漂う下北半島の温泉と漁港の小さな町は、朝からの雨にけぶり、静寂に沈んでいた。

海岸線にそって走る国道を見下ろすようにならぶ温泉街の一角に、アーチ状の橋脚がやや不釣合いな感じで佇んでいる。付近には、その橋脚をくぐる地下道や、コンクリートで塞がれたトンネル跡がある。これらはかつて本州最北端大間崎を目指した旧国鉄大間線の遺構。津軽要塞のひとつ、大間崎要塞増強への建築および軍用物資運搬を主な目的とし建設されていたが、1939年開通した下北〜大畑(85年下北交通に譲渡、2001年廃線)を除き、大戦さなか建設資材不足により中断されたまま、その後も再開されることなく、取り残されたものだ。地元民以外には忘れ去られている。


整備された遊歩道の、敷かれたであろう鉄路のモニュメント


うっそうとした草木と激しい雨によって近づくことを阻まれた遺構


青函トンネルは当初、距離も短く水深も浅い大間-函館間が最有力視されていた。そうなれば工事は再開され、ここを頻繁に列車が通り、賑わいをみせたことだろうが、地質調査の結果、トンネル建設は困難とされ、遠回りの竜飛・福島ルートになった。レールは繋がらなかったが、散らばった歴史の破片は繋がっていた。

アーチ橋はその後生活道路として使われ、近年遊歩道として整備された。温泉街だけに駅ホームを模した休憩所にある足湯が親しまれている一方、うっそうとした草木と激しい雨が冷たい表情をして、一部の遺構に近づくことを阻んでいた。
秋薫る匂ひ  [2007年10月12日(金)]


子どもの頃、キンモクセイの馨りが嫌いだった。酸いというか、鼻の穴全部を刺激するむせかえるような生臭さに我慢できず、息を止めて通り過ぎるくらいだった。

中学生のとき、同級生の女の子がキンモクセイの匂いが好きだということを作文に書いた。あらためてかいでみた。甘いようなすっぱいような、気持ちを爽快にさせてくれる香りが、鼻の奥までいっぱいに拡がった。とたんにこの香りが好きになった。それは、彼女に対しての気持ちそのものだった。

彼女が今どこで、どうしているか定かでない。が、この時季、キンモクセイの馨りがしてくると、ふとあの頃のことを思い出してしまう。
海鮮五目ラーメン840円 [2007年10月08日(月)]
『奥の細道2007 青森・竜飛崎 9/5』


対岸の北海道が見える津軽海峡

竜飛崎にて遅めの昼食をとろうと、あるレストランに入った。時刻は4時少し前とはいえ、誰もいなかった。ここは本州北端、交通も不便なところ。とはいえ観光地でもある。こうも少ないものかな。いや、どうも誰も留まらないようである。

「海鮮五目ラーメンをひとつ」。海の幸に恵まれた食材は、青森の特産らしい。
一人しかいないなか、注文するのは少し不安だった。美味しくないから客が入らないのか、客が入らないから美味しいものを作れないのか。二人いた店員の人件費にすらならないラーメン一杯の客のわたしに、心配される筋合いもないだろうが、注文した料理が美味いかどうかは、気になるところだ。

が、これは杞憂だった。
さっぱり目の塩味スープは、各具材の美味しさを引き立たせ、細めの麺にマッチしている。

おやおや、具がなかなか減らないな。色とりどりの具は見た目も楽しく、ちょっとずつ違う食感を楽しませてくれる。タケノコ、きくらげ、イカ、キャベツ、白菜、メンマ、ワカメ、小エビ、にんじん、ねぎ、ニラ、そしてホタテ。五目どころか12品目もある。
ちょっとお得で、贅沢な気分に浸れた。
奥の細道2007 青森・三沢 [2007年10月05日(金)]
9月2日 『美女と機銃』


お約束事らしい。ジェット戦闘機をバックに女性モデル撮影。とたんに空や地上に居並ぶ軍用機に向けられていたカメラの放列が、群がってくる。異様な、奇妙な光景。普通なら絶対ありえないシチュエーション。男は兵器と女が好きなんである。

戦闘機の前方に立つ女性は、20歳頃のモデル。1分間に何回ものポーズや表情をつける。こんな笑顔を食らったら男どものハートは木っ端微塵。それをぶっ放すのがこの女性の大事なお仕事。代わりにカメラからの何百発ものSHOTを浴びる。
カメラマンのハートを落としてナンボのもん。鼻の下を伸ばした男ども悩殺してナンボのもん。

モデル後方に見える戦闘機の銃口は、20_バルカン砲。1分間に何百発もの弾丸を撃つ。こんなの食らったら、この美女は木っ端微塵。それをぶっ放すのがこの飛行機の大事なお仕事。代わりにカメラからの何百発ものSHOTを浴びる。
敵機を落としてナンボのもん、敵さん殺してナンボのもん。
北海道は何処にある? [2007年10月03日(水)]
『奥の細道2007 青森蟹田 9/5』


