今日は、昨日に引き続き東京大空襲にまつわるものを撮影のつもりが、朝からあいにく雨。しかも雨脚が強い。小雨なら様子を見ながら強行するんだが、これじゃあ、人間もカメラもダウンしそうなので、断念。宿でくつろぐ。
昼前、昨日聞いた天気予報どおり、回復してきたので、いざ、撮影開始。
浅草寺。地名は「あさくさ」となのに、寺は「せんそうじ」と読むのがおもしろいここは、去年も来たところ。しかしその時は東京観光、外国人からすれば日本観光のメッカとしての浅草を、おのぼりさん的に行ってみたので、浅草寺が東京大空襲の際、大半が焼失したなんて知ったのはその後のこと。その傷跡を今に見ることができた。
被災した樹木が本堂を囲むように何本かある。よく見るといびつな形状をしている。その内部がえぐられるように焼けただれたままで、触ると真っ黒な煤が手に付く。それを新しい樹皮が囲んでいる。
不思議だ。いったいどれほどの猛火が、これらの樹木を襲ったんだろう。62年という時間が経過、その間風雨にさらされているている。いくらなんでも、焼け跡は腐食や剥離したりして、あるいは最悪、木そのものが枯死し、その痕跡が留まることはあまりないと思っていたが。
人ならまだ火から逃げられるが、動くことのできないまま焼かれ、しかし息を吹き返した。物言わぬ樹木の恐ろしいまでの生命力を感じた。
浅草寺でも3月10日に大法要が行われるので、その一角淡嶋堂大平和塔や地蔵尊には真新しい花が手向けられてあった。すぐ裏手、浅草花やしきからは、賑やかな音と声が盛んに聞こえてきた。
その後、浅草公会堂で開催の「東京大空襲被災資料展」を見る。しまったな。雨の降っていた午前中にここに来ておけば、よかった。そうすれば時間が有効に使えたのに。
戦災に逢った当時から今に至る人工建築物は少ない。そのほとんどがその時燃えてしまい、それ以外でも戦後の再開発で立て替えられてしまっているから当たり前だが、東武伊勢崎線起点にある松屋浅草店と、隣接する神谷バーはその数えるほどの建物のひとつだろう。
松屋は(牛丼チェーン店の松屋ではない)、外壁をパネル状のもので覆っているので分かりにくいが、内装はやはり往時を偲ばせる凝った造りが見られる。そういえば戦災とは関係ないが、どこの百貨店も、窓をつぶして陳列用空間に充てている。松屋の昔の写真を見てもしっかりと窓があるのにそれを隠すように、パネルで囲われている。
現在建直し工事が進められる阪急百貨店梅田本店も、窓の内側から真黒の板か何かで目張りをしていた。それは、ちょっと異様な光景だった。
一方大正時代の1921年落成(ということは関東大震災も耐えたことになる)の神谷バーの、壁面が黒焦げ状態の空襲直後の写真があるが、今にそれを見ることはできないものの、外装、内装ともふんだんのレトロ色で彩られている。日本でも老舗酒場だが、バーといってもいたって大衆レストランで、昭和初期のモダンとはきっとこんなんだったんだろうな、と思わせるな雰囲気だ。
東京大空襲は一晩で約40平方kmを焼失したが、浅草は一部にしかすぎない。ああそうだ、銀座も何度も爆撃されたらしい。銀座に行こう。