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ソウルるん滞在記 '88 U プサン 9月11日(日)、12日(月)
今から20年前の1988年9月、東京大会以来24年ぶり、アジアで2番目の開催となったオリンピックに沸く韓国に単身乗り込み、18日間躍動するこの国を見聞してきた。韓流ブームなどはるか以前、あのヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からはその存在が見えにくかった。それを自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わしたその時の感動や興奮は、これまでにないものだった。
プサンのランドマーク、プサンタワーと、豊臣秀吉の文禄・慶長の役で秀吉軍をコブッソン(亀甲船)で蹴散らした韓国の大英雄、イ・スンシン(李舜臣)の銅像。今なお日本を睨みつける
アジョシは大阪都島生まれの韓国人、今はソウルで働いており、出張でプサンに来たが、仕事が早く片付いたので日本海側を旅行しながら帰るという。そこで「いっしょに行きませんか、せっかく韓国を観光するならいろんなところを見て勉強しなさい。費用は出すからあなたはできるだけ節約をしなさい。私は日本のことをいろいろ知りたい」と言ってきた。
韓国人の外国人旅行者に対するホスピタリティー性は承知していた。大阪生まれのアジョシが、大阪から来た若者に親近感を覚えたとして不思議ではないが、偶然会ったばかりの人に対し、自分の都合で旅行に誘う感覚は理解し難がった。私は「すでに行程を組んでおり、宿の予約もしている」と言うと、「そんなの私が電話で断わります」と、なおも誘い、郊外にある高速バスターミナルまでタクシーで連れて行かれた。右も左もわからぬ外国で、見ず知らずの人間に身を委ねるわけにはいかない。一瞬、北朝鮮にでも拉致されるのでは、とも思った。そこで丁重にお断りをして、やっと解放された。「やれやれ、来た道を戻らねばならないな」。
開通したばかりの地下鉄の駅が近いはず、確かめようと地図を広げると、今度は30歳くらいのアジョシが近づいてきた。道でも教えてくれるのかと思ったら、「車に乗っていけ、案内してやる。No money!」ということらしい。駅が近いんだからその必要はないし、その車を見れば、日本でいう「白タク」?!。まさか、こんなものを相手にするわけにはいかず、無視して歩き出すと、なんとその白タクはついてくるではないか! それでもしばらくすれば諦めるだろうとそのまま行くと、ずっとついてくる。方向を変えるなり小さな道に入るなりすれば、相手に地の利がある以上かえって袋小路になりかねない、見通しの効くその大きな道沿いを行くほうが賢明と思い、しばらくと歩いていくと警察官がいた。ここはすがるしかない、と足早に。ふと振り返ると、それを察知したのか白タクはいなかった。これでは訴えようがない…。
もう大丈夫だろうと安心したのも束の間、その白タクは先回りをし、何食わぬ顔をして車内で新聞を拡げ、私が来るのを待っていたのには、たまげた。これ以上こんなクレイジーなヤツに付き纏われてはかなわん。目には目をならば、タクシーにはタクシーを、だ。「白」じゃないタクシーを捕まえ、ようやく振り切ることができた。
おかげでずいぶんと時間をとられてしまった。市中心部に戻って少し観光してから、予約していた宿泊先に向おうとまた地図を見ていると、数人の若者が声を掛けてきた。「ここなら判るよ」と私に、彼らの車に乗るよう促した。とたんに、こんな若い連中が車を持っているのか、といぶかった。
宿についた後、9時ころだったか近くの小さな食堂にて夕食。子どもたち数人が路地で遊んでいた。こんな遅い時間なのに、と驚いてしまった。 |







今から20年前の1988年9月、東京大会以来24年ぶり、アジアで2番目の開催となったオリンピックに沸く韓国に単身乗り込み、18日間躍動するこの国を見聞してきた。韓流ブームなどはるか以前、あのヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からはその存在が見えにくかった。それを自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わしたその時の感動や興奮は、これまでにないものだった。
