たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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今月の所感 映画編 [2007年05月31日(木)]
『サイボーグ009 超銀河伝説』 '80東映 監督:明比正行

何気なく観た作品。なんだかなあ、という展開だが、まあ、ありがちなので許そう。なんだかな、というオチだが、神秘的と言ってしまおう。おまけになんだそりゃあ、というオチの二段構え。その意味で、最後まで見る価値あり?

『es[エス]』 '01独 監督:オリバー・ヒルシェヴィゲル

1971年米スタンフォード大学で本当に行われた心理学の実験を再現したもの。 無作為で集められた人間を「看守役」と「囚人役」の二つの集団に分け、各々の役割を演じさせるが、実験と分かっているにもかかわらず、エスカレートするそれぞれの行動。そこまでするかの連続で、見ていてにわかに信じられない思いだった。ある環境下においての人間の行動は、理性と関係なく動くことを如実に現したものかもしれない。
以降、この手の実験は禁止されたとのことだが、実験ではなくても、特殊な環境に置かれた人間がいなくなったわけではない。

『ナチョ・リブレ 覆面の神様』 '06米 監督:ジャレッド・ヘス

メキシコなのに片言のスペイン語しか話せない英語の映画。タイガーマスクの原案とされる実話をもとにした、いわば兄弟作品(?)。孤児を集めた修道院の修道士が素性を隠してマスク姿でルチャ・リブレ(メキシコでのプロレスのこと。スペイン語で自由への戦い)に挑む物語だが、タイガーマスクのような悲壮感や使命感はまったくなく、主演ジャック・ブラックのやたら濃いキャラと、痛いギャグばかり目立つどーしようもないB級作品。



今月の所感 書籍編 [2007年05月30日(水)]
『新選組血風録』 司馬遼太郎 角川書店 '69(初版)

新選組がいた京都中心部は独特の地名表記があり、なかなか判りにくい。が、仕事でしばし行くので、数年がかりでようやく判るようになってきた.。おかげで、作中のシーンが浮かんできた。もちろん江戸末期と今とでは街並みは全然違い、池田屋事件跡地がパチンコ屋になっているという風情に欠けるのもあるが、知ると知らないでは受け取るイメージの差も大きいだろう。

それにしても、これだけ人を斬るということが平然と行われていたとは。新選組って、それほどもてはやされるものなのかね。
石畳の東山路地。壬生狼といわれた
新選組隊士たちもこの道を歩いたことだろう
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廣島行脚 軍都は今 [2007年05月27日(日)]

広島城周囲は戦時中まで、陸軍第五師団司令部と関連施設が置かれていた。そのひとつ西練兵場の一角(現広島市民球場付近)にあった護国神社は、戦後お城の手前に移ってきた。その神社はちょうどみたま祭の最中、奉納子ども相撲大会が行われていた。目の前には中国軍管区司令所跡、むき出しにさらされたコンクリートの破壊跡が、その凄まじさを今も見せている。
他には日清戦争時の大本営跡、歩兵第11連隊門跡、陸軍幼年学校(軍幹部養成のための、いわば陸軍付属中高校)跡など軍関係のものが、ひっそりと、しかししっかりと残され、かつての軍都を偲ばせている。

そこを離れた。しばらくしてまた、何処からか賑やかな音が聞こえてきた。行ってみると小学校の運動会。そういえば絶好の運動会日和だ。
運動会は私にとっての稼ぎどころ。グラウンドに入って子どもたちと一緒に走りまわって、写真を撮りたい衝動に駆られながらも、しばらく見ていた。
小さな小学校だった。そして幼稚園と保育園とが隣り合っている。高層集合住宅が立ち並ぶこの一帯が「原爆スラム」と呼ばれていたことは、数日後知った。その戦慄的な言葉の響きにショックを覚えるとともに、両者があまりにも対照的であるがゆえに、かえって街の変遷が露骨に浮かんできた。

原爆で傷つき、家を焼かれた人たちが、広大な敷地だった陸軍用地跡に流れ込んだことは想像に難くない。そして貧困の象徴たるスラム街の一掃と、近代都市として再び膨張し始めた広島の都市政策はまさに表裏一体の課題だった。

そういえば子どもの頃見たTVアニメ『タイガーマスク』に、こんな物語があった。タイガーマスクこと伊達直人が広島巡業の際、原爆ドームの模型を持った男性に出会い、どうしてもそれを譲って欲しいと言ったが、被爆者としての思いがあるので譲る気はないと断られる。その老人のいたのが狭くて、小さくごちゃごちゃした家並みだったようなおぼろげな記憶が蘇ってきた。ひょっとするとそこは「原爆スラム」だったかもしれない(違ってたらゴメン)。


