たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

(C)awaya  このサイト内の写真、文章の著作権はawayaに帰属し、無断転用、無断使用はお断りします。

Latest Articles
Categorie Archives
Latest Comments
スイスの旅人
桜 開花 (03/29)
awaya
SDカードならば (12/22)
みなみかぜ
中秋の名月 (09/30)
fukfuk
○年の呪縛 (05/25)
won yangok
童心 (05/14)
fukfuk
これも花見かな (03/31)

http://www.cafeblo.com/cafedeblog_binbo/index1_0.rdf
武蔵と大和の間 [2007年01月28日(日)]
『戦艦武蔵』 吉村昭 新潮文庫 1971年

子どもの頃何度も読返した旧日本海軍軍艦の本に、武蔵の生い立ちについての漫画があった。特に一人の市民の目にも触れさせないよう厳重警戒のもと進水式が行われ、その巨体に煽られ対岸に高波が押し寄せた描写は子どもながらも生々しく映った。それが印象にあったんだろ、大和ではなく武蔵のプラモデルばかり大小あわせて3つくらい作った。

「なんか希薄な内容やな」
読み終わったときのまずの感想だ。紙幅が少なめ(約250頁)という意味ではない。作者の取材や筆致力の足らなさでもない。「武蔵」という船の生涯そのものが希薄だったのだ。だから著者がどれだけ資料を集め、関係者に話を聞いても、ドキュメントを書くには材料不足だったかもしれない。

全頁の約3分の2が建造期間に充てられている。二号艦(=武蔵)建造は国家最高機密にあたり、建造した三菱重工長崎造船所の人たちの動きを中心に、徹底した機密保持のための苦心談に多くが割かれているが、それは軍と三菱の密接した関係ぶりがはっきり読み取れるものでもある。造船課程も丁寧に書かれているが、物足らなさを感じた。
これは大和型戦艦設計主任西島亮二氏の回顧録や本人へのインタビューをもとにその建造課程を、著者自身がジェットエンジンの設計技術者だったゆえに、造船技術の側面から詳細に記した前間孝則氏著「戦艦大和誕生」(講談社1999)にある重厚さには及ばないからだ。しかしこの比較はフェアではない。そのインタビューとは西島氏の晩年'95年ころで、それまでほとんど大和については口を開いたことがなかったといい、回顧録も人目に触れることはなかった。

武蔵が完成した1942年8月のふた月前、ミッドウェイ海戦で日本海軍は主力空母4隻を一挙に失い、航空戦力優性はもはや動かしがたい現実となって、突きつけられた。それにともない建造中の大和型三号艦(信濃)は空母へと設計変更され、四号艦は建造中止となった。
武蔵は、大和以上にお呼びでない時代に誕生したわけだ。

実戦配備後、激しい演習とは裏腹、出撃機会はほとんどなく、それどころか収容力の大きさを買われ、次々と沈められる輸送船の変わりに軍の物資や兵員を運ばされたりする。そしてその巨体ゆえ軍艦に似つかわしくない豪華設備を持つことから、「武蔵御殿(大和は「大和ホテル)」と揶揄されるようになる。

ようやく出撃らしい出撃が44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦。このとき武蔵は米海軍機の集中攻撃を受けて沈んでしまうが、この描写も物足らなさを感じた。
大和激戦を描いた金字塔的作品、吉田満氏の「戦艦大和ノ最期」と比べるのもまたフェアではないだろう。
学徒兵として沖縄特攻作戦に乗り合わせ、生還後まだ記憶も生々しい終戦直後に書かれたものと、戦後20数年たって生存者から聞き書きするのとでは違いが出て当然だ。

そんなアンフェアなことで不満に思ったのは、武蔵について書かれた書籍と大和のそれとが、質・量ともにあまりにも差が大きいからだ。
大和については、すでに膨大な冊数が発表されている。そのなかの何冊かでも読めば、その証言内容、資料の読み取り方など複数方向から分析され、立体的に伝わってくる。それを先に読んでしまっているから、つい比較してしまう。

同型艦であり、敵国米英からはもちろん、日本国内でもその存在は秘匿とされ、最大最強の破壊力を備え、国家威信の粋でありながら「世界三大無用、ピラミッド 万里の長城 大和(=武蔵)」と身内からも邪険に扱われ、最後は七面鳥撃ちのごとく、米軍機に血祭りにされ沈められた運命は同じだったのに、大和は「特攻」という華を持たされたことで、皮肉にも戦後圧倒的に存在感を高めた。

