たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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ソウル・オリンピック競技観戦記  スジュン・バレエ [2008年08月18日(月)]
ソウルるん滞在記 '88 XIV オリンピック競技観戦 9月25日(日)〜26日(月)
スジュン・バレエ 



このころになるとよく行く場所はすっかり覚えてしまい、地図なしや地下道を通っても行けるようになった。
25、26日は日本でいう盆にあたるチュソク(秋夕)の連休で、日本と同様田舎に帰る人が多い。したがって都会のソウルでは多くのお店が休みとなり、少し違う雰囲気になった。

一方、オリンピックの人気競技はチケットも手に入りづらくなってきた。というか、ダフ屋が買い占めていたようだ。この国では問題ないんだろうか。正規のチケット売り場のすぐそばで、ダフ屋のアジョシ(おっちゃん)たちが堂々と風呂敷を拡げ、チケットを並べ売っている。もちろん何割か高めで。チケットの売り子も警察も何も言わないし、ダフ屋の方がいい席を押さえているらしく、けっこう人も集まって“繁盛”していたのには、驚きだった。さすがにダフ屋から買ってまで観ようとは思わなかったので、観られる競技がなくなってきた。

それでももうひとつ、どうしても見たい競技があった。シンクロナイズド・スイミング。なんでこんな競技があるだろう、といつも不思議に思っていたが、こんな機会でないと観ることもないだろう。スジュン・バレエ(水中バレエ)と呼ぶこの国でも人気競技のようで、チケットはすでに売り切れていたが、当日競技開始前に臨時で発売されることがあるので、それに賭けることにした。

夕方、早めに会場であるオリンピック公園に行き、発売開始まで待つこと約2時間、陽はすっかり暮れた。昼間はあれほど暑かったのに、急に寒くなってきた。9月もあと数日、これが大陸の気候なんだろうか。

半そで一枚で我慢したかいがあった。競技名と今日の日付がゴム判で押された臨時チケットを手にして会場に入ってみると、もうすでに数人の演技が終わっていて心配したが、しばらくして日本の小谷実可子が登場した。演技が終わると割れんばかりの拍手。なかなか気持ちのいいものだった。贔屓目で見ても彼女よりすごい演技だと感じたのは、フランスやカナダの選手くらいで、終わってみると彼女は第3位で予選を通過。後日決勝でも、そのままふんばって銅メダル。やっぱり日本を応援してしまうなあ。

本当はこんなに小さく見える。めいっぱいトリミングして、なんとなく小谷実可子とわかる
ソウル・オリンピック競技観戦記 ユクサン・ナムジャ100m [2008年08月13日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 XV オリンピック競技観戦記
ユクサン・ナムジャ100m 9月24日(土)


TV中継中のユクサン(陸上)の観ていると、ここまできてメインスタジアムに入らずしてオリンピックを見た気になれないと思い、またソウル総合運動場に向かう。

が、実際に行ってみると重大なことに気が付いた。TV中継では選手をアップにし、ポイントになる画面に切り換わりアナウンサーの実況があるが、スタンドから見ると、ちっこい人間がチョロチョロし、複数の競技が同時進行しどれを注目していいか分からない。競技プログラムもわからない、の分からないづくしで、何がなんだか分からない。

しだいに退屈してきたし、腹も減ってきたので気分転換がてらスタジアム探検へと出かけた。スタジアムを半周ほどしたが、数ブロックごとに同じつくりの売店があるだけでここでも食堂はなく、ほかに面白そうな施設もない。しかたなくカップラーメンを買って席に戻ろうとするが、困ったことが起きた。

指定席じゃなかったので自分の席が分からなくなったのだ。あまりにも大きなスタンドは、1ブロックや2ブロックくらいずれても景色は変わらない。カップラーメン片手にだんだんと焦りが出てくる。するとますます区別がつかなくなり、競技なんてどうでもよくなってくる…だったが、そんなオロオロしている間にスタンドがどよめき始めた。場内アナウンスで男子100メートル走決勝、米代表カール・ルイスとカナダ代表ベン・ジョンソンの名が告げられ、ソウル・オリンピック最大の注目シーン、世紀の対決が始まろうとしていた。