子どもたちの歓声と躍動的な音楽が鳴り響いていたその街に、いまやスラムの面影はかけらもない。そしてスラムの住民たちも吸収したその高層住宅街も、高齢化が進んでいるという。
ちょっと異様に見えた1階部分の商店が軒並み閉まっていたのは、たんに日曜日だったからという理由だけではなさそうだ。

大阪行バスに乗るため、広島バスセンターに行くと、また賑やかな雰囲気。
近くで見てもちょっと大きな市民会館くらいにしか見えない(?)、かつて護国神社のあった広島市民球場で、セパ交流戦、対西武戦が始まるところだった。この市民球場も老朽化で新球場建設問題がいったりきたりした後、ようやく本決まりとなった。
このあたりの街並みも数年後には様変わりするんだろうな。

爆心地にもっとも近い被爆樹木(約370m)。広島球場すぐ近く
廣島行脚 ヒバクシャの言葉 [2007年05月26日(土)]
速度はそれほど速くないが、数分おきにやってくる路面電車は、昔も今も、広島市民の重要な足

被爆者の話を伺った。
70代後半の女性、Tさんとしておこう。これまでも修学旅行生らを相手に、語り部をしてきただけあって、話が上手だった。

当時17歳のTさんは、学校卒業後、軍需工場で働く毎日だった。8月6日のその日、彼女はたまたま徹夜明けの非番で、同じ工場に勤める友達と宮島に海水浴に行こうと約束し、己斐の自宅に一旦帰宅し、家で身支度をしているとき、ピカーっと光った。
気が付くと近くの芋畑に倒れていた。Tさんは、はじめは家のすぐそばに焼夷弾が落ちたと思い、火を消そうと家に戻ったが、爆風で家が傾いていたものの、火は出ていなかった。近所のおばさんたちが出てきて、「どうしたんじゃろ? どこにも焼夷弾は落ちとらん」などと話し合っていた。
翌7日以降、広島城隣にあった陸軍病院で看護士をしていた母の安否が気になり、方々を歩き回って探す…。

話を聞きながら、これまで見知ってきたことをツギハギしながら、その情況を思い浮かべようとした。
そう考えていくと、原爆の爆風に押しつぶされ、あるいは熱戦に焼かれた人と、助かった人。これらの違いは時として紙一重の差、偶然が重なったものだなと感じた。そして壊滅した街中で、Tさんはもちろん、数え切れない被爆者はどうやって過ごしたんだろう。食事や水は?お金は? 寝泊りは? どんなに想像しても、本当の惨状の足元にも及ばないだろうけど。

そのあと、他の参加者からこんな質問が出た。
「私も被爆しているので、その当時の状況はよく知っているけど、その話は何処までが実体験で、どこまでが人から聞いた話なのか。話が一緒になっていないか」という予想もしない言葉だった。
確かに話が滑らかすぎた感はあった。それはおそらく、聞き手が学生など、原爆のことはもちろん当時の社会背景などほとんど知らないであろうという前提条件のもと、限られた時間で分かりやすく話さなければならないので、最大公約数的な言葉の選択になったんだろうと、思う。それが、逆に受け取られてしまったことは、語り手、聞き手とも不本意なことだ。

同じ被爆者でも被害の程度の差、体験したこと、見聞きした状況に大きな差があることや、中には記憶がごっちゃになっている人もいるだろうが、それをまざまざと突きつけられたことは、初めて。被爆の実相を伝えることの難しさを実感した。

「あっかんべーっ」(?) 日清戦争時の廣島大本営跡礎石。これを契機に軍事都市として性格を強くする
廣島行脚始まる [2007年05月25日(金)]

広島にはこれまで何度も行き、ほうぼうを撮影しているが、これが高じてこの週末から、何を血迷ったか6週連続で広島に行くことになった。我ながら困ったやつだと思う。

広島、いや「ヒロシマ」−人類史上最初の原爆の被爆地−の写真は、これまで数多の人が撮っている。それと同じような調子で撮っていても没個性(自ずと似たような構図になってしまう)、しだいに手応えを感じなくなってきたのだ。手応えとは撮影した瞬間、自分のイメージと構図etcがどんぴしゃりと決まり、「よっしゃー、ええ写真撮れた!」と感じるものだが、最近はそれが平々凡々に思え、オリジナリティーある写真には程遠いことをひしひしと感じるようになってきたのだ。

その理由は撮影対象に対して知識不足であり、認識不足以外にほかならない。
そのためには被写体をもっと深く知り、洞察力をつける必要があると、思っているときに、そんなことを勉強できる機会が広島にあったので、ダメもとで申し込みしたところ、なんとOKが出て、行くことになった。参加費はいらないが、もちろん、交通費は自腹。1、2回くらいならともかく、6回となるとちょっと、いやかなり大変だ。

