たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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ソウルるん滞在記 '88 W 百済の古都・プヨ [2008年06月21日(土)]
ソウルるん滞在記 '88 W 百済の古都・プヨ 1988年9月13日(火)


プサンから特急列車「ムグンファ」に乗る。滞在3日目、まだ不安があるなか、横にいた幼児連れの若い母親が、私を日本人旅行者と知ってかジュースをくれ、ちょっと嬉しかった。プサン-ソウルの中間、テジョン(大田)で下車後、高速バスでかつての百済の古都、忠清南道プヨ(扶餘)に行く。ほぼ、半日がかりの移動となった。

古都といっても百済(ペクチェ)の滅亡に伴い、当時のものはあまり残っていない。その数少ないひとつがチョンニムサ(定林寺)址。街中心部、いやそこから先はもう街の外れになるという広場に、高さ数メートルの五層石塔と、風化し表情も分かりにくい石仏が向かいあってぽつんと立っているだけ。一応国宝だそうだが、入場料もなく、少しさびしいところ。その由来も詳しくは分かっていないという。その広場は市民の憩いの場でもあり、この時も数人の人がくつろいでいた。周囲も石の壁で囲まれているだけで、まったく歴史的遺構があるという感じがしない。大切にしようという気があるのかな、と正直思ってしまった。

プヨの市街地は10分ほど歩けば終わってしまうような静かでのんびりした小さな街。車の人もうんと少ない、はっきり言ってしまえばド田舎だが、道幅がやたら広いのが印象に残った。チョンニムサに近い市場も昔ながらの光景で、散策するも旅行者なので特に買える物がなく、おやつにとブドウを買うくらい。あっという間に終わってしまうので何回か行ったり来たりした→ 写真編
ソウルるん滞在記 '88 V [2008年06月18日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 V プサン 9月12日(月)

プサンのランドマーク、ヨンドサン(龍頭山)公園のプサンタワーに行く。海抜180メートルの展望室からは港が一望、さらには天気のいい日は対馬まで見えるそうだ。タワーからの写真撮影は軍事上の理由から禁止のはずだが、みんな撮りまくっていた。警察が監視しているわけじゃなし、あれなら撮っておけばよかった。

市中心部からバスで30分の釜山一のリゾート地、ヘウンデ(海雲台)に向かう。大変に美しい海岸で、はだしでビーチを歩く。これまた、とても気分爽快。あちらこちらにカップルがいたのは、まるで京都の賀茂川べりのよう(?)。海水浴シーズンは過ぎていたが、子どもたちが海に入って遊んでいた。私も水着があれば、すぐにでも飛び込みたい気持ちに駆られ、はじめは30分ほどいれば充分と思ったが、居心地のよさに次第に延びていった。

しばらくして話しかける男性がいた。釜山で行われるオリンピック・ヨット競技場の警備に当たる地元の警察官で、横には弟を連れていた。こちらが聞き間違えたのか、向こうが言い間違えたのか、勤務中と言ってたが、カメラを持ってぷらぷらし、「写真を撮ってくれ」と言い出す始末。まあ、他の競技会場でも警備中の警官がヨーロッパ系の外国人旅行者と写真を撮ったり、撮られたりという光景をしばし見かけたので(旅行者からの依頼もあるだろうが)、またとない大きなイベントだから仕方ないのかなあ、と思った。

また、その人は習い始めて3ヶ月というわりにはうまい日本語で、暇さえあればソニー製ラジオ付ウォークマンで九州あたりのラジオ放送で生の日本語を聴いていると話してくれた。この時もラジオを聴いていたので、たぶん暇だったのだろう。ちなみに当時韓国では日本のラジオ放送を聴くのは禁止されていたが、プサンあたりだと地理的に近いせいもあり(私も聴かせてもらったが、まだ明るい時間だというのにくっきりと聞こえたことに、距離の近さを感じた)、日本語の分かる年輩の人とか日本に興味を持つ若者の間でそれらを聴くのは、いわば公然の秘密で、そういったことを平気で口にするようだ。

