旧国鉄宇品線を行く @ [2008年04月24日(木)]
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現代史彷徨:廣島行脚 旧国鉄宇品線 @ 序章 4/9
![]() 街並みは、時代とともに変容していく。 街が平面的拡がりから上へ下へと垂直に拡がることが、近代都市のひとつの宿命であるゆえ、数十年たてば、まったく違っていて当然。原爆で市街地が壊滅した広島ではなおのこと、街はゼロどころかマイナスから再生した。 そういったなかで、市内に点在するいわゆる被爆建物、被爆遺構をどう扱うかは、簡単ではない。世界遺産に登録された原爆ドームでさえ、1966年の永久保存決定まで被爆後20年以上、取り壊しか保存かで揺れ、ほとんど手付かずのままだった。結果、広島随一の繁華街にあり、被爆前からシンボル的な存在の瀟洒な外観の旧産業奨励館は、傷ついた姿を曝し、役割もがらりと替えてもシンボルたらんと踏みとどまった。 が、全ての建物・遺構が残されるわけではない。建物の老朽化は避けて通れない。まして原爆による物理的損傷が、それを手伝い、オフィスビルだと、しだいに手狭になり近代化設備が導入しにくいなど、業務の非効率化を生むは、被爆建物に限った話ではない。 ![]() ![]() また保存をするにしても、どういう形態にするのか、さらには文化財等の指定を受けられるのか、維持費はどうするのか、など難問は山積みだ。当の広島市でさえ財政難で、四苦八苦しているという。それが民間であればなおさらのこと。法的義務があるわけでもない。もし広島が原爆の惨禍にあっていなければ、どうということはない一地方都市として発展し、古い建物のほとんどは、議題に上ることもなく取り壊されても不思議ではない。 時代とともに広島の被爆建物・遺構は少しずつ姿を消していった。 |