18切符だけで青森から函館までの移動は不便だ。数年前まであった直通の快速が廃止され、今は鈍行列車と青森・蟹田〜北海道・木古内間の特急(特例で18切符でも乗車可)を乗り継ぐしかないが、接続の悪さから特急に乗れるメリットも相殺されてしまう(ようにダイヤを組んでいるのかな)。竜飛崎へ行ったのは、函館行きの途中下車(少し戻ってくるが)であり、移動のロス時間を少しでも減らすための工夫でもあった。


 「何をしているんだ、コイツ」と思えばマネキンだった


 トンネル内にでる湧水を地上に送る送水管。お土産屋では
これを使った水出しコーヒーが売られていた(買わなかったけど)

青函トンネル内のレールはすべて溶接され一本になっているという。ははん、そうか。トンネル内は温度湿度が一定しているので、真夏に見られるようなぐにゃりと曲がったりしないんだ。走行中のカタンカタンという列車特有の振動がしないのは、どんな感じなのか。これは乗ってみないと分からない。

今は緊急事態用の退避路と役割を代えた、かつての作業抗の一部を見学する。実際使用された工事器具やその様子をパネル展示しているが、万が一のとき、ここは修羅場と化す。よく考えてみれば絶対必要なこういう設備も、現地に来なければ知る由もない。

海面下140mのひんやりとした空気のなか、そんなことを知るにつれ、海峡をくぐって北海道へ渡る気持ちが少しずつ高まっていった。

同じ行程で北海道へ渡る機会はまずないし、あらためて作るほどでもない。これが唯一の機会、散々迷ったが、ようやく北海道に行く決断をした。

蟹田駅からの列車発車時刻が近づいたのでホームに移動、気持ちは初めての北海道上陸に少し昂ぶっていた。が、が、が…列車が来ない。おかしいな。遅れているのかな。でもそんなアナウンスはなかった。
改札に戻って駅員に聞いてみて唖然、愕然、呆然。列車はとっくに出たという。乗換え時間はほんの数分だったが、一時間弱の特急乗車時間の前に少し体をほぐそうと、また気分転換もかねて改札を出た間に行ってしまったのだ。といっても目と鼻の先を歩いた程度。発車案内のアナウンスは十分に聞こえるはずなのにまったく気がつかなかった。あまりの自分の迂闊な行動に唖然、愕然、呆然とした。


蟹田駅。停まっているのは三厩から乗ってきた列車

奥の細道2007 青森竜飛崎 [2007年10月02日(火)]
9月5日 『津軽海峡夏景色』

「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと
海峡を臨む駐車場脇にある石川さゆりの大ヒット曲『津軽海峡冬景色』歌謡碑から、時おり大音量で聞こえてくる (作詞は先日亡くなった阿久悠。JASRACは大丈夫か?) 。ボタンを押すと曲が聴ける仕組みだ。なんかおかしいな? と思ったら1番はすっ飛ばし2番だけ。何人かの観光客が面白がってボタンを押し、繰り返し聴かされると、うんざりしてくる。だから、自分からは押したくない。これではかえって情緒ぶち壊し…のはずなのに、「パブロフの犬」ごとく歌詞が頭をよぎり、それを頭の中で掻き消そうとしている。うーむ、これはしてやられたな。

曇りだか雨だか晴れだかよくわかんない予報は、確かにあたった。青森駅を出るとき降っていた雨は、津軽半島を北上するとともに止み、竜飛崎につく頃は雲が薄れ、晴れ間も覗いてきた。季節外れのややしおれたアジサイや、淡い青紫のチッコリーの花に彩られた竜飛崎すぐ沖合いでは、潮流の関係で渦ができ、眼前いっぱいに拡がる津軽海峡を経て、対岸の北海道松前半島が雲に重なりながらもくっきりと見える。


    竜飛崎ほぼ北端。断崖の岩場に、夏場といえど人を
               寄せ付けない自然の荘厳さを見た

そんな竜飛崎の一角に、草花に覆われたわずかなコンクリート片が見える。かつて戦争中、津軽要塞竜飛崎砲台として数基の砲台があった跡だ。

戦争末期、米軍による都市空襲の矛先はしだいに地方の中小都市や距離が遠くこれまで攻撃圏外だった東北北海道方面にも向けられはじめた。
1945年7月14日と15日、本州と北海道をむすぶ物流の大動脈、青函連絡船を分断するため、米海軍機が襲撃した。わずかな対空砲火を備えていたとはいえ民間輸送船にすぎない青函連絡船は、容赦なく次々と攻撃され、当時就航していた12隻が沈没、座礁などで全滅した。そこで急きょ代替船として稚泊航路(北海道稚内と樺太大泊を結ぶ連絡線)の「亜庭丸」を投入するも、8月10日、再び空襲に遭い沈没。もともと津軽海峡に迫る対敵艦船用15cm砲は、ほとんど役に立たなかった。
今ののどかな光景に、それらの惨状は結びつかない。


左上) 今は砲台に代わって自衛隊のレーダーが海峡を睨む
左下) 砲台跡と竜飛崎
右) 旧津軽要塞監視所が海峡全体を見渡せる崖の中腹にあった


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