ともかく、終始、勤務中とは思えない雰囲気だった。

夜、宿のユースホステルにて同室のパキスタン学生が「日本は1990年、アメリカから独立して軍隊を持つ」と言いだした。どうやらパキスタンの学生はそう噂しているようだ。他の日本人同室者とそれは違うと言うが、実質アメリカに従属し、自衛隊というややこしい軍隊を持つ日本の実情を英語で説明できず、彼も頑なに信じているようで、話は並行線のまま深夜まで及んだ。  ⇒写真編 9/12
ソウルるん滞在記 '88 U [2008年06月14日(土)]
ソウルるん滞在記 '88 U プサン 9月11日(日)、12日(月)
今から20年前の1988年9月、東京大会以来24年ぶり、アジアで2番目の開催となったオリンピックに沸く韓国に単身乗り込み、18日間躍動するこの国を見聞してきた。韓流ブームなどはるか以前、あのヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からはその存在が見えにくかった。それを自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わしたその時の感動や興奮は、これまでにないものだった。








プサンのランドマーク、プサンタワーと、豊臣秀吉の文禄・慶長の役で秀吉軍をコブッソン(亀甲船)で蹴散らした韓国の大英雄、イ・スンシン(李舜臣)の銅像。今なお日本を睨みつける


「日本人ですか? 学生ですか?」
プサン港からほど近い街の中心部へと歩き始めてしばらくして、40歳すぎくらいのアジョシ(おじさん)が、そう尋ねてきた。オリンピア88がプサンに着いたころ、大阪から途切れることなく続く雨雲からこぼれ落ちた小雨が、入国手続きを終え、両替をすませ港を出た頃にはやみ、ホッとしていた矢先だった。

アジョシは大阪都島生まれの韓国人、今はソウルで働いており、出張でプサンに来たが、仕事が早く片付いたので日本海側を旅行しながら帰るという。そこで「いっしょに行きませんか、せっかく韓国を観光するならいろんなところを見て勉強しなさい。費用は出すからあなたはできるだけ節約をしなさい。私は日本のことをいろいろ知りたい」と言ってきた。

韓国人の外国人旅行者に対するホスピタリティー性は承知していた。大阪生まれのアジョシが、大阪から来た若者に親近感を覚えたとして不思議ではないが、偶然会ったばかりの人に対し、自分の都合で旅行に誘う感覚は理解し難がった。私は「すでに行程を組んでおり、宿の予約もしている」と言うと、「そんなの私が電話で断わります」と、なおも誘い、郊外にある高速バスターミナルまでタクシーで連れて行かれた。右も左もわからぬ外国で、見ず知らずの人間に身を委ねるわけにはいかない。一瞬、北朝鮮にでも拉致されるのでは、とも思った。そこで丁重にお断りをして、やっと解放された。「やれやれ、来た道を戻らねばならないな」。

開通したばかりの地下鉄の駅が近いはず、確かめようと地図を広げると、今度は30歳くらいのアジョシが近づいてきた。道でも教えてくれるのかと思ったら、「車に乗っていけ、案内してやる。No money!」ということらしい。駅が近いんだからその必要はないし、その車を見れば、日本でいう「白タク」?!。まさか、こんなものを相手にするわけにはいかず、無視して歩き出すと、なんとその白タクはついてくるではないか! それでもしばらくすれば諦めるだろうとそのまま行くと、ずっとついてくる。方向を変えるなり小さな道に入るなりすれば、相手に地の利がある以上かえって袋小路になりかねない、見通しの効くその大きな道沿いを行くほうが賢明と思い、しばらくと歩いていくと警察官がいた。ここはすがるしかない、と足早に。ふと振り返ると、それを察知したのか白タクはいなかった。これでは訴えようがない…。

もう大丈夫だろうと安心したのも束の間、その白タクは先回りをし、何食わぬ顔をして車内で新聞を拡げ、私が来るのを待っていたのには、たまげた。これ以上こんなクレイジーなヤツに付き纏われてはかなわん。目には目をならば、タクシーにはタクシーを、だ。「白」じゃないタクシーを捕まえ、ようやく振り切ることができた。