例えはよくないが、二人の私生児兄弟が相次いで死んだ後、兄は認知され、弟は忘れ去られるかのようにそのままにされた。が、武蔵はそれに抗するかのように5〜6時間、6次にわたる空襲を受けた後も無残な姿をさらしながら数時間波間に漂い続け、暗くなる頃に沈んだ(大和は2時間の集中攻撃で撃沈)。不沈艦たりえなかったが、そのタフネスぶりは証明されたのかもしれない。

この作品で著者は無機質でとてつもない巨大な鉄塊・武蔵をあたかもひとつの生物のように扱っているが、誕生から最期まで戦争の不条理さに支配され続けた船であったことがわかる。
小泉劇場の行く末 [2007年01月24日(水)]
『48億の妄想』筒井康隆 文春文庫

映画『日本以外全部沈没』を観て久しぶりに筒井作品を読んでみたくなったので、古本屋で買ったもの。

この物語の冒頭、TVニュースを見ながらある一家が

「どうも、よくわからん」父親がタバコをもみ消した。「政治なんて、むずかしいものは、もっとわかりやすくして、それから、もっと面白くして見せなきゃいかん」
「ドラマにすればいい」と長男がいった。
「ミュージカルにすればいいわ」嫁がいった。
「マンガにすりゃいいんだ」次男はそういってから急に笑い出した。

と会話するシーンがある。

ニュースやドキュメントにおいてのやらせはご法度であるが、しかしいったい何処からやらせでそうでないかは微妙なところがある。例えば○○国大統領が来日、日本の○○大臣と会談という時、両者がカメラに向かって微笑みながら長い時間握手を交わす。
もしカメラがなければこんな不自然で滑稽なことはしないはずである。

視聴率至上主義の製作現場においてつい過剰な演出になるのは、先日のカンテ〜レの『あるある大辞典』でもみられた悪しき慣習である。

小泉前首相は、劇場型政治という手法で政策や政争を単純化し、政治を判りやすく面白くみせる手腕に長けていた。
マスコミは申し訳程度にそれを批判的に報じながらも、それ以上に「刺客」などといってワイドショーなどで面白おかしく仕立て上げ、小泉劇場を盛り上げる役を率先してやってのけた。

小泉純一郎脚本・演出、各TV局撮影・配給で、陳腐なドラマをタダで見せられ狂喜する国民。そこには政治=生活という本質が完全に抜け落ち、目先の可笑しさだけを楽しむ程度の国民と、それに合わせる術しか持ち合わせないマスコミ、そんな国民から選出される程度の政治家と、それをほくそ笑む一部の少し程度の違う政治家。そんな日本の構造が見事に合致した瞬間だった。

この物語はほくそ笑む一部の政治家ではなく、そういう視聴者を満足させることでいびつ化したマスコミが主導権を持つという違いはあれど、その延長線上にあり、よりデフォルメした展開だが、つい最近小泉劇場のようなことがあっただけに、えらくリアリティをもって読める。

それを40年も前に描いたことはちょっとそら恐ろしい。
パラダイス座の魅力 [2007年01月22日(月)]
『ニューシネマパラダイス』 1989 伊・仏 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ

初めて観たのはHEP NAVIOができる前、まだコマ劇場があった頃、併設のコマゴールドだったかコマシルバーだった。その時はもうひとつの映画が目当ての、二本立てで、『ニュー…』は話題になっているのを知っている程度、正直まったく期待していなかった。が、映画館を出たときは完全に逆転していた。

以来この映画を何回観たか定かでない。これほど、またお金を払ってもスクリーンで観たくなる映画はそうない。

監督ジュゼッペ・トルナトーレの、全編映画に対する限りないオマージュ、故郷シチリアへの惜しみない愛情があふれ出ている、ある意味私的映画。それを普遍性をもって観る人に伝えた当時33歳、劇場映画2本目だった監督の手腕はタダ物ではない。

映画が娯楽の全盛だった。シチリアの田舎では、みんながそれを楽しみにしていた。主人公のトト少年は、母親から頼まれた買物のお金をくすねてまで通いつめるほど、映画にぞっこんだった。

この作品は、映画館を媒介にした悲喜こもごもの人間交流の物語であり、その設定上、戦前から総天然色、つまりはカラー作品が出始めた頃のさまざまな名作の一場面が、随所にはさみ込まれているのが大きな特徴。そしてその映画が時代や社会の移ろいを代弁している。

