たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

(C)awaya  このサイト内の写真、文章の著作権はawayaに帰属し、無断転用、無断使用はお断りします。

Latest Articles
Categorie Archives
Latest Comments
うぃぃ
メリクリ (12/30)
hana
虎と牛 (10/23)
スイスの旅人
桜 開花 (03/29)
awaya
SDカードならば (12/22)
みなみかぜ
中秋の名月 (09/30)
fukfuk
○年の呪縛 (05/25)
最新トラックバック

http://www.cafeblo.com/cafedeblog_binbo/index1_0.rdf
外堀と内堀 [2008年01月26日(土)]
城郭探訪6 美濃国 大垣城(巨鹿城) 1/20


「そろそろこの辺りを右折やな」
そう思うやいなや、「大垣城⇒」という標識が目に入ってきた。

駅前観光案内所でもらった市内観光地図をたよりに、アーケードが続く商店街−−途中あった青果店のキャベツ、白菜一玉100円、トマト一山(4、5個入)250円に、「お、安いな。帰る時もまだ店が開いていたら、買ってみようか」と気にしながら、−−を歩くこと10分ほどしたころだった。

岐阜県JR大垣駅は鈍行列車旅行族にとっては、いやがうえでも利用する駅で、東海道本線を走る列車のほとんどが、ここで乗換えとなり、名古屋方面、あるいは大阪方面へと乗り継いでいく。

私もこれまで何度も乗り降りしてきたが、駅を出たことはほとんどなく、この街にお城があることを、気にも留めていなかった。

その角を曲がるとすぐに城門が見える。あまり大きくはない。城門手前右側は駐車場、左側は喫茶店。石垣と塀に沿って歩いてみると、驚いたことに道を隔ててすぐに小さなビルや民家が連なっている。こんな光景は初めてだ。

お城はもともと街の中核であり、甲子園球場の何倍(という表現がよく使われるが、どれぐらいの広さなのか実感できる人っておるんか?)もの広大な敷地を有していた。明治以降の廃城によって、何重かに張られていたお堀は埋められ、周囲は開発の波に呑まれ変容していったのは、いずこも共通する。

さすが天守閣南西側は大垣公園(本丸跡)となっているが、広場程度の大きさ。
「外堀を埋める」とは、大坂冬の陣の際、徳川方と豊臣方の和議の条件から派生した言葉だが、結局内堀まで埋められた大坂城は落城、炎上した。

内堀を埋められ対向車さえ通れない狭い道一本で、民家が建ち並ぶほどの市街地化という難敵に、大垣城は埋没してしまった。1600年、関が原の闘いで豊臣方の石田三成がこの城を拠点としたことは、何かの因果応報か。

*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*゚



観光案内所で地図を見たとき、開口一番、「お堀がそのまま川になったんですか」と訊いたら、その逆「いいえ、自然の川をお堀にしたんですよ」と言われた。地図ではその水門川は、なおくっきりと城郭の名残を見せている。
2008年01月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
Monthly Archives
Links
ネットワーク







(c) 1999-2009 Cafeglobe.com All rights reserved