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ソウル・オリンピック競技観戦記  ノング;テニス:チュック;ヨジャ・ペグ  [2008年08月01日(金)]
ソウルるん滞在記 '88 XII オリンピック競技観戦 9月20日(火)〜23日(金) 
ノング;テニス;チュック;ヨジャ・ペグ



20日(火)
ソウル総合運動場は広大な敷地でありながら、どういうわけか食堂がひとつも見当たらなかった。売店でカップラーメンとかキムパップ(海苔巻)やスナック菓子くらいしかなく、腹ペコでしょうがない。また暑かったので冷たい物を飲もうとするが、韓国の自動販売機のジュース類は、冷えていないものが多かったため、買おうにも一瞬ためらい、賭けでもするような心境。日本のようにそこらじゅうに自販機があり、いつでもどこでも冷たいものが飲めることに慣らされているから、こんなことを不満に思うんだろうな。

オリンピックの花形競技、陸上の開始を3日後に控えたメインスタジアムは、警備厳重ではあったが、常にニラミを利かせているわけでもないようで、選手用ゲートから観客のいないなか、聖火が灯された聖火台やフィールドでトレーニングに励む選手たちの様子を見ることができた。本番目前、静かな緊迫感が伝わってきたように思う。

夜からはナムジャ・ノング(男子篭球=バスケットボール)予選、中央アフリカ共和国対ユーゴスラビアとソ連対オーストラリアを観る。中央アフリカは結局敗れたものの、一人の選手の活躍がとても目立つなど、スピード、ジャンプ、パス、シュートどれもさすがはオリンピックと唸らせる素晴らしいゲーム内容だった。
ちなみにこの時も客は少なく、2等指定席でもよりよい席を求めて何度も移動した。


22日(木)
競技観戦の勝手を知り、欲が出てきた。いろんな競技を見てやろうとオリンピック公園テニスコートに来る。センターコートを囲む数面のコートは、料金もセンターコートの半額ほどだったが、センターコートでも4000ウォンと安いので、せっかくの機会だからそちらにした。が、選手が一体どこの国の誰対誰なのか判らず、それ以前にルール自体もほとんど知らないので、どっちが勝っているか、何がどうなっているのかもわかんないことに気付き、観ていてもさっぱり面白くなかった。おまけに体中の水分がなくなるかと思うくらい暑かったので、陽の当たらない所へ移動したが、屋根のないセンターコートではほとんど意味がなかった。

夜からは市中心部に程近いトンデムン(東大門)運動場でチュック(蹴球=サッカー)、フランス対中央アフリカを観戦。こりゃあ、旧宗主国対旧植民地国の戦いだな…。
サッカーの方がルール等試合の面白さを知っているので、楽しく見られたが、今ほどサッカーに関心のない時代だったためか、ここでも観客はガラガラ、4000ウォン(約750円)。日本の物価水準にすると800〜1300円くらいか。オリンピックの試合がこの値段で見られるなら安い!
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ソウルるん滞在記 '88            ソウル“最深”事情 [2008年07月28日(月)]
ソウルるん滞在記 '88 XI ソウル“最深”事情 9月20日(火)〜23日(金)


20日(火)
李朝時代の王宮、キョンボックン(景福宮)内にひときわ目立つ近代建築物は、かつて日本植民地時代の朝鮮総督府庁舎。解放後は米軍政庁舎、独立後は韓国政府庁舎として主は変わっても権力の中枢機関が置かれていた。以来民族屈辱の象徴ゆえの取り壊しか、歴史の教訓としての存続かで揺れながらも、2年前の86年に国立中央博物館(クンニプ・チュンアンパンムルグァン)として落ち着くことになった(建物が頑丈で費用がかかり過ぎ、取り壊しできないという説を聞いたことがある)。