作品に登場した当時の名も無きシチリアの人たちが観て思いっきり笑って、思いっきり泣いて、時には怒った映画を私も観てみたい。そして同じように思いっきり笑って、思いっきり泣いて、時には怒ってみたい。そうすれば、彼、彼女らの気持ちに一歩近づくことができて、この映画を何倍も楽しめるんじゃないかな。
そんなことを、次この映画を観るまでの課題にしよう、と思ったのはいつのことか。まったくひとつもこなせないまま、また観てしまったのはちょっと悔しかったけど、やっぱり面白かった。

つけ加えるなら94年、そのシチリアに行く機会があったのに、ロケ舞台を見ることを思いつくことさえしなかった。これもちょっと悔やまれることだ。
資産活用の試算は? [2007年01月21日(日)]
5000円ほどで購入した不思議な「わっか」によって旧式P社レンズは実に20数年振りに、光を通してC社デジタルカメラで撮影という役割を果たした。それが作られた当時まったく誰も予想し得なかったことだ。
結果はすこぶる上々で、保管というより雑に放置されてきたにもかかわらず、カビも生えず、くもりもみせず、苦節20数年間この日を待っていたかのように文句なしの写りを見せてくれたことに、身震いした。
「これは使えるぞ」

カメラを始めたのは高校生のころで、P社製のカメラ1台と焦点距離50ミリのレンズ一本だけだった。
いや、じつはもう一本レンズがあった。同じ50ミリで開放値がf4ともうひとつのf1.7に比べ暗く、しかもマウントが違うので装着できず、カメラの知識も疎かったため使用用途というより存在理由が判らず、しまわれたままだった。

そのレンズが同じP社製のひとつ前の世代で、マクロという接写用であるとわかったのは、いつのころかはもう覚えていない。両者をつなぐアタッチメントが定価1000円という格安で販売されていることも前後して知ったが、わざわざそれを買ってまで使う必要性がないまま時間が過ぎていった。

99年、中途半端な機種しか出てこないP社のカメラをあきらめ、先進性の高いC社製カメラに切り替えたため、そのマクロレンズは完全に戸棚の奥へと追いやられてしまった。

しかし世の中面白いものがあるものだ。C社のカメラに旧式P社レンズを装着できる「わっか」、マウントアダプターが売られているのを見つけた。イッタイゼンタイいまどきオートフォーカスは使えない、絞り優先以外の自動露出も使えない代物、必然性があるのかと半信
半疑で見ていたが、どうやらちゃんと使えるものという。

写真の良し悪しはレンズで決まるわけではないが、大きな要素であるのは疑いない。カメラの機能向上のため、旧式レンズシステムがあっさり切り捨てられることは珍しくない。このP社製レンズがその例のひとつ(C社も大不評を買いながらそれを決断した)。が、ユーザーにとってはたまったものではない。時間や大枚をはたいて揃えたレンズという資産が、行き場を失うからだ。ので、メーカーは自社製レンズについては新旧システムをつなぐマウントアダプターを作ってフォローするが、他社製品についてはもちろん責任範疇外。ゆえにサードパーティーによって、いわばニッチ商品的にこういうものが開発されたんだろう。

中古市場ではこれら旧式レンズはなお多く流通している。デジタル化によって、レンズの性能差が顕著にみられるようになってきた今、その行方がどうなるかは判らないが、遊び心を含めてそれらを買うのもあたらしい世界が拡がって面白いなと、思った。

しかし、それ以前に揃えねばならない機材が今や待ったなしで、予算は20万円に達する見込み。赤貧写真家としては、それをどう配分するかで頭を悩ませている昨今である。
これも一期一会というものかな [2007年01月20日(土)]
時々やるのである。こういうことを。
古本屋に入ったらそう簡単に出てこない。いや出てこれない。

残った18キップを使って姫路に行ってきた。そろそろ帰ろうとした夕方、商店街にあった古本屋に立ち寄った。
何か目的があるわけじゃない。古本屋ゆえ、どんな本が並んでいるかわからない未知の出会いが何より楽しい。店によってその店主の性格や趣味による本の傾向が違い、それを楽しむのもよし。

結局買わなかったが、60年以上前の戦時中に書かれた大川周明(当時の右翼思想家で、515事件にも関与、戦後東京裁判でA級戦犯として起訴されるも、発狂したフリをして免訴される。東条英機の禿頭を叩いた人と言えば判るかも)の著作には、瞬間身体が震え、思わず手が伸びた。論調のよしあしは別として、当時のことを知るに貴重な書籍だからだ。これぞ古本屋の醍醐味!

