特攻の町・知覧 * 二 * [2008年09月14日(日)]
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現代史彷徨:ゲドー戦記 鹿児島・特攻の町・知覧 * 二 * 1999年8月16日
九州南端・鹿児島県薩摩半島の知覧町(07年12月自治体合併により現南九州市)は、1945年、敗色濃厚の日本が最後の抵抗となった沖縄戦のさなか、陸軍航空隊特攻作戦の中心的な基地が置かれていたところだ。特攻隊員たちの遺書、遺品を中心に知覧特攻平和会館には、その記録が今に伝えられている。 ![]() 「所謂“生”なり 凡悩を満足し得る地上なり。 改めて己が足下を眺め、衣食住に未練を感じ、恋々たる執着を残すは自明の里なり 宜なり 宜なるべし 然りといえども生を求むるのあまり理論を並べ詭弁のを備ふるは卑劣の極 男子にあらず。 国破れて何の山河ぞ。 春来れども城跡痕を止めず草木根を絶つべし、勝つべし。 只勝利あるのみ。 大和男子 三千年の斗魂を傾中すべし。 来る日 又風吹き荒るる大陸に 花ぞ咲かせむ春を待たずとも 殉皇の大儀に生くるの悟開かずとも、只 大命の下に行動せば可なり。 己が死する時 命の下命の如く死すれば、 己が命は悠久なるべし。 馬鹿者になるは難し、されど馬鹿者となる事肝要なり。 思索を捨つべし。而して“無”に帰り 空白の頭脳もて、 笑みて大儀に生くべし」 − 西崎重男大尉 東京 第112振武隊 6月3日 − 特攻隊員の中、特に学徒兵(大学在学中に召集された兵士)には、特攻作戦に疑念を感じ、日本が負けると考えるようになった者も少なからずいた。しかし、そのようのことは口外できるわけもなく、理不尽、矛盾、無念を抱え、生への未練を絶って自らの死を受け入れなければならなかった。そのためには、それが偽りとわかっていても何か“大儀”を見つけ、それに自分が殉じることで“納得”させるしかなかったのでは、と思う。 「あんまり緑が美しい ![]() 今日これから 死にに行く事すら 忘れてしまいそうだ。 真っ青なそら ぽかんと浮かぶ白い雲 六月の知覧は もうセミの声がして夏を思はせる 作戦命令を待っている間に 6/5」 「小鳥の声がたのしさう 俺もこんどは 小鳥になるよ 日のあたる草の上に ねころんで 杉本がこんなことを云ってゐる 笑わせるな 6/5」 − 枝 幹二大尉 22歳 富山 第165振武隊 6月6日戦死 − 自らの死を受け入れるということは、努めて冷静なり、無の境地になるのかもしれない。あまりにも日常すぎる、誰も気に留めないことに気持ちがいくのだろうか。ここで出てくる杉本(同日同部隊で特攻に参加した京都出身の杉本明大尉のここと思われる)への惜しみない友情と同時に、どこか突き抜けた静寂感が漂っている。 ![]() |