旧総督府庁舎は、風水に基づいて建築されたキョンボックンの地脈を断つためにこの位置に建てられたという説がある。真偽は分からないが、王宮の正殿、クムジョンジョン(勤政殿)を塞ぐようにそびえ、正門であるクァンファムン(光化門)も移築させられた。朝鮮戦争で焼失したクァンファムンは1968年元の位置に再建されたが、その背後に建つ旧総督府との対比は、やはりどう見てもそぐわない。王宮という一国の権威を威圧するような存在であることは、どの角度から見ても分かる。


展示物は時代別、地域別や近隣諸国、仏教美術、白磁や青磁といった分野別などに分けられ、古代日本と共通するようなのものが多数あり、なかには縄文土器と見まがうようなものには驚かされた。改めて両国の歴史文化交流の深さに、感嘆させられる。全てを観ようとするなら半日や1日はかかるだろう。韓国人にとって忌まわしい過去の記憶をもつという位置付けはともかく、重厚な造りの建物は花崗岩の外観も内装も「中央博物館」にふさわしいものに見えたのは、日本人の身勝手な思いかもしれないが(取り壊しか保存かの議論はくすぶり続け、結局1996年撤去された)。

この時、キョンボックンおよび中央博物館を案内してくれたのは、民泊先の下の階(2世帯住宅みたいな形)に住むA氏。大学生(院生だったかな)の彼も日本に興味を持ち、言葉も勉強中。留学したいとも言っていた。彼と民泊先のC氏と3人で、連夜のように話し込んだ。当時韓国で上映禁止だった日本映画を、日本語学習の名目で観たとか軍隊生活はとても嫌だったとか、日本の学生事情、はたまたポルノ映画はどんなものか、など日本についてもあれやこれやと聞かれた。

上) 景福宮・敬天寺十層石塔  下) 外国の使節を歓待するキョンフェロウ(慶会楼)
上) 光化門越しに見る旧総督府庁舎  下) 景福宮・ヒャンウォンジョン(香遠亭)にて。右がA氏

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ソウル・オリンピック競技観戦記  ペグ&ヤグ  [2008年07月23日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 ] オリンピック競技観戦記 ペグ&ヤグ 9月19日(月)

 
たくさんある競技の中でどれを観るか、迷った。決め手はなく、結局無難な線で、ナムヂャ・ペグ(男子排球=バレーボール)予選を選んだ。現地での勝手も分からないし、チケットも入手困難と思い、出発前に日本で手配・購入したが、8000ウォン(約1500円)の券が2800円と高いのは仕方ないとして、観客はがらがら、当日でも購入でき、おまけに3等指定席で1等の席に座れたりしたので、「こんなんでいいの?」と、思った。

バレー観戦後すぐに、ソウル総合運動場へと向かった。はじめはバレー以外の競技を観るつもりはなかったが、チケットが簡単に手に入ると分かって急に気持ちが変わり、別の競技も観たくなったからだ。

チャムシル・ヤグジャン(蚕室野球場)でヤグ(野球)、米国対韓国を観ていると、後方がなにやら騒がしいというか賑やかしい。振り返ってみると、袴を着て、韓国の旗を振り騒いでいる人がいた。
「でた! オリンピックおじさんや!!」
以前TVで紹介されているのを覚えていた。オリンピックのたびに出かけては日本だけでなく、他の国の応援もしてるという。だよな、この日、野球では日本の試合なかったもん。
プレー中は静かだが、回と回の間になるともうお祭騒ぎ、周囲のアメリカ人(たぶん)にも大うけで、いっしょに騒ぐ人もいた。このおじさん、北京オリンピックにも出かけるんだろうな。

それとは別にやはり回と回の間に、通路に出てきてふりふり付き衣装で踊りだす若い韓国人の一団がいた。これもたぶん応援のつもりだろうが、見ていて結構恥ずかしい感じがした。踊っている当人たちはもっとだろう。