都合2軒の古本屋で4時間近くを過ごし、計10冊、1900円の買物をした。
これでひと月ふた月は読物に困らないだろう。

赤貧写真家としては、安上がりに時を過ごせる術も重要なのだ。
怪物と人間の間 [2007年01月18日(木)]
『グエムル 漢江(ハンガン)の怪物』 06年韓国映画

グエムルとは怪物の名前でなく、その韓国語読みと判った瞬間、ちょっとガクっときた。怪物だけに日本語の「もののけ」の「け」、ケェムルぐらいが本当の発音に近いだろう。

ナマズとオタマジャクシとトカゲのあわさったようなこの怪物、これまでのこの手の映画に出てきたどんなクリーチャーよりもグロテスクで不細工だが、俊敏に走り回り、長い尾っぽを漢江に跨る鉄橋の支柱に巻きつけ、自らの体を振り子のように大きく振って、その勢いでさらに次の支柱にまた尾っぽを巻きつけて移動していくさまは仰天、体操選手顔負けの軽業をみせるが、水とガソリンの区別のつかない鈍感な奴でもある。

漢江はソウルを東西に流れる大河で、平和の象徴とも言われているが、かつて朝鮮戦争のとき、韓国軍はこれ以上北朝鮮軍が攻めてこられないよう漢江に架かる橋を伝って一般市民が逃げる最中、爆破するという惨劇があった。それとこの映画が漢江を舞台にしていることの関連性は掴めないが、韓国人のほとんどはこの事実を知っているだろうから、漢江、鉄橋、阿鼻叫喚のシーンは心穏やかでは観られないものかもしれない。

この映画は怪物=グエムルが暴れて人々が逃げ惑い、食いちぎられもするが、定番的な怪獣パニック映画にはあてはまらない要素がある。

漢江の畔で食品雑貨店を営むパク・ヒボン一家。その店を手伝う一男カンドゥは全くのぐーたらで、手伝いひとつも満足にできない。彼にはヒョンソという一人娘がいるが、母親はそんなカンドゥに愛想が尽きて娘を産むとすぐに家を出て行ってしまった。
二男ナミルは学生時代反政府運動に傾倒、そのことだけが誇りの今は酒びたりのフリーター。長女ナムジュは一級のアーチェリー選手だが、詰めの甘さで銅メダルに甘んじてしまう。
ヒョンソが怪物に連れ去られた後、高いびきをかいて眠りこけるカンドゥに弟たちは呆れ、足蹴にする。そしてカンドゥをかばおうと恵まれない幼少時代のころを話す父ヒボンだが、その内容がまったくフォローになっていないなど、クセだらけの一家は、儒教観念が薄れつつある韓国であってもおそらく特異な存在で、理想的な家族像とは程遠い。
ドタバタし、喧嘩もし、ドジを踏むあたり笑いを誘うが、それが悲劇と隣り合わせであり、みんながスーパーヒーローでないことを如実にみせながら、ヒョンソを救おうと協力する家族の物語の一面がある。

そしてスクリーンで獰猛に暴れまわる怪物以外にも「怪物」が出てくる。
それは物語の後半、被害者であるパク一家を怪物からウィルスを感染されたといって隔離しようとする韓国政府、そのウィルスが事実無根であることに気づき隠蔽に躍起になる在韓米軍と両者のドス黒い関係…、が次第に大きくなっていき、人々を覆い始めるあたりは奇形生物としての怪物より不気味で恐ろしく、手に負えないものとして浮き上がってくる。
ゴジラやガメラのように怪物にあえて名前を付けず、タイトルを単に「怪物」とした点もここにあるのではと思った。
このくだりはいわゆる386世代(1960年代生まれの80年代に学生時代をすごした30歳代)の監督ポン・ジュノの真意と言えるだろう。

最後パク兄弟の協力で怪物は倒されるが、その時ある種のむなしさを感じた。それは1作目のゴジラがオキシジェン・デストロイヤーで倒され、もがき苦しむ姿をみたときに通づるものだった。
人間のエゴによって産まれ落ち、人間のエゴによって葬りさされる。このエゴこそ真の怪物だろう。
北陸への旅・金沢おんたま編 [2007年01月14日(日)]
「うー、さすがにお腹が一杯や。すこし気持ち悪くなってきたな」
腹八分目、とは昔の人はよく言ったもんだ。

