たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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「太平洋≠大東亜」戦争 [2008年04月25日(金)]
現代史彷徨 静岡市葵区静岡懸護国神社 4/5

谷津山を挟んで陸軍墓地の南東側に、静岡懸護国神社はある。
陸軍墓地が遺骨という実体を葬るところなら、ここは魂という不可視なものを祀るところ、その性格はまったく異なる。

戦争当時、軍人は戦って死ねば軍神、つまり神になるとされ、最高の名誉だった。当然、神は人間より格が上で、敬われる存在。ゆえに軍人は死を恐れず、誇りに思って死んでいった。その各地元出身者を祀るのが、護国神社である。

神社内にある遺品館には、戦没者たちの遺品がガラスケースや壁面いっぱいにおよそ4000点陳列されているという。全てを見ようとするなら、相当の精神力と体力と時間を覚悟した方がいい。朝からほとんど歩きずくめで市内を周った身体では、ほとほと疲れてしまったことは否めない。
しかし、最前線の兵士がなにをどう思い、どう戦い、どう死んでいったかを知るのは難しい。こういった遺品は、それを知るひとつの手懸かりだ。

今、私たちが「太平洋戦争」と呼ぶ、この戦争の呼び方は戦後GHQによる押し付けだとして、右翼や保守系の人は、これまたGHQによって日本の侵略戦争を肯定するとして、一時期ご法度とされた「大東亜戦争」を好んで使うことが多い。もちろん、護国神社は後者の方だが、何枚もある遺品の手書き説明文中に出てくる、「大東亜」の並びがどうも変なのだ。

「大」の枝分かれ部分には修正液の痕、「東」は重ね書きをしたようで形が不自然、「亜」は修正液の上に書き直されており、その次も、またその次も同じ箇所を同じように修正している。みんなそろって同じ間違いをしたんだろうか。

そういや、さっき「太平洋」戦争て書かれたのを見たよな。こんなところでは珍しいな、と思ったんだよ。

とすると、「太」→「大」、「平」→「東」、「洋」→「亜」 と直したのものと見えてくる。見れば見るほど、そう見えてくる…。が、これは穿った見方かもしれない。


戦死者と遺品について、簡潔に記している説明文中の「太平洋」戦争か、「大東亜」戦争かは、さしたる問題ではない。が、「大東亜」戦争と呼ぶ慣わしの護国神社が、なぜ、「太平洋」戦争と書いてしまったのか。だとして、それを一枚一枚躍起になって書き直さなければならないものなのか? その意固地さに、ちょっと面食らった。これでは幾重にもバイアスが掛かってしまい、遺品から本当のことは読み取れない。神様といえど、「死人に口なし」だからだ。
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