たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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石垣だってお城である [2008年04月04日(金)]
城郭探訪7 遠江国 浜松城(曳馬城、出世城) 4/3
お城の天守閣はじめとする建築物は増改築したり、焼失後の再建などで姿を変えることもあるが、もうひとつのお城を特徴づける石垣は、造成された当時の姿をほぼ変えずにとどめている。つまり時代によっての造りの違いが、そのまま残されているわけだ。

そう見ると浜松城の石垣は、古い時代に造られたもの。まだ石を切り出す加工技術が低い頃のもので、自然石を積み上げ、隙間に小さい石を詰めて安定させる野面積み(野良積みともいう)と呼ばれる典型的な石垣だ。

この遠江一帯を勢力下に治めた徳川家康が1570年、もともとあった曳馬城を改修、浜松城と名も改め、それまでの岡崎城から拠点を移した。

その後数百年の風雨にさらされ、表面に細かいヒビが見える石垣は脆そうでちょっと危なげだが、実はとても堅牢であり、その分年季を感じさせる。

1958年に建てられた鉄筋コンクリート製天守閣は、詳しい史料や図面が残っていないため、いわゆる模擬天守閣で、それっぽく造っているもの。雄々しい石垣とはなんとも不釣合いで、これまた心許ない気がする。

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家康が浜松城の居城していたのは17年。それから静岡・駿府城に移り、やがて江戸開闢へと続く。その後水野忠邦(老中。天保の改革)をはじめ、ここの歴代城主は江戸幕府の要職に就いた者が多く、「出世城」の異名があるが、17年なんて待てない。すぐにでも駿府城へ行こう。

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