怪物と人間の間 [2007年01月18日(木)]
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『グエムル 漢江(ハンガン)の怪物』 06年韓国映画
グエムルとは怪物の名前でなく、その韓国語読みと判った瞬間、ちょっとガクっときた。怪物だけに日本語の「もののけ」の「け」、ケェムルぐらいが本当の発音に近いだろう。 ナマズとオタマジャクシとトカゲのあわさったようなこの怪物、これまでのこの手の映画に出てきたどんなクリーチャーよりもグロテスクで不細工だが、俊敏に走り回り、長い尾っぽを漢江に跨る鉄橋の支柱に巻きつけ、自らの体を振り子のように大きく振って、その勢いでさらに次の支柱にまた尾っぽを巻きつけて移動していくさまは仰天、体操選手顔負けの軽業をみせるが、水とガソリンの区別のつかない鈍感な奴でもある。 漢江はソウルを東西に流れる大河で、平和の象徴とも言われているが、かつて朝鮮戦争のとき、韓国軍はこれ以上北朝鮮軍が攻めてこられないよう漢江に架かる橋を伝って一般市民が逃げる最中、爆破するという惨劇があった。それとこの映画が漢江を舞台にしていることの関連性は掴めないが、韓国人のほとんどはこの事実を知っているだろうから、漢江、鉄橋、阿鼻叫喚のシーンは心穏やかでは観られないものかもしれない。 この映画は怪物=グエムルが暴れて人々が逃げ惑い、食いちぎられもするが、定番的な怪獣パニック映画にはあてはまらない要素がある。 漢江の畔で食品雑貨店を営むパク・ヒボン一家。その店を手伝う一男カンドゥは全くのぐーたらで、手伝いひとつも満足にできない。彼にはヒョンソという一人娘がいるが、母親はそんなカンドゥに愛想が尽きて娘を産むとすぐに家を出て行ってしまった。 二男ナミルは学生時代反政府運動に傾倒、そのことだけが誇りの今は酒びたりのフリーター。長女ナムジュは一級のアーチェリー選手だが、詰めの甘さで銅メダルに甘んじてしまう。 ヒョンソが怪物に連れ去られた後、高いびきをかいて眠りこけるカンドゥに弟たちは呆れ、足蹴にする。そしてカンドゥをかばおうと恵まれない幼少時代のころを話す父ヒボンだが、その内容がまったくフォローになっていないなど、クセだらけの一家は、儒教観念が薄れつつある韓国であってもおそらく特異な存在で、理想的な家族像とは程遠い。 ドタバタし、喧嘩もし、ドジを踏むあたり笑いを誘うが、それが悲劇と隣り合わせであり、みんながスーパーヒーローでないことを如実にみせながら、ヒョンソを救おうと協力する家族の物語の一面がある。 そしてスクリーンで獰猛に暴れまわる怪物以外にも「怪物」が出てくる。 それは物語の後半、被害者であるパク一家を怪物からウィルスを感染されたといって隔離しようとする韓国政府、そのウィルスが事実無根であることに気づき隠蔽に躍起になる在韓米軍と両者のドス黒い関係…、が次第に大きくなっていき、人々を覆い始めるあたりは奇形生物としての怪物より不気味で恐ろしく、手に負えないものとして浮き上がってくる。 ゴジラやガメラのように怪物にあえて名前を付けず、タイトルを単に「怪物」とした点もここにあるのではと思った。 このくだりはいわゆる386世代(1960年代生まれの80年代に学生時代をすごした30歳代)の監督ポン・ジュノの真意と言えるだろう。 最後パク兄弟の協力で怪物は倒されるが、その時ある種のむなしさを感じた。それは1作目のゴジラがオキシジェン・デストロイヤーで倒され、もがき苦しむ姿をみたときに通づるものだった。 人間のエゴによって産まれ落ち、人間のエゴによって葬りさされる。このエゴこそ真の怪物だろう。 |








