たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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奥の細道2007 仙台編 [2007年08月28日(火)]
仙台にてプロ野球、楽天イーグルス対日本ハムファイターズの試合を見る。
6月に見た広島市民球場よりもは設備は劣るようだが、見た目はきれいに改修され、雰囲気も心地よかった。

首位日ハムに3−1で快勝。これで今月の月間勝ち越し(今シーズン2度目)が決まったという。2年前のチーム発足時はシーズン100敗するか、なんてことが話題になっていたのに…。
明日の先発投手は楽天・岩隈VS日ハム・ダルビッシュ。うーん見ものやな。明日も来る?

今日は天気が悪かったせいか、半袖だとナイトゲームではちと肌寒い。
あれ? 写真データがどっかにいっちゃった。フルキャストのバカ兄弟しばし待たれい。
奥の細道2007 福島県原町 [2007年08月27日(月)]
『日本一うまい駅そば』

お昼過ぎ、まだたいして腹は減っていなかったが、降りた駅にいかにもという感じの駅そば屋があった。撮影に夢中になるとよく食いそびれるし、関西の蕎麦のつゆとは違い辛いとよく言われるが、いったいどんなものか。そこには「日本一うまい駅そば」と貼り紙がしてあった。ネットの投稿をそのまま打ち出した控えめなものだったが、“駅そば”と限定しているのが、可笑しい。いっちょ試してみるか。

天ぷらそばを注文する。出された蕎麦は確かにつゆの色が関西のものより濃い。まずはすすってみる。風味が違う。深みというか、コクが足りないように思う。昆布のうまみをベースに、さっぱりめの関西のつゆはしょうゆとみりんの絶妙な配合で、それぞれの味が前面に出てこない。しかし今食しているのはダシが効いていなく、その分しょうゆ(だと思う)の味が勝ってしまっている。「辛い」というよりかは「何かが足りない」というのが率直な感想だ。

蕎麦は、というと生麺らしいがもさっとした感じで、食感がなく、湯がきが足りなかったのか、麺がもつれてつゆがあまりからまないまま、ひと塊で口に入ってしまった。
蕎麦はそば粉の質で味や香りが違ってくる。当然値段にも差が出てくるので、本当においしいものを食べようと思うなら、駅そばでは期待できないが、それさえ下まわっている。

てんぷら(野菜の掻揚げ)も、衣が厚く、これまたもさっとした感じで、プリプリ、サクサクした食感を楽しめなかった。そこまではまだいいが、油たっぷりの衣の塊が、食欲を減退させてしまった。

このことがどうも引っ掛かった。おいしいとは言えない蕎麦に、「東北の蕎麦はこんなもん」とレッテルを貼るのは早合点だ。食通ではないが、どうせならうまい蕎麦を食いたい。

仙台に移動した夜、駅内にあった蕎麦屋に入った。「駅そば」ではなくちゃんとした店構えのところだ。
やはり違った。蕎麦は昼のに比べれば、細身でコシがあり、クセがなかった。つゆはやはり濃い目だが、昼に比べれば、もちろん関西風とは違うが風味があり、辛さも少なく、最後まで飲み干せた。

食文化の違いに過ぎないし、「日本一うまい駅そば」に過大な期待をしたわけでもないが、長年親しんでいる味と、こうも違うものとは、いやはやおもしろいもんだ。
奥の細道2007 いわき市 [2007年08月27日(月)]
斜陽する一方の炭鉱街の奇想天外、起死回生策として、フラダンスを目玉とした温泉リゾートにしてしまおうという実話をもとにした映画『フラガール』。はじめはタイトルからして「何だかなあ」と思ったが、わが街をよみがえらせたいひたむきな人々の感動的ストーリーに日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞はじめキネ旬第1位など各映画賞で話題を集め、高く評価された。

その舞台となった街が福島県いわき市湯本だという。なんだ、今日降りた駅のひとつ隣やないか。「フラで町おこしとは、いったいどんなんやねん?!」。それを知ったのは直前のこと、旅程に組み入れるには間に合わなかった…。て、映画まだ観てないんだっけ。

