ソウルるん滞在記 '88 T 出発 9月10日(土)
今から20年前の1988年9月、東京大会以来24年ぶり、アジアで2番目の開催となったオリンピックに沸く韓国に単身乗り込み、18日間躍動するこの国を見聞してきた。韓流ブームなどはるか以前、あのヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からはその存在が見えにくかった。それを自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わしたその時の感動や興奮は、これまでにないものだった。
北京オリンピック開催まであと2ヶ月、それを記念して、当時個人的に記した訪問記を元に振り返える。

出発地は大阪南港。当時就航していた国際フェリー、オリンピア88号(*)に乗って一路韓国・プサン(釜山)へ。片道21時間、料金は2段ベッド、6〜8人部屋のユースホステルのような2等船室が学割で14400円…。
南港の最寄り駅、ニュートラム・フェリーターミナル駅から国際線ターミナルへ向う無料シャトルバスに乗りそびれてしまった。歩くには遠いし、道もわからない。仕方ないので、タクシーで向うが、ガイドブック(地球の歩き方)のとおり、きっちり10分870円かかったことに苦笑した。
と、のっけから飛行機でないところが普通でない(*_*)。その安さが一番の動機だったが、学生で時間もあったし、船で一晩、1日弱で外国、という飛行機とはまったく違うアプローチ方法に魅力を感じた―それは、船で渡るしかなかった古人たちにあやかろうという気持ちも働いたように思う。
南港を出港して約4時間、夕刻5時頃、うっすらと見えてきた瀬戸大橋は、この年の春に開通したばかり。もちろん見るのは初めて。空と海の境目を一直線に、目線の右端から左端まで走っている。その光景のまま、徐々に近づき、真下を通過する。身体を反らしながら見上げた瀬戸大橋に、「なんともまあ、とてつもなくデカいものを人間はこしらえたたもんだなあ」というのが正直な印象だった。
しかし、朝からのどんよりとした曇り空は一向に晴れることなく、船会社のパンフの宣伝文句で、とても楽しみにしていた「夕陽に映える瀬戸大橋の美しさは、一生忘れられない思い出になるでしょう」とならなかったことが、逆の意味で「一生忘れられない思い出になるでしょう」と思った。前日まではいい天気が続いていたので、余計に残念だった。
夕食は豆腐チゲ、ぐつぐつ煮え立ち、熱さと辛さで顔中汗だらけ。船内シアターでは韓国映画を上映していたが、字幕がとても読みづらく、内容がわかんなかったので、途中でやめた。
帰路もプサンからの同航路を予定していたので、もうひとつの景観ポイント、関門大橋は通過が深夜ということも手伝って、帰りの楽しみにとっておこうと思い、あえて見なかった。
⇒写真編 9/10
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*オリンピア88号
総トン数:9995d 全長:165m 全幅:21.5m 巡航速度:19ノット 定員:502人
1986年、大阪南港とプサン港を結ぶ定期国際フェリーとして就航、大阪を水、土の13:00に出港、翌朝10時プサン入港。後「檀皇」号が神戸便にも就航するが、経営に絡んでいたとされる許永中氏の、イトマン事件での逮捕・起訴を受けて、経営不振に陥り、93年廃路となった。
2002年、日韓サッカーWカップを期に、別会社のパンスターフェリーが、同航路に就航している。