広島は大阪から新幹線で1時間半ほどだが、赤貧写真家は新幹線なんか乗れない。いつも在来線、それも18切符シーズンだけなので、片道5〜6時間、往復で12時間くらいを片道1枚ずつ使えば4600円、強行日程になるが日帰りも可能なので、その場合は2300円で行って帰れる。その費用対効果は抜群ゆえ、何度も通えたわけだ。

が今は18切符シーズンではないので、結構イタイ。少しでも交通費を安くするため高速バスを使うことにした。新幹線の片道よりも安く、往復で9000円ほど。これが6往復。18切符キップ4シーズン分以上になる。申込みに際し、上述したようなことを豪語したので、今さら「交通費がかかりすぎるから行けません」とは言えない。

かくなるうえはとことんまで付き合って、より大きなものを引き出せるように喰らいつくしかないだろう。


夕暮れ時の元安橋。バンドの練習をする若者たちの声が響く
○年の呪縛 [2007年05月20日(日)]
カメラ機材を仕舞っている棚は、デジタル化以降ほとんど出番のなくなったフィルムカメラはじめ、いりそうでいらないものなのか、いらなさそうでいるものなのか区別がつかない、いろんな機材がが無造作に置かれ、しっちゃかめっちゃか状態なところだ。

そこを整理していたら、埋もれていたコンパクトフィルムカメラを「発掘」、驚くべきことに、なんと数枚撮影済みのフィルムが入ったままだったのだ。

はてさて、いつ、何処で、何を撮ったのか、なぜこんな状態になってしまったか、さっぱり記憶がない。しかも中に入っているのは仕事用フィルムのあまりなので、ますますいつのころかわからない。ということは、そのフィルムはとっくに使用期限が過ぎている可能性大なのだ。

う〜ん、困ったな。
数枚撮るのも、最後まで撮りきるのも現像料金は同じ。しかも期限の、それも大幅に過ぎたかもしれないフィルムを現像するために残りの枚数を撮影し、色褪せているかもしれない現像プリント料金を出すのもなんだかナンセンスだ。せいぜい千数百円のことなので、たいした額ではないが、期待できないことに、まともなお金を出せないのは、ほかでも同じこと。

ならば、そのフィルムを抜き取り処分する選択肢もあるが、曲がりなりにも写真を生業にしている者として、やはりそれは避けたい。

フィルムを余らせず、使い切ることは実は結構難しいワザ。10枚、20枚と余り、無理やりつまんないものやどーでもいいものを撮ったり、逆にどうしてもあと数枚だけ撮る必要が生じ、余分に1本つかったり、ということはしょっちゅうだった。

このある種の「呪縛」から解放されたことで、デジタルでの撮影はその自由度を高めた(際限がなくなったとも言えるが)。

さて、このフィルム、どうしてくれよう。

デジタルでも「どーでもいい写真」を撮るが、
たいがいはすぐに消される
遥かなり龍宮城 [2007年05月17日(木)]
先月、下関の亀山八幡宮で浦島太郎よろしく亀を助けたが、実は以前にも似たようなことがあったことを、その時思い出していた。

それは数年前の初秋、台風が接近する夕方、帰宅途中での出来事だった。
なんだか道路上をモソモソと石ころのようなものが動いていた。すぐに体長15〜20センチはあるカメだと判ったが、イッタイゼンタイなんでこんなところにカメがいるのかが不思議だった。

カメが向かう先には、確かにカメが棲息してそうな沼があった。道路を挟んだ反対側は田んぼで、ここもカメがいてもおかしくない。が、両者の間には段差やら茂みもあり、歩道を含めて距離も10数メートル以上離れていて、完全に分断されている。それはカメにとって外国に相当するくらい別世界だと思う。

これを容易にカメが通ってこれるとは思えないし、道に迷ったとしても、あまりにもカメがいる場所としては似つかわしくない。

ならば何か明確な目的があって、道路を隔てた沼に向かっていたんだろうか。だとすると車の往来の激しい、その道路を渡る危険を冒してまで、果たしたい目的とは何なのか。カメが「危険」というものを認識できるのか。いや、そもそも、カメがそんな強固な意志を持って行動するのか。私の頭の中は、そんなちょっとした混乱を起こしていた。


道路にこんなデカいカメがいたら嫌だ
(奈良・明日香村の亀石)

やがて車が近づいてきた。カメはその気配に感づいたのか、逃れようと短い脚を必死に動かしているように見えた。車はカメを避けたが、次の車が気付いてくれるとは限らない。空はどんよりと曇り、薄暗くなってきている。日が落ちる前に、カメなんぞ視界には入らなくなるだろう。