小名浜港は同いわき市JR常磐線泉駅からバスで10数分、そこには旧海軍駆逐艦「澤風」と「汐風」が防波堤の基礎として1948年沖合いに沈められた。もちろん船体そのものは見ることはできない。
澤風のエンジンの一部が、近くの三崎公園に記念として置かれていることと(時々海軍帽を被った御老年の男性が連れだってやってくるという)、汐風が埋められた1号埠頭にある観光物産センター駐車場横広場のすみに、辛うじてその船体の一部を示すタイルの配色がなされ、説明パネルがある程度で、これも注意しないと気付かれないだろう。


タイルの配色違いで示される汐風の船尾部分


汐風側面図。説明パネル「沈船防波堤の歴史」より


濱風の推進機関の一部。真っ赤な錆が、時の隔たりを感じさせる

現物が見られるならまだしも、海に沈められおまけに埋め立てられたとあれば「何だかなあ…」と苦笑してしまう。しかしそういう文字通り「埋もれた」歴史の出来事でもなければ、地元の人ばかりのこの港町に来ることはない。

その1号埠頭は上述の常盤炭鉱からの石炭積出しのため港湾拡張され、その当時は賑わったという。とすれば時代の変化とともにひょっとすると、この街からも「フラガール」が誕生したのかもしれない。意外と歴史はつながっている。
奥の細道2007 その壱 [2007年08月26日(日)]
夏の撮影行脚に出た。
今度はタイトルにあるように「奥の細道」、つまり東北地域を廻る。大阪からはやはり遠いので、ほとんどなじみないところばかり。3年前の夏、駆け足で廻ったが、今度は少し時間をかけてみるつもり。

第1日目は湘南海岸の江ノ島。って東北じゃないじゃん。
いっきに東北まで行く交通費が痛かったので、18切符で途中下車で寄ってみた。
夏休み最後の日曜日のせいか、すごい数の人だった。といっても初めてなので、比較できないが。
思ったほど、どーってところじゃなかった。ちょっとがっかり。

盆暮れゴールド [2007年08月17日(金)]

昨日に続き、一日京都。夕日がとても綺麗だった。
京都五山送り火 [2007年08月16日(木)]

京都五山送り火の大文字焼を見に行く。出町柳付近の鴨川べりにて。
五山のうち、これしか見られなかった。もう少し北上すれば見られたんだろうけど、すんげー人だったのでやめた。

お盆もおしまい。しかし、とんでもなく暑い日が続く。


8.15 大阪護国神社 [2007年08月15日(水)]
住之江にある大阪護国神社のみたま祭は思った以上に静かだった。いや、たぶんこれが普通なのだろう。20人ほどの迷彩服姿の怖そーなおっちゃん、あんちゃんと拝殿に座っている慰霊祭の列席者以外は、まばらに参拝者がいる程度。



12時、黙祷。その合図である太鼓の音が、セミの声や周囲の喧騒に掻き消され、境内にいても聞こえにくい。

むわっとした暑さだったが、木陰に入ると少しだけ涼しかった。参道の中央に設けられていた夕方から行われる納涼盆踊り用の櫓が、厳粛というほどではない、しかし張り詰めた雰囲気の中、すこしほっこりさせられた。そしてその四方にずらりと並んだピンク色の行灯が、時おり風に揺られカタカタと鳴っていた。

これが終戦記念日…。なんか霞んでいるように感じた。
帽子紛失防止策 [2007年08月10日(金)]
数日前、○イソーで帽子を買った。まあ、質がいいとは思えない。夜、家で被ってみると暑かった。ちょっといやな予感がした。

帽子は屋外での撮影の時、暑さ避け、日除け、雨避けに役立つ。メッシュ地のほうがいいんだが、お気に入りのものがなかなかなく、すべて布地のほうを買ってしまう。こいつは蒸れて暑いんだな。だから、よく脱いでしまう。

ああ、やっぱり。広島に向かう車中でウトウトしていて、岡山で乗換えのとき置き忘れてしまったらしい。

帽子は脱いだあと、カバンやポケットに入れても結構かさ張ったり、つぎ被ろうとするとき、取り出すのが面倒だったりとちょっと厄介。もともと普段はあまり被らないので、しばらくは気が付かない。あっ、と思った時にはもう遅い。これまで何度もやらかしては、懲りずに買っている。

