戦々“凶々” 恭賀新年 [2008年01月03日(木)]
![]() 恭賀新年。 毎年恒例の大晦日〜元日にかけての京の都各所初詣巡りは今年も中断、今日は日帰りで桃太郎の郷里、岡山まで出かけての「初詣」詣。JR岡山駅からのローカル線吉備線沿いは、参拝者の多い社寺が競演、これらをハシゴ。たっぷり朝から夕方までかかった。 ご利益だとか、げんを担ぐだとかは興味ない。ウソかマコトか、神事か惰性か戯れ事か、人は何を祈るのか。その胸中やいかに。ある種の通過儀礼にしか過ぎないこれら、老若男女が狂徒と化し(?!)、誰に強制されることなく社寺に殺到する状況はある意味驚異、ある意味恐怖。人と神仏とのこの協奏は奇妙奇天烈でかつ面白い。 天照大神から始まり、歴史上の人物、そこいらの木々から辺境地にある石ころまで境界なく森羅万象精霊が宿り、八百万を神に仕立てあげ、共生するこの国、人も神もみな兄弟。神仏に脅威を覚えず、経典も教義も知らずに「お堂」の前で「拍手」を打つ。ここは神社かお寺か、それとも教会か? どっちがいい? どっちでもいい。滑稽な共演を楽しみにすれど、矯正する必要はない。 それにしても、わずか3、4日で大挙して来て、神や仏にお願いごとなんてムシがよすぎる。それほど都合よくできているなら、さぞ便利な話。だからか、「地獄の沙汰も金次第」なら、神へのお伺いも、お賽銭なる饗応次第。5円10円なんて愛嬌と思いきや、おみくじの返答は凶。神の御心は意外に狭小。 |