ようやく達した路肩を乗り越えようと、カメは短い脚をバタつかせていたが、段差からそれが不可能なことは、明らか。

「何をしたいんだ、お前は」
心の中で私はそう叫んだ。そしてひたすらもがき続けるカメをむんずと掴み上げ、人間にとってはほんの数歩先、柵があってそれ以上前に進めなかった沼に放り込んだ。多少手荒だと思ったが。
童心 [2007年05月11日(金)]
今日ぷらぷらと家の近所を歩いていたら、クワガタムシがノソノソとはいつくばっているのを見つけ、びっくりした。詳しい種別はわからないけど、オオクワガタかヒラタクワガタあたりか。体長5〜6センチはある大きなヤツだった。

場所は大阪の中では山手にあり、近くには神社やら小さいけど藪も残っており、虫が飛んでこれなくもない距離だと思う。とっさに私が小学生のとき、部屋にカブトムシが飛び込んできたことがあったのを思い出したからだ(といっても、ずっとずっと昔の話だが)。しかし、時期的にまだ早すぎる。どこかで飼われていたものが、越冬後逃げ出したのかもしれない。それとも温暖化の影響で、虫たちの活動が早まったのか? 生きているクワガタを見るのはいつ以来のことだろう。

虫の中でも人気を分けるクワガタムシは、カブトムシよりもプレミア的な人気を持ち、1万だか10万円だか知らんが、とんでもない値で売られていたりする。

どうしようかと一瞬ためらった。コイツをひっ捕まえて業者にでも売っぱらちまおうか。ちょっとした小遣いにはなるかも。今さら虫を飼って喜ぶ歳でもないし、飼育にかかる時間もない。飼ったとしても、幾日もしないうちに死なせてしまうかもしれない…。

そいつはやがて、ブロック塀に前進を阻まれ、その大きなクワを突付きながら、懸命にもがくように脚を動かしていた。そんな姿を見ているといじましくなり、そのままに立ち去ることにした。

子どもの頃、友だちと虫かごをもって山の中を歩き回ったことがある。無邪気でとても楽しかった。もうあんなことは出来ない。
そしてほんの一瞬、童心に戻ったような気がした。
晴時々曇 ところにより雨 [2007年05月06日(日)]
連休最後の今日は朝からじゃんじゃかの雨。昨日は降りそうな予報だったけど、初夏の陽射し。連休の頃って、結構天気が変わりやすいみたい。

ちょうど去年は4日(和歌山)、5日(岡山)と好天で、6日は曇、7日(両日とも香川)は朝から雨だった。

一昨年は鹿児島に行っていて、2日小雨、3、4日好天、5日午前中は晴れてたが、昼からジャジャ振り、6日晴(宮崎)、7日大阪に戻ってきて、曇だったと記憶している。その前の年は…覚えてない。

でも地域が違うから、参考にならんか。
それも当たり前 [2007年05月05日(土)]
今日は久しぶりにフィルムカメラを使った。デジタルカメラ以降、使う機会はどんどんと減り、気が付けばまる1年、ちょうど昨年のGWのとき以来だ。その時使い残したフィルムもあって、それものまま1年置きっぱなしだった。何がまずいかって、フィルムには化学薬品が使われているので、使用期限がある。時間がたてばそれらの薬品は劣化し、現像の発色がおかしくなってくるからだ。
そしてそれは2007年4月となっていた。あれー使用期限過ぎてるよ。

まあ、ひと月(数日?)くらいならまだ充分に使えるが、しかし仕上がりの色がおかしくなるかもしれな現像を、しかもお金を払ってしてもらうのは、なんとも乗り気しない。さっさと使ってしまえばいいんだけど、フィルム代も現像代もいらないデジタルを、ついつい使ってしまうのは、赤貧ゆえの悲しい定めか。

フィルムカメラで撮っていて、すぐにおかしなことをしていると、気が付いた。撮った直後に、カメラの背面を見ていたことだ。当たり前だが、フィルムカメラに液晶モニターはついていない。撮ったフィルムを現像所に持っていって、どんなに早くても30分は待たないと写真は観られない、カメラを扱うようになって以来ほぼ20年続いていた当たり前なことが、わずか数年のデジタル化で覆されてしまったのかもしれない。


フィルムカメラの2台。まだまだ使えるんだけどな

そういえば、デジタル導入直後はモニターをわざとオフにして、見ないようにしていた時期もあった。電池の消耗がどれくらいかわかんなかったし、いちいち露出がどうのこうのなんてことに、引っ張られたくなかったからだ。が、それもほんの束の間だった。

仕事での撮影で失敗は許されない。特にデジタルではその場で確認ができるんだから、どんな言い訳も通用しない。撮影直後に見ることが、当たり前になった。

写真を撮ることに、フィルムもデジタルも基本は大差がないと思う。それは道具であり、手段であって、目的ではないから。しかし、デジタルに慣らされると、フィルムを扱うことが億劫になってくるのも事実。でも結果をすぐに見られない分、それを想像しながら1枚1枚をじっくりと"ためて"撮るフィルムの感覚を失いたくないな。
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