一度も何の役割も果たさずに、ただの邪魔者でしかなかった帽子くん。と言って、また買うんだろうなあ…。
廣島行脚 ラクガキング [2007年08月07日(火)]
ヒロシマからJRで2時間弱、忠海駅から船で10分ほどの大久野島は戦争中、島全体が毒ガス工場として陸軍の管轄下にあり、従業員以外の一般人は立ち入ることはできず、地図からも消されていた島だった。今は無人島だが、国民休暇村が作られ、リゾート地として観光客が訪れる。

毒ガス工場施設は戦後、占領軍によって破壊されたものの、島の方々にはまだその痕跡が残っている。が、観光施設ではないので長年放置され、一部を除けば案内も説明版もなく、何も知らずに見るとまったくの意味不明な箇所だ。もちろん人に見せるための工夫はされておらず、あるのは「立ち入り禁止」の札のみ。しかし完全に手付かずというわけでもなく、適度に草木を刈る、ごみを拾い集める程度の手入れはされているようで、非常に微妙なグレーゾーン、知る人ぞ知る“廃墟”巡りのスポットとなっている。


そのためかそれら“廃墟”は“こっそり”と侵入する輩が後を絶たず、まるで手柄であるかのよう書かれた落書きもそのままとなっている。なかには肩車をしても届かないくらい高い箇所に書かれたものもあった。

内容は他愛もないものがほとんどだが20年、30年いやもっと古い日付のものがはっきりと読み取れるところをみると、その状態のよさが伺えると同時に、奇妙な時間の流れを感じさせてくれる。


これまでいくつかの戦争遺跡と言われるものを見てきたが、ここはもっとも遺跡、いや堂々たる廃墟であり、それ以上に落書きの宝庫と化していた。

だが、まったく変な話だ。ここが観光施設として、あるいは戦争遺跡として文化財等の指定されているならこんな落書きは許されるはずがない。が、そうなっていないが故、ほとんど手入れされずに破壊されたころの姿をとどめ、アングラスポットとしてそれが一部の人を惹きつけ、そして“こっそり”と落書きできるほど近づけ、あるいは写真を撮ることもできるアンビバレンツな箇所なのだ。

     上)島の住民はウサギ。人懐こく、足元に寄ってくるが、
       エサをもらえないと判ると、さっさとどっかに行ってしまう
     下)近年の調査でも島からは環境基準を大幅に越す砒素が
       検出されているという。一部は海水浴場になっているけど、
       大丈夫なの?
廣島行脚 当日 [2007年08月06日(月)]
今日は朝から曇りがち。7時ごろ2、3度激しく雨が降ったこともありすこし涼しく感じられた。あの日もこんな天気ならば原爆は使われなかった。あの日は早朝から快晴、先行していた気象観測用B29がその報を伝え、廣島がヒロシマへと変わった。すでに米軍はレーダーによる爆撃技術を持っていたのに、原爆に限っては目視爆撃を厳命されていたのは、なぜだろう。

左)原爆ドーム横でのダイイン 右)次の世代へとその思いは伝わっていく

いや、たとえ晴天であっても、迎撃戦闘機が飛んでわずか3機のB29を撃墜はできなくても、追い払うくらいはできたはず。そのころの日本の戦闘機は、爆撃機であるB29にさえまともに立ち向かえなかった。さらには本土決戦に備え、戦闘機を温存する目的で、敵数機程度の侵入なら迎撃に向かわない方針だったという。これは軍の職場放棄であり、敵前逃亡に等しいだろう。そこまで無能力化していながら、戦争を続けたがった軍首脳たちはいったい何をどうしたかったんだろうか。

左)8時15分、原爆ドーム前で黙祷を捧げる人たち
右)一緒に折鶴を折る親子。かつては子どもの遊びだった折鶴は、
時代を経て平和を紡ぐひとつの象徴となった

平和公園一帯は日本中、世界中から多くの人が訪れ、非日常の空間と化し、独特の雰囲気が生まれる。

上)江波で被爆したヒロデンの電車。以降、外枠やシャーシ以外は
大幅に改良されながらも昨年6月まで現役で走っていた
下)市内各所にある原爆犠牲者慰霊碑にも花が手向けられる

恒例の慰霊の灯ろう流し。この時季のこの時間は、潮の満ち引きの
関係からかほとんど流れずに元安橋付近で留まっている


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