『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』仲宗根政善 角川書店 1982年

中盤あたり、仲間とはぐれてしまったあるひめゆりの学生が、疲労困憊して病院で寝かされていたところを恩師が訪ねに行く…、という描写を読んで、ふと、あれ、どこかで見たことあるような情景だ。そしてある映像が頭に浮かんだ。
それは95年、東宝が戦後50周年記念で制作した『ひめゆりの塔』の一シーンだ。
当時人気絶頂だったゴクミが扮する生徒が怪我をして、他の生徒と別行動をせざるを得なくなる。彼女は一人必死に逃げ惑い、ついに力尽き倒れる。
その後、病院に収容された彼女に、仲間たちが見舞うものの、精根尽き果てた彼女は息を引き取るというものだった。
読むときは取り外している表紙カバーを見てみると、映画のスチル写真が使われている。アハハ。買うときそのことを何処まで意識していたか、まったく覚えてないや。これはその映画の原作というわけだ。
が、皮肉なことにこの10年以上ぶりに蘇ったシーンは、その映画を観てて最も気がそがれたシーンだったのだ。
横たわったまま茫然自失として中空を見つめるゴクミのアップが、きれい過ぎたのだ。もちろん彼女は「国民的美少女」と呼ばれ、とても整った顔立ちだが、そのことを言っているわけではない。
いくらメークで顔を汚し、ボロボロの衣装を身につけても、彼女の肌は血色よく艶々、髪も黒々としていた。
恵まれた現代人が、当時の憔悴しきった顔、バサバサの髪、むくんだ肌など極限状態に置かれた人を、メークだけで再現できるものではないんだろうと思った。
ひめゆり部隊は看護活動もそこそこ、米軍の攻撃から逃れる連日で、わずかばかりの食料を命がけで調達、それをみんなで分配。さらには梅雨時に差し掛かった壕の中はじめじめとして、ひしめきあう避難民や日本兵の間でひざを抱えるようにして休む。熟睡などできない。しかし野戦病院としての役割は放棄できないので、逃げるときもそれら医薬品を手分けして運ぶ。その時歩けない負傷兵は置いていき、自決用の手榴弾が青酸カリが渡される。
昼間は次第に迫ってくる米軍におびえ、夜間、発見される恐れがあるので、煮炊きもままならない。次々と死んでいく学友や負傷兵…。全てが八方塞がりへと追い詰められていく。
6月18日、ひめゆり部隊に解散命令が下るが、時すでに遅し。もう逃げ場はなくなっていた。ある者は仲間と一緒なら安心して行けると自決し、ある者は壕にとどまって米軍の襲撃を受け息絶え、ある者は投降し。
体力的にも精神的にも、とても耐えられないような生々しい状況の連続。生きていくため、それとも死なないための行動。筆舌に尽くせぬ出来事が次々と起こり、ただ偶然だけが生と死を分けるだけの混乱と絶望の世界。死が日常化し、生が非日常化する。読んでいて嫌になるくらいうんざりしてくる。
それでもここに書かれていることは、実際に彼女たちが体験したことの何分の一、あるいは何十分の一も伝わっていないんだろうと思う。