おかげでずいぶんと時間をとられてしまった。市中心部に戻って少し観光してから、予約していた宿泊先に向おうとまた地図を見ていると、数人の若者が声を掛けてきた。「ここなら判るよ」と私に、彼らの車に乗るよう促した。とたんに、こんな若い連中が車を持っているのか、といぶかった。
車に乗ってしまえば逃げ場がない。グルになっている店で土産物ものを無理やり買わされるというのは、よく聞く話。疑いたくはないが、そうなれば、後味悪いばかり。ここでも、申し出を断った。すると彼らは、私のノートに宿の場所を地図に描いてくれた。悪い連中じゃなかったんだろうな。

宿についた後、9時ころだったか近くの小さな食堂にて夕食。子どもたち数人が路地で遊んでいた。こんな遅い時間なのに、と驚いてしまった。

ソウルるん滞在記 '88 T [2008年06月08日(日)]
ソウルるん滞在記 '88 T 出発 9月10日(土)

今から20年前の1988年9月、東京大会以来24年ぶり、アジアで2番目の開催となったオリンピックに沸く韓国に単身乗り込み、18日間躍動するこの国を見聞してきた。韓流ブームなどはるか以前、あのヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からはその存在が見えにくかった。それを自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わしたその時の感動や興奮は、これまでにないものだった。

北京オリンピック開催まであと2ヶ月、それを記念して、当時個人的に記した訪問記を元に振り返える。


出発地は大阪南港。当時就航していた国際フェリー、オリンピア88号(*)に乗って一路韓国・プサン(釜山)へ。片道21時間、料金は2段ベッド、6〜8人部屋のユースホステルのような2等船室が学割で14400円…。

南港の最寄り駅、ニュートラム・フェリーターミナル駅から国際線ターミナルへ向う無料シャトルバスに乗りそびれてしまった。歩くには遠いし、道もわからない。仕方ないので、タクシーで向うが、ガイドブック(地球の歩き方)のとおり、きっちり10分870円かかったことに苦笑した。

と、のっけから飛行機でないところが普通でない(*_*)。その安さが一番の動機だったが、学生で時間もあったし、船で一晩、1日弱で外国、という飛行機とはまったく違うアプローチ方法に魅力を感じた―それは、船で渡るしかなかった古人たちにあやかろうという気持ちも働いたように思う。

南港を出港して約4時間、夕刻5時頃、うっすらと見えてきた瀬戸大橋は、この年の春に開通したばかり。もちろん見るのは初めて。空と海の境目を一直線に、目線の右端から左端まで走っている。その光景のまま、徐々に近づき、真下を通過する。身体を反らしながら見上げた瀬戸大橋に、「なんともまあ、とてつもなくデカいものを人間はこしらえたたもんだなあ」というのが正直な印象だった。

しかし、朝からのどんよりとした曇り空は一向に晴れることなく、船会社のパンフの宣伝文句で、とても楽しみにしていた「夕陽に映える瀬戸大橋の美しさは、一生忘れられない思い出になるでしょう」とならなかったことが、逆の意味で「一生忘れられない思い出になるでしょう」と思った。前日まではいい天気が続いていたので、余計に残念だった。

夕食は豆腐チゲ、ぐつぐつ煮え立ち、熱さと辛さで顔中汗だらけ。船内シアターでは韓国映画を上映していたが、字幕がとても読みづらく、内容がわかんなかったので、途中でやめた。

帰路もプサンからの同航路を予定していたので、もうひとつの景観ポイント、関門大橋は通過が深夜ということも手伝って、帰りの楽しみにとっておこうと思い、あえて見なかった。 ⇒写真編 9/10
                 ・                 ・                 ・
*オリンピア88号
総トン数:9995d 全長:165m 全幅:21.5m 巡航速度:19ノット 定員:502人
1986年、大阪南港とプサン港を結ぶ定期国際フェリーとして就航、大阪を水、土の13:00に出港、翌朝10時プサン入港。後「檀皇」号が神戸便にも就航するが、経営に絡んでいたとされる許永中氏の、イトマン事件での逮捕・起訴を受けて、経営不振に陥り、93年廃路となった。
2002年、日韓サッカーWカップを期に、別会社のパンスターフェリーが、同航路に就航している。
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