北陸の旅二日目午前中は、金沢から能登半島のつけ根あたり、和倉温泉まで足を延ばしてみた。午前中といってもまだ暗くて寒い早朝5時35分発の普通列車で金沢から約2時間、そこからさらにバスで10分くらいのところだ。

和倉温泉総湯「寿老人」前で元湯が噴水のよう流れ出るところに、ネットに入った玉子を取り出している人がいた。
「温泉玉子か。いいねえ。食べてみたい」
すると建物入口には「温泉玉子あります」の貼り紙が。
「今ここで玉子をお湯につけておけば、温泉から出てくる頃にはいい塩梅に出来上がっているやろうな」

受付に並べられた玉子を二つ買うと、「もう冷めちゃっているかも」と言われた。
「ん? これはもう出来上がっているヤツなの?」
「生がよかったらここを出て××にあるお店までいかないと、ないよ。まだお店、開いてないんじゃないかな」

むむ、確かに「生玉子あります」とは書かれていなかった。
いちいち買いに行くのもメンドーだ。その分温泉にゆっくりつかり、この温泉玉子はお昼に食そうと、決めた。

 <誰もが温泉玉子を作っていける> 


温泉を出てから地元の人が開く朝市でちらし寿司を買うが、ちょっと少なそうだったので、駅キオスクでおにぎり二つを買い足し、金沢に戻る列車で食べることにした。さらにここで昨晩つまみで買った平天一枚が残っていることを思い出した。冬とはいえ、さっさと食べたほうがいい。と見てみると、けっこうな量だ。

温泉玉子のカラを割って取り除こうとするが、半熟状態の白身がプルプルとゆれ、すんなりとは剥がれない。しかも列車の中、互いが揺れてますます剥がしにくくなる。ようやく3分の1ほど取ったらすばやく口に放り込んで、吸い出すように丸呑みで食べた。そうしないと、カラからこぼれ落ちそうだった。

風情もなにもあったもんじゃない。これではまったく食べた気がしない。しかもあともうひとつ。玉子だからバッグに仕舞っていても、割れたりすれば元も子もない。
食べなきゃしょうがない、のだ。







<金沢の名の由来となった金城霊沢。ここで砂金を洗い金を取り出した>
北陸への旅・舞鶴編 [2007年01月13日(土)]
「よっぽど暇なのかなあ」
話を聞きながら、失礼なことを考えてしまった。

かつて竹下内閣のとき、全国の自治体にばら撒かれた「ふるさと創生基金」1億円で建てられたその資料館で、館員がつきっきりで端から端まで展示品一つひとつを、およそ1時間ちかく丁寧に解説してくれた。

 
<舞鶴は今も昔も海軍の街>

先週、日本海方面大荒れで断念した北陸方面への旅を、気を取り直して向かった。
JR西舞鶴駅から歩いて10分ほど、立ち寄ったトイレから出てそのまま入り込んだ公園には石垣があり、いかにも城址公園の風情を構えていた。
土曜日の午前中、公園内を行く人は犬の散歩など付近の住人数人だけ。遠方からの来訪者は私だけのようだ。
小雨がパラついてきた。雨宿りついでに田辺城(舞鶴城)資料館に入ってみよう。さして大きくないから20分もあれば充分だろう。そう思ったのが、よもやの展開となった。

長い講義から解放され、館から出ようとすると事務室にいた他の館員二人が出てきて、また舞鶴のあれこれを話してくれてからの、お見送りつきでようやく退場が許された。入場無料で、これだけ至れり尽くせりの施設は初めてだ。そしてこの間、この資料館を訪れた人はゼロ。
降って沸いてきた1億円で、町興しのため意気込んで造ってみたものの、利用者はさっぱり。だから、のこのこやってきた私一人のために存分に力を割いてくれた、そんな雰囲気がありありと伝わってきた。
そんな余計なお世話なことを思いながら、ここを去った。





