たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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断ち切られた鉄路 [2007年10月15日(月)]
『奥の細道2007 青森・風間浦 9/6』


下風呂という地名は温泉地だらかというわけではないと思うが、下北からのバスを降りたとたん、温泉特有の硫黄の臭いが鼻を突いた。

昨晩、蟹田にて青函トンネルをくぐる特急に乗れず、函館に行きそびれた。仕方がない。すぐに切り替えたもうひとつの目的地、陸奥湾をぐるっと廻った先、竜飛崎に負けず劣らず「北のはずれ」感がたっぷり漂う下北半島の温泉と漁港の小さな町は、朝からの雨にけぶり、静寂に沈んでいた。

海岸線にそって走る国道を見下ろすようにならぶ温泉街の一角に、アーチ状の橋脚がやや不釣合いな感じで佇んでいる。付近には、その橋脚をくぐる地下道や、コンクリートで塞がれたトンネル跡がある。これらはかつて本州最北端大間崎を目指した旧国鉄大間線の遺構。津軽要塞のひとつ、大間崎要塞増強への建築および軍用物資運搬を主な目的とし建設されていたが、1939年開通した下北〜大畑(85年下北交通に譲渡、2001年廃線)を除き、大戦さなか建設資材不足により中断されたまま、その後も再開されることなく、取り残されたものだ。地元民以外には忘れ去られている。


整備された遊歩道の、敷かれたであろう鉄路のモニュメント


うっそうとした草木と激しい雨によって近づくことを阻まれた遺構


青函トンネルは当初、距離も短く水深も浅い大間-函館間が最有力視されていた。そうなれば工事は再開され、ここを頻繁に列車が通り、賑わいをみせたことだろうが、地質調査の結果、トンネル建設は困難とされ、遠回りの竜飛・福島ルートになった。レールは繋がらなかったが、散らばった歴史の破片は繋がっていた。

アーチ橋はその後生活道路として使われ、近年遊歩道として整備された。温泉街だけに駅ホームを模した休憩所にある足湯が親しまれている一方、うっそうとした草木と激しい雨が冷たい表情をして、一部の遺構に近づくことを阻んでいた。
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