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ソウルるん滞在記 '88 \            冷戦の最前線へ [2008年07月18日(金)]
ソウルるん滞在記 '88 \ 冷戦の最前線へ 9月18日(日)


世界で一番ホットなところをよそに、世界で一番コールドなところに来た。

彼らの土地でありながら韓国の一般民間人が、立ち入ることのできぬパンムンジョム(板門店)は、外国人が定められたツアーによって訪門できる南北朝鮮唯一の接点。国連軍と北朝鮮軍、両軍が対峙し、管理し、監視しあう東西冷戦の最前線ゆえ、一触即発の危険との隣りあわせである。事実、この数年前北朝鮮側からパンムンジョムを訪れていたソ連人大学生が、韓国に亡命をはかり、両者の銃撃戦となったことは、記憶に新しかった。またTシャツやジーンズといった軽装、ピースサインや手を振ったりすることは、利敵行為と見なされ、認められない。昨日のロッテホテルでの手続きも、革靴を買ったのもここに来るためだった。
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ソウルるん滞在記 '88 [    オリンピック開幕 [2008年07月08日(火)]
ソウルるん滞在記 '88 [  オリンピック開幕   1988年9月17日(土)
 
20年前の1988年9月、アジアで2番目のオリンピックに沸く韓国に乗り込んだ。韓流ブームなどはるか以前、ヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からは見えにくい存在だった。躍動するこの国を自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わした感動や興奮は、これまでにないものだった。
北京オリンピック開催まであと1ヶ月、それを記念して、当時を振り返る第8段。


韓国に入って1週間、だんだんとこの国に馴染んできた。

ロッテホテルで所用を済ませようとするが、手続き上宿泊先の住所と電話番号が必要とのこと。住所はともかく、電話番号は控えていなかったので、分からない。とりあえずホテルロビーにあった電話帳を繰ってみるものの、見方が分からず見つけられない。このままだと明日以降の予定が狂ってしまう。どうすればいいのか、途方にくれていると、50歳過ぎくらいのアジョシが「どうしましたか?」と日本語で訊いてきた。事情を説明すると、何箇所かに電話を架け、しばらして番号が判明した。その間、心ここにあらず…。
電話番号調べくらいなら大して手間がかからないだろうが、偶然居合わせただけの見ず知らずの外国人に、親身になってくれるアジョシの親切心は、本当にありがたかった。

ひと安心の後、ロビーのTVでオリンピック開幕式をしばらく観る。次々と入場してくる各国選手団の様子に興奮してきた。今この瞬間に、少し離れたところで進行している歴史的イベントをTVで観るために、ここに来たわけじゃない。生のオリンピックを体感すべくソウルに来ているんだから、ちょっとでも現場に近づきたい。開幕を記念する行事でもあればと思い、とりあえず一夜明けたソウル市庁前の聖火を見に行く。そこは、前夜の興奮が嘘のように静かだったが、ロータリーを車がビュンビュン走り、観光客の姿は絶えなかった。また、無残な状態だった花が、一晩で丁寧に植え直されていたのには、感心した。

が、これ以上どこで何をやっているか、それがあるのかどうかさえ皆目不明だったので断念。結局、開幕式は一部しか観てないので、今もってどんなものだったのか不明である。


その後、革靴を買うため、いくつかの店を回る。どこぞのお店では店員がガムをくっちゃらくっちゃらさせながらの応対に、驚いた。決して裏通りで、偽ブランドを売りつける怪しいあんちゃんではない。スーツ姿の、英語で応対する立派な構えの店だった。日本人の感覚からすればフランクすぎて、考えられない。そういえば、これまでもやたらとガムをくっちゃらくっちゃらさせている韓国人を何人も見かけた。きっと日常的な風景なんだろうな。いいとか悪いとかではなく、ちょっとしたカルチャー・ショックだった。
ソウルるん滞在記 '88 Z             オリンピック開幕前夜 [2008年06月29日(日)]
ソウルるん滞在記 '88 Z オリンピック開幕前夜 1988年9月16日(金)