<明治期に立てられた海軍の赤レンガ造りの建物がレトロさを呼び、「男たちの大和」ほか映画TVドラマのロケにしばし登場する>
全世界沈没 [2007年01月10日(水)]
学生のころ筒井康隆にハマった。ほとんどが文庫本にして数ページのショートショートなので手軽に読め、ひねりと毒の効いた展開が刺激的だった。特にテスト期間中、ちょっと息抜きのつもりで読み始めたら止まらない止まらない。勉強そっちのけで読み耽てしまうこともよくあった。そういえば国語の授業で自ら思う推薦図書を書けという宿題で、『家族八景』だかその続編『七瀬ふたたび』(これらは長編)を書いたっけ。

『日本以外全部沈没』。人を食ったようなタイトルだが、すぐ判るように小松左京原作大ヒットSF小説『日本沈没』をモチーフにした同氏公認のパロディ。どうも読んだ覚えがない。くしくも、その『日本沈没』のリメーク映画と時を同じくしてそれが映画化された。

近未来、日本以外の世界中の陸地がわずか数週間で沈没、何億人もの難民が日本に押し寄せてきて巻き起こる珍騒動をブラックユーモアたっぷりに描かく。今や死後となりつつある「ガイジン」の連発なんてほんの序の口。徹底的にガイジンをコケにし、さらには不良ガイジンは有無を言わさず国外追放(ってどこに追放するんや?!)。逃げおせた外国の首脳が“安泉純二郎”首相に媚びる姿は痛々しい。

氏の作品には戦慄を覚えそうな物が少なくない。それが映像でラジカルに展開されるとシニカルに笑いながらも、一瞬引いてしまう。筒井氏本人も「何か面白い芸を見せろ」と言って、酒場でたむろしている大物ハリウッドスターとおぼしきガイジンをからかうチョイ役で出演しているが、ちと悪ノリだな〜、あれは。

反面、日本以外が沈没したことを分析する地学者田所博士(「日本沈没」で日本沈没を予見した田所博士と同姓なのは寄寓か?)の、S・キューブリック監督『博士の異常な愛情』のDr.ストレンジラブを思い起こさせるマッドサイエンティストぶりは秀逸。

チープなつくりで見事なB級おバカ映画だが、こういうテーマで笑えるのはまだ世の中平和といえよう。でなければかなりヤバイ作品かもしれない。
雪に降られて [2007年01月07日(日)]
3連休でなくなってしまったとはいえ、そのまま何もしないのは癪なのでやはりどこかに出かけようと思った。日程を一日つめた形で北陸行きも考えたが、天候が大荒れになるとの予報。雪は平気だが、温泉につかってその景色を愛でる旅ではないので、大雪だと撮影はかなり制約されると思い断念。
さて、それじゃあ何処に行こうかと深夜、もんもんとしながら決めかねていた。

ふと「雪」で思いついた。ひとつ撮りたい雪景色があった。広島。この数年、年に数度訪れて各所の写真を撮っている。なかでも雪に包まれた原爆ドームは是非に狙っていたが、温暖な瀬戸内地方の広島はそう雪が降るところでない。それがうまく休日と重なる機会は滅多にあるもんじゃない。
広島の天気予報をチェックすると大雪注意報が出ていて、降雪率は午前中50〜60パーセント、昼から晴か雨。可能性は3分7分、よくて4分6分。これはドカ雪でもない限り、積もってからでは遅い。現地に着くまでに解けたり、踏みつけられて泥だらけになったりすれば台無しだからだ。
それを18切符で広島まで5〜6時間かけて行くってんだから、おかしな話だが、現地から生の情報がリアルタイムで得られないかぎり、その情況はさっぱりわからない。つまり賭けなのだ。

途中姫路を過ぎたあたりから雪が降り出し、岡山あたりでは薄っすらだが積もっていた。117で広島の情況を聞いてみる。「積雪4センチ」と言っていた。ようやく期待が持てそうだと思い始めたのも束の間、広島県内に入ると、雪は止み、天候は回復しつつあった。しかしいまさら引き返すわけにも行かない。かすかな期待を持ちつついつも間にかウトウト、気が付けば広島まであと一駅だった、が…。
雪なんてどこにも積もっていない。地面が濡れていたので雪は降るには降ったが、積もるほどではなかった。つまり運に振られたわけだ。

結局原爆ドームはすっ飛ばし、他の箇所を廻り、広島滞在は3時間半、撮影もそこそこ、このまま帰るのもこれまた癪なので、徳島に向かいことにした。
| 次へ
2007年01月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
Monthly Archives
Links






(c) 1999-2008 Cafeglobe.com All rights reserved