たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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歴史教科書で有名な [2008年04月08日(火)]
城郭探訪9 備中国 高松城 4/8
1582年、歴史教科書で有名な、秀吉の備中高松城の水攻め。周囲は低湿地帯、人馬とも脚をとられ攻めあぐねていた。秀吉は近くを流れる足守川が城よりも高い位置にあることに着目、下流域に堤防を12日間で造り、川の土手を崩して足守川の水を流し、城を孤立させる作戦をとった。水に守られていた城は、逆に水によって攻められる。

その工事のさい、農作業に支障が出ると、地元農民から猛烈な抗議が出たが、そのリーダー格の農民を打首にするという強行に出たという。

そこに本能寺の変の一報が入る。秀吉は、主君の一大事は敵対する毛利陣営に利すると見て、領地領民将兵の保全を引き換えに、高松城主清水宗治の自刃で和議を成立させる。そのため宗治公はこの地では、将兵、領民を思い死を遂げた人と捉えられている。

備中高松城は石垣がなく、土塁が盛られていた。また天守閣も築かれず、本丸や二之丸の遺構もまったく残っていないが、岡山市のベッドタウンとしての住宅と、400年前からあまり変わっていないではないかと思わせる田園風景とが、静かに共存している。

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この辺りは桃太郎伝説の地でもある。桃太郎が放った弓が鬼の目に刺さり、流した血が血吸川と呼ばれるようになったという。が、かつて砂鉄が採れ、製鉄も行われていたため、流れ出る錆びた鉄が、血のように見えたことが本当で、その流れ着いた先が、今でも赤浜という地名で残っている、と地元のおっちゃんが語ってくれた。

また近くに吉備津という地名(桃太郎のモデル・吉備津彦命が祀られる吉備津彦神社がある)が示すように、大和朝廷の頃、このあたりまで海だったようで、水にまつろう歴史物語に満ちている。

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