市内数箇所で行われるオリンピック競技場のひとつ、オリンピック公園は百済時代のモンチョン土城遺跡を囲むように体操、水泳、テニスなど6つの競技場と人工湖が配置され、とても広く静かで、緑も多く快適な空間。時間がたつのを忘れてしまいそうだった。またあちこちにある彫刻物が芸術性もアピールしている(よく分からんが)。各国の取材団以外にまじって、TV局の取材中の日本代表選手を見かけ、オリンピックいよいよ本番、という雰囲気が伝わってきた。

続いて訪れたオリンピック・メインスタジアムがあるソウル総合運動場(チョンハプウンドンジャン)は、先ほどのオリンピック公園とはうって変わって、厳重な警備で、ゲートはバリケードをされ、中に入れなかった。これまでTVなどで見たメインスタジアムを、ついにこの目で見られる、と興奮気味で行ったものの、その気概を挫かれてしまい、遠目から見るしかなかった。とは言え、全く違う意味で、開幕を明日に控えているという緊張感を実感した。

ソウルを東西に流れるハンガン(漢江)をめぐる遊覧船に乗る。この時も夕暮れ時を狙うが、雲行きが怪しくなってきた。船に乗るたびに天候にたたられるな、と思うやパラパラ程度だった雨は、ついには激しいスコール状に。デッキにいた観客もみんな室内に引っ込んでしまった。幸い、夕立はまもなく止み、到着先のヨイド(汝矣島)が見える頃には、雲の切れ間から夕陽も見え、そのコントラストがとても美しかった。

ヨイドはソウルのマンハッタンと呼ばれ、副都心として急速に発展した。シンボル的なのがテハンセンミョン・ユクサム(大韓生命63)ビル。東京・池袋にあるサンシャイン60(239.7m)よりも少し高い(249m)のが、ソウルっ子の自慢のタネとなっている。もっとも63といっても、地上63階ではなく実際は60階で、あとの3階は地下階を足している。セコイというか涙ぐましいというか…。

暗くなり始めたヨイドでは、オリンピック前夜祭のイベントが始まり、ものすごい数の人であふれかえり、ほとんどパニック状態。そこから市中心部に向かおうとするが、タクシーはなかなか捕まらず、ようやく捕まえても、大渋滞でさっぱり進まない。メーターはどんどんと上がっていく。挙句のはて、前夜祭で打ち上げられた花火を見るため、運転手は車を降りて見物するしだい。おまけに相乗りしてきたアガシ(若い女性)は何も言わず、1円、いや1ウォンも払わずに降りていった。ちょっとかわいかったけど。

ソウル市庁前に来るとまた人だかりが。韓国全土を回ってきた聖火が、開幕式前夜最後の泊地として市庁前ロータリーに到着したところ。みんな聖火を見ようと、もみくちゃ、わやくちゃ。私も停車しいてたどこかのトラックの荷台に勝手に登って、聖火を撮影した。一方で、そのそばで綺麗に植えられていた花壇の花が記念のつもりなんだろう、あらかた引っこ抜かれ、めちゃくちゃになっていた。前日、そこを通った時、一生懸命に手入れしている様子を見ていたので、悲しくなった。

市庁舎に掲げられた700日前から始まったカウントダウンの電光掲示板がついに「1」を表示、世紀のイベント前夜は深夜になっても興奮に包まれていた。 写真編 ⇒ 9/16
ソウルるん滞在記 '88 Y  ソウル到着 [2008年06月28日(土)]
ソウルるん滞在記 '88 Y ソウル到着   1988年9月15日(木)


