たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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石垣だってお城である 2 [2008年05月17日(土)]
城郭探訪11 紀伊国 和歌山城(虎伏城、竹垣城) 5/10


紀州和歌山といえば“暴れん坊将軍”徳川吉宗を輩出したところで、徳川御三家のひとつ。その居城、和歌山城は1585年、豊臣秀吉の実弟、秀長の築城。それが縁で400年後の1985年、大坂城と姉妹城になった。豊臣家滅亡後の1619年に徳川家が藩主となり、大坂では将軍が城主である幕府直轄領となった点でも似たような経緯を辿り、明治維新後、和歌山城二の丸御殿が大坂城に移築、紀州御殿('47焼失)として親しまれたなど縁深いものがあるが、大阪人の意識は常に「太閤さんの大坂」であり、保守色の強い和歌山とは対照的である。

江戸以降も増改築された城郭は、その造成時期によって石垣の造りの違いがはっきりと見てとれるのが、面白い。天守閣は初期に作られたものなので、石垣は自然石を積上げる野面積み。ぐるっと周りながらみてびっくり。あきらかに削られ方形の石があった。ここだけ年代があわない?! 腰ぐらいの高さだったので、修築とかでそこだけ直すというのも、変な話だ。おまけに明らかに人工的に彫ったくぼみがあって、灯籠か何かの台座のよう。ほかにも長方形のものや、酒のあてに出てくるチーズみたいな石があった。

これは石垣造成のとき、少しでも石を早く集めるため片っ端から持ってきたり、寺から寄進を受けたり(守護的な意味がある)など各所から流用した転用石といわれもので、後からはめ込んだわけではないらしい。和歌山城の隠れた名物だが(全然隠してない)、他の城にも見られるという。


左) 宝篋印塔の台座の転用石。角にあるので目立つ      右) 精巧に組み合わされた切込みハギは圧巻
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