たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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武蔵と大和の間 [2007年01月28日(日)]
『戦艦武蔵』 吉村昭 新潮文庫 1971年

子どもの頃何度も読返した旧日本海軍軍艦の本に、武蔵の生い立ちについての漫画があった。特に一人の市民の目にも触れさせないよう厳重警戒のもと進水式が行われ、その巨体に煽られ対岸に高波が押し寄せた描写は子どもながらも生々しく映った。それが印象にあったんだろ、大和ではなく武蔵のプラモデルばかり大小あわせて3つくらい作った。

「なんか希薄な内容やな」
読み終わったときのまずの感想だ。紙幅が少なめ(約250頁)という意味ではない。作者の取材や筆致力の足らなさでもない。「武蔵」という船の生涯そのものが希薄だったのだ。だから著者がどれだけ資料を集め、関係者に話を聞いても、ドキュメントを書くには材料不足だったかもしれない。

全頁の約3分の2が建造期間に充てられている。二号艦(=武蔵)建造は国家最高機密にあたり、建造した三菱重工長崎造船所の人たちの動きを中心に、徹底した機密保持のための苦心談に多くが割かれているが、それは軍と三菱の密接した関係ぶりがはっきり読み取れるものでもある。造船課程も丁寧に書かれているが、物足らなさを感じた。
これは大和型戦艦設計主任西島亮二氏の回顧録や本人へのインタビューをもとにその建造課程を、著者自身がジェットエンジンの設計技術者だったゆえに、造船技術の側面から詳細に記した前間孝則氏著「戦艦大和誕生」(講談社1999)にある重厚さには及ばないからだ。しかしこの比較はフェアではない。そのインタビューとは西島氏の晩年'95年ころで、それまでほとんど大和については口を開いたことがなかったといい、回顧録も人目に触れることはなかった。

武蔵が完成した1942年8月のふた月前、ミッドウェイ海戦で日本海軍は主力空母4隻を一挙に失い、航空戦力優性はもはや動かしがたい現実となって、突きつけられた。それにともない建造中の大和型三号艦(信濃)は空母へと設計変更され、四号艦は建造中止となった。
武蔵は、大和以上にお呼びでない時代に誕生したわけだ。

実戦配備後、激しい演習とは裏腹、出撃機会はほとんどなく、それどころか収容力の大きさを買われ、次々と沈められる輸送船の変わりに軍の物資や兵員を運ばされたりする。そしてその巨体ゆえ軍艦に似つかわしくない豪華設備を持つことから、「武蔵御殿(大和は「大和ホテル)」と揶揄されるようになる。

ようやく出撃らしい出撃が44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦。このとき武蔵は米海軍機の集中攻撃を受けて沈んでしまうが、この描写も物足らなさを感じた。
大和激戦を描いた金字塔的作品、吉田満氏の「戦艦大和ノ最期」と比べるのもまたフェアではないだろう。
学徒兵として沖縄特攻作戦に乗り合わせ、生還後まだ記憶も生々しい終戦直後に書かれたものと、戦後20数年たって生存者から聞き書きするのとでは違いが出て当然だ。

そんなアンフェアなことで不満に思ったのは、武蔵について書かれた書籍と大和のそれとが、質・量ともにあまりにも差が大きいからだ。
大和については、すでに膨大な冊数が発表されている。そのなかの何冊かでも読めば、その証言内容、資料の読み取り方など複数方向から分析され、立体的に伝わってくる。それを先に読んでしまっているから、つい比較してしまう。

同型艦であり、敵国米英からはもちろん、日本国内でもその存在は秘匿とされ、最大最強の破壊力を備え、国家威信の粋でありながら「世界三大無用、ピラミッド 万里の長城 大和(=武蔵)」と身内からも邪険に扱われ、最後は七面鳥撃ちのごとく、米軍機に血祭りにされ沈められた運命は同じだったのに、大和は「特攻」という華を持たされたことで、皮肉にも戦後圧倒的に存在感を高めた。

例えはよくないが、二人の私生児兄弟が相次いで死んだ後、兄は認知され、弟は忘れ去られるかのようにそのままにされた。が、武蔵はそれに抗するかのように5〜6時間、6次にわたる空襲を受けた後も無残な姿をさらしながら数時間波間に漂い続け、暗くなる頃に沈んだ(大和は2時間の集中攻撃で撃沈)。不沈艦たりえなかったが、そのタフネスぶりは証明されたのかもしれない。

この作品で著者は無機質でとてつもない巨大な鉄塊・武蔵をあたかもひとつの生物のように扱っているが、誕生から最期まで戦争の不条理さに支配され続けた船であったことがわかる。
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