長崎市長選挙運動中に、現職市長で候補者が射殺されるという事件が起きた。捕まった容疑者は、長崎市とトラブルを起こしており、その個人的怨恨のすえの犯行と思われる。政治家のスキャンダルには事欠かない日本だが、政治家への暴力事件は少ないのが救いだったのに。
選挙運動中にその候補者が死亡もしくは辞退した場合、公職選挙法によると、投票日3日以内なら補充候補を受け付けて、そのまま選挙戦は続けるという規定になっている、ということを今回知った。
そして急遽立候補したのが、射殺された候補者の娘婿と市役所職員だったが、これは、はたして公平公正な選挙なのかな、と思った。

平和宣言を読み上げる故伊藤長崎市長
1998年8月9日平和記念式典にて
というのも、選挙中の非業の死(今回は射殺という衝動的な事件)の後、急遽その身内が立候補することは、弔い合戦となり、同情票を集めやすい。候補者の政治手腕や政策はそっちのけで、「○○(故人)の無念を晴らさせてください」とか、「○○の遺志を継ぎます」という情に訴える戦術が前面に出て、有権者の判断材料にならない。資質も適正もわからないまま、身内(遺族)という理由だけで立候補する(させる)のは、政治の私物化にしかすぎない。
また立候補者の機会均等を前提としている選挙戦なのに、補充立候補者はわずか2、3日しかその時間が与えられないことは、候補者、有権者ともに消化不良を起こす。また、事前投票での死亡した候補者への票が無効になるのは仕方ないとしても、新たな選択肢に対しての投票機会が失われることは、やはり公平性の観点から疑問だ。
一旦仕切り直しとするか、選挙期間の延長などのほうがいいのではないかと、思った。
しかし、そうした場合、首長あるいは議員の不在という期間が発生し、当然行政に支障をきたす。もしこれが政治的背のすえの事件なら、犯人の思う壷になる。テロを助長しかねない。
長崎市長選挙の結果は僅差で前市職員が勝ったが、白票を含めた無効票も多く、有権者の判断を迷わせたのは確か。少し風向きが違っていれば、結果は逆であってもおかしくない。
陸上100メートル走でスタート後、選手の誰かがこけたからといって、その後からまったく別の選手が一緒になって走り出すことはない。