プヨからバスで3時間半、いよいよソウルに乗り込んできた。

見たいところはたくさんあるが、たぶん、ここが一番分かりやすいところと思い、ソウルど真ん中にある李朝時代の離宮、トクスグン(徳寿宮)に向かう。地下鉄シチョン(市庁)駅で降り、とりあえず背負った荷物をコインロッカーにしまおうとするが、どこもかしこも閉まっている。稼働率100%?! そんなに利用されるのかなあ、と思案するが、「そうか、テロ防止のためにすべて閉鎖しているのか」。オリンピックならではの光景なんだろうと、そのまま荷物を持っていった。

トクスグンは1590年、第9代ソンジョン(成宗)王の時に造られ、壬申倭乱後の一時期や大韓帝国と改称した1897年以降王宮となったもの。ソウル市庁やプラザホテルのすぐ西隣、他にも大きなビルやホテルに囲まれているオアシス的な存在だ。

この日から1週間、オリンピック期間中急増する外国人旅行者向けの一般市民宅での民泊となる。旅行社でもらった手書きメモを片手に、ソウル郊外で地下鉄とバスを乗り継いで1時間ほど、ごく普通の住宅地の光景に戸惑い、道に迷い、不安と期待が入り混じるなか、そのC氏宅へと向かう。

C氏は30歳過ぎくらい、高校で工業技術を教える先生。個人的に日本語を学習中で、簡単な会話なら問題なかった。まだ日本には行ったことがないので、早く行きたいという。そして希望していた日本人の滞在を喜んでくれていた。お連れ合いさんは大学時代に知り合ったというひとつかふたつ年下、初めての赤ちゃんがお腹にいる。二人とも気さくでご主人、奥さんというよりも、お兄さんお姉さんという感じで、不安は解消された。

歓迎酒としていただいた初めての高麗人参酒は、ちょっときつく飲み切れなかった。
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ソウルるん滞在記 '88 X百済の古都・プヨ [2008年06月25日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 X 百済の古都・プヨ 1988年9月14日(水)


もうひとつの百済時代の遺跡、人工池のクンナムチ(宮南池)を目指し、市内を南下。市街地を抜けるともう道は舗装されておらず、ジャリジャリと踏みしめる音が心地よい。辺りにはところどころ釣り人がいる程度で、ひたすら田んぼ、田んぼ、田んぼばっかりの、のどかで静かな田園地帯、ゆったりした気分に浸れるところだった。

近くにある望海亭は表示があるわけじゃなく、ここでいいのかな。「望海」といってもプヨは内陸だし、樹木ばっかりで見晴らしも効かない。「亭」といっても休憩所程度で何もすることがない。おまけに落書きがいっぱい、周囲はゴミだらけ…。

途中、道を塞ぐ形で標識板があった。通っていいのかどうか躊躇われたので、一つ一つハングルを解読していくと、「車両通行禁止」と判った。ならば人間なら通ってもかまわない。道すがら、こんなふうにして何でもないことでも、新しい発見をしているようで楽しかった。さらに、昼食を食べた食堂で会った二人のハラボジ(おじい)に又会う。「日本人ですか?」と、すぐに見破った二人は、ここでも日本語でいろいろと聞いてきた。この世代の人に日本語で話しかけられると少し心苦しいが、いい感じの人たちで、なんだか心が和んだ。

が、しばし上空をジェット戦闘機がすさまじい爆音とともに飛び去っていくことで、情緒を壊わされることもあった。このときばかりは、日本との国情の違いを感じた。

その後に向かったプヨ国立博物館では銅鏡や瓦、壷といった多数の展示物が、奈良の博物館にある古代日本の出土品を見ているような錯覚に囚われ、改めて百済時代の両国の交流の深さを実感。また、博物館の背後、プソ(扶蘇)山にあった百済王宮の栄華も今はわずかな遺構を残すだけ。サビ楼や迎日楼などの建物はどれも復元で、しかも同じ形に見えて区別がつかない。道に迷いそう…。そんな時、「日本人ですか」と呼び止められた。売店のハラボジだった。ハラボジは百済時代のプソ山の逸話を話してくれるとともに、若い頃日本に連れて行かれ、日立で働いていたとも語った。
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