たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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尾張名古屋は城で持つ [2008年01月15日(火)]
城郭探訪その2 尾張国 名古屋城 1/14
名古屋城へは午前中に訪れた犬山城から、名鉄と地下鉄を乗り継いで1時間ほど。要塞のようなどっしりとした構えと、小天守を従えた造りは大坂城を凌ぐ威容だ。

1959年、この城が鉄筋コンクリートで再建されたことは、建築基準法の関係で仕方ないこと。外観こそ当時のままに再建されたが、内部はまったく様相が違ってしまい、往時を偲ぶことは、もはやできない。

とすれば、江戸時代初期(1612年大天守完成)に、これほどの大規模かつ300年以上耐えた堅牢な木造建築物(幾度かの大地震にも耐えた)を建てた技術の高さは、驚愕に値すると同時に、築城主・徳川家康の天下の権勢が窺い知れる。

そう考えると、太平洋戦争末期(45年5月14日)の空襲で焼失したことは、残念極まりない。全身猛火に包まれ、しだいに銅版製屋根瓦へと燃え移り、青緑色の炎が噴き出したという。 城内に展示されていた、石垣だけとなった焼失後の名古屋城の写真は、虚しさと喪失感に支配されていた。ふと、時代の流れを恨めしく思う。

大坂城と違って、本丸や二之丸を含めた広い一帯が、有料入場区域になっているので、開園時間外は天守閣を間近で見られないのは、ちと惜しいな。

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